第七話・次の手
第七話・次の手
JAとの会話の翌日、大阪の秋子から鳥取にいる葉奈子に電話があった。美富子の過去の横領を告白したも同然の秋子とはあれから一度も会ってないし、会話もしていない。久々だがいきなり用件に入ってきた。
「みっちゃんのことやけどな。あんた、えらいことしてるみたいやな」
JA内部の誰かが美富子に注進したのだろう。奥本支店長だろうか。彼が新人のことろはすでに美富子の天下だったはずだ。美富子の横領を知っていただろうか。大林組合長との不倫はどこまで職場で知られていただろうか。知っていて知らぬふりだろうか。不正会計があっても知らぬふりをしていたから支店長になれたのだろうか。葉奈子は一呼吸おいて返答する。
「あっちゃん、よう知っているね」
「あのな。相続税一千万円がみっちゃんの勘違いやったとしたら、元の勤務先のことかて、みっちゃんの勘違いかもしれへんやろ。そこまでみっちゃんをいじめんでもええんとちがうかな」
「いじめる? 私がですか」
秋子は黙った。美富子に命じられて様子伺いに電話をしたと感じた。
「はあちゃんってそこまで気が強いとはみんな思わなかった」
「みんなって誰? 新毛支店の人が漏らしたの? 守秘義務はどうなっているのかしら」
「あ、いえ。みっちゃんやけど」
豆島美富子に鈴木秋子。なんてみっともない姉妹。でも秋子は美富子に逆らえない。夫の広司の会社の起業や運転資金は美富子が横領した金、もしくは無審査で貸与した金だと世間に知られたらどうなるか。葉奈子は秋子に聞く。
「例の一千万円の相続税云々の話やけど、あっちゃんも亡くなった父に言ったね。でも、それも美富子叔母の嘘やった」
秋子は声をひそめた。
「うん……私はさすがに卦配の義兄が、公男さんがかわいそうやと思った。だからこの際だから遺産分割協議書を私に見せて、と、言うた」
思いがけない話が出た。しかし美富子は農協に置いたまま紛失したという。葉奈子に言った通りのことを秋子にも言ったのか。それを指摘すると、秋子の口調が変わった。美富子を追い詰める葉奈子を責めるより、当時の遺産分割についての愚痴になり話の流れが変わった。秋子も春子に似て頭が単純にできているのか。葉奈子は態度を和らげ、秋子の言い分を聞く。相続の頭から尻尾まで全部美富子がやり、状況も何も知らぬままに終わった。そして未だにどこの土地を所有しているかなど誰も知らぬという。葉奈子と秋子は一緒にため息をつく。
「あっちゃん、例の一千万円だけど、私らはその嫌味を言われるごとに嫌な思いをしてきた」
そういうと秋子は、素直に「ごめん」 と言った。葉奈子は美富子からその言葉を聞きたい。秋子ではない。元凶の美富子から。話は続く。亡き公男に対してひどいと感じた秋子は、改めて美富子に質問をしたという。
「遺産分割協議書が紛失したにしろ、金額ぐらいは覚えているはずやろって聞いた。すると、あの当時で総額一億五千万円の相続税がかかったんやて。それで土地の割り出し分で出したら新毛東の例の家は一千万円に相当するだろうと推測がたった」
やはりそうだったか。葉奈子は腹が立つ。
「推測でそんな嫌味をいうなんて。それに相続税が一億五千万円も。私のお母さんが小さい頃に聞いた貧乏話と全然違う。相続税が億いくなんて、まるでどこかの資産家の話やんか」
秋子は憤った声を出した。
「私もびっくりや。せいぜい三千万円ぐらいやと思ってた。それを全部みっちゃんが思い通りの事をしてな。春ちゃんの実印は好きなように使って。私の実印も勝手につくって使って。みっちゃんは、けろっとして、昔の話やから覚えてへんといってそれで話はしまいや。ひどいやろ。食い下がったけど、忙しいのに邪魔やと言われた。それ以上のことは教えてくれへんかった」
