第二話・春子倒れる
第二話・春子倒れる
春子は足腰が弱っているのに、未だ物欲が強い。美富子と不仲になり宝石類を買い込む頻度が一時を思えば激減したが、それでもデパートの外商が来ると買ってしまう。遺産が底をつきかけると年金をあてにして、今度は通販の長寿の水や、健康食品などを購入するようになった。パソコンやスマホ操作はできないので、新聞のちらしや、テレビの通販お買い得チャンネルで見て購入する。健康器具も代引きで購入したらそれで満足して使わない。食品を必要以上に買い込み、年金がなくなって次の入金日までお金を貸してくれといってくる。葉奈子もお金ではなく食品、消耗品を送るようにしているが、一人暮らしをさせるには不安がある。できれば鳥取に引き取りたい意向だが春子は逆に「早く離婚して一緒に暮らそうや。早矢香も一緒に」 という。春子は未だに葉奈子を己の意のままにできると思っている。
しかし流れが変わった。
九月の終わりに、春子が倒れた。幸い葉奈子が実家に滞在していた時で、発見が早かった。二階で掃除をしていたら、ケンの狂ったような吠え声が聞こえた。あわてて降りると階段の下で、春子があおむけにいる。
「お母さん、どないした」
「……た……立たらへん……」
意識はある。しかし春子の巨体を一人で抱き起すのはムリだ。葉奈子は救急車を呼んだ。すぐに救急隊員が三人来たが、担架で運ぶのも一苦労で、大の男が持ち上げるときによろけた。サイレンを聞いて近所の人も心配そうに集まってきたが、そのうちの一人、豆島文化住宅の渡田さんにケンを預けて総合病院に行く。足腰に異常はなく、どうも内臓疾患のようだということで、血液検査はじめ各種の検査をされる。結果は尿管結石による臓器全般の尿汚染だった。長期にわたって尿の出が悪かったはずなのに、放置していた結果だ。
若い救急医は葉奈子に説明する。
「原因となった尿管結石に痛みがないとこうなってしまいます。これから手術で尿管を広げます。それにしても、おしっこの出が悪かったはずなのに今まで受診しなかったことに驚きます」
葉奈子は医師に愚痴る。
「母は、病院嫌い運動嫌いで健康に無頓着な人ですから」
無駄に顔立ちの整った医師は片頬をあげる。
「あのぶよぶよの体型見たらわかるで。血液のバランスもあかん。栄養過多でありながら栄養失調やなぁ」
一時は敗血症と言われたが適切な治療により、炎症が静まりつつある。しかし結石が微妙な位置にあるため、改めて手術が必要だと言う。まず内臓の炎症の治癒後でないと結石を取る手術は不可能だと。長期入院が予測されるので、葉奈子は説得の末、鳥取の病院に移送することになった。そこで治療を受け、退院できたら葉奈子の家で同居してみる。春子は大阪から出たくないが、それしか手がないと悟るとしぶしぶ承知した。転院の件はまず秋子に知らせたが、なんと美富子が先に病室に見舞いに来て転院を反対した。
「大阪から出たことがない春ちゃんがかわいそうやがな」
葉奈子は久々に美富子の顔を見た。あいかわらず品の良い上品なスーツを着こなしている。春子とは二才違いの七十九才だが若く見える。美富子は不仲だったはずなのに、春子が大阪で治療を受けるのが当然だと言いにきたのだ。確かに大阪と鳥取では距離がある。しかし介護者は葉奈子しかいない以上、本人を鳥取に連れていくしかない。叔母たちは春子がかわいそうだから、葉奈子が大阪に滞在すべきだという。つまり鳥取における葉奈子の生活はどうでもいい。
一方葉奈子も叔母たちの思惑はどうでもよい。そこまで気が強くなった。昇と結婚したからこそ、生活の基盤ができて自信を持って春子も迎えられる。
春子の身体はベッドごと大阪から鳥取の病院に搬送できる介護タクシーを利用する。十数万円かかるが看護師の付き添いもあり安心だ。大雨の予報があったが、多分大丈夫だろう。雪が降る前の季節でよかった。
転院前夜、葉奈子は春子の下着や衣類、タオルを箱につめ、宅急便で鳥取の自宅へ送っていく。ついで貴重品をさがす。しばらく留守にするため、不用心だからだ。年金が入るゆうちょ銀行の通帳と印鑑はあった。しかしそれ以外の家の権利書や火災保険などの証書がない。ほぼすべてが紛失している。ガスや水道代の請求書も散逸して連絡先がわからぬ。スマホで検索して急いでガスと水道を止めておく。公男の存命中は毎月の請求書はファイルに閉じておいたはずだ。そのファイルすらない。公男は几帳面だったが、春子はそういうことはしない。
