25知ってしまった
「さ、行きましょう」
と言って、門の脇に用意された黒い馬車へ向かうアンゼリカさん。何やら立派な紋章が入っているけれど、これに私が乗るのだろうか。私は隊長から経費として渡されたお金を持って、城下の停車場へ向かい、そこから乗合馬車を乗り継いで行くはずだった。
私は助けを求めようと、後ろを振り返って先輩方の顔を見るが、誰一人アンゼリカさんを止めようとしてくれない。もしかして、この方も偉い人なのだろうか。慌てて私がアンゼリカさんに敬礼をして馬車へむかおうとすると、彼女にクスクス笑われた。
「聞いていた通り面白い人ね」
誰に聞いたのだろうか。タラゴンさんとの一戦以来、私は有名になってしまったので、至るところで有ること無いことを噂されているとは耳にしているけれど。
「私をここに寄越すように手配したのはクレソンよ」
「クレソンさんが?」
昨日の昼から私を避け続けている彼が、私のために?
「いろいろと聞きたいことがあるでしょう? そういった秘密のお話は馬車の中でするものよ」
背中に刺さる、独身の先輩達からの視線が痛い。アンゼリカさんは例にも漏れず美人なんだよ。しかもクール系の。どうせまた、変な勘違いされているのだろうな。
「あなたも、私が女でほっとしているんじゃない? クレソンが、付添させるならば女じゃないと駄目だって言ったの」
私の顔から血の気が引いた。
いや、前から薄々分かっていたことだ。たぶんクレソンさんは、私が女であることを知っている。だから、旅先で二人きりになりやすい随伴者に女性を選んでくれたんだ。でも、まだその事実を認めたくない。認めたら、私は同僚としてではなく女として嫌われたことになるのだから。
私は曖昧に頷くと、アンゼリカさんに続いて豪華な馬車に乗った。これは彼女の実家所有のものだそうだ。
◇
馬車は地面を滑るように進みだした。比較的狭い空間に出会ったばかりの人と二人きり。私は気を紛らわせるように、窓の外を見るフリをしながら、出発前のことを思い返していた。
初めての異世界での旅。それも一人旅とあって、オレガノ隊長を始め、先輩方にはたくさんの心配をされていた。旅先では、女に気をつけろ。酒は飲んでも飲まれるな。最近は男を食う狼もいるので、怪しい店には近寄るな。これ、餞別だ。この精力剤、けっこう効くぞ。などなど。保護者か、と言いたくなるような過保護っぷりだけれど、内容はあまり役に立ちそうにないな。
寮の部屋には、始めから多めに作ってあった姫様への食事の残りを、クレソンさんのために残してある。私はラベンダーさんに、オレガノ隊長の名前と独身だという情報をカードに交渉し、料理に状態保存の魔術をかけてもらったのだ。これで、食べ始めるまでずっと新鮮で温かな状態が続くらしい。クレソンさん、食べてくれるといいな。
軽く目を閉じると、涙が出そうになる。間近で見たクレソンさんの笑顔が頭にこびりついて離れなくて、辛い。それを隠すように私は少し俯いた。
今夜宿泊する村までは、だいたい二時間ぐらいかかるはず。私は乗合馬車の中で読もうと思って持ってきた、れいの雑誌を鞄から取り出した。『ハヴィリータイムズ』と言う名前の月刊誌らしい。
冒頭は女の子のファンション関連の特集記事。インタビューされている女の子は、貴族令嬢なのにお忍びで街歩きしていたところをスクープされてしまったらしい。同理でお洒落なわけだ。私も、せっかくこんな異世界に来たのだから、一度はドレスでも着てみたい気持ちはある。だけど、そんな日は来ないのだろうな。
次は、貴族関連のゴシップや噂話の記事。この世界にはまだ写真が無いので、アーティスティックなイラストが時折挟まれるだけで、ほとんどが文字。私は少し大きめに書かれてあるタイトルだけを流し読みしていった。すると――。
『クレソン王子に同性愛疑惑』
内容は、第八騎士団第六部隊に所属する元王子に関する記事。最近入隊してきた新人(男)を見初め、片時も離さない溺愛ぶり。これまでの女性関係を全て清算してしまったばかりか、その新人に高価な貢物までしているというタレコミも。その麗しい容姿から、今まで数多の女性を虜にしてきた彼が男性に乗り換えたことで、世の乙女たちは悔しさのあまり血の涙を流しているとか何とか。
そっか。クレソンさん、やっぱり王子様だったんだ。