「……あっちゃん。豆島の戸籍のことも聞いていいか。みっちゃんの弟に太朗になってるな。ちょうどおじいちゃんが死ぬ間際に養子になってる。それとみっちゃんの養子に治郎がなってる。お兄ちゃん、いえや、継彦叔父さんと芳江さんの子どもは四季子ちゃんだけになっている。これ、知ってた?」
「そこまで知っているのか。みっちゃんが、卦配家に嫁いだ春ちゃんや鈴木家に嫁いだ私には絶対に金が流れないようにしてるんや。いずれも当時の大林組合長が証人になった。おじいちゃんもおばあちゃんも危篤の時に、相続税節約のために農協から多額の借金をした。それの連帯保証人も大林組合長や。去年九十五歳の大往生で死んだけどな、農協時代は新毛支店全員がそうやって融通しあって、相続税を払わんようにしてたらしい。みんなで入れ知恵しあってな」
「すごい話やな。やっぱり梅田のマンションを買って愛人をしてたという、うわさはほんまか」
「みっちゃんは、一度酔っ払って言うたな。それでも金は独り占めしてへんやろ。そのおかげで、豆島が起業したうちの夫の貿易会社、従姉妹たちの流通会社、倉庫会社、みんな大きくなった。一族皆が、みっちゃんのおかげで繁栄したんや」
葉奈子はその言葉に鋭く切り返す。
「幸い、卦配家だけがその恩恵を受けずにすんだけどな」
秋子は再度黙った。公男が田畑の作業中、一人で死んだのを思い出したのだろう。金切り声をいきなりあげた。
「はあちゃん、頼むわ。豆島一族の事も考えて。この私にも江里がいる。江里も小さい子供がいる。みっちゃんを追い詰めたら、みんなの迷惑になる。これ以上、調査はいらんやろ。ほんまに頼みます」
それを言いたいがために秋子は葉奈子に電話をしてきたのだ。葉奈子は録音を忘れていたのに気づき、あわててスイッチを入れる。
「秋子おばさん、何が言いたいの」
「私はみっちゃんから頼まれた。何が望みかと」
「望み……まず、新毛東の家の相続税に一千万円もかかったと、周囲に嘘をついていたことを謝ってほしい」
「せやからそれはみっちゃんの勘違いやて」
「数十年言われてきたことを勘違いだからと許せる? 正式にちゃんと謝罪にきてほしい。私と卦配の両親は数十年にわたって、みっちゃんやあっちゃん、お兄ちゃんたちにずっと嫌味を言われてきた。それを言わせることによって、相続税が一億五千万もかかったことから目をそらさせたのでしょ。豆島の家ではみんな、金融や相続、土地の登記の事を知らない。全部美富子叔母にまかせていたことをいいことに、やりたい放題」
「……」
「今となればおばあちゃんが、言っていたことは本当だった。みっちゃんはお金と結婚した女。そりゃ、おばあちゃんが危機感を持って卦配家の実情を知ってでも近衛兵を出した家だからという理由で無理に母を嫁に行かすわけよ」
秋子が悲痛な声を絞り出した。
「お願い。私らも騙されていた。せやけど横領の事は別件や。知っているのは今のところ、春ちゃんと、私、そしてみっちゃん自身だけや。まさか春ちゃんが倒れたことで、はあちゃんが知り得ることになるとは思わなかった。だけど、許してやって」
「まず謝ってもらってないと。この件とは関係のない私の容姿までバカにされたし悪質だと思う」
すると秋子の口調が変わった。
「ふん。えらいゴネようや。やっぱり金が欲しいのか。新毛東の家も黙っていれば、いずれ、はあちゃんのものになるのに。みっちゃんの言う通りやった。あんた、見かけによらず厚かましいなあ」
「いきなり、どうしてそういう話になるの、私は」
そこで秋子が電話を切った。葉奈子は呆然とした。美富子がおかしいのみならず、秋子もおかしい。春子にいたっては昔から思考がおかしい。もしかして豆島家の全員がおかしいのか。でも録音はした。横領という単語が入っている。ばっちりだ。
