第三話・美富子への疑念
大阪から鳥取へ無事転院はできた。
二週間ほどで春子の臓器の炎症が落ち着くと内科病棟から泌尿器科病棟に移った。それから手術だ。全身麻酔、内視鏡下で結石をカテーテルで抜去してもらった。しかし、術後は下痢と熱が続き、リカバリールームから一般病室に戻ったのは二週間後だ。病気を治すにはとにかく時間がかかる。春子の体重は激減し、入れ歯はずっと抜いたままなので晩年の祖母の夕子そっくりの顔になった。葉奈子はともあれ、できるだけのことはするつもりだ。
幸い、その後の経過は順調で春子は生来の毒舌を取り戻してきた。また鳥取での入院生活はなじめなかった。今まで気楽に生きてきたので、好きな時に寝てご飯が食べられぬことに慣れていない。体力が回復するにつれて、わがままも出てきた。まず鳥取弁がわからぬという。ご飯がおいしくないという。看護師も気に入らぬという。個室でないとだめだという。食事の配膳や部屋のゴミ出しをしてくれる病棟婦の態度が悪いという。良いのは主治医の先生だけだという。主治医は六十才をとっくに過ぎた背の低い男性医師だがとても良い人だと褒める。それ以外の人間は全員嫌いだという。
大阪にいたときは他人の悪口をいうことはなかったので、認知症が始まったのかと思ったぐらいだ。検査もしてもらったが、三十点満点中、二十七点。医師からは老人性アルツハイマー症ではなく、これは元々の性格でしょうと告げられる。
初めての入院生活で大阪から出たことのない人、雇用経験もなく社交性もない食べてばかりの専業主婦一択の人生を過ごしていた人が病気になると、こうなってしまうのか。個室に関しては春子の強い希望もあり、一日一万円近い差額ベッド代を負担している。術後のため紙おむつをしているが春子の巨体のせいでLLサイズでないとだめだ。術後の体調不良で体重が減ったとはいえまだまだ太い。パジャマも秋子たちがくれたものは気に入らぬという。合繊ではかゆくなるので綿百パーセントの生地指定。日本製指定。在庫が豊富でない地方の衣料品店では取り寄せないといけなかった。
病院の食事が口にあわないうえに、羊羹やおまんじゅうを欲しがる。お茶もだめでジュースを飲みながらご飯を食べる。それゆえの体重過多だが、体位変換には看護師は二人がかり。まだ正規の資格のない看護実習生は四人がかりで体位変換を学ぶ。春子は、あおむけに寝ると手足が細く、胴体だけが膨れて人間でない別の生き物のようだ。栄養士さんからも、今までの食生活を不思議そうな表情で時間をかけて聞かれ、恥ずかしい思いをする。春子のたるみきった巨体は今までの食生活の積み重ねだが、自覚がないのはいつものことだ。
入院費やおむつ代以外にも、病院への往復のガソリン代など目にみえぬお金がどんどん出ていく。差額ベッド代が一番大きく春子の年金を超える。それなのに看護師さん一人一人にお礼をしたいから新札を用意しておくようにという。看護師は嫌いではなかったのか。矛盾しているが金持ちだとわかればもっと親切にしてもらえるからという。医師に対しては十万円ぐらいでいいだろうかと真顔でいう。今更他人に気前のよい顔を見せてどうする気か。病棟の入り口にお礼はお断りしますと明記している。感謝の念を示すのに現金は必要でないのに、お金でないといけないという。葉奈子が「そこまでしなくても」 というと、怒り出す。貯金通帳を見せて「ごらんのとおりお金ないよ」 というと黙り込む。こんな計画性のない人だと思わなかった。
ともあれ、今後は一人暮らしはムリだろう。いざとなったら新毛東の家も売却してそれなりの施設に入居させるつもりだ。
良いこともあった。個室内で春子と二人で話せる機会が増えた。こんなにしみじみと会話をするのは、初めてだ。春子は倉吉の名物の抹茶と白と黒の三色団子を五本ほどたいらげると満足そうに昔話を始める。毎度驚く話をした。
「はあちゃん、昔の豆島家を知らんやろ。今でこそ偉そうな顔をしているが、ほんまはな、えらい貧乏やってんで。朝から晩まで土にまみれて、売り物になる野菜は青果市場に卸しに行く。晩御飯は野菜のくずを煮つけて、ご飯の上にかけて食べていた。これは行儀が悪いと言われていた。が、食器もろくにないし、食べていくだけで精いっぱいやったから」
