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来し方行く末   作者: ふじたごうらこ
第二章 行く末
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第一話・日常


第一話・日常


 月日の流れは早い。卦配葉奈子改め、白糸葉奈子は今年で五十五才になった。昇との間に娘が一人できた。名前は早矢香。現在十才。不妊治療の末、やっとできた子だ。医療事務のパートはまだ続けている。

 補聴器はあいかわらず使っているが、幼い頃と比べたら格段に性能が良くなっている。眼鏡よりずっと高価なのが欠点だが、それがないと仕事にならぬ。会話に補聴器はなくてはならぬ。それでもなお聞き間違いがあるといけないので、初対面の人間には笑顔でまず難聴があることを告げる。それで大きなトラブルがおこったことはない。葉奈子は毎月の給料から少しずつ新しい補聴器代を購入するために積み立てている。車と一緒で数年ごとにマイナーチェンジする。日常的にある聞き逃しや、聞き間違いがその分減る。そのため新製品は、なるべく購入するようにしている。それは夫の昇もそうだ。

 昇と結婚して実に二十年がたった。しかし春子は今も尚、「離婚して大阪に帰ってこい」 と言う。昇はその執着を「異常だ」 と恐れる。葉奈子と一緒に暮らしたいがために、堂々と離婚をすすめる春子を大の男が恐れる。葉奈子も春子の思考の異常さを俯瞰できるようになった。それでも春子は母親だ。かわいがって育ててあげたとの念押しの言葉には嘘はない。葉奈子は結婚時の約束を守り、隔週末ごとに実家に帰って世話をしている。風呂掃除やトイレ、庭仕事をするために。


 三年前の春の終わりに豆島家と卦配家に不幸が続いた。まず豆島継彦が居間で大動脈りゅう破裂を起こし即死した。彼は現在はJAとなっている農協の組合員向けの月刊誌の編集発行会社を経営しており、巨額の報酬を得ていた。平成十年に市内の十数か所ある農協が合併し、JAトータル大阪となって再スタートを切ったので、発行部数は二十数万部ある。社長継彦、副社長は名目上、長男の太朗、常務はその妻の芳江。下にアルバイトのスタッフが数人いて家族経営的に切り回している。JAの組合員の分だけ発刊すればよい会誌でで、売り上げを心配する必要はなく、経営利益も順調だった。しかし急死する直前まで、同居の姉、美富子とは仲が悪く、豆島家の敷地に続く畑をつぶして建てた編集会社の駐車場の管理で揉めていた。生前から継彦は、姉の美富子が一切家の相続や金銭関係を教えない、実印の場所も教えないと嘆いていた。町の会合で古株の人から「豆島家の長男は、みっちゃんや。本物の長男は影が薄い」 と面と向かって言われ悔しがっていた。

 家でも会社でも新毛本町の人が「みっちゃんに頼む」 と土地の売却や相続の話をしにくる。不動産会社や司法書士、税理士は農家の人々にとって敷居は高く全員が美富子の介入を望む。継彦は美富子の使い走り的な仕事も受けるのが不満だった。だがもう死んだ。巨額の保険金が妻の芳江ではなく、美富子に渡ったらしいがそれも噂だ。

 残された芳江は編集会社を受け継ぎ、粕田家に戻らない。粕田家でも代替わりして芳江の弟一家が住んでいるので帰れない。現在豆島家は両隣の敷地まで購入し豆島本家を超える二百坪の家屋敷を持っている。そこに美富子と芳江、そしてその子供二人と一緒に暮らしている。子供と言っても長女の四季子は帰国せず、イギリス人と国際結婚をしている。この四季子は祖父母である芳夫や夕子の葬儀にも出なかったが、実父の葬儀もそうだった。親戚たちを前に美富子は「あの子は恩知らず」 と怒っていたが、芳江は呆然としているだけ、長男の太朗は障碍のせいで父の急死がわかっていない。次男の治郎だけが美富子を何とも言えぬ顔で見ていた。

「あの子は出産予定日が近いから、帰国して葬式には出ないと言った。日本で産めばええことやのに。中学生のころからこの家とあたしを嫌っていた。豆島の財産は、もしものことがあっても四季子にはびた一文やらへん」