春子の病状は順調だった。体重も九十六キロから三カ月かけて七十キロになった。一回り小さくなった感じだ。春子は口だけが達者な老婆となり、鳥取のご飯は口にあわぬといい、おまんじゅうとアイスクリームを要求する。そうしているうちに髪の毛が大量に抜けはじめた。栄養補助剤のドリンクが処方されたが味が悪いと拒否し、点滴もいやだという。医師も困り、高カロリー輸液を使用するため鎖骨にある中心動脈の血管確保のために軽い手術を受けることになった。春子はそれも嫌がり、病棟中がびっくりするような唸り声をあげた。
「いややああ、手術いややあああ、手術なんか、いや、や、や、やあああ」
葉奈子は恥ずかしい思いをしてばかりだ。いくら病院嫌い、医師嫌いでも程度というものがある。手術が終わると、大阪へ帰りたいと泣く。かと思えば、美しい大山を見渡せる窓辺に車いすをよせ、「こんな田舎なんか大嫌い。早く私を大阪に返せ」 と怒鳴る。
夜中にも起きて車いすでナースセンターに言ってあいさつをする。
「今から私は大阪へ帰ります。お世話になりました」
精神科に受診させられ、すぐに認知症の診断がおりた。手術前にはそうではなかったのに。環境の激変によるものでしょうという医師の説明に納得だ。
加えて親しい友人が誰もいないこと、話し相手が若い時から春子の姉妹だけだったが、このたびの葉奈子が起こしたJAトータル大阪で過去の調査をしたことで絶交状態になっている。春子の見舞いに誰も来ない。電話もかからない。春子は孤独なのだ。相手にするのは葉奈子のみ。
その葉奈子とて春子の世話だけをするわけにはいかぬ。家には夫の昇も娘の早矢香もそして義父母もいる。にわとりも金魚も育てている。もちろん医療事務のパートの仕事もあるし、早矢香の学校の役員もしている。地域の奉仕活動や婦人会の仕事もある。やらねばならぬことはたくさんある。
葉奈子は昇と相談して弁護士に相談することにした。どうしていいかわからぬからである。例の不動産会社の丸山の紹介だった。名前は牧橋貴子。すぐに予約をとって面会した。背の低い動作がきびきびとした明るい女性だ。年は葉奈子とおなじぐらい。
彼女の事務所は、鳥取駅ビルの二階にあった。葉奈子はすべての資料を持参していたが、牧橋からの質問は一つだけだ。
「豆島美富子なる人物に対して何がしたいのか」
葉奈子は長期にわたって相続税一千万円かかったという嘘を周囲に信じ込ませていたことを謝罪させたい。ついで通帳と実印の不正使用の状況も説明の上謝罪させたいと告げる。それに対する牧橋の言葉は単純明快だった。司法界の人間と初めて話す葉奈子にも、わかりやすく説明してくれた。
「まず、謝罪させたいというだけで、裁判はできません。それと長期にわたり大事な通帳や実印を預けっぱなしにしていたあなたのお母さまが一番悪い。豆島美富子さんの罪は認められません」
「どうしてですか。通帳を返してくれないので、入出金記録のコピーを持ってきました」
「まず論点を整理しましょうね。あなたの言いたいことは以下の通りですね
① あなたの実家の母、卦配春子の通帳と実印を本人の承諾なしに入出金並びに平成三年と四年に亡くなった祖父母の遺産分割協議書に使用された。これは、私文書偽造と行使にあたります。刑事訴訟法というものがありますが、時効が五年ですので、訴えられないです。
② あなたの実家の東大阪市の新毛東の約五十坪の家の相続税が一千万円かかったと虚偽のことを吹聴され、長年騙されたことですが、これもはっきりいって実害はありません。これも罪に問えません。
