86サインしちゃった
その後、地下室から出てみると村人Bさんがやってきて、お父さんが目覚めたことを知らせてくれた。じゃ、早速お見舞いに行かなくちゃ!ということでやってきたのは、我が両親の家。さすが日本人らしく、玄関で靴を脱ぐスタイルになっている。さすがに畳の製造までは手が回っていないらしく、お父さんは普通の木のベッドに横になっていた。すっかり元気になって良かった!
一緒に駆けつけたお母さんは、王妃様が城へ戻ることになったことなどを掻い摘んでお父さんに話してくれる。お父さんは難しい顔をしていた。
「寿子。お前、城に行きたいだろう?」
「そうね、王妃様心配だし、姫乃がこれまでお世話になってきた方々にご挨拶とお礼もしておきたいし。あなたも一緒に行きましょうよ」
「僕も行きたい。だけど、そうすればこの村が見捨てられたように感じられるかもしれないぞ」
お母さんと私は、同時に「あっ」と言った。そう言えば、その通りだ。この村は王妃様とお父さんとお母さん、この三人で生まれ変わったように豊かになり、魔物からの脅威に晒されにくくなった。そして、この三人が村人の皆さんの心の拠り所にもなっていたのだ。なのに、三人がいきなりいなくなるというのは……。
お父さんは、さらにいろんなことを考えているようだ
「王妃様はこの村を守るとおっしゃっているらしいが、これまで雲隠れしていた他国出身の彼女にどれだけの権力があるかは残っているかは分からない。彼女自身は蔑ろにされなくても、この村はどんな処遇になることか」
「じゃぁ、お父さん。どうしたらいいの?」
「だから僕が残ると言っているんた。もしこの村に何かあっても、お父さんがいたら姫乃はそれを助けに来てくれるだろう? つまり、村を助ける口実ときっかけができる。この村を守ることは、王妃様の心を守ることにもなるだろう」
なるほど。私には思いつかなかったことだ。
「それに僕達夫婦は、この村に辿り着いたからこそ、今こうして元気に生きていられるんだ。この恩はまたまだ返せていない。用が済んだから王都に移りますなんて、そんな薄情なことをお父さんはしたくないな」
「そうだね。せっかく再会できたのに寂しいけど……」
「姫乃!」
私はお父さんに抱きついた。こんなの、いつぶりだろう? 私は中学生ぐらいからお父さんとくっついたりすることがなくなっていた気がする。だって、お年頃だったんだもの。でも今は特別。お父さんがここにいるって、伝わってくる体温でやっと実感がもてた気がした。
「姫乃、寿子。落ち着いたら家族三人集まって鍋でもやろう。肉は残念ながら得体のしれない魔物の肉だが、なかなかいける。それを楽しみにがんばろうな!」
たぶん、ここに残ることを提案したお父さん自身が、一番辛い気持ちになっているんだろうな。それが分かってしまって、私はちょっぴり泣きそうになった。
◇
城への帰還は、王妃様のお心が変わらないうちにということで、早速準備が進み、翌日の昼には全員が荷物をまとめて出揃っていた。
「ここから王都までは遠いわね」
王妃様が軽く額に手を当てて、ため息をついた。確かに、ここからは気が遠くなりそうな程離れている。しかも、この村の周囲は危険な魔物の森だ。でもね、良いものがあるんだよ!
ということで、私達は行きと同じく味噌の村までは空中散歩を楽しむことになった。私の結界で空に皆が浮かび上がる。お父さんやソレルさん、村長さん、村人の皆さんに手を振ると、私は白の魔術を強化してスピードを上げる。見る間に眼下の人々が米粒ぐらいに小さくなり、少しずつ村が遠くなっていった。ちなみに、皆の荷物は圧縮してキューブ状にし、私が大切に預かっています。ほんとこれ便利。
空の旅。これは、さすがの王妃様もロイヤルとは言え初体験だ。少女のようにキャッキャと嬉しそうにお母さんと騒いでいる。高所恐怖症のステビアさんはごめんね。またアンゼリカさんと手を繋ぐ良いきっかけができたと思って我慢してちょうだい。
そして村から離れてしばらく経った時、私はとても大切なことを思い出した。
「王妃様!」
「あら、なあに?」
王妃様とは、少し親しくなれた気がする。白の魔術もお気に召したようだしね。
「これを、お返しします」
私は、旅の間もずっと服の中に隠していた胸元のペンダントを外した。白の守りの石。王妃の証である。
「それは」
一瞬王妃様の笑顔が歪む。でも、そっと瞳を閉じて再びこちらを見つめてくれた時には、静かな決意が彼女の中に見ることができた。
「あなたが持っていてくれたのね」
「カモミール様からお預かりしていました。でも、やはりこれを持つに相応しいのは王妃様です」
「本当に、相応しいかしら」
もう、王妃様ったら。今更村に戻りたいなんて言っても、私は引き返さないからね! 私は王妃様が滅多なことを考えないように、一生懸命説明した。
「本当です。あれだけの村人から好かれて、こうして王都からの皆からも慕われて、あなたが王妃じゃなかったら誰が王妃になるというのですか。ただ王妃だからでなく、人間らしく、人の心の痛みも分かり、魅力に満ち溢れたあなただからこそ、皆が探して迎えに来たんですよ」
私が言葉に力を込めすぎたせいか、王妃様は若干きょとんっとしている。でも、王妃様の向こうにいるマジョラム団長とクレソンさんは、親指を立てんばかりの笑顔なので、これで正解だったんじゃないかな。
「エース、本当にありがとう」
「いえ、私は何も」
味噌村(仮)に着いたら、もう空は暗くなりかけていた。今回もここで一泊だね。と、その前に! まずは王都へ向けて、王妃様帰還の先触れを出す手配をしなくっちゃ。こういう時、日本みたいに電話とかメールが無いから大変だわ。こういう時に正攻法で行くならば、味噌村にいる馬が得意な人に手紙を託して城へ届けてもらうことになる。だけど、これじゃぁ手紙がちゃんと届くか若干不安だし、けっこう時間がかかるのよね。そこで、私は第二の手を使うことにした。
◇
カランコロンとドアベルが鳴る。私がやってきたのは冒険者ギルドだ。田舎の支部だけれど、村の規模のわりに立派な建物だ。この辺りには狩ると良い稼ぎになる魔物がたくさんいるのかもしれない。
扉を開けて先頭を切って入っていく私には、お決まりの視線が投げかけられていた。「お前誰だ? 遊んでやろうか?」という洗礼の類である。でも男所帯の騎士団で目つきの悪い方々とも一緒にお仕事をしている私には、そんなもの毛ほども怖くない。ビクビクして中に入れなかった異世界初日のことなんて、もう嘘みたいだ。
私は、真っ直ぐに受付カウンターへ向かう。私に次いで入ってきた面々のオーラと体格が立派すぎたのか、すぐにギルド内の冒険者達の冷やかしは無くなってしまった。ちょっとつまんない。
さて、ここからは交渉だよ!