実印や農協の通帳もない。転院は明日だ。疲れた体をひきずって再度病院に戻って春子に聞く。点滴に繋がれたまま動けない春子は、美富子が権利書、保険証書、農協の通帳や印鑑とともに全部持っているという。公男の死後に美富子が実印を預けたままなので土地の名義変更もすべてまかせ、そのまま保管してもらったという。不仲と言いつつも貴重品を預けっぱなしだったのか。農協の通帳に至っては数十年も通帳の中身を見たこともなく、現在高も知らぬという。入院してもなお、美富子に預けておけば安心やという。やめたとはいえ、元農協職員ならば間違いはないと。葉奈子は春子の病状を気遣いつつ、噛んで含めるように言う。
「権利証はこれから返してもらうようにいう。農協の通帳も。お父さんが生きていたころから返してもらえって言っていたけど、未だに返してもらってないのは、なんで」
「家の中に置くより、みっちゃんに預かってもらう方が一番安心や。お父さんの葬式のときかて葬儀費用を農協から百万円出してきてといったら通夜の時に渡してくれた。その時は、はあちゃんもいたやろ」
今もなお美富子を信用し、そのまま預けろという。公男の葬式の時の騒動を忘れているのか。近年はろくに会って話すこともなかったのに、そのまま放置していたのは驚きだ。新毛東の家の権利証も実印も預けっぱなしだと故意に売り飛ばされても文句が言えぬ。葉奈子はあきれる思いだが、具合の悪い春子と長時間の話し合いはできぬ。葉奈子は鳥取行をきっかけに現状を変えようと思った。
まず美富子にその場で直接電話をした。そして、毅然として卦配家の貴重品特に「権利証と実印と農協の通帳の返還」 を求めた。しかし美富子は春子の実印はとっくの昔に返したという。それ以外の物は翌日の転院前に、持参するという。
「返したのはいつ、どこで」 と根問いをすると、美富子は「ちゃんと返した。それで終わりやがな」 と逆切れする。水掛け論になった。春子の病状が落ち着き次第新しいものを登録しなおすしかない。住民票の移動とともに、届け出をしようと決めた。
翌朝は予報通り雨だった。
鳥取へは介護タクシーで行くので大丈夫だ。看護師の付き添いもあるので万一のことがあっても安心だ。しかし気温が下がって寒い。春子のベッドの上に厚手のカーディガンをのせておく。荷物は病棟から不要の段ボール箱をもらってまとめておく。下着と着替え、それと大人用紙おむつに濡れティッシュ。大量のタオル。歯ブラシや入れ歯も必須だ。結構な大荷物になった。出発は十時。準備万端だ。
トイレに行き、病室に戻ろうとすると、美富子と芳江にちょうど出会った。「おはようございます」 とあいさつすると、二人はむすっとした表情で会釈を返した。
約束通り、家の権利証と春子名義の農協の通帳を一冊、返却してくれた。残高は二万円と少し。ないのと一緒だ。ただもう一冊ある。葉奈子名義のものだ。卦配という旧姓のものだ。しかし通帳記載がまったくない。春子からは何もきいていないが、何かを積み立ててくれたのだろうか。美富子に聞くと「子供の時に保険に加入していた。もう大昔のことやけどな」
しかし最終の記帳日が今年になっている。残高はゼロ。不審に思い、それ以前の通帳も欲しいがどうしたのかと聞くと美富子は心底嫌そうな顔をする。葉奈子はその表情を見ても怯まない。もう子供ではない。強い口調で重ねて問う。すると、春子が「捨てといて」 と言ったから捨てたという。年金の受け取りも公共料金の引き落としも何も利用がないから通帳記載がないのは当然だという。葉奈子は病院の廊下で反論する。
「長期間、預かっておいてそれは不自然ではなかろうか」
人目があるにもかかわらず、美富子は怒りだした。
「ええ加減にせえや。不自然とはなんや。昨日の晩遅くに電話してきて、あんた、厚かましいわ。こうして家の権利書も全部持ってきてやったがな。あんたの母親が信頼して預けておいた私を疑うのか。あたしが何かしたと思ってるんか。失礼や。大体、昔からあんたはいやなコやった」
同席していた芳江が加勢する。
「ほんまや。あれだけみっちゃんから、かわいがってもろてるのに、はあちゃんは、恩知らずや」