③ 農協時代の横領ですが、これには豆島美富子さんの元の勤務先の協力が必要です。しかし情報がもれて、あなたは豆島美富子さんとその妹の鈴木秋子さんに調査を止めろと言われた。農協改め、JAトータル大阪本店も相手にしてくれない。その怒りも理解できるが罪に問えない。仮に横領が事実であったとしても被害届を出すのはあなたではなくてJAです。しかも昭和時代の話ですし、刑事訴訟法によると、業務上横領の時効は「七年」 ですからどのみち罪に問えません。逆に証拠もなしにそれを伝えたということで、あなたは名誉棄損で訴えられます。結論として私が何もやってあげられることはありません」
あまりに冷たい返答に驚く。言葉も出ず、俯くしかなかった。
牧橋は事務員が入れてきたコーヒーをすする。それから葉奈子が持参したコピーの資料を見る。まず、戸籍謄本次いで入出金伝票のコピー。
「相手方の豆島美富子もバカではない。退職にあたり、横領していたのが事実ならばその痕跡を消すのは当然でしょう。通帳操作ですが、卦配葉奈子さん名義の通帳で最後の記帳が平成十一年となっています。これをたてに農協あらためJAトータル大阪に対して元職員の不正行為により被害をこうむったとして民事訴訟は起こせます」
「私はJAに訴訟する意思はありません。美富子叔母に謝ってほしいだけです」
「先ほども申しましたが、謝ってほしいからという裁判は成立しません」
葉奈子はため息をついた。美富子のしたことは、完全犯罪で完全勝利だ。
落ち込む葉奈子に牧橋はアドバイスをする。JAにもクレーム受付があるはずですよ。大阪ではなく東京に本部がありますからそちらに相談なさってはいかがですかと。
葉奈子はそうすることに決めた。牧橋弁護士は時計を見てあと十分ほど時間が余りますがいいですか、と聞く。三十分ごとの相談で料金が発生するのだ。そういえば最初にタイマーを設定していた。葉奈子は最後に一億五千万円の相続税だと大体どのくらいの資産があると思うかを聞く。
「私は税理士ではありません。えーとこの戸籍謄本一覧によれば平成三年と七年になくなって相続が二回。長女の卦配春子さん、次女の豆島美富子さん、三女の鈴木秋子さん、当時存命だった豆島継彦さん、その息子さんと死亡直前に養子縁組した豆島太朗さん。合計五名の相続人がいましたね。当時は一人当たり五千万円の控除がありました。控除とはそこから引かれるということです。つまり豆島家では五名×五千万円なので、実に二億五千万円もの控除がありました。それでもなお、一億五千万円の相続税があったということは、そうとう大きな資産だと思いますよ。お母さまとあなたの実印や通帳、秋子さんの実印も勝手に作られた話、ついで、太朗さんは知的障害があるということで、自由自在に相続を動かしたという推測がたちます。でも証拠はありませんのでそれまでです」
それでは美富子のやったモノ勝ちになる。
「先生。せめて、横領の話はJAの上層部に伝えた方がいいですか」
「今までの経過からJAが横領された被害者側として彼女を告発するとは考えられない。それと時効です。どうも私がお役にたつことはなさそうですね」
美富子の笑顔が浮かんだ。そして亡くなった継彦も。彼はどこまで知っていたのだろうか。広い家の中とはいえ、生涯独身を通し実家で暮らした美富子と、妻帯しても同居を続けた実弟の継彦は不仲だった。それでも継彦は美富子の肝いりで、ゆるキャラのデザインも採用され、JAトータル大阪の機関紙も編集して毎月発行していた。今では芳江がその会社を経営している。副社長として知的障害のある太朗がなっていて月々の給料も得ている。美富子は貧乏な豆島家から、実業家としてもそれだけのことをやってのけた。
ふいに葉奈子は祖母夕子の泣きはらしたような赤い目、そして言葉を思い出す。
……人のお金と区別がつかんようになるから銀行員にはなりなや……
このままですませるものか。葉奈子の腹はすでに決まっていた。
道路の雪は消えかけている。大山はまだ真っ白だ。それでも季節は春になろうとしている。




