17挑まれちゃった
キス。
騎士服で、キス。
異性との、初キス。
どうしよう。腰が砕けそう。クレソンさんの顔が甘すぎて、綺麗すぎて、あまりにこの状況が非現実的すぎて、頭の中が真っ白に塗りつぶされていく。
クレソンさんは、彼の存在をしっかりと刻み込むように、私の唇を甘噛みして舌でなぞった。こんなこと、日本にいた時も衛介にすらされたことがない。なのに、なぜか嫌じゃないなんて。
「好き」
耳あたりの良い、低すぎず高すぎもない柔らかな声。
「え?」
クレソンさんの焦がれるような瞳。そこにびっくりした顔の私が映り込んでいる。
「急に、ごめん。もう我慢できなくて。でも、後悔はしてない」
クレソンさんは、私から身体を離した。近くにあったぬくもりが遠ざかると、名残惜しい気持ちになってしまう。彼の視線も私に引き留めてほしいと言っているように思えて、胸元がキュッと締め付けられる。不慣れなことをして、まるで余裕がないけれど、彼の方へ手を伸ばしたい。
行かないで。
私、キスの意味が知りたいの。
でも、それを聞いて、私どうすればいいのだろう。もし、予想と全然違う理由だったら? むしろ、新人で、お世話になってる先輩相手に、そんな深く踏み込むようなことを尋ねる資格なんてあるのだろうか。
そう悩んでいるうちに、クレソンさんは頭を冷やしてくると言って部屋から出ていってしまった。その夜は、私が寝落ちするまでクレソンさんは帰ってこなかった。
◇
翌日のクレソンさんは、昨夜のことが嘘みたいにいつも通りだった。私なんて、夢の中にまでクレソンさんがでてきて悶絶していたというのに。
朝、彼のベッドのカーテンを開けると、小さな寝息が聞こえてきた。ちゃんと昨夜彼がここに帰ってきていたと分かってほっとする。と同時にちょっと緊張する。私、この人とキスしちゃったんだと思うと、顔が火照るのが分かった。
結局のところ、私が女の子だってこと、クレソンさんにバレちゃったってことなのかなぁ? それとも、BLに目覚めてしまったってこと? 気になるけれど、面と向かって聞くのも躊躇われてしまう。もしまだ気づいていないならば、そのままでいてほしいので、私は逃げることにした。
というわけで、私がクレソンさんを起こさなかったために、彼は寝坊し、朝から王城二十週のランニングをオレガノ隊長から命じられてしまったのである。
そして、クレソンさんが爽やかな笑顔と挨拶を振りまきながら城の庭を駆け抜けている間、私は、またもや変なお客様をお迎えしていた。
「たのもー!」
北門に現れたその人は、健康的な小麦色の肌に青い髪の男性で、巨大な斧を担いでいた。黒と銀で統一した鎧を身に着けていて、隙の無い立ち姿。一目で手練だと分かってしまう。
私は、ちょうど先輩隊員に混じって筋トレをしていた時だった。第二制限装置とやらが解除されたおかげなのか、基礎体力はオレガノ隊長からお墨付きを得ることができたので、ランニング以外のメニューもさせてもらえるようになったのだ。
「立派な装備の方ですね」
腕立て伏せしながら、隣で腹筋運動をしているラムズイヤーさんを見ると、なぜか険しい顔をしている。
「ラムズイヤーさんは、あの方をご存知なんですか?」
「え、知らないのか?」
そんな有名人なの? こういう時、ぽっと出の異世界人は知識が少ないので誤魔化しがきかないな。
よし、こんな時はアレしかない!
『開けゴマ!』
衛介に助けてもらうのだ。
『あー、姫乃?』
『衛介、また寝起き? あのね、あそこの門でうちの先輩と喧嘩しそうになってる青髪の人。有名人らしいんだけど、知ってる?』
『あー、えっと、なんだっけな?』
直後、寝息らしき音が少し続いて、私達の秘密の通信は途絶えてしまった。これで分かったことがある。衛介はアテにならない。
よくよく考えれば、昔から衛介はちょっと抜けてるところがあったのだ。町内会の回覧板をなぜか近所の公園に置き去りにしたり、中学校の頃は家庭科の調理実習で砂糖と塩を間違えるという漫画みたいなことをやらかした。遅刻ギリギリで登校してきた時は、三割ぐらいの確率で靴下の左右の色が合っていなかったり。
もちろん、頼りになることもたくさんあった。駅前でナンパされて困っていた時に助けてくれたり、風邪で学校休んだ時はわざわざお見舞いに来てくれたり。
でも今の衛介はお姫様だ。そのお姫様のお城を守るのが門衛。これからは、私が衛介を守るのだ!
「エース? エースってば!」
「は、はい?!」
気が付けば、ラムズイヤーさんが複雑な顔をしてこちらを覗き込んでいた。
「何度声かけても反応無いから焦ったよ」
「すみません」
「あのさ。あそこにいる極悪破壊魔王がエースに会いたいんって言ってるんだけど、どうする?」
ラムズイヤーさんから青髪男に対する評価が大変よく分かりやすいご説明で、どうもです。で、あの強そうな人が私にご用? こちらは何も心当たりが無いのだけれど。と、ぼんやりしながら首を傾げていると、その男性と目が合ってしまった。
おっと。これは、これは。
視線だけで殺されるかと思った。
私は腰が抜けそうになったけれど、ここで逃げては設定上の男が廃る。本当はとっても怖いんだけど、勇気を出して立ち上がってみたら、相手はもう近くにまで来ていた。
「あの……どちら様ですか?」
次の瞬間、彼が持っていた大斧の残像が見えた。ん? 今何したの? 一瞬、私の目の前を空振りしたような。私は、まずお名前を知るところからなどと、お見合いみたいなことを考えていたのだけれど、うっかり相手を刺激してしまったらしい。でも、名前知らないと呼びかけられないし、不便じゃん!
