宰相閣下は後手に回る
「おまえの機嫌がいいと気味が悪いな。」
緩く波打つハニーブロンドの男は、人の執務室に入ってきたと思ったら開口一番失礼なことを言ってきた。
まあ、否定はしない。アリーの公爵夫人の教育が始まり、彼女は毎日公爵家に通っている。
それ以来、私は夕方前に屋敷に戻って、彼女とお茶を飲みながら、たわいもない話をして、伯爵家のタウンハウスに送っていってまた王宮に戻る生活をしている。
毎日顔を見られるのはとてもうれしいし、何でもないような趣味やちょっとした話題を彼女とするのもとても楽しい。最初は緊張しているようであまり話してくれなかったが、だいぶ慣れてきたようで、最近は自分から話題を振ってくれたり、はじけるような明るい笑顔を見せてくれるようになってきた。
毎日の幸せをかみしめている今、多少仕事中も締まりのない顔をしているかもしれない。しかし、生来表情の変化に乏しいので、そんなにあからさまではないと思う。少なくとも、目の前の幼なじみ以外にはいつもと同じ、無表情に見えるはずだ。
「毎日幸せだからな。あきらめろ。」
そう言うとあからさまにフィルはいやそうな顔をした。
「幸せね~。こっちに大量の仕事を振ってきやがって。おまえの幸せは俺の犠牲の上に成り立っている!」
毎日アリーとの時間を捻出するために、他の文官たちに仕事を振り分けているので、他の人間の仕事量が増えるのは否めない。
「で、文句を言いに来たのか?」
「まあそれもある。後は、これが、半期の王都の経済調査の結果だ。短期的には、装飾品を扱う業界がだいぶ潤っているようだ。王太子妃選抜の効果で、上位貴族の家が娘のためにかなりの支出をしたからな。
あとは、王太子妃が決まったことで、他の貴族たちの縁組みが順調に進んでいるらしく、婚約披露パーティや結婚式のためにかなりの金額が動いているらしい。
このあたりは一時的なものだな。だが、1、2年は結婚ブームだろうから、潤っているうちに公共事業と軍備の増強をしたほうがいいだろう。先日西のほうで大きな河の氾濫があったから、失業者対策もかねて、少しそちらに予算を回そうと思っている。こっちの書類がそれだ。おまえのサインをもらって、殿下のところへ行ってくる。」
「わかった。すぐに確認するから待っていてくれ。」
書類を確認している間、フィルは勝手に使用人を呼んで茶を飲みながら待っていた。
すると突然、ノックと同時に執務室のドアが開いて、先ほど話題に出た、王太子殿下が入ってきた。
いつも落ち着いている彼にしては珍しい。
「殿下、どうされました?お呼びいただければこちらからお伺いいたしますよ。」
王太子殿は大きくため息をつくと、いささか乱暴なくらいの勢いでソファに腰を下ろし、自分でカップに紅茶を入れるとそのまま一気に飲み干した。
「回廊のところで、ドミニク侯爵に捕まったんだよ。娘を連れてきていた。あまりにしつこく話しかけられるから、ロブウェルのところに行く途中だと言って振り切ってきたんだよ。」
「それはそれは…」
「すまない。エリザベートとの婚約が決まってから、自分の娘をねじ込もうとする貴族がちらほらいたんだが、ドミニク侯爵は最近かなりの頻度で行きあうんだ。偶然を装って、捕まるとなかなか離してもらえなくてね。」
もう一度、大きくため息をつく。
ドミニク侯爵はかなりの野心家だから、外戚のチャンスを諦めきれないのだろう。
その上、財務系の重鎮なのであまりむげにもできない。娘は確か、この前の選考会に出ていなかった。殿下より年上だったので、人数の関係もあり、今回の選考から外したのだ。グラマラスな美女だと名高い女だったと思う。
娘がデビューしてしばらく、私も夜会のたびにつきまとわれて困ったものだ。
「そうでしたか。それは大変でございましたね。」
フィルも同情的だ。
「何というか、猛禽類のような目で迫ってこられると自分が野狐にでもなった気分になるよ。」
苦笑いをしているが、相当大変だったのだろう。いつもの覇気が感じられない。
気の毒になったので、少し話題を変えてやることにした。
「ところで、今日はアレクサンドラがエリザベート嬢と会うのを楽しみにしておりました。」
「ああ。私も聴いているよ。選考会で仲良くなった令嬢たちとの茶会だとうれしそうに話してくれた。アレクサンドラ嬢だったのか。」
「ええ。今頃話に花を咲かせているところでしょう。」
アリーも楽しみにしていると(母上から)聞いていたので、ドレスや装飾品を贈っておいた。今日は会えないのは残念だが、女性同士積もる話もあるだろうし、エリザベート嬢もオリヴィア嬢も将来にわたって交流を持っておいて損はない。
エリザベート嬢は次期王太子妃だし、オリヴィア嬢の実家は近年急速に経済的な力をつけてきた伯爵家だし、オリヴィア嬢自身も社交界の若い女性たちに抜群の発信力がある(主に噂という意味でだが)。会えないのは心の底から残念だ。
そうして、ドミニク侯爵が諦めるであろう頃まで、執務室で話をしていた。
「宰相閣下!緊急連絡であります!」
ノックと同時に近衛兵が飛び込んできた。
殿下に気づくと礼をとったが、すぐに報告を始める。
「殿下もおいででしたか。殿下には別の伝令が行っておりますが、こちらでご報告いたします。
スヴェルドロフスク侯爵家において、茶会に来ていたご令嬢が3人服毒いたしました。ただいま侯爵家において治療を行っておりますが、神経系の毒が用いられたようです。」
室内に緊張が走る。
「毒だと!?容態は!!」
「はっ!毒の詳細がまだ判明しておりませんので、毒を判別してからの治療となるそうです。現在まだ全員意識が戻っておりません。幸い、医療知識のある侍女が侯爵家にいたため、すぐに毒物と思われる紅茶をはき出させたそうです!」
目の前が真っ暗になる。毒だと!?
「それと…大変申し上げにくいのですが…。」
ちらりと近衛兵は私に視線を向ける。
「毒物が混入されたのは、アルヴィ伯爵家のアレクサンドラ様がお持ちになった紅茶だそうで、アルヴィ伯爵令嬢の指示で侍女が毒入りの紅茶を混入したと申し出たそうです。」
「何だと!!」
大きく机をたたいた。アリーが毒物を入れただと!?
「侍女によると、次期王太子妃であるスヴェルドロフスク侯爵令嬢をねたみ、侯爵令嬢を害した後、自分が次の王太子妃になるためだと言っていたそうです。ですが、自分が疑われないためにとアルヴィ伯爵令嬢も服毒したとのことで、本人も意識不明のため、証言がとれません。」
「ふざけるな!!!!」
今度こそ耐えきれず、右手で書類の山をなぎ倒した。