恩知らず……芳江は春子以上に肥った肉塊を揺すって怒っている。子供の時に出会った地蔵盆、それ以前に教育実習生のころに出会った初々しさのかけらもない。葉奈子は、この二人にここまで嫌われる理由が思い当たらぬ。それに芳江は継彦の存命中から美富子の奴隷だ。芳江の子どもたちは幼少時から美富子のお金で高額な学費や留学費用を捻出してもらっている。故継彦の会社設立も治郎の就職もすべてが美富子のコネだ。豆島家は、みんな美富子を中心に回っている。継彦はそれを嫌がっていた。その息子の治郎はどうかはわからぬが。
とかく葉奈子は、美富子たちからは鳥取の田舎に嫁いだとして見下げられている。
美富子はさっさと病室に入り、仰臥したままの春子にいう。見舞いの言葉のかわりに毒を吐く。
「春ちゃん。はあちゃんのことやけどな、どういうしつけをしたらこんな子に育つんや」
こんな子と言われても、葉奈子はもう五十五才だ。それなのにしつけのことで病人の春子に怒る。美富子はそんなに偉い人なのか。これから転院するというのに手術前の病人の前で怒鳴る。一方春子は点滴に繋がれ、酸素吸入もしている病人だ。美富子の声は続く。
「鳥取なんか遠すぎる。それに田舎の病院は大阪よりヤブが多い。あたしはここの院長の知り合いやねん。理事長とも昵懇や。せやから春ちゃんがここにいたらちゃんと診てもらえるよう頼んであげる」
春子は固く目をつぶって返事をしない。葉奈子は美富子を押しのけ、春子の耳に顔を近づけた。
「お母さん心配しないで。鳥取にもいいお医者さんはいるからな。だいじょうぶやで」
春子は頷いた。介護タクシーの人が病室に入ってきた。看護師も。いよいよ出発だ。タクシーの持っている搬送ベッドに数人がかりで移される。葉奈子も病棟のワゴン車を借り、荷物を次々に載せていく。美富子はまだ何かを言いたげだったが、さすがに芳江が美富子の腕を引っ張っていった
医師が特定の患者を特別扱いするとはあり得ない。若い時から一貫して医療事務をして勤務しているからこそわかる。これからその田舎の病院に転院しようとしている春子に向かって、平気で言い放つ美富子はそれで見舞ったつもりなのか。春子が薄目を開けて不安そうに葉奈子の顔を見上げる。葉奈子は笑顔を返す。病棟のエレベーターの前でまだ美富子たちがいた。腕組みをしている。その表情は醜悪だ。葉奈子は言う。
「あの、もう帰ってくれませんか」
折よくエレベーターのドアが開いた。秋子と夏子が出て来た。荷物を抱えている。美富子が怒っているのがわかったのか、黙って葉奈子にその荷物を渡す。中身は新品のパジャマとタオルだ。チョコレートの箱も見えた。そして美富子と葉奈子の間を縫うようにして春子のベッドに近づき「病気を治したら大阪に戻っておいで」 と激励した。それが本当の見舞いだろう。
春子の闘病はこれからだ。手術も何もかも終わってから、よく考えよう。明らかに美富子が春子の通帳を使って何かをしているのは明白だけど今は動けない。
出発直前には地下駐車場に鈴子が孫を抱いて見送りにきてくれた。「はあちゃんも体を大事にな」 と、餞別をくれた。帰ったはずの美富子も駐車場までついてきた。それから、葉奈子を前に秋子たちに演説をする。
「せやから、鳥取の人との縁組は反対やった。春ちゃんと会いたいときに会えない。新毛東のあの家も無人や。もったいない。あれはもともと豆島の家のものや、今からでも返してほしいぐらいや」
横には当の病人の春子が大きなワゴン車にベッドごと乗せられつつある。これから一路鳥取の病院まで行くのだ。運転手と看護師がこちらを見ている。出発の合図を待っている。それなのに美富子は、葉奈子の批判ばかりする。
「卦配家の大事なものを長年預かってあげたのにお礼どころか疑うなんて失礼すぎると思わんか」
その光景は異様だった。美富子は終始葉奈子を睨んでいた。葉奈子もまた無視をする。普段は美富子をちやほやする秋子たちも知らぬふりをしている。
美富子の威勢に萎縮しながらも秋子たちは、車のドアをのぞきこみ、ストレッチャー上の春子に「手術がんばりや」 と励ました。美富子はそれもしない。一体何をしにきたのか。葉奈子は唇をかみしめる。そして運転手と同乗の看護師に「お願いします」 と頭を下げる。ドアが閉まった。秋子たちは車中にいる葉奈子に手を振ってくれた。同時に美富子と芳江の後姿も見えた。