 太朗はあいかわらず、陶芸をしている。治郎は美富子のコネでJAトータル大阪本店に勤務している。四季子を除いて二人とも未婚だ。別に働く必要もない家だが、それでも治郎は美富子の後継者として新毛本町でも扱われるようになった。あとは治郎の妻となる女性を早く迎えて次世代につないでもらうだけだ。しかし治郎は三十近くなっても結婚はしないという。葬式後の会食でもその話が出て美富子は豆島の跡取りがそんなことでええんか、あんたの代で途絶えてもええんかと人目もはばからず治郎を責めたが反応はない。

 続く不幸は葉奈子の父、公男の急死だ。なんと継彦の葬式後の次の週に脳梗塞を起こした。それも美富子所有の畑で倒れて亡くなった。酷暑の中、五十坪ほどの畑を一人で水を撒いて。

 公男はどんな時でも朝夕、自転車をこいで十五分はかかる新家本町の畑に通っていた。週末は車を出して奈良県天理市内や八尾市内にある十反の田んぼの見回りもしている。

 公男には、卦配家の長男でありながら春子の実家の厚意に甘え、新毛東の土地を譲ってもらったというひけめがあった。そのため長年豆島家の田畑の手伝い要員に甘んじていた。はっきりいって美富子から当たり前のようにこき使われていた。それでも公男は黙々と働いた。彼の人生観はどうだったのだろう。卦配一家全員が、美富子と秋子、時には従姉妹の鈴子や夏子からでさえも、芳夫や夕子が亡くなって新毛東の家を春子が相続したことで嫌味を言われていた。この家の相続税が一千万かかった。しかし、卦配家が払えぬので、美富子がそれを払ってもらったと。

 春子は公男の通夜の席で、美富子に向かって泣き叫ぶ。

「新毛東の家をもらって相続税が一千万かかったから払ってやったと恩に着せて、あたしの夫をこき使ってばかりでひどい。みっちゃんが命令ばかりして殺したようなもんや」 

 美富子は冷静だ。打てば響くように反論した。

「春ちゃん。何を言うんや。あたしは一度も公男さんに仕事を強要はしたことはあらへんがな。怒るで」 

 美富子は気分を害したからという理由で通夜も葬式もそのまま欠席した。あの時の憤りは葉奈子も忘れられない。以来春子と美富子は不仲になった。末妹の秋子が仲立ちして年忌などの知らせを教えてくれる。

 葉奈子は鳥取での生活でも毎日公男を偲んで心の中でそっと手を合わせる。公男がいなければ葉奈子の人生は、愚かな春子とその背後にいる美富子に翻弄されたままだろう。おそらく結婚もできなかった。公男は葉奈子を守った。昇と結婚させ、次世代に繋いでくれた。

 葉奈子は結婚時の約束を守り、鳥取市の婚家先から東大阪市新毛東の実家まで様子を見に行く。高速バスを利用して片道三時間かけて。婚家先には義父母もいるし、子供を置いても大丈夫だ。

 バス終点の難波駅で降り、地下道を通って園鉄奈良線に乗り換えて二十分。大山と海はすでにどこを向いても見えぬ。難波駅構内の売店で赤福餅を買う。伊勢志摩の名物だが、これが好きな春子は八十才になった。一人暮らしなので、六個入りの小箱で十分だ。老いても食欲があり、六個ともすぐに食べきるだろう。体重過多はあいかわらずだが、加齢のために若干の食欲は落ちたが、それでもまだ八十キロはありそうだ。

 大和西大寺行の各駅停車の電車に乗り、専利里駅で降車する。東出口から徒歩十分で新毛東町の実家だ。五月なのにもう蒸し暑い。家族がまだ寝ている時間に出たときの肌寒さはない。改札口すぐ前にあるJAトータル大阪の前を通る。これは平成十年に東大阪、中小坂、大阪市内の一部にある総計十三か所ある各農協が合併したものだ。その中には新毛交差点近くにあった新毛農協も含まれている。現在は新毛支店となっている。豆島美富子は長らく新毛農協に勤務していたが、合併を機会に退職した。それまでは定年退職後も嘱託で常務になっていた。現在は葉奈子の従兄弟にあたる治郎が本店にいる。といってもまだ若いので役職にはついていない。

