第九話 魔王復活
馬術の最終試験を前に、リンドが学校に来なくなった。
このままでは出席日数不足で落第となってしまう。
(あんなに一生懸命にやってきたのに……。何かあったのかな……)
リンドに直接会って話そうと思ったが、家を知らない。
そこで、シフォンヌに協力して貰うことにした。
「えーと、魔法陣の描き方は……。9個のマス目を描き、ど真ん中以外には、縦横どの列を足しても同じ数字になるように数字を配置する。正方形の外側に円を描き、正方形と円の間に一つずつ、四大元素記号を描く。呼び出したい精霊・悪魔の紋章を真ん中に描く、か……」
教科書を片手に魔法陣を描いてみる。
「魔法陣に向かって、精霊の名前を詠唱する……」
呼吸を整え、精神統一。
教科書に書かれた通りに詠唱し、最後に「風の精霊シフォンヌよ、わが前に出でよ」と呼びかけた。
魔法陣の真ん中から、シフォンヌが出てきた。
「呼びました?」
「ホムンクルスのリンドを探してほしい」
「少しお待ちを」
シフォンヌは、風に乗って消えた。
しばらく待つと、風に乗って戻ってきた。
「見つかりました。そこへ行きますか?」
「行きます!」
「では、お連れします」
体が軽くなったと思ったら、強風の中を引っ張りまわされた。
「着きました」
「ここがリンドの家?」
窓のない部屋。カビの臭い。鉄の匂い。血の匂い。
「ジュークフリード?」
リンドの声が奥から聴こえた。
「リンド? どこ?」
「こっちだ……」
声のする方に進むと、鉄の鎖で手足を縛られたリンドがいたので驚愕した。
「リンド! なんて姿だ!」
「ジュークフリードじゃないか……。どうやってここに?」
リンドは、息も絶え絶え。
よく見ると、体には拷問のあとが無数にある。
こんな姿のリンドと再会することになろうとは思いもしなかったジュークフリードは、激しく動揺した。
「学校に来ないから探しに来たんだ……。こんな姿になっているとは夢にも思わなくて……。もっと、早く来れば良かった……」
「ジュークフリード……。気持ちだけでもうれしいよ……。ところで、そっちは?」
「彼女は、俺の契約精霊で風精霊のシフォンヌ」
「契約できたんだ……。良かったね……」
こんな状態なのに、ジュークフリードのために喜んでいるリンド。
「ここって、どこなんだ?」
部屋には様々な拷問道具が置かれている。
血の付いたそれらを見ただけで恐怖を感じた。
「ここは、拷問部屋なんだね。そして、リンドは……。一体、誰に拷問されたんだ? どうして?」
「魔王グロデヒムドが……、復活したんだ……」
倒した魔王が復活したことに驚いた。
「君を造った魔王? じゃあ、君をここに連れ込んで痛めつけているのも、魔王グロデヒムド?」
「そうだ……、魔王グロデヒムドだ……。ここは魔王城の拷問部屋……。はやく……、見つかる前に逃げろ……」
「そんなことを聞いたら、それこそリンドを置いていけない! 一緒に逃げよう」
「俺は……、死なないから……、心配しなくていい……。いつか、隙を見て逃げる……」
ハァ、ハァと、苦しそうに息をしている。
「そんなことはできない! 一緒に出よう!」
「一緒だと、すぐ見つかって殺されるぞ……」
「だめだ。早く戻ってこないと落第じゃないか。リンドは、勇者になるために頑張った! 俺たちは仲間だ! 俺はお前と一緒に勇者になって卒業したいんだ! だから、一緒にここを出よう!」
「ジュークフリード……」
リンドは泣きだした。
「ウウ……。素敵なお話……。感動しました」
横で聞いていたシフォンヌも、ハンカチで涙をぬぐっている。
感情がないのかと思っていたが、結構、涙もろい。
「シフォンヌ、早くリンドの鎖を外してくれ」
「それは、私には難しいです」
「え? なぜ?」
「魔王の強力な呪文で枷が封じられています。私の魔力では足りません」
「では、どうすれば?」
「魔王の力を弱めるか、魔力を持つ仲間を連れてきて、協力すればなんとか……」
いきなり、魔王と戦うのは難しい。
そもそも、自分はまだ勇者じゃない。異世界に転生した無力な人間。誰かの力を借りるしかない。
「仲間か……」
協力してくれそうな魔力を持つ仲間は、エアリシアとザイン・レイ。
頼み方によっては、ガーゴイルも協力してくれるかもしれない。
ただ、そうすると、魔王を完全に敵に回すことになる。
全員、殺されるかもしれない。果たして協力してくれるだろうかと不安になる。
青ざめたジュークフリードを見て、リンドは心配した。
「ジュークフリード、無理しなくていい。逃げていいんだよ」
「リンド……」
自分のことより他人の心配をするリンド。
(違う!)
