19勝っちゃった
三日間のことを思い返していた私。コロッセオみたいに古めかしい闘技場内にある観客席の一角を見ると、クレソンさんが私に向かって手を振ってくれた。
今日の私はちょっと違う。軽く変装しているのだ。赤い髪のウィッグを被って肌を少し黒目に見えるように化粧し、騎士服を少し着崩している。というのは、オレガノ隊長に心配されたからだ。
今回、タラゴンさんとの決闘を通して、結界を作った張本人である私の外見情報が正確に城内へ広まってしまう。すると、今後知らない人から喧嘩を吹っかけられたり、嫌がらせを受けたりするかもしれないと言うのだ。オレガノ隊長って、私のお父さんみたい。ちなみにコーディネートしてくれたのはディル班長だ。コリアンダー副隊長は、ミントさんに私の仕上がりについて聞き取りを行っていた。すっかり巻き込んでしまって、皆さんごめんなさい。
それにしても、こんなに見た目が変わってしまっては、タラゴンさんが「エースじゃない!」と騒ぎやしないだろうか。私は少し不安に思っていたのだけれど、それは全くの杞憂に終わった。
闘技場の東側入口から出てきたタラゴンさんは、大股でこちらへ歩み寄ってくると一言。
「エース、今日はちゃんと負ける覚悟をしてきただろうな?」
すごい。何をもって私を私だと判断しているのだろうか。いや、その前に、こういう時はどんな風に言い返せばいいんだったっけ? そうだ。ミントさん語録その一。『程良く挑発して油断させること』を実行しなきゃ。
「それはこっちの台詞だ。悪いがS級の顔を潰させてもらうぞ!」
と、一丁前に言ってみたものの、足は生まれたての子鹿のようにカクカクしている。このギャップを見れば、タラゴンさんも予定通りに私のことを侮ってくれるだろう。
「ふっ。それはどうかな?」
鼻で笑われた。若干イラッとするが、ここで乗せられては作戦が台無しだ。私は怖気づいたように身体を少し縮める。そこへオレガノ隊長の声が闘技場内に響き渡った。
「これより、Sランク冒険者タラゴンと第八騎士団第六部隊の新人エースの決闘を開始する! 勝敗は、一方が降参するか、三分以上身動きがとれなくなったら、それで決める。ただし、これは殺しではなく力試しなので、死にそうになったら勝手に俺が介入するからな」
タラゴンさんと私はしっかりと頷く。それを見届けたオレガノ隊長は、さらに声を張り上げた。
「双方、準備はいいか?」
「はい!」
「では、はじめ!」
コリアンダーさんの指から、赤い火花が天高く打ち上げられる。運動会の徒競走の時に使われるピストルみたい。
パンっと何かが弾けるような音がした瞬間。タラゴンさんは風を切って一気にこちらへ接近してきた。ミントさんと訓練をした私は、その姿が残像ではなく、スローモーションのように見ることができる。実は『第三制御装置』が解除されたのだ。お陰様で、彼と初対面の時とは比べ物にならないぐらい動体視力が良くなっている。タラゴンさんは、大斧を振り上げると見せかけながら、すぐにこちらの足元を掬うような動きに変化させていった。私は、顔がニヤニヤするのを抑えきれないまま『その時』が訪れるのをじっと待つ。
ミントさんと考え抜いたこの作戦が成功すれば、勝負は一瞬で決まるだろう。私は、全身の神経を奮い立てた。
タラゴンさんの斧が私の脚から数十センチメートルのところにまで迫る。同時に、斧を持ったタラゴンさんの身体が私から半径三メートル以内のエリアに入り、彼は斧を振るためにしっかりと左足を踏み切った。
今だ。
ミントさん語録そのニ『先手必勝』。私はあらかじめ体内で飽和させておいた魔力を右の掌に集中させる。焼けるように熱い力。後は、その魔力を針のように細長く引き伸ばしながら外へ放出して、刺す。
「お先に」
私の手から突き出た白い光の筋は目を開けていられないぐらいの眩しさに輝いて、まっすぐにタラゴンさんの肩先を貫いた。おそらく、そのスピードは速すぎて、そこそこの手練でも可視することは不可能。私は特訓の中で『第四制御装置』も解除していたからだ。
ミントさんでも見切ることが難しいこの早業。呪文も何も無く、突如現れた高圧の魔術が一気にタラゴンさんへ襲いかかっていく。彼は一瞬信じられないものを見るかのような顔をしたけれど、すぐに苦渋が滲んだ表情になった。闘技場全体にも、戸惑ったようなどよめきが広がっていく。
