第十二話・相続
春子は結婚にあたり、条件もつけた。昇は春子の葉奈子に対する執着をよく理解している。最低月に一度は大阪に様子を見て帰らせるのは承知した。昇の明るい笑顔と話しぶりに春子も安心したらしい。結婚式は派手なものを希望したが、葉奈子には呼びたい親戚がそうあるわけでもなく、友人が多いわけでもない。シンプルで控えめなものにした。式の後、双方の両親で食事会をしたぐらいですませた。春子は泣きわめいたことも忘れ、早く孫を産みなさいと何度も繰り返して昇にプレッシャーをかける。
それと前後するように、肝炎を患い入退院をくりかえしていた豆島芳夫が死去する。新毛本町の人々は酒にやられたとうわさする。次いで一カ月もたたぬうちに夕子が死去する。これは皆意外だった。死因は心臓発作だった。自室から出てこないので芳江が呼ぶと布団の中で冷たくなっていたという。葬式にはもちろん出たが、四季子が帰国しないことで美富子が怒っていた。芳江たちは仕方がないという顔だ。
春子は夕子の死が受け入られず半狂乱でなだめるのが大変だった。それでも葬式が終わると日常生活の繰り返し。人生はそういうものだろう。
数か月後、豆島の祖父母の相続が終わり、新毛東の家が正式に卦配春子のものになったという連絡が来た。実家に戻ると、春子が自慢げに登記簿謄本と権利書を見せてくれる。
「これはあたしが豆島家の長女なればこそや。な? 豆島の先祖代々の土地がもらえた。よかった」 と喜ぶ。
もちろん裏の豆島文化住宅は美富子と継彦のモノになったが、口頭で伝えられただけで詳細はわからぬ。秋子には五百万円の現金が相続されたと聞いている。それでおしまいだ。ほどなく春子があんなに喜んでいた謄本に関して文句を言うようになった。
「所詮、紙切れ一枚や。お母ちゃんは、この土地のほかに現金二千万円をやると言うてたのに」 と文句を言いだした。
美富子はそれを聞くとわざわざ新毛東の家まで来て「この土地の相続税が思ったよりかかってん。せやから現金は勘弁してや」 と説得した。
「この土地の相続税って、いくらやったん」
「一千万円」
春子はおもいがけぬ金額に驚く。
「この土地がそんなのにするん。でもお母ちゃんは二千万やると言っていたし、その差額……」
美富子は春子を睨む。
「とにかく相続税がすごかってん。税理士を頼んだがその税理士がきついなあと驚いたぐらいや。あっちゃんも五百万円で納得してくれたんやで、春ちゃんとこは相続税一千万円で倍額や。土地も建物もあんたのものや。せやから納得してや」
「でも」
「お米や野菜は永遠に無料や。それでええやん? こっちもいろいろと大変なんやで」
「……」
事実、美富子は豆島の家の金銭を切り盛りしている。いくら土地買収にかかって買い上げられたからと言って通常の手段では成金と言われるほどのお金を持てない。すべては美富子の土地に関する先見の明があるからだ。春子は黙るしかない。秋子もだ。特に秋子の夫の鈴木広司は会社の運転資金を美富子から借りているという。だから不満を言えぬ。
ある時、葉奈子が実家に滞在していた時に秋子が来た。北海道土産のしゃけの切り身を持っている。そして世間話だ。葉奈子は台所掃除をしながら聞いている。
「相続は完全に終わったみたいやで」
「そうか、私のところは何も言ってけえへんけど」
「うちとこもや。芳江さんがコメを持ってきたので聞いたら終わったようですって。ま、あの人は嫁やから全部は知らんやろうけどな。継彦とみっちゃんは、毎日ケンカや」
「同居なのに遺産を争っても仕方がないやんか」
秋子は声を潜める。
「せやけど、豆島の家をここまでの資産家にしたのは、あんたやのうて、このあたしや。長男やからって何を偉そうに言えるって。実印や家の権利書は絶対に渡せへん。金庫の鍵も預かっとくって」
春子もまんじゅうをほおばりながら言う。
「実印で思い出したけど、私はずっと預けっぱなしや」
「そう? ええ加減に返してもらった方がええで」
「公男さんもそういうけどな、みっちゃんから疑ってんの? とエライ怖い顔をされてそれきりや」
「おおコワ。うちとこは実印を預かると言うのでうちの主人が渋ってたらいつの間にか、勝手に作られて遺産分割協議書に実印を作ったからあげるって」
「実印って、あっちゃんに無断でか」
「せや。信じられへんけど、私は嫁に行った身分やし、みっちゃんがお金を貸してくれへんかったら起業もできなかった。だから文句をよう言わん」
「いくら借りてたん」
「内緒や。みっちゃんとうちの主人だけの話や。みんな、みっちゃんに頭があがらんで。本家のなっちゃんや、久ちゃんも全員や。特になっちゃんとこは先月、会社の経理に不審があるって国税庁が新毛農協に来たんやで」