ジュークフリードは、心から思った。
(俺は勇者になるために、職業訓練校に入ったんだ! 魔王を怖れてどうする!)
最初は、自立してエアリシアにプロポーズするために通うんだと軽い気持ちで目指したかもしれないが、苦しむ仲間を目の前にしてそんな甘えた考えはどこかに飛んでいった。
――『勇者は仲間を見捨てない』
勇者道で学んだ、勇者の矜持。
ただの『見栄』だと思っていたが違った。見栄で命を張れない。
本当に大切なものを守りたいから、仲間を助ける。
それが勇者なんだと気づく。
「きっと、助ける! 君は仲間なんだから!」
「ジュークフリード……」
「一旦帰って、エアリシアとザイン・レイを連れてくる。探せば、もっと仲間を増やせるかもしれない。少しだけ待っていてくれ」
「ザイン・レイだって?」
リンドが不安な顔になった。
「ザイン・レイは魔力を持っている。それに、いい奴だ。きっと。助けてくれるよ」
「いや、そうじゃないんだ。私をここに連れてきたのは、もしかしたらザイン・レイかもしれないんだ」
「なんだって?」
その言葉は、ジュークフリードに大きな衝撃を与えた。
「どういうこと? ザイン・レイがリンドに何をしたんだ?」
「私がここに連れてこられる最後に会ったのが、ザイン・レイなんだ」
「本当に?」
「学校を出るとザイン・レイが待っていて、『一緒に帰らないか?』と、声を掛けられた。話題は学校のことで、ペガサスが暴れて危ないところだったけど、人間に助けられるとは思わなかったと言っていた。会話はとても普通で、怪しいところはなかったんだが」
「人間って俺の事か?」
友達だと思っていたザイン・レイに名前で呼ばれていなかったことで傷ついた。
「歩いていると、ザイン・レイが道端の草を摘んだ」
「ふむふむ」
「その匂いを嗅がされた途端に気を失って、気が付いたらこの状態だった」
その時、ジュークフリードの脳裏にケンタウロスのはく製が浮かんだ。
彼もまた、突然学校に来なくなったという。
そして、ザイン・レイの家にあったはく製の傷跡が、まるでクラスメイトと同じだった。
リンドは魔王のおもちゃで死なない体。
はく製にはできないが、魔王に献上すれば喜ばれる。
それを狙ったとしたら……。
(ザイン・レイは……、魔王の手先……?)
