92記録魔道具がレベルアップしちゃった
宰相派の乱入も警戒されていた、コリアンダー副隊長とラベンダーさんの結婚式が明けてから一週間。私は嵐の前の静けさのようで何だか気味悪く感じながらも、すっかり日常の生活に戻っている。
変わったのは、コリアンダー副隊長の雰囲気かな。もちろん、結婚したからというのもある。でもそれ以上に、ラベンダーさんと結婚することで、彼自身がクレソンさんと仲の良い貴族達など、親王派の有力者から認められたことが大きいようだ。
今までは、宰相の実の息子ということで、いくら第八騎士団第六部隊という国で最も危険な部隊に所属し、心身削って王家と城を守ってきたとは言え、裏では宰相派のスパイなのではないかと疑いの目を向けられることもあったのだ。
でも、二人の結婚式にはマリ姫様までが駆けつけ、コリアンダー副隊長は改めて皆の前で姫様に忠誠を誓った。そして、姫様がコリアンダー副隊長にあなたを信頼して私の大切なラベンダーを託しますなぁんて言うものだから、ラベンダーさんは感激しすぎて泣き崩れるし、コリアンダー副隊長の株は急上昇して大穴を射止め損ねた未婚の女性達がハンカチを歯噛みする程悔しがったり、大変だったのだ。
さて、本日は第八騎士団第六部隊隊長室の近くにある部屋にいる。この部屋は魔道具作りもできるぐらい頑丈な作りなのだ。つまり、失敗して何かが爆発しても、建物が損傷しにくいっていうことね。え、中の人? うーん、皆さん危ない実験はできるだけ控えましょう。
「コリアンダー副隊長、これですか?」
「エース副団長、コリアンダーでいい」
「私のこともエースって呼んでくれたら検討します」
あくまで検討するだけね。たぶんこれからもコリアンダー副隊長って呼ぶよ、私は。
その時、私の手の中のネズミがくるりと体の向きを変えた。しなやかな毛並み。これはただのネズミではない。姿形色は日本にいた時に本で見たのと同じような小型の齧歯類なのだけれど、こちらのネズミは額に角が生えていて、分類は魔物なのだ。でも、こうして手の上に乗せても支障がないぐらい性格は大人しく、大変人間に懐きやすい。そんな彼らは、角に特殊な文様を刻まれ、魔道具の一種として世の中で活躍している。その名も、記録ネズミだ。
この国では、主に会議の書記役として、あるいは諜報活動の盗聴道具として使われている。私とコリアンダー副隊長がこのネズミに目をつけたのは、もちろん後者として役立てるためだ。
クレソンさんが初めた孤児を中心とした組織は大きくなり、今ではかなりの人数になっている。表向きは和食の振興活動をしているのだけれど、裏では諜報員の顔を持っているのね。彼らはいろんな職業に扮して国中に散らばっているのだれど、やはり闇取引や地位の高い人の屋敷に滑り込むことはなかなか困難。そこで登場するのが、こういったネズミというわけ。
初めて見た、いや、聞いた時には驚いたものだ。見た目はいかにも可愛らしい声でチュウチュウとか鳴きそうなものなのに、出てきた音は人間の声。どんな仕組みでそれが発生されているのかは未だに解明されていないそうなのだけれど、老若男女誰の声であっても、一度覚えた声や言葉は再現することができるらしい。
でも、これはあくまで一般的な記録ネズミの特徴。今、私の手の上にいるこの子は、ちょっと違うのだ。
まず、記録ネズミが記憶できる量というのは限られている。せいぜい一人の人が話す言葉を数分間が精一杯だ。ま、これでも画期的なんだけどね。一方この子は、複数人の話し合いを最大一時間以上も記憶することができるのだ。なぜ、こんなにも飛躍的に性能アップしてるかって? ふふふ。そこに私とコリアンダー副隊長のアイデアと工夫が詰まっているんだよ。
「コリアンダー副隊長、守りの石、新しいの渡しておきますね」
「すまない」
「謝らないでください。もし、私との研究で守りの石を使ってしまったばかりに、副隊長の身に何かがあれば、私はラベンダーさんに殺されてしまいます」
これ、冗談抜きにありえるからね。
私は押し付けるように、コリアンダー副隊長の手に新しい守りの石を押し込んだ。
実はこの守りの石、結界の結晶のようなものなので、記憶媒体になるようなのだ。パソコンのメモリみたいなものだね。
当初コリアンダー副隊長が、ちょっとした出来心で通常の記録ネズミの角に、守りの石を括り付けて実験してみたらしい。すると、守りの石がいつもよりも白く輝いて、ネズミの記憶を補佐するような役割を果たしたらしい。
そこで、やはり記録ネズミの記憶容量は角の大きさや質に依存するということを突き詰め、最終的には記録ネズミの角を私の結界で守る……というか、守りの石と同じ成分で角をコーティングすることで、成功したのだった。
だけど、記録ネズミは自分の体に常に別の物がくっついているのは不快らしい。そこでコリアンダー副隊長が普通の魔道具を作る際の知識を駆使して、ネズミの角と私の魔術ができるだけナチュラルに馴染むように手を尽くしてくれた。それが完成したのが本日なのだ。
「コリアンダー副隊長、どうもありがとうございます。これできっとクレソンさんの仕事も捗ります」
「役に立てて良かった」