「あの、王都から旅をしているエースと申します」
「お疲れ様です。冒険者ギルドのカードを出してください」
「すみません、冒険者ではないのでカードは無いのですが、これを見ていただけますか?」
まぁ、こういう流れになるとは思っていたよ。異世界人の十八番、冒険者無双の夢は、転移初日に砕け散ってしまったので、カードすら持っていない私です。
私は急いでコートの内側で白魔術を展開し、キューブ状の圧縮荷物の中から目的のものを取り出した。どうかな? 効き目があると良いのだけれど。
「魔術書、ですか?」
受付のおねーさんは、予想外だったらしく驚いている。
「かしこまりました。ご依頼ですね」
「はい。依頼で間違いはないのですが、この本の著者の方に伝言をお願いしたいのです」
私は魔術書の最後のページを開いた。そこには、ミントさんの走り書きと、冒険者ギルド本部ギルドマスターの印が押されている。この世界のハンコは魔術とミックスされているのか、薄い緑にキラキラ光り輝いていた。
てか、ミントさん。こんなところにギルドマスターの印とか押しちゃったら、すぐに私に正体バレちゃうよ? ま、結局この走り書きの存在に気づいたのはつい最近だし、いずれ教えてくれるつもりだったみたいだから気にしないけどさ。
「何々……え、本部のギルドマスター?! しかも、あなたはかの有名なエース様!!」
おねーさん、大興奮です。
「エース様、改めまして、ようこそ冒険者ギルドへ! ミント様より、エース様が冒険者ギルドに立ち寄られた際は全面的に協力するよう、既に全支部へ指示がくだっております」
ミントさん、すげぇ。出発前時間が合わなくて会えなかったから、行き先と目的だけ書いた手紙を出しておいたのだけれど、ここまで手を回してくれているのは。さすが頼りになる!
「ありがとうございます。それでは、急ぎで王城にいる第八騎士団第六部隊所属のラムズイヤーさん宛に、この手紙を届けていただけませんでしょうか」
「かしこまりました。この手紙自体を城へお届けするとなると、エース様と到着がほぼ同じになってしまいます。そこでご提案なのですが、中身は冒険者ギルドが責任を持って秘匿いたしますので、ギルド通信をご利用になってはいかがでしょうか?」
「ギルド通信?」
おねーさんは、ノリノリで教えてくれた。ギルド通信とは、ミントさんが整備したギルド内の緊急連絡網らしい。基本はコリアンダー副隊長がよく使っているように、手紙を魔術で運ぶらしい。でもこの魔術は有効範囲がかなり狭いのが玉に瑕。そこで、ギルドは国中の至るところに協力者を配置して、最短距離で手紙を魔術を連続行使し、目的地まですごく短い時間で手紙を届けることができるらしい。
「私、ギルドと何も関係ないのにいいんですか?」
「ミント様が良いと言えば良いのです」
ミントさんの支配力の強さがヤバい。こんな特別なシステムを裏口で使ってしまうのは、ちょっと腰が引けるようなところもあるけれど、今回は王妃様絡みの緊急事態だからありがたく使わせてもらおう。
「ではよろしくお願いします」
「お任せください!」
おねーさんは、やはり事務処理の作成も必要らしく、依頼者と依頼内容の書類をすっごいスピードで作り上げていく。
「では、最後にここへサインをお願いします!」
「これ、依頼のサインじゃないよね」
「同じようなものです!」
そう言って差し出されたのは、明らかにサイン色紙。さっきの私、大物になったのかな。ちょっと遠い目になる。
「あの、書類にもサインした方がいいですよね?」
「あ、そんなの後でいいので早くここへ。ギルドに飾りたいのですけど、個人的にも欲しいのでもう一枚いいですか?」
色紙、もう一枚出てきたよ。さて、今からサインを考えるぞ! もうやけくそ。