 JAの建物を通ると隣は十階建ての豆島ビルだ。これは美富子が所有している。鉄道や高速道路の延長や拡張が公示される以前に、周辺の土地を抑えておき、高騰すると転売する。儲けたお金で貸ビルを建てた。大阪に三か所、奈良に一か所、京都にも一か所。今や豆島家は、不労所得で十分食べていける。

 葉奈子は、入り口のテナント募集の張り紙を横目に横断歩道を渡って商店街を通り抜ける。店先の通路上に点在するそれぞれのマンホールには、市公認のゆるキャラがデザインされている。これはライトくんという名前で、丸顔で猫耳の少年が懐中電灯を持っている。電灯をかざして走っているデザインもある。亡くなった継彦がずいぶん前にデザインしたものだ。それが今では市公認ゆるキャラになっている。これも選考過程なしで美富子のツルの一声で決定したときく。JAには歴代の市役所や府職員の天下りも多い。それで美富子のコネがとおるのだろうか。

 春子はそんな美富子に絶対に勝てない。同じ姉妹でも容貌も性格もそして持っている財産も違う。春子がどんなに悔しがっても、張り合っても美富子にはかなわぬ。春子は言う。

「それでも私は、みっちゃんに勝った。だって私は結婚したし、出産もした。子育てしてこそ女性として一人前や」

 春子は昔から働きもせず食べてばかりいる。人脈も金脈もない。美富子に聞こえないところで負け惜しみをいうだけ。葉奈子は春子の愚かさを知り得る立場にいるが、実害はないので黙って聞いているだけ。

 商店街を通り抜けて住宅街に入る。昔ののどかな田畑続きの面影はない。林立したマンションを縫うようにして歩く。茶色でところどころ白く禿げた木製のへいが視野に入ると実家だ。もう築五十年以上たつと家も古びてきている。公男が存命中は屋根や壁のメンテナンスはこまめにしていたが今はもう全くしない。春子はそういうところは一切関心がない。去年の大型台風で雨水を逃すといの一部が吹き飛んでもそのままだ。

 葉奈子は薄いカーディガンを脱ぎながら足を速めた。へいに沿って白い乗用車が駐車されているからだ。後部窓下に貼られている園鉄百貨店のロゴマークをにらみつけ、インターホンなしで実家の敷地に入る。膝の下まで伸びている雑草と剪定がされてない満開のつつじの花に目もくれず、玄関を勢いよく開けた。

 案の定、二名のスーツ姿の男性が立って、春子にアタッシュケースの中を見せている。先に年配の方が葉奈子を認め、満面の笑みを浮かべて一礼する。それから、春子に声をかけた。

「卦配さま、娘さんが来られましたよ。こうして鳥取から帰ってくださる。親思いの娘さんでお幸せですね」

 春子はケースから顔をあげ、奥の金歯を光らせた。そうすると目がしわの中に埋もれ、顔面上部がきんちゃく袋のようになる。 

 この男は園鉄百貨店外商部にいる平山で、葉奈子が学生のころからの顔なじみだ。三十年近いつきあいになる。もう一人の男性はまだ若い。両手を前につなぎていねいにお辞儀をしたがはじめて見る顔だ。葉奈子は二人に話しかける。

「で。今日は何を売りつけに来はったのですか」

 平山は頭をかき、若い方はうつむく。春子のひざに抱かれていた五歳になる柴犬のケンが「くうん」 と甘えた鳴き声を出す。春子はまぶたが落ちこんだ目玉を葉奈子に向ける。

「はあちゃん。平山さんにそないなこと言わんといて」

 春子のしなびた指にいくつもの真珠の指輪がはまっている。葉奈子の視線に気づくとわざと手をひらひらとさせた。玄関の靴箱の上の窓から光を受け、真珠周りのダイヤがきらりと光る。