そこへ、廊下の方から別の人の声がかかる。
「何遊んでるの? ネズミが好きだなんて、あなたも田舎者なのね」
私は、クレソンさんの婚約者だし、コリアンダー副隊長は既婚者になってしまったので、男女二人きりになるわけにもいかないので、扉は開けっ放しにしてあったのだ。
「サフランさん! 久しぶり。王城には慣れた?」
サフランさんは、トレードマークのツインテールはそのままに、城内の侍女さんの制服を纏っている。一時は、私がお母さんの娘というこので尊敬の眼差しを向けてくれていた彼女だが、今ではすっかり口の悪さが戻ってしまっている。たぶん、嫌われてるのではなくて、サフランさんって元々こういうタイプなんじゃないかな。
「それ、真面目に聞いてる?」
「え?」
「え、じゃないよ! 何なの、あの年増メイドは。朝から晩まで侍女とはこうあるべきだとか、そんなお作法では生きていけませんとか!」
私は、あの夜ワラベ村の王妃様専用隠し部屋に入った時、サフランさんからお茶などを給仕してもらったことを思い返す。
「サフランさん、十分上品な振る舞いができてると思うのにな」
「でしょ?! 王妃様もこれでいいっておっしゃってるのに、あのババァと来たら!」
うん、分かってるよ。サフランさんはラベンダーさんのことがストレスなのね。確かに仕事の愚痴ってあまりたくさん溜めるのは良くないし、まだ城内で気の許せる友達がいない彼女が吐き出す場所が私ぐらいしかいないのも理解できる。でもね、今はタイミングが悪すぎるよ。
だって、コリアンダー副隊長はラベンダーさんの旦那様なんだもん!
私は怖いもの見たさで、副隊長の方へ視線だけを動かしてみる。あぁ、手遅れでした。本格的な戦闘経験の無いサフランさんには感じられていないみたいだけど、この人、完全に殺気放ってるよ!
「えーっと、ラベンダーさんも早くサフランさんが一人前になれるようにって手を尽くしてくれてるんですし、王城はマナーが厳しいのは仕方ないです! どうしてもむしゃくしゃが収まらないなら、今度私と一緒に城下へ降りて、美味しいものでも食べにいきましょう!」
「え、いいの?! ほんとに?」
何この子、急に態度変えちゃって可愛いー!
「どうせ、王都に着いてから城以外のどこにも行ってないんでしょ?」
「うん」
サフランさんは項垂れる。ツインテールまで元気がなさそうに萎れて見えた。
「じゃ、決まり! 次の私の休みの日に、アンゼリカさんやミントさんも誘って甘いもの食べに行こうよ」
「甘いものって、果物とか?」
「ふふっ、これだから田舎者は」
へへっ。言い返してやったぜ。
「王都にはね、生の果物だけでなく、いろんなお菓子があるんだから! 私も異世界のレシピたくさん知ってるから、いろいろ作れるんだよ」
「門衛としてもすごくて、彼氏持ちで、料理もできる……くっ。完敗か」
サフランさん、敗北宣言。あ、あの、そういうのを言わせたかったんじゃなくてね! 実を言うと、私は女の子の友達が少ないのだ。どうしても職場は男の人ばかりだしね。だから、単純にサフランさんとも仲良くなりたいだけ。早くそれが伝わるといいな。
すると、サフランさんが、すっと真剣な表情に変わる。何事かと思って見守っていると、彼女はコリアンダー副隊長に向き直った。
「いつも奥様にはお世話になっております。不出来な新人でご迷惑をおかけしておりますが、これからも精進しますので今後ともよろしくお願いいたします」
サフランさんは、ペコリと頭を下げた。うん、まだ侍女の礼としては未熟かも。
「それと」
「何だ?」
やっとコリアンダー副隊長がまともに反応する。
「ネズミの角を大きくしたいのであれば、方法があります。まずは、食事の回数を増やすこと。分量は同じでいいのですが、分けて食べさせるのですね。それと、お肉を多めに与えてください。さらに、音楽を聞かせたり、頻繁に角に触れたりすると、それが刺激となって角は伸びるようです。私が村にいた時にやっていたことなので、これは確かです。それでは!」
サフランさんは一気にまくしたてると、顔を赤くして部屋から出ていってしまった。
「コリアンダー副隊長」
「あの侍女、名前はサフランと言ったか」
「はい」
「なかなかの知見だな。研究にも向いているのかもしれない」
「はぁ」
「妻には、もう少し優しくするよう伝えておこう」
「ありがとうございます?」
流れでお礼言っちゃったけど、私が言うのはちょっと間違えてるような。ねぇ、サフランさん。なぜかコリアンダー副隊長に気に入られたみたいだよ。良かったね。
さて、私もそろそろ北門に戻ろうかな。そう思っていたら、突然目の前が眩しくなった。何? あ、魔術の手紙だ。
私は何とか地面に取り落とさずに手紙を受け取る。すぐに開いてみた。あ、クレソンさんの筆跡。
「え、北の森に人間の言葉を話す魔物出現?!」
つまり、相当高等な知能を持っているっていうことだろうか。
「どうした?」
「コリアンダー副隊長、女子会どころじゃなくなってしまいました。魔物が、『強い人間』の生贄を要求しているらしいんです」
クレソンさんから届いた紙は、騎士としての出動要請だったのだ。






