第六話・美富子からの電話とJAの返答
美富子はいきなり要件に入った。
「あんたな。私の元の勤務先でなにやらこそこそしてるな」
冷たい言葉だ。
時候のあいさつも、美富子の実姉の春子への見舞いの言葉すらない。美富子はJAの調査の内容も葉奈子から不審を持たれていることも、ちゃんと知っている。
葉奈子はこそこそしていない。堂々と答える。もう、相手を「みっちゃん」 とは呼びたくない。美富子と呼び捨てにしたいぐらいだ。今更、双方の言葉にオブラートを包む必要もなかろう。
「卦配春子の実印の件でも返したとの一点張りです。水掛け論になりますが、私たちの通帳も返してくれないわけがわかりました」
美富子は話をさえぎる。ドスのきいた低音で、「何を考えてるんや」 と聞いてきた。抑揚のない低音が続く。
「恩知らず……あんなにかわいがってあげたのに……何が調査依頼や、JAトータル大阪にはあんたの従兄弟の治郎が働いているんやで。あの子の立場を考えてやりいな」
葉奈子はとっさにスマホの会話録音のボタンを押した。今のセリフこそ、美富子自身が過去の不正を白状しているようなものだ。
「ええか。あたしは、何もしてへん。何ももらってへん。全部死んだ継彦のものや。豆島の土地も家も貯金も全部。あたしはほんまに何もしてへん。新毛東の家に相続税一千万円かかったというのも嘘やないで。あれは税理士が言うた言葉や。あたしが嘘つくわけない。春ちゃんの実印かて何もしてない。遺産分割協議書を作るときにちょっと押しただけや。それもちゃんと事前に春ちゃんの許可をもらっている。あっちゃんもお兄ちゃんの分もや。ほんまにあたしは何も悪いことしてへん」
息切れがしたらしくぜいぜいと言い出した。葉奈子は美富子の弁解に頭の悪さを感じた。直接電話をしたのはいいが、説明ではなく、怒りをぶつけにきただけだ。葉奈子の顔に自然と薄笑いが出た。悪いことをすれば、いつかはばれる。それは真実だった。
美富子はいつかそういう日が来ることを怯えて待っていたのかも。しかもだ。美富子が嫌う姪の葉奈子が暴いた。
しかし、この電話一本で、葉奈子が引き下がると思っているところが愚かだ。この美富子ももう今年で八十才になる。勤務先の病院でも美富子の年齢で老人性アルツハイマー症になる人は多い。
葉奈子は努めて明るい口調で話しかけた。
「それでは祖父母の遺産分割協議書を見せてくれますか。そしてその時に母と私の過去の通帳全部の返還と口座操作についての説明も併せて求めます」
美富子の声が絶叫で裏返った。
「なんであんたなんかに昔の協議書を見せなあかんねん。大体もうお母ちゃんたちが死んでもう三十年近いがな」
美富子は他人から責められることに慣れていないようだ。あきらかに動揺している。葉奈子は言葉をやわらげた。
「もちろん、私は素人だからちょっとだけでいいよ。新毛東の私の家のことも相続税のことも書いているやろうし」
「あ、あのな。協議書は家にはない。農協にある」
意外な言葉だった。
「えっ、農協にあるの」
「せや。農協はそういった仕事もするから、協議書は農協に置いといた。せやけど、併合のどさくさで仕事が忙しかったことと、そのまま退職してしもたから結局どこにあるのかわからへん」
あきらかに苦し紛れの言い訳だ。電話口の向こうでは、美富子は美しく結い上げた髪もさぞ乱しているだろう。
「じゃあ、JAに聞いてみる」
「聞いても無駄や」
「じゃあ、税理士さんか、土地の登記をしてくださった司法書士さんに聞くわ」
「そんな大昔の話は誰も覚えてへんて。はあちゃんは、頭がおかしい。昔から態度が悪かった。豆島の顔でもない平べったい不細工な顔をしているくせに、なんで豆島家の相続に首をつっこまなあかんのや。あんたはまったくの部外者や。今回の件も耳が悪いから何かと勘違いしてるわ。あんなにかわいがってあげたのに、オーストラリアにも連れて行ってあげたのに。あの旅行はすごく高かった。それを私のおごりで連れて行ってあげやろが……せやのに………あんたは……この恩知らず恩知らず恩知らず」