それもそのはず。タラゴンさんの動きが、ピタリと空中で止まっているからだ。まるで人形劇のマリオネットのように、手足が釣り上がったまま。しかも、全身が白い光を放っている。これが、彼自身が自らの意思で何らかの魔術を纏っているのならば、まだ問題はなかった。しかし、今この術を行使しているのは私である。
この勝負、決まった。
「タラゴンさん、ご気分はいかがですか?」
私はミントさん語録『悪者には精神的攻撃も容赦するな』を実行する。
「なかなか滑稽ですね。斧を振り上げたままで何してるんですか? 早くかかってきてくださいよ、ほら」
でもタラゴンさんは鬼のような表情をするだけで、指一本どころか声すら出すことができない。
「おかしいですね。巷では破壊魔王として有名だそうですが、新人門衛相手に手も足も出ないなんて、恥ずかしいですね」
タラゴンさんの顔は怒りのあまり真っ赤になっている。でも、ここで温情をかけて楽にしてあげれば、ミントさん達冒険者ギルドの皆さんの恨みは果たされまい。私は次のステップに進むことにした。
「もっと恥ずかしくなってみます?」
私は人差し指をくるくる回してみた。すると、その動きに呼応してタラゴンさんの体も空中でくるくる回る。最後は、手足が背中側に引っ張られて紐で縛り上げられたみたいな格好になった。もはや、公開処刑。これ、ミントさんのリクエストです。
「ふふっ。Sランクの癖に無様ですね。ちょっと強いからって、調子に乗りすぎです。他人にこうやって弄ばれるのってどんな気分ですか? 少しは、あなたに虐められた新人冒険者など、立場の弱い人達の気持ちが分かりましたか?」
これだけけしかけても、タラゴンさんに諦める様子は無い。時々彼の手や足が赤や緑に光るのは、おそらく自分の魔力を放って私の魔術を解こうとしているのだろう。でも彼にどうこうできるようなものじゃない。
「それ、ほぼ万能の結界なんですよ」
私があの夜、ミントさんに言われて発現させることに成功したのは、言うなれば白の魔術。これは、全ての属性の魔術を同時に同じ分だけ発現した時に起こる現象のようなもので、ベテラン魔術師でもほぼ再現不可能なものらしい。でも、私はそれしかできなかったのだ。
けれど、使い道はある。この白い魔術は結界そのものだったからだ。通常の火や水と言った単発の属性を出すことはできないから、基本的に攻撃らしい攻撃ができない。でも、結界というタイプを駆使すれば、対戦相手を結界の中に閉じ込めたり、結界の形を操って相手の動きを自在に掌握したりできるのだ。
今、タラゴンさんには、全身スーツのような要領で彼自身に結界をかけてある。肉体的にも精神的にも相当キツイはずだ。
「タラゴンさん、動けなくなってから間もなくニ分です。降参しますか? それともこのまま三分過ぎるのを待ちますか?」
私は彼の口元の結界を少し緩めてあげる。タラゴンさんは悔しそうに吐き捨てた。
「馬鹿野郎! こんなもの、降参だ!」
その数秒後、闘技場内が湧いた。
こうして私はSランク冒険者を相手に、僅か三分弱という短時間で白星をあげたのだった。
◇
「すごいじゃないか、エース! 見直したぞ!」
「見直すも何も、コイツ初めからすごくなかったか?」
「そう言えばそうだな」
無事に勝利した私は、すぐにかけつけてくれた第八騎士団第六部隊の皆さん囲まれていた。今は胴上げされ、ようやく地面に足をつけたところ。やっと勝てた実感が湧いてきた。
私は、ミントさんとの訓練の中で、確かに結界と呼べるものを出せるようになったが、実は制約があったのだ。それは、対象が私から半径三メートル以内にあるもので、かつ、サイズは人間と同じか、それよりも小さなものであること。だから、もしタラゴンさんが遠距離から仕掛けてきたとしたら、私は完全に負けていたのだ。今思えば、本当に部の悪い賭けをしていたと思う。
少し離れたところでは、私の結界から開放されたタラゴンさんが腕を回したりして体のコリをほぐしている。もう、先程までのような怒った顔はしていない。
「あの、大丈夫ですか?」
私から話しかけてみると、タラゴンさんはムッとしたのか少し眉間に皺を寄せた。
「さっきのアレ、結界か?」
さすがSランク。その通りだ。通常、物語の中に出てくる結界は球状のものか、今の城を覆っているような格子状のものだ。それが、今回みたいに形が変化する結界なんて前代未聞のはず。それを見抜けるということは、たぶんこの人、頭は悪くない。S級ともなれば、筋肉馬鹿なだけじゃ務まらないということだろう。
「はい。よく気づきましたね。タラゴンさんに勝つためには、おそらくあなたが見たこともないような魔術を素早く展開するしかないと思ってたんです」