第八騎士団第六部隊には、腕っぷしが強いだけでなく、外見までカッコいい先輩もたくさんいる。でもクレソンさんの外見は飛び抜けて優れているし、何をするにしても気品が滲み出ていて、彼の周囲だけいつも別世界なのだ。私はナチュラルに得心した。
それにしても、城の外にまでけっこうたくさんの情報が漏れていることにも驚き。どれも微妙に違うことばかりだけれど、ある程度核心はついている。けれど、このタイミングで『溺愛』というワードを見るのはキツイ。だってその愛情は、もはや彼の中から消えてしまったのだから。でも彼の身分を考えると、それも当然のことなのかも。
私、どうしてクレソンさんのことをこんなに好きになっちゃったんだろう。転移したばかりで、恋愛なんてしている余裕はないはずなのに。しかも男装しているのだ。
今度こそ、涙がポタリと落ちそうになる。
その時だ。
「エース。あなた、仮にも騎士の格好をしているのだから、同伴の女性を退屈させるなんて失礼ではなくて?」
突然アンゼリカさんが話しかけてきた。思考の世界に入り込んでいた私は、びっくりして体をピクリとさせる。
「す、すみません」
「もしかして、今回の任務は不本意なの?」
「いいえ。私の特技を必要としてくれているお話なので、どちらかといえばありがたいと思ってます」
まだ新人のひよっこ騎士なのに、引き抜きまでしようとしてくれた第四騎士団。隊長からは、ちょっと癖のある団長だから気をつけろと言われているけれど、何とかうまくやれるようにがんばるつもり。そんなことよりも、私が気になっているのは――。
「ねぇ、私達は初対面だから、共通の知人の話題でもしない?」
ちょっと薄暗い馬車の中。僅かな振動に溶けてなくなってしまいそうな囁き声で、アンゼリカさんは言った。
「クレソンのこと」
実は私、クレソンさんのこと、何も知らない。王子だってことも、つい先程知ったばかり。私はごくりとツバを飲み込んだ。
「あなた、彼のことは本当に何も知らされていないみたいね」
「はい」
「いいわ。私が教えてあげる」
アンゼリカさんは水色の髪をさらりと揺らして、低い馬車の天井を見上げた。そして始まったのは昔話。今から七年前の話だ。
「王家が今のようになってしまったのは、ある事件がきっかけだったの。これは公にはされていないのだけれど、今では国中が知っている事実よ」
それは、王妃様の失踪だ。
話を聞けば、夫婦仲が悪かったわけでもなければ、先代王妃、つまりお姑さんからいびられていたわけでもない。では、なぜ突然姿を消したかというと、娘であるマリ姫様が次期世界樹の管理人になるという事実を、彼女自身が受け止められなかったからだ。
王家の伝承によると、順当にいけば、マリ姫様は成人となる十八歳頃には城を出て、危険な魔物がいる北の森を通り抜け、世界樹へと向かう旅に出るとされていた。そして、一生城へ戻ることはない。もちろん、手紙を出すこともできないし、永遠の別れとなるのだ。
母と娘という絆は特殊だ。愛憎が絡まり合って一本の縄となり、双方をしっかりと繋ぎ止めているケースも少なくはない。当人達にとっては、それは決して窮屈なものではなく、互いを支え合う絆だ。けれど、その縄をどちらか片方が強く引っ張りすぎてしまうと、突然切れたり、もつれたりすることもある。今回はそういったケースだった。
「とても仲の良い親子だったのよ。それだけに、王妃様は姫様との別れを想像するだけで耐えきれなくなった。それに考えてもみて? 世界樹の管理人なんて言葉面は立派だけれど、見方を変えればただの生贄とも言えますもの」
そうして、ある日、突然王妃は城から姿を消した。初めは暗殺も疑われたが、辺境の村や街でそれらしい目撃情報もあったことから今でもどこかで生存していると考えられている。けれど、それから何年も経った今も、王妃からの音信は途絶えたままだ。
「王は荒れたわ。王妃様のことを支えられなかったご自身を責めて、そこから少しずつお変わりになっていったの。だんだん政務に興味を示されなくなって、今はほぼ全ての実権が宰相の手に。それは知っているでしょう?」
「はい。でも、どうしてそこまでの詳しい事情をアンゼリカさんがご存知なんですか? 確か世界樹に関わるこのようなお話は、王家だけの秘密であったはず」