「……昔の豆島家ってそんなに貧乏やったの」
「せや。高速道路の買い上げがあるまで、私は高校にも行けず中卒で畑仕事や。当時の私のお父ちゃんはまだ若いのにリウマチにかかって寝たきりやったから」
葉奈子は唖然とする。
「その話は初めて聞くけど、ほんまの話?」
「うん。豆島家は新毛本町で一番の貧乏やった」
「今までお母さんは高卒って言ってたけど」
「あれはうそや」
「待って。私が結婚するときには昇さんが高卒でやから、やめときって言ってたくせにどうしてそんなことが言えるの」
「……昇さんには悪いことを言うた。でも男の高卒と女の高卒は違う。男の高卒と結婚すると出世はせえへん。お父さんを見たらわかるやろ。一生懸命働いても課長代理どまりやった。大卒やったらもっとお給料をもらってたはずや」
「その言い方は、お父さんがかわいそうよ」
「せやけど、ほんまの話や。現にあんたは、昇さんとの結婚以来ずっと共稼ぎや。私のように専業主婦させてもらえない。私は、はあちゃんを安楽な暮らしができる家に嫁がせたかった。大卒でお金をいっぱいかせぐ男の人とな」
葉奈子は閉口したがこういう母親に育てられた事実は動かせない。そのままだと春子を責めそうになるので、別の話題をふった。
「みっちゃんが高額なものを買ったりするのは、貧乏時代の反動かな」
「多分な。一家そろって毎日土まみれ、泥まみれで働く。もちろん美富子も私も。まだ小さかった継彦も……朝から晩まで体を汚して這いずり回る。ほんまは私、高校に行きたかった。特にお嬢さん学校と言われる樟蔭に。せやけど、お金がかかるときいて諦めた。中学校を卒業してから毎日、畑からエンドウ豆や、チシャを採って小袋に分けて詰めた。野菜を売ってお金を稼ぐためや。私は長女やし、一番がんばった。そこへ高速道路の拡張の話が出て、田んぼが売れた。そのおかげで、美富子や秋子は高校に行けた。私だけ高校に行けなかった。ああ、もう百姓は、二度としとうない。サラリーマンのお父さんと結婚した時はほっとした。でもお父さんはひどいどもりだし、あまりカッコよくない。それでも宮中近衛兵を出した卦配家に行くと成金と言われる豆島家の価値があがるから、嫁に行けと諭された。しかしその卦配家をまさか追い出されるとは思わなかった。豆島の土地をもらって家を建てたのはいいが、その代わりに公男さんが死ぬまで豆島家の畑仕事を朝から晩まで手伝わされると思わなかった」
「そうね」
「貧乏な豆島家が変わったのは美富子が農協に就職してからや。うまいことやったらしいな。せやけど、お母ちゃんは嫌がったな」
話が変な方向にすすんでいる。
「……お母ちゃんって夕子おばあちゃんのことやね」
「せや。金持ちになったのは確かに美富子のおかげやけど」
「どういうこと? 美富子叔母さんは農協に就職したのと同時に、高速道路の建設用地に田んぼを売ったお金で別の土地を購入し、転売して儲けたと聞いているけれど」
「そんなにうまいこといくかいな。あの子が農協に行ってから豆島家の引き出しはどこを開けても札束だらけやった」
葉奈子は突然、地蔵盆の夜を思い出した。夕子はその年の増改築を祝い大勢の来客があったにもかかわらず、自室で一人泣いていた。幼い葉奈子に「銀行員になったらあかん」 と諭した。
春子の言葉は続く。
「当時の農協の大林組合長とは三十才も離れていたが、美富子は梅田にマンションを買ってもらってそこであいびきしてた。あいびきは、内緒のデートのことや。それで美富子の地位はどんどん上がって三十才前には女で初めての部長、組合長が死んだときは常務、昭和の時代の話で、とかくやりたい放題や」
「どうして黙っていたの」
葉奈子は返事を促す。春子は目を閉じたまま含み笑いをする。
「仕方がないやん。みんなからも頼まれたからって。親戚やどこぞの会社、そして議員さんまでな」
葉奈子は事の成り行きに呆然とした。
「それ、みっちゃんから聞いたの」
「お母ちゃんから」
「おばあちゃんのことやね。それでずっと親子で黙っていたの」
