15猫爆弾の決意※
★今回は、コリアンダー副隊長視点の話です。
オレガノ隊長が、また事務仕事をバックレた。今頃、城下の居酒屋にでも部下の数人と繰り出して、一杯やっていることだろう。お陰で私は、今日も夜な夜な隊長室の黒い革張り椅子に座り続けることとなる。備品発注をはじめ、隊員のシフト組みやら、門前のトラブルの後処理などをしていると、あっという間に夜九時だ。ため息をつきつつ、視線を壁の時計から窓の外に向けると、暗闇の中でも仄かに輝き続ける城の結界が目に入った。
「見事なものだ」
素直に称賛を送りたくなる。そんな完璧な結界だ。幼い頃、たまたま出会ったエルフの魔術師から存在こそ教えてもらったことはあるが、それが伝説ではなく本当に実在していたなんて。しかもこの結界は、元々私が使っていた杖で作られたなんて、未だにうまく信じられない。
あの日、第八騎士団第六部隊は、まさに死に直面していた。魔物の大群を一挙に葬り去ることができるのは、一日に一度しか使えない私の魔術のみ。もしあの日、エースが入隊してこなかったら今頃――。
その時、突然目の前へ青く光る玉が出現した。すぐに弾けて、一枚の紙になる。目を通すと、考えていた通りの相手からの呼び出しだった。私は、魔法の火でその紙を完全に燃やし尽くすと、外出用のマントを羽織った。
今夜は、父親から呼び出されているのだ。時間をきちんと定めなかったのは向こうなのに、早く帰れとの催促をするなんて、相変わらず勝手な人である。
用件は聞かずとも分かっている。私は執務机の端にあった、エースの正式な入隊受理届けを手元に引き寄せる。これは昼間、騎士団本部の事務所から届いたものだ。
エースを初めて見た時は、第八騎士団第六部隊に入りたいなんて冗談かと思った。あまりにも細く、やけに身なりが綺麗で、澄んだ瞳をしている。仕草は、まるで猫のように愛らしい。そんな少年。隊長から、『今まで生きてきた中でこれ程の逸材を見るのは初めてだ。絶対に逃すなよ』と言われなかったら、間違いなく大反対していただろう。
ここは死の職場。多くは貴族や有力者の次男や三男で、過去に軽微な罪を犯した者などもいる。跡継ぎ問題や相続問題などに関わる体の良い厄介払いや左遷先でもあり、入隊は死刑宣告にも近いものがある。いつも魔物達は前触れもなく現れて、私達を殺しに来る。これは決して避けることのできない天災で、生きるためにはとにかく強くなるしかない。さもないと、死ぬ。
私がこの隊に入ったのは五年前だ。ちょうど父が狂い始めた頃。私の妹が魔物に襲われて他界し、家督を継ぐ予定の長男である兄上に息子が生まれた春のことだった。父と折り合いの悪い次男の私は、もはや兄上の予備という役目もなくなったため、要するに死を望まれていたのだろう。
だが、父にとって誤算だったのは、第八騎士団第六部隊という場所が存外私に合っていたということだ。父には長年隠してきたが、私には莫大な魔力があり、かつコントロール力もずば抜けて秀でていた。騎士ともなれば、王城内にある図書館にも常時自由に出入りできるため、すぐに高度な魔術を習得し、隊と自分の身を守ることへ役立てることもできる。その効果はすぐに現れ、第八騎士団第六部隊の死傷率は少しずつ下がっていった。同時に、私が死ぬ確率も低くなり、父の額の皺は一層深くなっていった。
けれど、私がしてきたことなんて、エースの結界の前では馬鹿みたいにちっぽけなことだ。あれが存在する限り、王城は魔物の大群に怯えることは無い。第八騎士団第六部隊は、純粋に本来の門衛としての仕事を忠実に実行するだけで良いことになる。
父は、きっとそれが気に入らないのだろう。と、同時にエースのことも気に入らないのだろう。私も、そんな父が気に入らないので、わざわざ奴の望み通りに顔を合わせに行くこともないのだが、実家で飼っている猫の顔もたまには見ておきたいので、仕方なく外出届を書くことにした。自分で必要事項を記入して、隊長の代わりに自分で承認のサインを入れる。無意味で滑稽な作業だが、これも騎士団の秩序を守るために必要な規則だ。
◇
私の実家の屋敷は王城の東に広がる閑静な貴族街の一角にある。高い塀に囲まれた石造りの堅牢な屋敷には蔦が絡まり、昼間は歴史を感じさせる趣のある風体だが、この時間になると月明かりに照らされてその陰影が不気味に映る。
身内からは鼻つまみ者である私は、南側の表玄関からは入らない。西にある使用人用の木戸から敷地内に入り、できるだけ人が通らない暗い廊下を選んで奴の部屋を目指す。途中、蝋燭の灯りを手に歩く侍女とすれ違った。この屋敷でも古株にあたる老女で、かなりの歳だろうにいつもピンと背筋を伸ばして足早に歩く姿は、屋敷の主の気質をそのまま受け継いでいる。彼女は一瞬足を止めて私に向かって会釈し、また歩き始めた。私は、使用人にはまだ嫌われていないことに内心嬉しく思いながら歩みを進める。そこへ、背後から声がかかった。