「そう、それだ。あの素早さ、何なんだ? 俺が見えない速さなんて、尋常じゃないぞ。あれも魔術か?」
いえ、たぶんそれは、私がカモミールさんの言う『救世主』故のチートだ。でも、ここで彼に説明するのはややこしいので、笑って誤魔化しておく。強者相手に、自分の手の内を全て見せるのは得策ではないしね。
「ちっ。もう一回やろうと言いたいところだが、俺はまだまだ未熟だ。俺は今日から王都を離れて修行をやり直してくる。だから、戻ってきた時には……」
「お断りです」
どうせ、再戦の申込みだ。私が睨みつけると、結界をかけられた時の感覚を思い出したのか、タラゴンさんは若干顔を青くする。
「でも今後、無闇に弱い人を虐めたり、乱暴したりするのをやめてくれるのならば、お茶でもお付き合いしましょう」
「茶?」
あ、しまった。ついつい女子の感覚で誘っちゃったよ。タラゴンさんもなぜかすごく狼狽えている。
「……分かった。俺は真の強者を敬える男だ。お前がそれを望むなら」
ここでタラゴンさんが中腰になって、私の耳元に口を寄せる。
「ちゃんと女の格好したお前とデートしてやろう」
私は、自分の目が飛び出るんじゃないかと思った。我に返った時には、闘技場から出ていくタラゴンさんの後ろ姿があった。
これで、この世界で私が女だと知る人は二人、知っているかもしれない人は一人、合計三人になってしまった。これからも男として生きていく上で、この人数はできるだけ増えないほうがいい。でも、タラゴンさんなら構わないかなと思っている自分がいた。
勝負は本当に一瞬のうちだった。それでも、命と名誉をかけて本気でぶつかり合った私達だからこそ、通じ合えたものがある。あの大斧を振りかざした時の気迫、嫌いじゃない。たぶん、本当は悪い人ではないのだろう。ちょっと目立ちたがりで、カッコつけたがりで、ついつい誰かにちょっかいを出したくなるタイプだね。
S級冒険者様がいつまで私の存在を覚えていてくれるかは分からない。けれど、あの冗談みたいな約束がうっかり実現してしまっても、私は許せる気がするのだ。
そこへミントさんがやってきた。私は喜びを分かち合いたくって、思わずミントさんに抱きつく。ミントさんもぎゅっとしてくれて、私の頭を撫でてくれた。
「おめでとう。エースの頑張りが実って嬉しいわ!」
「いいえ、ミントさんの教えの賜物です。お仕事もあるのに、どうもありがとうございました。預かっていた『エルフのお守り』を返しますね」
私は服の中に隠していたペンダントを外すと、ミントさんに手渡した。これはミントさんの私物で、死にそうになったら、持ち主を一度だけ助けてくれるという伝説級のアイテムなのだ。ミントさんがなぜそんなものを持っているの?という疑問はさておき、これを使わずに済んだのは本当に良かったと思う。
「で、いつの間にか意気投合したの?」
ミントさんは、タラゴンさんが消えた闘技場の西入口に目をやる。
「さぁ。それは分かりませんが、大切なことがバレちゃいました」
ミントさんから表情が抜け落ちる。
「あの野郎!」
ミントさん、素が出てますよ。美人を怒らせると怖いので気をつけよう。
その後ミントさんは、ギルドの受付をサボって観戦しに来てくれていたらしいので、急いで職場へと戻っていった。そのタイミングを見計らってやってきたのはクレソンさん。
「エース、おめでとう」
「ありがとうございます」
笑顔でお礼を言うと、クレソンさんは無言で腕をパッと左右に広げた。これは、俺の胸に飛び込んでこいってやつかな? んー、今は女の子ではないので、このシチュに乗っかってしまっていいのか迷うところだけど、今日はめでたいことがあったから細かいことは気にしない! 私はクレソンさんに思いっきり抱きついた。
「クレソンさんが毎日励ましてくれたから、くじつけずにがんばれました」
「ううん、僕は何もしていない。エースの実力だよ」
「クレソンさん……」
クレソンさん、すっごく嬉しそう。
「実はね、エースは絶対に勝つと思ってたから、お祝いを用意してあるんだ」
何かな? 私はオレガノ隊長やコリアンダー副隊長に声をかけてから、クレソンに連れられてお祝いがある場所へ向かった。
第一制限装置は、単純に誰かを守りたいという気持ち、
第二制限装置は、一人じゃないと知ることで、
第三制限措置は、誰かに頼ることの大切さを知って、
第四制御装置は、ひたすら強くなりたいという気持ちで
解除されています。
この装置の声の主は、既にバレてるかもしれませんが、まだ秘密です。