美富子は感情的になって会話にすらならぬ。これで新毛農協のスターだったのか。葉奈子は耳が悪いからという罵声はいじめでも散々経験したので慣れっこだ。幼いころからそういった理不尽な悪口にさらされるとちゃんと免疫ができる。五十も年が過ぎればなんでも平気になれる。
しかし美富子は恵まれ過ぎていて、責められることに慣れていない。葉奈子は与えられた罵詈雑言の中から一つだけ反論した。
「例のオーストラリアの旅行は添乗員さんから美富子叔母と私の分だけは無料招待やとはっきりと伺っています。そうやって細かい嘘を連ねて人生を生きているならば私はあなたを心から哀れに思うし、軽蔑します」
「きぃっ、私はあんたを絶対に許さへんで」
「そうですか。諮問はしてもらいますから」
「そんなに金が欲しかったのか。それでいきなり私に電話をかけてきたのかっ」
「えっ。違うでしょ。電話をかけてきたのはそっち……」
電話はすでに切れていた。葉奈子は録音しておいた会話を再生する。やはり美富子は何かをしてきた。人に言えぬ何かを。
金融に詳しいと言うだけで昭和三十年代の土地の買い上げからずっと豆島一家のお金は美富子が管理してきた。亡き継彦叔父をはじめ、実の姉妹にも遺産分割協議書を決して見せない。見せられない。
その電話があった後に葉奈子はJAトータル大阪本店の貯金課にもう一度電話をかける。
「あのう、質問です。遺産分割協議書をJAさんが預かることってありますか」
返答は即時だ。「いいえ」 だ。
豆島美富子は、当時存命だった芳夫、夕子、秋子、ついで従兄弟の鈴子、夏子と横領の事実を共有事項にした。同時に彼らとは内緒で私腹を肥やした。つまり農協からの横領は共有。私腹をこやす。二つの犯罪を同時期、同時に重ねたのだ。その証拠隠しのために春子と葉奈子の通帳を利用した。ただし証拠がない。推測にすぎない。
葉奈子の脳裏に亡き祖母、夕子の言葉が思い浮かぶ。
「お金を扱う仕事をしていたら、他人のお金と自分のお金の区別がつかんようになる。せやから農協とか銀行員とかには絶対になりなや」
あの時の夕子は哀しそうだった。美富子のしていることを最初から知っていた。そしてそれを誰にも話すことなく死去した。
美富子は田畑の買い上げでここまで豆島家を大きくすることができたとカモフラージュできた。夕子もその夫の芳夫も知っていた。しかしそれについて会話をすることもなかった。かろうじて長女の春子に「みっちゃんは、お金と結婚した」 と愚痴をいうだけで。
秋子や本家の鈴子、夏子たちは美富子が盗ってきた農協のお金で会社の資金を回してもらう。会社が大きくなるにつれて罪の意識もなくなったのか。
それも推測だ。確かめるすべもない。
祖父母の戸籍謄本の写しを送付して、一カ月たっても本店から連絡がなかった。季節の移り変わりは早い。もう三月だ。露見してからJAに協力を求めているのに、無駄に時間をとるだけで何もしてくれぬ。美富子が調査を妨害している可能性が大きい。
葉奈子が再度電話の問い合わせをして確信に変わった。葉奈子の問いに対し、受付の女性はどこの部署にも電話を回さず返答した。
「白糸葉奈子さま、並びに卦配春子さまの調査ですが本来ならば、パソコンデータになる前の記録簿が本部の資料室にあります。しかし見つかりませんでした。なお、豆島さまの祖父母の調査ですがそれもわかりませんでした。お役に立てず申し訳ございません」
「……それで終わりですか」
「ご希望に沿えず申し訳ありません」
「豆島美富子はJAを退職してもうずいぶんとたちますが、それでも影響力が強いことがわかりました」
「なんのことをおっしゃっているか、わかりかねます」
紋切り型の言葉しか言えぬ職員を問い詰めても仕方がない。葉奈子は電話を切った。本部に一番近いのは新毛支店だ。美富子が出入りするのは当たり前だろう。現役時代の美富子の指導下にあった部下たちが今では役職についている。告発どころか調査自体が不可能だ。