「せや。秋子も当然知ってる。本家の鈴子も夏子も。でも皆でこの話題が出たことはない。これが世間に知られたら豆島家は終わりや。しかし、私の家はサラリーマンやったから何の得もなかった。お母ちゃんは、はあちゃんが学校に行っている間に新毛東の家に来てずっと私に愚痴をいっていた。貧乏は嫌だったが、いつばれるかという思いをするぐらいなら、貧乏の方がましやった、と。美富子はお金と結婚したと。な、その通りやろ」
「……」
「お母ちゃんは、春子を進学させられず悪かったと言った。だから死んだら新毛東の家は春ちゃんのもの。それと現金二千万円あげると言われていた。でもお母ちゃんが死んだら、みっちゃんは、相続税一千万円もかかったからって現金もくれなかった。ものすごい欲張りやろ。そのお金を増やしてさらに金持ちになって……くやしかった。でも我慢した。豆島家のために」
葉奈子の脳裏に夕子の泣き顔と常に酔っ払っている芳夫の顔がちらついた。祖父母たちは美富子による農協の不正を知っていたから、ああなったのか……それが本当ならば……秋子はじめ芳江や、春子の従姉妹たち豆島本家の顔が小さく浮かんだ。その次に美富子の尊大な顔が大きく浮かび前にでる。まだ何かがある。葉奈子は立ち上がった。
「お母さん、そういったお金をあげるといわれても困るじゃないの。もらえなくてよかったのよ。みっちゃんがお母さんにあげるのは惜しいと思って相続税云々を触れ回ってそれで現金がもらえなかったのは、逆に幸運だった」
春子は仰臥したまま、葉奈子を見上げてうっすらと笑う。
「言われてみたらそうやな」
葉奈子も微笑む。卦配家が貧乏でよかったと心から思った。不正な手段で財を得た成金から、見下げられても平気だ。そして……続きがある。葉奈子はバッグを取った。
「みっちゃんが、お母さんの通帳を使って何をしたか調べてみるね」
春子は目をむいてあえいだ。
「あかん。みっちゃんが怒るからやめとき」
葉奈子は返事をしなかった。
その夜、葉奈子は昇に打ち明ける。外は初雪が降っていて寒い。昇は夕食の鍋料理のために、深海魚のばばちゃんと格闘している。
「農協の横領はよく新聞沙汰になっているが、一人の農協職員を通じて親戚ぐるみというのは聞いたことがない。しかし、昭和時代の、つまり三十年以上の昔のことは証拠があっても時効だよ。今更騒いても無駄だろう」
「母と私の通帳で何かをしていたはず。それを調べてみるだけ」
昇は尻尾を上手投げで流しに捨てる。ついで大きな白菜をとってきて縦に包丁を入れる。それから横に。ザクザクと良い音がした。昇は手を止めずに質問を続ける。
「調べてどうするの」
「新毛東の家の相続税一千万かかったという嘘を伝えて、私たちは嫌味を言われていた。だから謝ってほしい。それだけ。お金はいらない。汚いお金をもらってもうれしくない」
「美富子叔母さんが謝ることはないだろう。だって、謝ることは農協の横領をみとめることとつながるから。それにさっきも言ったけど時効だよ」
「でも私たちはそれを言われていたので、亡くなった父が責任の感じて、叔母の田畑家を手伝っていたのよ。嘘をつき続けた美富子叔母を心から軽蔑している。だからその鼻っ柱をへし折ってやりたい」
「だからさ、証拠隠滅もしているだろうし、無理だよ」
「転院の時の私の要求に、みっちゃん、いや、美富子はしまったという顔をしたの。だから私の通帳なら昭和でなく平成時代の新しい証拠になるのじゃないか」
「いいから、しょうゆ味でいい? それとも味噌にするかな。おなかがすいた」
「もう~相談しているのに」
葉奈子は、一番話がしやすい秋子の家に直接行くことにした。有休を利用して大阪に行く。秋子の住宅兼会社は大阪に近い比良田駅の近くにある。家は秋子の夫の広司が経営する貿易会社のビルの隣にある。一人娘の江里はすでに結婚し神戸の支社をまかせている。秋子は葉奈子の急な訪問にもかかわらず暖かく迎えてくれた。
「久しぶりや。春ちゃんの様子はどない? 手術は無事終わった?」
「ありがとうございます。母は術後は調子が悪かったですが今は順調です。元気です」
「もう歩けるようになった?」