「コリアンダー様」
先程の侍女だ。まるで幽霊でも見たかのように声が震えている。
「どうした」
私がここを出ていってもう五年。初めの一月で私の愛蔵書が全て処分され、半年で私の部屋が無くなり、一年も経てば家族の肖像画から私の姿は消えた。彼ら使用人も、よほどの馬鹿でない限り私の存在は記憶しているだろうが、わざわざ呼び止める用事などないだろうに。よっぽどのことでもあったのだろうか。
「猫が」
その声を聞いた瞬間、私は彼女が言わんとすることを全て理解してしまった。完全に油断していたと気づいた。一目散に庭へ向かって駆ける。
私の飼い猫に名前は無い。ただ、猫のことを猫と呼んでいたが、だからといって愛着が無いのかと言えばそうではない。
その猫は門前に捨てられていた。通常は、門前に広がる街の自治会や王城を出入りする商人に預けて次の飼い主を探すことになる。だがアイツと出会った時、どうしても自分で飼ってみたいと思ってしまった。しかし、騎士の寮はペット禁止である。そこで、私は最後の選択、実家での飼育という方法を選んだ。そうすることで父に借りを作ることになるのは重々承知。だが、まだ本格的に勘当を言い渡されたわけでもないのだから、庭の一角を息子が使うことぐらい悪くはないと考えたのだった。
今になって思えば、そうやって体よく追い出された実家に戻る口実を作りたかっただけなのかもしれない。事実、父とは顔を合わせる機会は増えてしまい、その度に無理難題をふっかけられては解決するということを繰り返してきた。そうだ。私は父に認められたかった。私は、騎士団の一個隊に埋もれてるには勿体ない人材だということを示したかったのだ。
けれど、今となればそんな過去の自分を殴り倒したくなる。世の中、上には上がいる。それも、偉そうな顔一つせず、さらっと奇跡を引き起こせる天才が。
庭に出ると、塀沿いにある物置の方へ向かった。この時点で、もう匂いがしていた。私は走るのをやめて、ゆっくりと近づいていく。
無惨だった。
猫は固まった血で黒くなり、猫小屋の壁に磔にされて動かなくなっていた。これは処刑だ。足元を見ると、たくさんの新しい足跡が残されている。きっと使用人を集めて大々的にやったのだろう。
許せない。
あまりに残忍かつ非道だ。
猫を壁から下ろしてやる。もはや、大きな毛玉になってしまった冷たい躯。私のために、その尊い命を散らした可愛らしい猫。こうやって背中を撫でてやるのも週に一度ぐらいしかできなかったが、確実に癒やしを与えてくれていた。私が唯一、ありのままに心を開くことができた存在。
ふっと、エースの顔が頭をよぎった。
そうだ。これは奴の警告だ。あの少年から手を引けと言いたいのだろう。そうでなければ、エースがこの猫のようになるぞ、という脅し。
奴は、既にエースへ目をつけている。汚いやり口で城内へ連れ込み、それをオレガノ隊長と冒険者ギルドの影なる重鎮が救出した。これからは、あんなことでは済まないと思うと、怒りのあまり鳥肌が立つ。
エースは私達、第八騎士団第六部隊の命を救った。今度は、私がエースを守る番だ。もう、奴の思惑通りにはならない。結局のところ、奴と私は相容れないのだ。いつか見返してやりたかったが、そんなものがどうでも良くなってしまった。これ以上、私は大切だと思えるものや、恩人を失いたくはない。
私は猫の死体を抱き上げた。墓を作って弔ってやりたいが、その地にこの屋敷の敷地を選ぶのは不適切に思える。猫も殺人現場に埋められるのは不本意だろう。それならばいっそのこと――。
手に魔力を集中させる。またたく間に猫は赤い炎に包まれた。猫を媒介に炎は大きく膨張していく。普段は魔物相手のれいの魔術しか使わないが、他の魔術が使えないというわけではないのだ。必要性があれば、このようなこともできる。できあがった人ひとり分よりも大きな炎の玉を、私は右手の人差し指の先に乗せた。第二関節をパタリと折ると、その勢いで炎は屋敷に向かって飛んでいく。さぞかし、よく燃えるだろう。この炎は、私に仇成すものだけを灰にしてくれるはずだ。
私は、そのまま何事もなかったかのように王城内にある寮室へ帰った。翌朝、奴からまた手紙が届いたので、丁寧に返事をしておいたのは言うまでもない。
『昨夜は屋敷で火事があったとのこと、お見舞い申し上げます。急ぎの御用がおありでしたら、隊までおいでください』
奴が、自ら第八騎士団第六部隊に来ることはまず無い。第八騎士団第六部隊は、このハーヴィー王国最強の部隊だ。そして、奴の敵ばかりが集まっている。うっかり間違いや手違いが起きかねない物騒な隊なのだ。平和な時代が長く続き、これ程までに実践の機会に恵まれているのは、うちを除けば第四騎士団ぐらいだろうな。






