39落ちちゃった
宰相からの返事は、予想通り翌日のことだった。マリ姫様たっての希望なので仕方なく許可するとのこと。オレガノ隊長は勝ち誇った顔をしていたし、他の隊員の皆さんも大喜びだ。もしかしてマリ姫様から頼めば、何でも言うとおりなるんじゃない? と思ったけれど、さすがにそれは無理だよね。マリ姫様も、二度と勝手に外出しないようにと宰相から叱られたらしいし。
というわけで私は、日中北門のお仕事をがんばりつつ、夜は式典に向けた準備に勤しんでいた。北門から入ってくるのは先輩方の顔なじみばかりだし、怖そうな人も今のところ来ていないので結構楽ちん。だから、入城記念と称しておにぎりを配りまくり、お城から白米文化を広げてみようかしらと考える余裕すらある。でも先に式典を成功させてからだよね。
陽が落ちると、私は差し入れのクッキーを持って城の庭へ向かう。先輩方の練習はなかなか捗っているようで一安心だ。コリアンダー副隊長曰く、「魔術をこんな使い方するのは前代未聞」だそうなので、初めはうまくいくか心配していたけれど、今では当日が楽しみでならない。
後は、私が城の結界を調整するだけだ。北門の近くにある塔に登って、慎重に城壁の屋根の上に飛び移る。すると、結界を直接手で触ることができる。指でつつこうとすると、指は通り抜けてしまった。でも、確かにそこには何かがある。改めて、この世界のファンタジックさを実感してワクワクしてしまった。
「エース大丈夫?」
夜勤中なのに、クレソンさんが様子を見に来てくれた。シフトがバラバラになると、どうしてもゆっくりと話す時間もとれないので、思いがけず顔を見れるとほっこりしてしまう。
「はい。今から結界を調整して、できるだけ透明にしてみますね」
「できるの?」
「はい。クレソンさんは私の結界に包まれていますけど、白く光ったりはしていないでしょ? 今の私なら、城の結界も無色透明にできると思うんです」
「そういえばそうだね。でも急に見えなくなると、結界が消滅したと皆が勘違いして大騒ぎになるかもしれない。今から僕が知らせてくるから、ちょっと待っててくれる?」
「あ、ありがとうございます」
さすがクレソンさん。マイペースな私とは全然違うなぁ。
クレソンさんはそれからすぐに帰ってきて、早速隊長から全隊員と全騎士団団長に連絡されることになったと知らせてくれた。あ、それなら私はマリ姫様のお耳にも入れておかないと!
『マリ姫様、今いい?』
『あ、姫乃? 今湯浴みが終わってこれから寝るところなんだけど』
『あ、すぐに終わるから、ちょっと聞いて?』
『いいよ』
『今から、城の結界を無色透明にするね。だから、急に無くなったって驚かないでね?』
『おう、わかったよ。にしても姫乃?』
『なあに?』
『お前、こっち来てからの方が毎日楽しそうだな』
『そうかな?』
確かに毎日新しい発見があるし、門衛の仕事もいろんな人と出会えるから面白い。宰相という悪者や、魔物という凶悪な存在もあるけれど、今のところ平和に暮らすことができているし、毎日が刺激的だ。
日本にいた時は、高校生っていう型にはまった生活で、勉強も面倒くさかったし、女子の間では人間関係も複雑だったし、片思いの幼馴染にはなかなか告白もできないしでモヤモヤしていたかも。そう考えると、異世界転移してきて本当に良かったな。たぶん私は、ここでの暮らしが合っているもの。
マリ姫様は、クスクス笑った。でも、その後にふと重い沈黙が降りる。
『なぁ、姫乃』
『ん?』
『お前、クレソンのこと好きか?』
『え、どうしたの、急に』
『好きになって、いいんだぞ』
その後は、どちらからともなく脳内通信が切れた。
マリ姫様、どうしてあんなこと言ったんだろう。てか、いつの間にか私、衛介のことをマリ姫様としか呼ばなくなっている。私の知っている衛介がどんどん消えていく。それは、広げた掌から零れ落ちる水のように、もう取り返しのつかない喪失感。