「いえ、まだです。リハビリは来週からと聞いています」
「見舞いに行きたいが大阪と鳥取は遠いからな。良くなったら早く大阪に戻してやってな」
「それは医師と相談して決めます」
葉奈子は春子の過去の生活ぶりを思えば一人暮らしは危ないと感じる。鳥取で適切な施設を探すことも考えている。
それにしても、農協は美富子に預けっぱなしだったが、ゆうちょ銀行は手元にある。その通帳を見て葉奈子はどんなに驚いたか。ゆうちょ銀行に限っては、公男の存命中の過去の通帳も押入れの中に全てあった。奇跡的なことに公男の遺品の会社関係の資料の中にあったので捨てられていなかった。几帳面な公男らしく、押入れの奥のファイルに年代ごとに保管してあった。しかし存命中は二千万円近い貯金があったのに、現在はゼロだ。公男の死後の引き落としの金額が大きく、園鉄百貨店の外商部に毎月数十万、それと通販会社と健康食品会社と化粧品会社の名前が連なる。こんなに買い物ばかりしていたのか。買うと満足してろくにつかわぬくせに。
現在は二カ月ごとに入る年金が頼りの生活になっている。しかし秋子にはその手の愚痴は言うまい。言えば、面白半分に豆島の親戚中に話を広めてしまうだろう。それはいやだった。葉奈子は家に入らず玄関先で来訪の目的をいう。
「あっちゃん。聞いてもええか。おじいちゃんやおばあちゃんの時の相続やけどな。死んでから新毛東の家の相続税一千万円かかったから、現金はなしっていわれたことやけど」
秋子は不審げな顔をした。
「ああ、みっちゃんが言うてた話やな。ええがな。だってあの家は南向きでええ場所にある。豆島の土地で一番ええ土地を春ちゃんが取ったと、みっちゃんがくやしがってなあ」
「私たち、みっちゃんどころか、亡くなったお兄ちゃんからも嫌味を言われていたのよ。あっちゃんだって言われたし」
秋子は肩をすくめた。
「嫌味のつもりはなかった。私は土地をもらってないから春ちゃんがうらやましいだけ。例の一千万円は、みっちゃんがやりくりしてやっとのことで払ったという」
「でも」
秋子はおっかぶせるように言葉を続ける。
「春ちゃんは長女だからあの土地をもらえただけでもええやん。私なんか一番年下やから現金五百万円しかもらえなかった。そのお金も鈴木家のお墓の立て直しの時に全部姑に使われてしもた。それを思ったらずっとええ立場やと思うで」
葉奈子は秋子に農協の通帳と印鑑の話をした。秋子は「ふうん」 というだけだ。
「私も似たようなことあった。遺産分割協議書って知ってるかな。実印を預けろってうるさいけど、なんとなく嫌で預けなかったら、ほら、私の苗字って鈴木やろ。みっちゃんは三文判で実印を勝手に作って勝手に使われたよ」
「……以前にも聞いたことがある。それは犯罪よね?」
「確かに。春ちゃんにいたっては実印を預けっぱなしやったし。私らは遺産分割協議書も二十年以上たってるけど未だに見せてもらってない。仮に見せてもらっても私や春ちゃんは嫁に行った身分やから何ももらえない。だから、どうでもいいかな」
秋子の能天気ぶりがうらやましいぐらいだ。葉奈子は以前、国税局から八百万円の請求書が届いた話を思い出した。あの時の両親の慌てようも。これについても秋子はのんびりという。
「あれはみっちゃんが名義を借りたって言った。結局私らは税金対策で名前を使われたというこっちゃ。別に誰も損はしてないからええんと違う?」
そうではない。まだ何かがある。今度は春子の学歴の話をした。そこから大昔の豆島家は貧乏だったという話をする。
「運がむいてお金に困らなくなったのは、みっちゃんが農協に勤めてからでしょ」
秋子は表情を変えた。口元がぎゅっと一本になった。
「やっぱりほんまやね。おばあちゃんが部屋で泣いてたのもそれでやな」
「時効やで。だって私の主人の会社かて」
今度は葉奈子が秋子の話におっかぶせるように言う。
「広司叔父さんの会社の運転資金もみっちゃんから借りてたとはきいている」
秋子は葉奈子を鋭く見つめる。
「うちとこだけやない。本家もや。鈴ちゃんもなっちゃんも。豆島のみんなは誰も損してない。な。せやろ。銀行というところは敷居が高くてお金はなかなか貸してくれへん。みっちゃんに頼んでおけば新毛農協のヌシやさかい、一発で借りれる。もちろん、お金はできたら農協にちゃんと利子をつけて返すつもりやで」
