第四話・本当の相続税
第四話・本当の相続税
春子の回復の経過は順調だ。病気のせいで標準体重になったのはよかった。ただ急激に減量したので体力がない。すぐに疲れたという。食欲もないのでずっと点滴につながれた状態だ。体型が小さくなった春子はそれでも車いすの状態から杖を持って歩くリハビリを開始した。「大阪へ戻りたい」 という一念で努力している。寝ているだけでは本当の回復にはなりませんという主治医の忠告も効いている。看護師に対する悪口、あの子は愛想が悪い、あの子は態度が悪い。なにがしか否定的なことをいうが、葉奈子は聞き流すようにしている。そして昔話を聞く。
例の美富子は幼い時から負けず嫌いで、姉の春子よりも走るのが早いのが自慢だったという。貧しかった当時の豆島家のおやつは大豆を炒って醤油で味付けするのが定番だった。夕子から「おやつやで」 と呼ばれると美富子は先に四つにたたんだ新聞紙に自分のぶんを多くとって逃げていくという。
「……あっちゃんと私は負けてばかり。残り少なくなった大豆を分け合って食べたもんや。みっちゃんは大豆を着物のたもとに隠してにわとり小屋の前で食べていた。あの子は小さい時から、ものすごい負けず嫌いやった」
春子が食べ物に執着して際限なくおやつばかり食べていたのはそういうことの積み重ねの影響ではないか。
葉奈子は職場近くの法務局に行き、新毛東の家の登記簿謄本の写しを得た。そのうえで昇の幼馴染だという丸山に会った。彼は鳥取駅前で不動産業を営んでいる。初対面だったが坊主頭の陽気な男だ。
「大阪の土地の話ですか。ふむ、きっちり五十坪。奥さんのお母さんの土地、なるほど。昇ちゃん、それはええけど鳥取の土地も買ってくれてごしないや」
昇はにべもなく答える。
「金がないけ、だめじゃ」
丸山は目をぐるぐると回す。葉奈子は本題に入った。
「お忙しいところ、すみません。当時の土地価格がわかるなら相続税もわかるかなと思いまして」
「もちろんわかる範囲でなら答えるけ。それでええんじゃな」
「はい」
丸山は懇意にしている税理士に連絡をとってくれた。土地登記簿謄本の写しで試算できるのは驚くべきことだ。豆島芳夫並びに夕子の亡くなった当時の土地の路線価から大体の相続税が割り出された。予想通り、この広さで一千万円の相続税がかかることはない、という返答があった。丸山は電話を切った。
「先生によると一千万どころか七、八十万円だそうですよ。やっぱり大阪は都会じゃなあ。七、八十万でも税金高いけ。鳥取とは違うけ」
美富子が春子、公男のみならず、秋子や亡くなった継彦にも土地の相続税額を大きく吹聴したのはなぜか。他の姉妹に現金を渡したくない以外にも何かある。横領以外にもまだ何かがある。
葉奈子は再度休暇を取って今度はJAトータル大阪の新毛支店に向かう。専利里駅前の本店ではなく、昔の新毛農協そのままの場所にある方だ。そこに行くと小学校の同級生であった奥本がなんと支店長として勤務していた。卒業以来会ってないから実に四十年以上の邂逅だ。背が高いのとやんちゃそうな八重歯が健在ですぐわかった。髪の毛は半分ほど後ろに後退していたけれど。
奥本も葉奈子を覚えていて、窓口向こうの一番奥の席から待合室のソファまで出てきてくれた。
「懐かしい。卦配さんは、中学校は新毛じゃなく、どこぞの学校へ進学したけど覚えているよ」
「地蔵盆の時は助けてくれてありがとう」
「えっ、そんなことあったかな、あはは」
「今は結婚して鳥取に居住しています。苗字も白糸と変わりました。このたび母を鳥取に引き取ったので住所変更の手続きを兼ねて相談があるの」
「なんでも聞いてや。住所変更は簡単だよ。お母さんの委任状はあるかな。うん、これでいいよ。それで相談というのは……え? この通帳の過去の入出金を調べたい? なんで?」
人懐こい口ぶりは変わっていない。奥本の左手の薬指に銀の指輪がはまっている。奥本はその視線に気づいて苦笑する。
「そうだ。卦配さん、いや、白糸さんは横田を覚えているかな。ぼく、彼女と結婚したよ」