でも、それもそうか。元々マリ姫様は、私みたいに転移してきたわけじゃない。この世界に赤ちゃんとして生まれ落ちて、ゼロ歳からきちんと姫としての人生を歩み続けてきたのだ。そう、衛介とは別の人として、別の人生を、女の子として歩んでいる。
涙で視界が滲んだ瞬間、ふと肩のあたりが暖かくなる。驚いて振り返ると、クレソンさんが私を毛布越しに抱きしめてくれた。
「大丈夫、大丈夫」
あやされる幼子の気分になった。
クレソンさんに手を引かれて、城壁の上から塔へ戻る。塔の中には誰もいなくて、窓から月明かりだけが降り注いでいる静かな空間が広がっている。
「クレソンさん、私もう大丈夫です」
「そんな泣き顔で言われても」
クレソンさんはもう一度私をギュッとした。でも、それがふいに止まったので、私は何気なく彼を見上げる。すると、躊躇いのないキスが降りてきた。貝合せの貝のようにぴったりと重なり合う。
「駄目です、こんな外で。誰かに見られたら」
「僕達はもう噂になってるんだから、今更気にしないよ。それとも、部屋ならいいの?」
「いや、そういうわけじゃなくて」
「こういう時に、どうすればエースを慰められるのか分からないんだ。どこまで触れていいのか、どこまでならば嫌われないのか。やっぱり僕はエースに慕われるんじゃなくて、好きになってもらいたい」
クレソンさんは西部の街でのこと、やはり違和感を感じていたらしい。私はあんな大勢の前で、しかも男装した上での告白ということもあったけれど、まだ衛介への気持ちに踏ん切りがついていなかったので、あんな言い回しをしてしまったのだ。
だけど、今なら分かる。
あれは無駄な足掻きだった。
私は既に、クレソンさんに落ちている。
この世界の居場所を与えてくれたのはオレガノ隊長だったけれど、ここでの生活が快適になるようにとりなしてくれたのは、全部クレソンさんだ。出会ったその瞬間から、私を慈しむように大切にしてくれた。これで恋に落ちるなと言う方が無理だと思う。
もちろん私の中には長年、衛介という存在がいたけれど、彼とはずっと幼馴染のままだったもの。彼程の人なら、私の気持ちなんてとっくの昔に気づいていたはず。でも、それに気づかないフリして、いつも親切にしてくれるのは、正直言って辛かった。
そして、あの日。衛介が亡くなった日、ようやく私は、とっくの昔に失恋していたことを知ったのだ。いくら好きでも、仲良くなっても、やはり超えられない壁というものがあって。恋愛は一人でするものじゃない。相手がいることだ。私がいくらがんばっても、追いかけても、衛介とのご縁はこうなる定めだったのかもしれない。
じゃぁ、衛介は、誰を見ていたんだろう。本当に好きだったのは誰だったのだろう。今となっては、全く分かりもしない。
だけどそんなこと、もうどうでもいい。私は私で前を向かなくちゃ。いつまでも振り向いてもらえない幼馴染枠で苦しむ必要なんてないよね? クレソンさんはこうやって私を抱きしめてくれる。やっぱり女の子に生まれたからには、目一杯愛されたいのだ。しかも相手が素敵な人ならば、やはり私はその人を選びたい。
このシャワーみたいに降ってくる啄むようなキスが気持ちよくて、もっとして欲しくなってしまうのも良い証拠。体の内側が熱くてたまらなくなって、決定的な一言を伝えたくて仕方がない。でもね。
「クレソンさん、今はまだそれを言うことはできません。でも、いずれ必ず」
だって、今「好き」と言ってしまえば、私はただ流されたことになってしまうでしょ? それは嫌。だから、今度クレソンさんが困っていた時に、そっと囁くんだ。実は私、出会った時から好きでしたって。
クレソンさんは、一瞬破顔した後に、私の騎士服の首元のボタンを外した。