ジュークフリードは、ザイン・レイについて話すことにした。
絶対誰にも口外しないという約束だったが、こうなっては守っていられない。
「リンド、俺はザイン・レイの家に行って、中の顔を見せてもらっている」
「なんだって? 中はどうなっていた?」
「それが、綺麗な女の人だった。タロースじゃなかった。でも、甲冑の足首にはコルクの栓があった。君が教えてくれた、タロースの弱点である栓と同じものが。そして、ザイン・レイの家には、ケンタウロスのはく製があった。間違いなく、クラスメイトだったケンタウロスだ。リンドと俺で付けた足首の傷があったから」
それを聞いて、リンドは、「そうだったのか」と、納得した。
「ザイン・レイが職業訓練校に来たのは、私を監視し連れ出すためだったのかもしれない」
「そんな……。いい奴だと思っていたのに……」
二人は絶望的な気分になった。
「リンド。今すぐ助けてやりたいが、無理なので一旦ここを出る。仲間を連れて必ず戻ってくるから」
「無理するな。こうして、来てくれただけでも充分だよ。私を助けに来てくれた君は勇者だ。君とクラスメイトになれて幸せだったよ」
「ばか野郎……。過去形にするなよ……。『勇者の心得』の一つ。『希望は諦めない心に宿る』と習っただろ。過去じゃなく、未来を見るんだ」
「分かった……」
「必ず、助けに戻ってくるから。待っていてくれ」
ジュークフリードは、シフォンヌに連れられてエアリシアの家まで戻った。
戻ると、エアリシアに全ての情を話して協力を頼んだ。
「頼む! 仲間になってリンドを助け、魔王グロデヒムド退治に力を貸してほしい!」
「分かったわ」
「エアリシア……」
迷わず仲間になってくれたエアリシア。
魔王退治などという恐ろしい事を、この可憐なエルフがなんのためらいもなく決断してくれたことに感激した。
「本当にいいの?」
「ええ。ジュークフリード、あなたを信じているから。私たちエルフは戦闘用の魔法を持っていない。力になれるかどうかは分からないけど、お友達を助けることは手伝えるかもしれない」
「ありがとう!」
エアリシアがフフフとほほ笑んだ。
「何か可笑しい?」
「ううん。ジュークフリードも変わったなあって」
「そう?」
「出会った時は、すごく頼りなかったのにしっかりしたなって思って」
ジュークフリードが変わった理由は、間違いなく職業訓練校勇者コースのお陰だ。
「最初は職業訓練校で勇者になれば、仕事に困らないと思っただけだった。魔王もいないこの世界で、勇者が倒す相手なんてザコモンスターしかいないから、安全な仕事だし。まさか、復活するなんてね」
「魔王が復活して危険な仕事になったとしても、入ったことに後悔はないよ」
ハローワークに行かなければ、ダメな奴のままだったろう。
「ガーゴイルさんにもお願いしてみようか。攻守ともに強力な魔法を使えると思うから」
「ああ。頼んでみよう」
ジュークフリードは、エアリシアと一緒にガーゴイルのところに行った。
ガーゴイルも、快く魔王退治とリンド救出の協力を引き受けてくれた。
「魔王グロデヒムドと戦うことになるかもしれませんけど、本当にいいんですね?」
「構わんで。わしは、もともと魔王の手先から屋敷を守る精霊だわい」
「精霊だったんですか!」
見た目の不気味さから、すっかり悪魔だと思っていた。
「この見た目は、やつらを威嚇するためのもの。わしの心根は清廉潔白そのものだわい」
ハッハッハッと気持ちよく笑った。
「魔王の手先など、心のない木偶ばかり。何にも怖くねえで。魔王の呪力は強力だが、それだって無限じゃねえ」
ガーゴイルは、いろいろ知っていそうだ。
「ガーゴイルさんの知識は頼りになるわね」
エアリシアも、ガーゴイルの参加で重荷が軽くなったような顔になっている。
シフォンヌは日の出まで出てこない。
リンドのところには、朝一で駆けつけることにした。
「明日、シフォンヌに連れて行ってもらおう」
「ええ。ところで、職業訓練校に連絡はいいの?」
「え? 今、そこを心配するの?」
「無断欠席はよくないわ。魔王を倒したら、戻れるようにしておかないと」
エアリシアは、お袋みたいに心配する。
「リンドのことだって、魔王復活のことだって、伝えておかないと」
「分かった。明日の朝、学校に連絡しておく」
「ちゃんと自分の口で説明するのよ」
やっぱり、お袋だとジュークフリードは思った。