「きれいやろ。一つ買うたげよかと思うけど、どれがええ」

「いらん」

 葉奈子はアタッシュケースをにらむ。中には真珠の指輪が形よく並べられている。隅の方には黒真珠も数個ある。平山がとりなすように言った。

「ええのが入ったので目利きの卦配さんに見せたげよと思っただけで……買うてもらおうかと思っていません」

「じゃ、見せるのは終わったようやし、帰ってんか」

 春子のきんちゃく袋の先が尖った。

「一個買うぐらいええやんか。お父さんもそれぐらいのお金を残してくれたんやし」

 葉奈子は春子がはめている指輪をはずそうとした。指が一瞬丸まったが、なんなく広げられる。指輪を平山の手の上にぽとぽと落として返す。若い方はすでにケースを玄関の端によせて撤収の準備にかかっている。それをしり目に説教をする。

「お母さん。足腰が弱り外出もしないのにこんな石を買ってどうするの?」

「あんたのためや」

「いらんって何度言ったらわかるの? 私は病院勤めの事務員やから、そんな宝石なんか必要ない」

「だったら、早矢香にあげたらええ。あの子の嫁入り支度に持たせてあげて」

「お母さんは、何を買っても買った後は放りっぱなしや。着物も服も健康食品もみんな」

 春子が葉奈子をにらむ。葉奈子も負けずと睨み返す。金銭的な負担をかけられているからだ。ケンがまた甘え鳴きをする。平山の妙に明るい声が入った。

「やっ、私どもはこれで失礼します」

 春子は頭を下げたが、葉奈子は腕を組んで春子を睨んだままだ。なに、平山たちにどう思われようが平気だ。あれほど春子の散財に困っている実情を知らせ、訪問販売を遠慮してくれと言っているにもかかわらず、平然と高価な品物を売りつけにくる。頼まれるとイヤとはいえない春子に対して、平山たちはノルマがあるので、助けてくださいというらしい。実家に不意打ちで帰省するのはそのためだ。

 平山たちが消えると春子は背中を丸めて葉奈子を恨めし気に愚痴る。

「あの真珠、たったの五万円や。十八万円が五万円やで。値札にかかわらずどれでも半額以下や。どれをとっても、お買い得やったのに」

 葉奈子は、薄くなった育子の頭を見下ろす。

「さ。お母さんの好きな赤福餅や」

 育子は餅の入った小箱を膝の上に置く。もう母親としての春子の権威はない。葉奈子は成長した。補聴器はあいかわらずしているが、昔と違って感音性難聴用の感度のよいものをつけている。そしてショートカットにして補聴器は丸見えだ。もちろん日常生活には不便はない。葉奈子は続いてがみがみいう。

「現実を見なさい。あんたの見栄っ張りのせいで父さんが残してくれた退職金や貯金がゼロや。残されたのはこの家と年金だけ。住む家があるだけマシやがな。年金を小遣いに使えるだけ幸せやがな」

 春子は背中を向け、無病息災奇跡の水と書かれた大きな段ボール箱に全体重をかけ、よいしょと立ち上がる。足首にはまだ湿布がぐるりと貼られている。腕には餅が入ったビニール袋がかかる。足元にはケンがいる。平山が車のエンジンをかけて去っていくのが聞こえた。

 葉奈子は柴犬の体毛でできた綿ぼこりを足で蹴散らしながら奥へ向かう。すぐ右手に台所、お風呂、トイレ。左手は亡父の仏壇がある居間、その奥が春子の寝室。まず葉奈子は冷蔵庫を開けて中身をチェックする。紙パックの牛乳は期限が切れている。卵と豆腐がない。あとで買い足してやらねば。一方、冷凍庫は、ぎゅうぎゅう詰めだ。食材が余ると全部冷凍庫に放り込んで二度と取り出さない。取り捨て選択して処分する。

 春子の部屋に入る前に、仏壇で亡父の卦配公男の遺影に手をあわせる。良き父だったと思うが、春子に言わせるとまじめだけが取り柄で大金を稼げない男だと評価する。一度も働いたことがないのに公男の死後も貶める春子が疎ましい。次に寝室に入る。足が弱っているため、落下防止柵を取り付けたベッドで寝起きしている。枕もとにはテレビのチャンネル、電話の子機、財布、通帳、おまんじゅうなどの包み紙が散乱している。思わずため息をつく。

