宰相閣下はせっせと囲いを作る
宰相閣下は事故物件男子のようです。
王太子の婚約者選定が陛下に許可されてから半年ほどたった。あらゆる準備を行い、とうとう茶会の当日になった。
長かった。
やっとアリーを迎えに行くことができると、万全の体制を整えるべく、自分で言うのもなんだが、馬車馬のように働いた。結婚が決まった暁には、まとめて休暇を取ろう。
流石に朝から王宮内も忙しなく使用人たちが行き来している。普段はあまり人の気配を感じる場所ではないが、国を挙げての殿下の婚約者選定だから当たり前かもしれない。
兄上が亡くなって伯爵家が困窮してから、私も後継教育や学園が忙しく、社交デビューしてしまっては、呼ばれてもいないのに1人で伯爵家に行くこともできなかった。
それでも元気なアリーの姿を見たくて、伯爵家にいるセドリックに調整させ、街に出る彼女を遠目に見に行った。遠目に見ても、少女から女性へと変化し、美しくなる。欲を言うならもっと近くで見ていたかった。いくら経済状況が厳しくても、貴族との縁欲しさに金持ちから結婚を持ち込まれるかもしれない。持参金は要らないからと年寄りの後妻に請われるかもしれない。そんなことはさせないが。
困窮していると言っても伯爵家自体は借金まみれと言うわけでもなく、資産が全くないわけでもない。何の瑕疵もない彼女には、どんなところから縁談が舞い込むとも限らず、セドリックにはよく目を光らせるよう言い含めておいた。そのためにとても優秀なセドリックを伯爵家に行かせたのだから。
特にここ3年ほどは、気が気ではなかった。
この1年は流石に忙しく、彼女の姿を見に忍びに行くこともできなかった。きっと前回見た時よりも更に魅力的になっているに違いない。何としても彼女の社交デビュー前に婚約まで取り付けなければ。
この選定が終われば彼女を次期公爵夫人として紹介すべく、次の社交デビューのパーティーに参加できるよう準備も並行して進めている。婚約さえしてしまえば公爵家主導でデビューさせ、母上に公爵夫人としての最終教育をしていただき、晴れて夫婦となる。
これはもう、私の決定事項だ。
父上を納得させた。母上は知っていたから、「あまり長くかかってはダメよ。公爵家の跡取りを早く作らなければならないのだからね。」と、協力してくれている。
あぁ、これが終わったら結婚式の準備も始めよう。
「お前さぁ、悪魔みたいな顔してるぞ?」
ノックとともに扉が開いて、フィルが入ってきた。
「ほらこれ、最終チェックしてくれ。あと顔、邪悪な顔してるぞ。これからアリーちゃんと会うんだろう?」
書類を差し出しながら、呆れたような顔で言ってくる。邪悪なわけないだろう。アリーとのこれからを考えているんだから。
しかし、気のおけない昔馴染みには、日頃動かさない表情筋を見なくても、わずかな違いがわかるのだろう。
「私の顔はいつも通りだ。」
「そーかい。どーせアリーちゃんとのあれやこれやを考えてニヤニヤしてたんだろう。これが終われば一段落するんだから、ゆっくり口説き落とせばいいだろうが。」
「これが終わっても忙しいに決まっている。アリーの社交デビューの準備と婚約、結婚式についても動き始めるんだから。」
フィルは半目で腕を組んだ。
「はぁ?デビューの準備お前がやるの?結婚式って、まだ付き合ってもいないのにか?」
「当たり前だ。殿下の結婚式まであと2年ほどなのだから、その前にこちらは式を挙げなければ。あまり式の時期を近づける訳には行かないから、一刻でも早く結婚式を挙げるんだ。」
「殿下の後に…ってそれは無理か。そんな目で睨むなよ。」
ため息混じりに言われた。
「とりあえず、まずは今日の茶会だな。マナーチェックの人員はもう会場に入ってる。見た目や仕草を厳しく見るよう指示してある。
あと、不穏な会話や逸脱した他者への妨害を行う令嬢を弾くように言ってある。さっき渡したのが、詳細なご令嬢たちとその実家の調査結果だ。そこに載っているご令嬢たちは、本人や実家の資質に疑問ありで、今回の茶会で落ちることになってる。」
「わかった。確認しておく。」
しばらく仕事の話をしていると、そろそろ入場を、と使用人が呼びにきた。
あぁ。どんなに美しくなっているか。早く彼女の顔が見たい。
思った通り、アリーは年頃になり花開いたような美しさだった。ほっそりとした銀色のドレスに身を包み、たおやかな仕草でお茶を飲んでいる。背中が開き過ぎず、しかし大人っぽさを演出している。
これは私の髪の色に合わせたのか。よくやった。ライラとセドリックには特別手当を出そう。
説明しながらアリーを見ると、彼女と目が合った。
あの頃と同じ、大きな蒼い瞳がこちらをじっと見ている。
あぁ、もっと近くでよく顔を見せて。そんな目で男を見たらダメだよ?
後ろを通りかかったフィルに小突かれた。
茶会を終え、令嬢たちの評価をまとめた調査書を、両陛下と殿下にお渡しした。次は王妃様主催の茶会の準備だ。
やることは無限にある。しかし、一歩一歩彼女に近づいている実感があって、とても楽しみだ。
王妃様主催の茶会の日になった。今日は殿下も参加することになり、王妃様や殿下の意見も反映させていくことになる。
「ロブウェルの想い人も来るのだろう?」
どこから聞いたのか、殿下に声を掛けられた。どこからというか、十中八九フィルだな。
「私のことはお気になさらず、殿下はご自分のことをお考えください。」
「いやいや、参考までに色々聞かせてもらいたいな。」
「私と彼女は運命なのですよ。」
そう言うと、殿下は目を見開いた。
さて。そろそろ殿下たちが呼ばれる頃だな。
アリーは私のことは覚えていないかもしれない。まだ幼かったし、ディミトリアスという名前を覚えられなかったようだから、私とミツォが結びつかないかもしれない。それでも、たとえ覚えていなかったとしても、きっと私は何度でも彼女に恋をする。そして彼女と結婚する。
殿下と話し終えて、一息ついた彼女に声を掛けた。
少し驚いていたようだったが、レディとしての会話は完璧だった。覚えていてくれないかとわずかな希望をもっていたが、完全に初対面の対応だった。残念だったが、最初から始めるのもいいかもしれない。警戒されないように、むしろ好印象を持ってもらうべく、なるべく爽やかに見えるような表情を心掛けた。
昔と変わらない、空と海との境目のような色の瞳、触りたくなる赤銅色の髪、真っ白な肌に少しだけ赤みのさした頰、唇はふっくらとしている。キスしたらとても柔らかそうだ、なんて不埒なことを考える。
「お前、笑顔の機能がついてたんだな。」
「失礼な奴だな。アリー専用だ。」
「必死すぎだろ…。」
呆れ顔のフィルが小声で言ってきた。
話題を変えるべく、仕事の話をした。
「ところで、殿下たちのご意見は?」
「あ?あぁ。エリザベート嬢とイライザ嬢とは気が合ったというのは言っていたな。あと、王妃様たちの意見を取り入れつつ、10人ほどに絞る。後で報告を持っていく。」
さて。舞台は整った。あとはダンスパーティーで正式な婚約者さえ決まれば、私の好きにしていいだろう。殿下をアリーと踊らせるのは腹が立つが、アリーのためには仕方ない。デビューの時は私がエスコートするからと自分に言い聞かせる。
フィル「さっさと伯爵家に乗り込んでプロポーズしたほうが早いのでは」