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来し方行く末   作者: ふじたごうらこ
第一章  来し方
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第一話・支度

第一章 来し方


第一話・支度


 その夏も暑かった。すべてがすでに始まっていた。

 先週に十才になったばかりの卦配葉奈子けはい はなこは、早めに入浴をすませ、母の春子に新しい浴衣を着せられる。それから鏡台の前に座り、かみを二つにくくって、それぞれ三つ編みにされる。たもとを揺らしていると、ぎゅっとかみを引っ張られた。動くなという合図だ。それでなるべくじっとして、自身の顔をみている。葉奈子はすぐ後ろで伏し目にして三つ編みをしてくれている春子に似ていない。葉奈子は春子より目が細く唇も厚ぼったい。葉奈子は小さくため息をつく。いつもよりきつめに編まれたので、毛先が上に向かっている。そこに赤い布のリボンをつけられる。

「もう動いてええで」 

 春子の声にほっとして、葉奈子は両手をあげて、八の字に下がった眉毛をなでる。前髪が切られすぎて心もとない。それから三つ編みを下に向けようとする。何気なくやったが、春子から「変なことせんといて」 と、ぴしゃりと言われてやめた。

 浴衣は春子が仕立てたもので、薄いブルーの生地に赤とんぼが舞っている柄だ。はだざわりがざらざらとして気持ちが良い。春子も浴衣姿で、色とりどりの朝顔が小さく整列して咲いている柄だ。が、春子は肥満体なので、朝顔が横に膨れて見える。葉奈子はそれを口に出してはいけないことを知っている。

 時刻は六時過ぎ。夕立が降ってやんだばかりで、開放された縁側から雨に濡れた土のにおいがする。二人はこれから新毛本町しんもうほんまちの地蔵盆に行く。そこでお参りをした後、すぐ近くのおばあちゃんの新しい家に行く。葉奈子は先におばあちゃんに会いたいが、春子が地蔵盆の会場で無料のお菓子をもらいに行けという。後回しにすると、時間が遅くなりお菓子がなくなる。それは損だという。春子にそういわれると、そうするしかない。おばあちゃんの家に行くと好きなだけ別のお菓子がもらえるのに、春子はそういうところは抜け目がない。葉奈子は、春子の思うがままに動くだけ。

 玄関では父の公男が折り畳みイスにあがり、背を丸めて靴箱の上に置かれた金魚の世話をしている。彼はいつでも留守番で、春子の実家、つまりおばあちゃんの家に行くことはめったにない。公男の実家は大阪市城東区内にあるが長男でありながら追い出されている。その家には公男の父親の幸太郎の後妻と年の離れた公男の異母弟が暮らしている。祖父の幸太郎が交通事故死した後にいろいろとあったのだが葉奈子の赤ちゃんのころの話でわからない。一家が追い出されたのは葉奈子が生まれたばかりのころで、城東区の家の近くの六畳一間の賃貸に緊急避難した。幸太郎の後妻から今すぐ出て行かないと、ならずものを使うと脅されたからだ。

 その哀れな状態に憤った春子の実家、豆島家からこの新毛東町しんもうひがしまちの土地を五十坪ほどわけてもらった。夫婦仲は良かったので離婚はない。公男の貯金で木造の二階建ての家を建てた。もちろんローンも組んだ。公男は、関西電力の勤務の傍ら、帰宅後は深夜まで鉄塔の設計図をひくアルバイトもして細々とお金を返している。


 玄関の靴箱の上を占める水槽には、ひらひらした金魚が六匹ほど泳いでいる。葉奈子は買ってもらったばかりの赤い下駄をはき、背伸びをして金魚を眺める。赤が四匹、黒が二匹。口をぱくぱくしている金魚が「いっておいで」 と話しかけ、すぐにそっぽを向く、それからくるりと優雅に振り返って「じゃあねえ」 とまた話しかける。葉奈子は動物や植物が人間の言葉を使わなくても話しかけてくれると信じる。だから笑みを浮かべて金魚にも「行ってきます」 という。ただし、言葉には出さない。それをすると春子が怒るからだ。

「心の中で思ったことを言葉に出して言ってはいけません」

 なぜダメなのか春子は理由を言わない。葉奈子もそれを疑問に思わない。父の公男の方をみあげ、袂を持ち上げて、とんぼの柄が良く見えるようにする。公男は葉奈子の意図を理解し微笑み、優しく前髪をなでる。公男は口を開いて苦しそうに言葉を絞り出す。父の細い目も最大限に大きくなってから言葉が出る。

「よ、よ、よよう似合うで」

 もちろん葉奈子はそんな父、公男が大好きだ。母の春子よりもずっと。すると、春子の声が後ろから飛んできた。

「それ、特売で安かってん」

 春子の手がさっと伸びてきた。黄色い兵児帯を治している。結び目を丸く見えるようにしているようだ。葉奈子は水槽を見上げて金魚も一緒に地蔵盆に連れていけたらいいのにと思ったが、これも口に出さない。やがて春子も下駄を履いた。春子は頭を高く結い、ひまわりの形をしたプラスチック製のヘアピンを使っている。いつもより首とあごがなく、肩がやたらと広く見える。そして左手の薬指には、太い指に埋もれるようにしてブルーに光る指輪がある。やっと家を出るのかと思いきや、春子は再度立ち上がり、下駄を脱いで玄関すぐ横の洗面所に戻った。手にはパフをもっている。

「はあちゃんの首にもシッカロールをはたいとこ。あせもができへんようにな」

 葉奈子は粉を吸い込まぬよう息をとめて、はたかれている。公男が指輪をあごで示し「そ、それ……こ、買うたんか」 と聞く。春子は「涼し気でええやろ」 という。公男が次いで「な、なんという石や」 と聞く。春子は「アクアマリン」 と一言だけ返す。

「どうせみっちゃんは、もっとええのをしてるやろうけどな」

 その言葉を聞くと公男は哀しそうな顔をした。金魚の方を見つめ、春子を二度と見ない。葉奈子はその様子をじっと見る。春子はいつもそうなのだ。みっちゃんというのは、母の妹の豆島美富子まめしまみとこのことだ。春子より二才年下で、独身でおばあちゃんとおじいちゃんとお兄ちゃんと同居している。お兄ちゃんというのは春子や美富子のずっと年下の弟のことで、葉奈子からしたら叔父にあたる。が、葉奈子と八才しか変わらぬのにおじさんではかわいそうだということでお兄ちゃんと呼んでいる。

 春子がライバル視している美富子は、いつもいい服を着ている。着物も宝石もたくさん持っている。新毛しんもう農協に勤めていてお給料をもらっている。葉奈子にも公設市場やいちもんやという駄菓子屋では買えないものをくれる。たとえば、上本町の園鉄デパートや梅田の阪急百貨店にしか売ってない小さな花の形をしたバタークッキーやチョコレートをくれる。確かにみっちゃんは金持ちだ。でも好きではない。お礼と感想を強要するからだ。めずらしいお菓子よりも、おばあちゃんが七輪で焼く餅の方が好きだ。どれだけ食べても、よかったなあと笑うだけだから。美富子のように、こんな高いお菓子、よその子は食べられへんで、あんたはあたしがいるから得やで、と恩着せがましく言わぬ。

 春子はその美富子よりも良い宝石を持ちたがる。しかし、どんなにがんばっても、ローンもあるサラリーマンの公男の稼ぎだけではいいものは買えない。それでも春子はみっちゃんと張り合う。公男のみならずまだ幼い葉奈子もそのことはわかっている。そういう感情は誰にも治せないこともわかっている。そういうことがわかる人は、だまっていることもわかっている。


 




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