「……」
「春ちゃんとこだけや。自営業でないのは。だからといって無関係と違うで。うちらは親戚や。はあちゃん。何を考えているのか知らんが変なことしなや」
そこへ車の音がした。裏の駐車場に入ってきた。広司叔父が営業から戻ってきたのだ。秋子がさらに目をとがらせて威嚇した。
「今の話はなかったことやで。ええな」
スーツ姿の広司叔父が入ってきた。あいかわらず恰幅がいい。葉奈子を認めて温厚な笑顔を向ける。
「はあちゃんか。鳥取から来たのか。寒かったやろ。さあ応接間に入って。春子義姉さんはよくなりましたか」
葉奈子が返事するよりも前に秋子が葉奈子の腕をひっぱり外に出した。
「鳥取行のバスの時間があるやろ。気をつけてな、ほな、はよ帰り」
その動揺ぶりに葉奈子は愕然とした。おそらくこの広司叔父は何も知らぬ。美富子がどうやって金を引っ張って起業資金や運転資金を気前よく貸してくれたかも。本当のことを知っているのはあと誰だろう。祖父母は亡くなっている。継彦叔父も故人だ。春子と秋子は確定。芳江はどうだろう。その長男の太朗は知的障碍者だから除外するとして、JA本部にいる芳江の次男の治郎はどうだろう。まだ三十才そこそこだが美富子のコネで良い地位についているらしいが。
四季子が実父の継彦の葬式にすら帰国してこなかったのと関連があるのか。
豆島一族は卦配家を除いてはすべてが昭和四十年代後半に起業し、すべてが成功している。流通業、倉庫業、不動産賃貸業、複数の喫茶店経営……その成功の根源は田畑の売却とバブルの流れに乗った株式投資などの成功からとなってはいるが、本当の理由が美富子による横領だとすれば……。それと美富子の一存で融資したものだとしたらそれは背任罪にならぬか。
美富子は新毛農協では組合員の土地買い上げバブルもあって貯金も保険も入れ食い状態だった。役職についていたが、収支に関して定期的な監査はあったのか。おそらくザルだったのではないか。
横領は犯罪だという意識がなければ、農協の金庫から気前よく迷いなくお金はいくらでも用立てできる。いくらでも使える。大金の寄付もして人々の感謝と尊敬も得られる。大がかりな投資もできる。
現在それがうまくいって近畿圏にいくつも豆島ビルができていることを思えば、美富子が農協に入らなければ仮に田畑の買い上げがあっても、外車やキャンピングカーやヨット、別荘を持つこと、四季子の長期にわたる海外留学、故継彦がしていたデザイン画の定期的な個展開催はできぬ。家族そろっての海外旅行もできない。
新毛本町の人が金持ちになったといっても、身をもちくずして一家離散の憂き目にあっている人も多い。豆島家は土地転売の天才、美富子がいるとされ、その成功を誰も疑っていない。大林組合長との愛人関係も春子の言うことが本当であれば、横領を黙認していたもしくは指示していたかもしれぬ。組合長の前職が市役所助役だったことを鑑みれば、用地買収の情報を事前に何らかの手段で入手できたかもしれぬ。ならば、その土地売買の目利きの種明かしもわかる。地蔵盆に豆島本家ではなく、美富子のいる分家の方に浴元議員はじめ政治家があいさつに来るのもわかる。継彦叔父が頼まれて市公認のキャラクターデザインを描き、体面上公募で採用されたことになったのもわかる。全部コネだ。思えば当時はゆるキャラという言葉はなかった。そしてライトくんは、今のように丸っこい幼児体系ではなく大人の体型でしかも眉間にしわのある険しい表情で懐中電灯を持っていた。葉奈子の思考は証拠はない。全て憶測だ。そう思い込もうとしたが無理だった。
それが事実だからこそ、継彦がどんなにくやしがっても美富子が豆島の中心で切り回しをして、継彦に決して実印を渡さなかった理由もわかる。春子の実印を返却しなかった理由もわかる。秋子の実印を勝手に作成した理由もわかる。未だに誰にも遺産分割協議書を見せない理由もわかる。そして、どんなに良い縁談が来ようとも生涯独身をとおす理由も全部わかる。