「これを見切ったか」
男性はブツブツ言っている。あの、これは見切ったのではなくて、単に動けなかっただけです。はい。
「俺にわざわざ名乗らせるとは、相当腕に自信があるらしいな? いいだろう。俺はS級冒険者のタラゴン。巷では破壊王と呼ばれている」
「わ……すごい方なんですね」
「ちっ。なんだよ、こいつ。調子狂うな」
私、何やってもこの人の気に入らないことばかりになってしまうらしい。だからって、そんな文句言われても。
「ともかくだ! あの結界を張ったのはお前だな?!」
「はい」
あれ、ちょっと嫌な予感がしてきた。私は少し後ずさりをする。
「じゃ、俺と勝負しろ!」
きたー!
無理だよ、無理無理。あの結界は偶然の産物なので、よっぽどのことがなければもう再現できないと思う。もし結界を張る力があったとしても、こんな冒険者さんとの勝負では役に立ちそうにない。そんなわけで。
「謹んでお断りします」
「馬鹿にするな!」
「す、すみません」
「俺はお前が気に入らないんだ。こんな目立つことしやがって、S級に喧嘩売ってんのか?!」
ここで、ラムズイヤーさんからの解説が入る。
「エース。君は知らないかもしれないけれど、S級冒険者というのは、王家直属の戦力でもあるんだよ。だから、彼らよりも王家のためになることをしてしまった君のことを気に入らないんだと思うな」
冒険者の最高峰の称号であるS級。たった一人でも一戦隊以上の力を持つ個人は、王家からすれば脅威でしかない。そこで、強さを認める代わりに王家に忠誠を誓わせて、その力が反王勢力に発展しないように歯止めをかけているらしいのだ。
うわー。結界が、そんなややこしいことと絡んでいたなんて。
「いえ、そういうつもりではなかったんです。結界を消した方がいいのでしたら……」
「そういう問題じゃない! 俺はな、お前よりも俺の方が強いということをはっきりと皆に示すことができればそれでいいんだ。ほら、早く武器を持て!」
武器というと、オレガノ隊長に貰った槍ぐらいしかないけれど、使い方なんて全く分からないし。せめて、コリアンダー副隊長に貰った白い杖でも出しておくべきかしら。と、その時。
「お前ら! 誰の許可を得てこんな奴を城内に入れやがった?! 今すぐ追い出せ!」
ちょうどいいところに、オレガノ隊長がやってきたのだ。
「隊長とあの冒険者はソリが悪いからなぁ」
「そりゃそうだろ? 前に城に来た時も、強さを見せるためとか言って、城壁をボコボコに殴り倒してくれたから、修繕大変だったし」
「斧で頭をかち割られそうになった奴もいたよな」
私は、周囲の隊員の方達のひそひそ声から、やっと状況を飲み込み始めていた。私、少しだけ戦って、すぐに弱いと分かってもらえば相手も引いてくれるんじゃないかと思ってたけど、完全に甘かったかもしれない。このままじゃ殺されちゃうよ。
「オレガノ隊長、あの方に勝負を挑まれてしまったんですが」
私は縋るような思いでオレガノ隊長に助けを求める。けれど、その返事はあまりにも素気ないもので。
「そうか……。エース、これはもう仕方がない。あいつは、言い出したら聞かないからな」
げ。入隊の時に聞いた『オレガノ隊長が鬼畜』ってうのは本当のことだったのか!
「隊長に見捨てられるなんて……」
「こらこら、人聞きの悪いことを言うなよ。でも、考えてもみろ? 門衛になったら、あそこまでの強者は珍しいが、いろんな奴がやってくる。対人戦の良い経験になると思うぞ」
良い経験をしても、それで命を失ったら元も子もないのに。衛介、ごめん。今日が私の命日だ。
「大丈夫。本当に駄目だと思ったら北班と俺が全力で止めに入るから」
「でも、何の訓練もなく挑むのはさすがに無茶かと」
オレガノ隊長は私の全身を眺めた。
「……相変わらず貧相だな。分かった。ちょっと交渉してきてやろう。おい!」
すると、タラゴンさんがこちらを振り返った。既に、北班の喧嘩っ早い先輩方と乱闘騒ぎになりかけていたのでびっくり。
「タラゴン、うちの若いのにちょっかい出してるらしいな?」
「あぁ? お前んとこの、全員礼儀がなってねぇぞ。俺が、わざわざ躾け直してやってたところだ」
「相変わらず話が噛み合わん奴だな。とにかくエースとやりてぇなら、三日後にしな。ちゃんと城の闘技場抑えといてやるから」
「闘技場か。懐かしいな。それならのってやるよ」
オレガノ隊長とタラゴンさんは、なぜか熱い握手を交わしていた。
で、私。本当に三日でどうにかなるの?
無理やで、そんなん。
作者:申し開きはありますか?
クレソン:だってエースがあまりに無防備で。
作者:嘘おっしゃい! 妹姫に嫉妬してただけでしょうが。
クレソン:分かってるなら、もっと二人きりのシーン増やしてください。
作者:この作品はR15までだから、暴走しそうなヒーローって信用ならないんだよね。
クレソン:そこをなんとか。
作者:じゃ、後5話分ぐらい我慢しなさい。
クレソン:長っ!