私はカモミールさんからの話を反芻しながら、アンゼリカさんに確認する。
「それはね、実は立ち聞きをしてしまったの。私はクレソンの婚約者だったから、次期王妃候補として頻繁に登城していたのよ。その際に、クレソンとカモミール様がお話になっていることを偶然耳にしてしまって」
アンゼリカさんは、はしたないことをしたと思っているのか、恥ずかしそうに俯きがちになる。
「だから、私はあなたの正体を知っているのよ。どこか遠くの地からいらっしゃった、救世主様」
「そんな、私はアンゼリカさんに『様』なんてつけて呼んでいただくような者では……」
「いいえ。救世主というのは、本当に尊い存在なの。このことは、クレソンもよく分かっているはずよ」
なるほど。クレソンさんがあんなに親切にしてくれていたのは、私が救世主だからなのか。もし、私が救世主じゃなかったら、きっと……。
「ねぇ、エース。あなたにそんな顔をさせるために、私はこんな話をしたんじゃないわ」
「え?」
「あなた、本当にクレソンのこと分かっていないのね」
顔をあげたアンゼリカさんの顔からは、先程までの凛々しさが消えていた。
「クレソンってね、絶対に他人に弱みを見せない人なのよ。特に女性にはね。そんな人が、昨夜私の実家に乗り込んできて私の両親に頼み込んでね、真夜中にも関わらず私を呼び出してきたの。緊急事態だからって。そして頭を下げたの。どうしても守りたい女の子がいる。助けてほしいって」
クレソンさん。心の中で、その名を呼ぶ。
どうしよう。私、素直に喜んでいいのかな。
アンゼリカさんの顔を見れば、私だって気づいてしまう。アンゼリカさんは、クレソンさんのことが好きなのだ。でも、元婚約者ということは、何らかの理由で将来の約束を破らなくてはならなくなってしまい、今は疎遠の関係になっているはず。そんな二人がタブーを乗り越えて私のために力を尽くしてくれている。
「クレソンが最近変わったっていう話は、うちの第七騎士団でも噂になってるわ。彼を変えたのはあなた。私にはできなかったこと」
「でもそれは、私がたまたま救世主で……」
「そうかしら? クレソンはとても不器用な人。なかなか本音を出さないけれど、内面はとても情熱的だと思うわ。彼がこんなに衝動的に本能に従ったことなんて、生まれて初めてだったんじゃないかしら」
「まさか……」
もしかして、私、嫌われていたわけじゃない?
アンゼリカさんは姿勢を正して座り直すと、がっしりと私の手を握った。
「私もこの期に及んで、もう一度クレソンの妻の座が欲しいとは言わない。けれど、これだけは言わせてもらうわ」
彼女の手から、その決意と想いが伝わってくる。
「クレソンは、あなたに譲ってあげる。その代わり、あなたもクレソンに本気になって。今のあなたは、まだそうではないのが分かるから」
本気じゃ、ない?
その時、ふと思い浮かんだのは、衛介の顔だ。高校の学ランを着て、ニヤリとしながらこちらを見下ろす時の笑顔。
確かに私の心の中には、まだまだ衛介がいる。でも彼は、今ではお姫様だ。しかも、重大な責任のある役目を負っている、雲の上のお方。
正直言って、いろいろ一度に知ってしまった今の私は、何も冷静に判断することができない。
私は途方に暮れてしまった。
「あの、アンゼリカさん」
「いいのよ。少しずつでいいから、クレソンのことを受け入れてあげてほしいの。彼には味方が少ないから」
「はい」
「そして、今日から私はあなたの味方にもなるわ。私、これでも公爵家の長女ですもの。十分に後ろ盾になれるわ。それに、つまらないことで、あなたとクレソンが上手く行かなくなったりしたら、身を引いた私はやりきれないもの」
私は、「ありがとう」を言っていいものかどうか迷ってしまった。もし私がアンゼリカさんの立場ならば、ここまで潔く振る舞えるだろうか。私は何も言わず、日本人らしく深く、長いお辞儀を彼女に返した。
王都に戻ったら、まずはクレソンさんにあやまろう。嫌わないでほしいって、言ってみよう。すべてはそれからだ。私はもう、逃げたりしない。
それからしばらくして、馬車の窓から少し離れたところにいくつかの灯りが見えてきた。間もなく着きそうだと話していた私達だけど、辿り着いた村の門前には異様な光景が広がっていたのだ。