「へえ」
「折よくみっちゃんが本部にいたので、すぐにパソコンを操作して隠したそうや。ただいま、担当のものが不在で私ではわかりませんってシラ切って、税務署員をケムに巻いたそうや。みっちゃんは支店長やけど、支店長は名目だけでパソコンの操作まではできへんてうそついたって。自信なさそうな演技までしたんや。税務員がコロッと騙され、また後日っていって帰ったそうや。なっちゃんは、その間に収支決算のやり直しや。みっちゃんようやった。って感謝しきりや」
「みっちゃんは小さい時から機転がきくからな。流通どころか倉庫の方もやってんやろ」
「せや。脱税いっぱいしてるけど、みっちゃんが新毛農協にいる限り、安泰や」
春子も秋子も脱税の手助けをするみっちゃんを褒める。
「脱税というてもようわからんが、税務署員を追い返したのは大したもんや」
「私らがなんぼ言うても、遺産はくれへんやろ。会社経営してたら、どこでも税金は払いたくない。大なり小なりどこの会社も脱税はしてるわな。うちとこもそうや。その手伝いをみっちゃんがしてくれるから怒らせることはできへん。これは豆島一族の特権やさかいな」
「ふうん、うちは単純なサラリーマンやからな」
「サラリーマンは税金はごまかされへん。ガラス張りやからな、気の毒やけどしゃあないわ」
あきれた会話だ。二人とも脱税はやって当たり前だと思っている。武勇伝に思っている。葉奈子は肩をすくめた。
その翌日に鳥取の家に帰ろうとすると、国税庁から春子あてに八百万円もの追徴課税の通知が来た。春子はあわてて公男と葉奈子に見せ「そ、そ、そそりゃだ誰がか考えてもみ、みみみっちゃんやろ」 という。三人して新毛農協に行くと、秋子と広司夫婦も同じ通知を持って鉢合わせだ。
五人がみっちゃんを呼ぶと、あわてて支店長室に入れてくれたが、二通の追徴課税通知を取り上げると安心するように言う。
「実は、相続税対策で奈良の土地を売ってん」
「奈良ぁ? そんなところに土地があったん?」
「うちが転売用に持っていたもんや。もちろん当時は生きていたお父ちゃん、お母ちゃんも承知やで」
「それでうちらに来たのは」
「そこらあたりは税理士さんの入れ知恵で素人にはわからん。これは私がちゃんとやっとくさかい、何も心配はいらんて。八百万円も払わんでええで」
そこへ公男が言う。
「は、は、春子のじじじ実印を化、返してやってくれ」
「用がすんだらもちろんすぐに返します、な、春ちゃん、ええやろ」
「……うん」
「うちのこと、信用してるやろ、な?」
「うん……」
なぜ春子はそこまでされて美富子を信用するのか。葉奈子は我慢できなくて「みっちゃん」 と呼びかける。美富子は白い眼を向ける。春子まで「はあちゃん、口出しせんといて」 とまで言われ引き下がるしかない。
春子は愚かな女だ。公男も背中を丸めて引き下がる。これが卦配家の実力だ。葉奈子は悔しく思った。秋子夫妻も八百万円の負担がないならばと引き下がった。
美富子がすべてを掌握していた。休日には田畑を公男や継彦にまかせ、美富子は日帰りで北海道や沖縄に行ったり、高級ホテルに食事にいったりの豪遊をする。大阪でも名家の夫人と知己を持ち、一緒に歌舞伎にも通う。農協の組合員のリクレーションのおぜん立てはそれこそ天職とばかり、張り切って有名歌手を呼んだり旅行プランを立てる。
新毛農協に名物支店長在り、その名も豆島美富子。
東大阪市庁から天下りで入ってきた歴代の組合長ですら遠慮する美富子、新毛本町の人々から縁談、就職、相続、健康保険、火災保険、土地の売買、すべてを相談される立場になり、町の重鎮として女性新進リーダーとして美富子は充実した毎日を過ごしている。我が世の春とはこういうことだろう。しかし、葉奈子は違う。
美富子のようにはきはきとものをいい、周囲から頼りにされ、親しまれ好かれる性格ではない。生き方自体が違うそして住んでいる世界も違う。
葉奈子は鳥取の家で落ち着くと車で二十分ほどかかる小さな医院の事務としてパート勤務する。大阪の満員電車に揺られる毎日とは無縁で道路で轢かれたカエルや狸の死骸を当たり前に見て、新鮮なまがったきゅうりや虫食いのキャベツと当たり前に調理する。大阪と比べて安くて新鮮な魚を食べる毎日になった。昇はやさしく義両親ともうまくやっていけている。平和な毎日だ。うれしいことに中断していた童話を書く時間もできた。
月に一度は大阪に戻って実家の両親の様子を見に行く。子供がなかなかできぬので、もう少ししたら二人で検査を受けに行こうかと話し合っているところだ。
まさか遠い世界を牛耳っている豆島美富子と争うことになるとは思わない。
第一章 来し方 完