「ほんまに汚いなあ、昔から掃除ができない人だったからなあ。結局私がやるしかない」

 そこらにあるビニール袋の手さげ部分をつかみ、ごみを入れていく。ベッドの下も犬の毛玉と食べ物のかすだらけだ。ありを一匹発見してぞっとする。仔細に眺めると五匹ほど固まっているところもある。去年徹底的に掃除をし、ありの通路も絶ったつもりなのに、また出てきた。

「駅前のドラッグストアに行って、除草剤とありの除去剤も買ってこよう」

 春子の声が飛んでくる。

「クーラーのリモコンが見つからへん。探しといてや」

 葉奈子は掃除機をかけながら探す。テレビの後ろからケンの体毛にまみれたリモコンを出す。うんざり顔で寝室に来た春子に渡す。

「なあ。赤福餅、一緒に食べようや」

「いらん。買い物に行ってくる」

「あたしも連れて行ってや。年金は下ろしたものがまだ少しあるし、欲しいもんがあったら、なんか買うたるで。せや、早矢香の服を買おうや。タクシーを呼んでいまからデパートに行こう」

 葉奈子は掃除機のスイッチを止めて怒鳴る。

「それでまた後で私にお金を貸してと言うんや。お母さんのお金ってもう年金しかない。保険の解約まで勝手にしたやん、一体何を考えて生きているんや」

 春子の姿が消えた。代わりに仏間でチーンという鐘の音と同時に餅の包み紙を破く音がした。この家には公男が愛した金魚も鶏もない。みんな死んだ。春子は、糖尿病を患っていた公男のために洗濯と砂糖を必要以上に入った食事の世話はきちんとした。味噌汁やカレーにまで砂糖を入れることにこだわりがある妻を持って、それでも公男は黙っていた。実母に早く死なれ継母に虐待された幼少時を思えば、春子と暮らす方がずっと幸せだったからだろう。

 葉奈子は日用品を買いに徒歩で商店街に行く。日が高くなり、蒸し暑い。一台の黒塗りの外車が徐行して、静かに近寄った。窓があいたかと思うと涼しい空気と一緒に豊かな白髪を結い上げた老婆が顔を出した。べっこうと思しき髪飾りの周りがきらりと光る。豆島美富子だ。

 美富子はもっと近寄れとばかり、あごをしゃくった。和装をしている。着物が細かく鈍く金色に光っている。何かのお祝いにでも行くのか。運転席には同じく和装の豆島芳江がいる。あいかわらず横に肥っている。葉奈子に向かって軽蔑したようにあごを上にあげ目線を見据える。二人とも葉奈子と別世界に住む女たちだ。裾が長めのロングシャツによれよれのジーパン姿の葉奈子を見て、美富子は薄ら笑いを浮かべる。

「はあちゃん。私らはこれから京の負隆寺へ行くねん。元華族の奥さんや腹白元大臣も参加される茶話会がある。なあ、この着物、ええやろ」

 美富子たちの赤い唇が禍々しく半円を書いている。深い法令線やあごのしわが同心円状に輪をかいている。美富子は生涯未婚のまま豆島姓を名乗り悠々自適の生活をしている。卦配家に嫁いだ春子の心は美富子を羨むあまりに変質した。事実、卦配家は豆島一族の親戚の中で一番貧乏だ。しかし、春子がまだ未婚の豆島春子だったころは、豆島家は名家でもなんでもなかった。高速道路事業団からの土地の買い上げをきっかけに好転しただけ。それを元手に美富子が農協で得た金融知識で土地や株に投資してだけ。単なる成金だ。

 後ろから別の車が来てクラクションを鳴らした。美富子は口をすぼめた。

「あいかわらず愛想のない子や。せいぜい田舎でちんまりと暮らすんやな」

 クラクションが再度鳴り、車のウィンドウが下からせりあがって美富子たちの顔が見えなくなった。かわりに化粧気のない葉菜子の顔がいつもより老けてうつった。車が去り、後続車があとに続く。葉奈子は彼女たちの心情が理解できぬ。葉奈子を育ててくれた春子以上に。

 


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