あのいじめっ子を奥さんにしたのか。耳が悪いこと、運動神経が悪いことを笑いものにされたことを忘れてはいない。葉奈子にとっては嫌な記憶しかない女だ。しかし、奥本はその横田を伴侶として選んだ。思わず幸先が悪いと感じた。
奥本は通帳の過去の再発行はできぬが、紛失届を出せば、過去の入出金伝票のコピーを渡せるという。もちろんその場で、卦配春子と、旧姓の卦配葉奈子の分と二名分を依頼する。
「手数料が千円と消費税がかかる。それと一時間ほど時間をもらうけど、いいかな」
「ええ」
奥本は奥の席に戻る。ソファ席で待っている間、窓口にいる若い受付の女性に質問をする。髪が長く目がぱっちりとした美人だ。嵐過という名札をつけている。
「あの~私の祖父母の通帳も紛失届を出したら入出金伝票は出せますか」
「はい。血縁関係を証明する両者の戸籍謄本などの提出は必要ですけど出せます。ただし大昔のものはムリです。ネットシステム導入後の記録になりますが」
謄本は持ってない。葉奈子の戸籍は鳥取にあるので今日中に請求するのはムリだ。後日出直そう。葉奈子は豆島芳夫と、夕子の通帳記録自体はあるかどうかを尋ねた。住所と生年月日は覚えている。嵐過は手元のパソコンを操作する。すぐに首を傾げた。
「住所は平成の市町村合併時に番地の見直しがありました。旧住所ではヒットするかな。あれ、ないですね。再度お伺いしますが、お二人の生年月日は間違いないですか」
「はい」
嵐過は首をあげる。
「記録ではありません。ちなみに亡くなられたのはいつですか」
「祖父が平成三年と祖母が四年です」
「平成ならば残っているはずです。JAは組合員で成り立っていますので、組合員であれば出てくるはずです。本当にここの支店で間違いないですか」
豆島の名前を知らないということは、おそらくこの嵐過は新毛の人ではない。葉奈子はもしや、と思った。美富子は十八才のころからここが新毛農協と言われていたころに就職し、どこの支店にも異動せず定年退職した。定年後も嘱託としてこの支店に出勤していた。平成の市町村合併時もここにいた。祖父母が亡くなったときは相続に関する手続くをすべて一人でやった。そして平成十年にすっぱりとやめた。農協がJAという名称になり、新毛農協の名称が消滅したときに。
JAトータル大阪となってここが新毛支店となると同時に退職。それまでに、美富子は店内でパソコンの操作は堂々とできる。もちろん祖父母の組合員としての履歴もすべて生かすも殺すも思いのままだ。セキュリティもへったくれもない。
過去の美富子の武勇伝、税務署員を追い返した話を覚えている。美富子がパソコンを操作して税務署に見られぬよう隠し口座を即座に作成して糊口を逃した。署員もまさか当時の農協の中枢部に関連会社の肉親がいて口座移動をその場で実行するとは思わないだろう。美富子はそれができる職種と地位にあった。ならば後輩たちに見られては都合の悪い通帳の記録を根底から抹消して堂々と退職するだろう。かくして完全犯罪成立。
葉奈子が考え込んでいると、別の女性職員がA四サイズの用紙を持ってきた。嵐過よりも年配だ。馬井の名札がある。
「すみません、システムがパソコンに取り入れるようになったのが、平成十年でそれ以前の記録はありませんこと、ご理解ください。出せる分だけは出してきました」
葉奈子が店舗にいられる時間は限られている。その場で伝票をめくってみる。伝票の操作や数字の見方を知らない。それにもかかわらず、明らかに不審な数字が並んでいた。葉奈子は嵐過たちに再度奥本支店長を呼ぶように頼む。すぐに来てくれた。
「卦配さん、じゃなかった白糸さん、どうかしましたか」
「覚えのない記帳がされています。ほら、この印紙税、貸付利息、国税庁の還付金……これはなんですか」
奥本は不審げな顔で入出金のコピーを見る。
「白糸さんだけでなく、お母様の方もありますね。覚えがないのですか」
「私たちはそちらからお金を借りたことはありません。それに国税庁から入金があれば即日同金額が引き出されています。どういうことでしょうか」
奥本は用紙に顔を寄せている。老眼もあるのだろうか。