「え? 何するんですか?」
彼はそのまま私の首元に顔を埋める。彼のさらりとした金髪が頬を撫でた。その直後、ピリッとした痛みが駆け抜ける。
「ごめん、つけちゃった」
強く吸われた。指でなぞると、そこだけ少し熱を持っている。キスマークがついたのだ。クレソンさんは恥ずかしそうに目をそらした。
私は、今度こそもう、逃げられないなと思った。
そして、ラムズイヤーさんが螺旋階段の影からこちらを見ていたことに気付くことができなかったのである。
◇
いよいよ当日がやってきた。いつも通り五時に起きて、体調も万全だ。
二日前には、第四騎士団のコンフリー団長とエルダー副団長も部下を引き連れて城にやってきた。アンゼリカさんとこの第七騎士団ともしっかりと打ち合わせをしたし、第八騎士団内でも昨日簡単なリハーサルをして準備はバッチリ。城内も、いつもよりどことなく慌ただしくしている人が多くて、皆大きなイベントを前にソワソワしているようだ。
一方、王都内には、他の騎士団からも増員されている関係で、いつもよりたくさん騎士を見かけるようになっているらしい。コリアンダー副隊長の言葉を借りれば、「これで、式典で暴動が起きるのを抑止できていればいいのだが」という状況だね。
そうそう! 昨日はミントさんから久しぶりの手紙が届いた。西部へ私が行っていたことを知ったらしく、はじまりの村の一件と言い、西部の街でのことも、冒険者ギルドの者としてお詫びしますって書かれていた。受付嬢のミントさんが、そこまで私に畏まることなどないのにね。でも、この心遣いはやっぱり嬉しい。
それから、ミントさんも式典の際にはお城にやってくるそうだ。ミントさんは私の魔術の師匠でもある。今回は私の魔術と隊員の皆さんの魔術のコラボ演出があるので、ぜひ成長ぶりを見てもらいたいものだ。
さて、本日の予定は、午前中に他国からの偉い人が南門から入門。東門は商人など、西門はお城で働いている人の出入りが多く、南門は貴族など高貴な人の出入りが中心なのだ。
その後は、第八騎士団の他の部隊の人と交代で城の敷地内を巡回。危険物などが知らぬ間に仕込まれていないか、藪の中までしっかりチェックだ。
昼からはいよいよ南門を開け放つ。偉い人は既に城に入ってしまっているので、一般国民が雪崩込んでくる予定。そして昼三時から、いよいよマリ姫様のお披露目だ。残念ながら国王様は姿をチラリと見せるけれど挨拶はなく、代わりに宰相が何か喋ることになっているらしい。
夕方になって暗くなってくると、バルコニー前の広場ではふるまいが行われるそうだ。お正月の餅まきみたいなものかな?と思っていたら、全然違った。一般庶民向けに、おめでたい日を祝うためのお料理を無料提供するらしいのだ。王都には、数は少ないけれど孤児や家のない大人もいるので、そういった方への救済も兼ねているらしい。
これには、なんとディル班長が一枚噛んでいるとのことだ。ディル班長、どんな料理を作るのかな? 私の白米広げ隊の活動もさせてもらえないか交渉してみよう!
その頃、お城の中では夜会が催される。もちろん参加者は他国からの使節や、ハーヴィー王国内の貴族達が中心。マリ姫様は体力的にもダンスなどは厳しいので、ほぼ晩餐会という雰囲気になるんだって。どんな食べ物が出るのかなぁ。って、あれ? 私さっきから食べ物のことばかり考えてしまってる。
とりあえず、まだ集合時間まで間があるので、おにぎりの具でも準備してこよう。つまり、ふるまいに参加する気マンマンなのである。
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今回はちょっと中途半端な終わりでしたが、長くなってきたので、いったん切ります。
次話は、いよいよエース達の大活躍がある予定!