「うーん、これだけでは即答しかねます」
葉奈子は畳みかけるように質問を続ける。
「お金の出し入れがある前についている数字はなんですか。02,04、カタカナ表記のあるところも意味を教えてください。センタカット、サークルとは」
「それはJAの従業員だけにわかる数値で、たとえば窓口の操作か、どこの窓口のパソコンの操作かがわかります。社員番号も」
「社員番号でしたら、豆島美富子ではないでしょうか。私の母の妹です。通帳本体は美富子叔母が預かっていましたし。実印は返したとは言いますが私の母は返してもらってないとはっきり言っています」
「番号に関しては外部の人には知らせることはありませんが。こういうことは調査に時間がかかります。本人に対する諮問が必要ですし」
「調査に時間がある程度時間がかかるのは仕方がありません。諮問とは何ですか。ニュースなどで聞き覚えのある言葉ですけど」
「問題が起きた場合に、当事者に意見を尋ねることです」
「ではそちらが美富子叔母に諮問をしていただけますね」
「希望があれば」
「希望します」
葉奈子が美富子に聞いてもはぐらかされるだろう。元の勤務先のJAが聞いてくれるならば話が早いし美富子も言い逃れができぬはず。ついでに美富子の不正も見つかるといい。祖父母の通帳どころか過去の登録すらないことを告げる。奥本は驚いている。
「いや、豆島さんは新毛本町の名士だし、農協時代は女傑だった。ぼくの新人時代にいろいろと食べ歩きにも誘っていただいている。ぼくの両親が亡くなり、相続の際には税理士も司法書士も紹介してもらった。新毛本町の人は全員豆島さんに世話になっているはずだよ。その豆島一族は当時の新毛農協にとっても大口の組合員だった。その豆島さんのご両親の登録がないというのはおかしいな。どうしてだろう」
「祖父母が亡くなったのは平成の三年と四年です。美富子叔母が退職したのはJAトータル大阪に統合された平成十年。そのどさくさで記録を抹消している可能性もあります」
奥本は言葉を選んで慎重に会話する。
「豆島美富子さんが父母の登録抹消を意図的にしたというのですか。実の姪のあなたがそれを言いますか」
横領という単語を出すのは時期尚早だ。葉奈子はくちびるをかんだ。へたすれば名誉棄損になる。それに中央支店には従兄弟の治郎も働いているのだ。まだ憶測の段階で口に出せぬ。
「少なくとも私と母の通帳は不正操作が見られます。まず、それを調べてください。できれば祖父母の豆島芳夫と豆島夕子の分も」
「……祖父母に関しては血縁関係を証明する謄本などの用意が必要ですが時間もすごくかかりますよ」
「かまいません。諮問とやらをしたら私の携帯番号を知らせますので結果を教えてください」
「わかりました。しかし、年末年始をはさみますので、年明けでもいいですか」
葉奈子は新毛支店を辞する。鳥取へ帰るバスの時間がせまっている。次の日には仕事がある。娘の早矢香の世話、田畑の様子。義父母の通院の送迎。雪が積もれば雪かきも。その上に春子の見舞い。毎日が忙しい。ゆっくりと大阪で調査のために滞在できる時間はない。
奥本の深刻そうな顔と、不安げな窓口担当の女性たちに会釈をして辞する。少なくとも奥本は新毛本町の人間だ。不正操作のうわさが広がれば美富子は何か言ってくるだろうか。それでも構わない。
葉奈子の実家を、長年にわたって相続税が一千万円もかかったが、払ってやったとうそを言われ続けていた。本当は七、八十万円だったのに。そんな美富子が元の勤務先で大恥をかこうが一向にかまわぬ。
その上、美富子を囲んで秋子と鈴子、夏子も同じ穴のむじなだった。誰もが美富子が出す甘い汁を喜んで飲んでいた。犯罪だとも思わず、己の伴侶ですら内緒にして。なんとみっともない一族だろう。
父、公男が普通のサラリーマンでよかった。起業を考える人間でなくてよかった。普通の思考を持つ人間でよかった。少なくとも犯罪者ではない。葉奈子はここでも公男に感謝をする。
そしてあの地蔵盆の夜、泣きはらした目をした祖母、夕子の心情に思いを馳せる。




