14キスしちゃった
乳母さんは、フンッと鼻を鳴らした。
「まぁ、よいわ。自ら名乗り出るような奴は、大抵偽物じゃからな」
あれ、女かどうかの話じゃないみたい?
「だが、お主自身の役目から逃げることはしてはならぬ。騎士の真似事をしている場合ではないぞ」
ここで、乳母さんは十分に溜めをつくり、そして告げた。
「次代、世界樹の管理人となる姫様の片腕となる、救世主よ」
「あの、それ、たぶん人違いです」
私は昨日この世界に来たばかり。こんなぽっと出の異世界人が世界を救う人? ありえない。
「カモミール様、この者の言う通りです。勝手に、城の景観を損なうような結界を張ったばかりか、秘密裏に姫様へ接近するような者は重罪人と同じ。ですから」
「お黙り!」
乳母さん改め、カモミールさんはやっぱり強い。宰相を一言で黙らせると、私の方へ向き直った。
「本物かどうかは、確認する方法があるので問題ない」
「方法とは?」
「そう焦るでない。これから話すのは儂が先々代の王妃から聞いた話じゃ」
カモミールさんによると、救世主とは世界樹の管理人を守るために現れる人のことだそうだ。その人は次代管理人と心を通わせることができ、互いの夢の中をも行き来することができる。そして一番大切なのは、眠り姫を真の意味で目覚めさせることができるというのだ。それは、次代管理人としての目覚めと同義であり、目覚めた後は救世主と共に世界樹を目指す旅に出るのがならわしとのこと。
「そんな大切な話、私なんかにしても良いのですか?」
「どうせ関係者になるのじゃ。知っておいても悪くはあるまい。それに、いろいろと勘違いしている者の認識も改めねばならないからのぉ」
と言って、カモミールさんは宰相を睨む。宰相は怯んだのか、僅かに後ずさりしていた。この二人、過去に何があったの?!
「では、早速目覚めの儀とまいろうか」
「それはまだ時期早尚では」
宰相はかなり慌てていた。そりゃそうか。この人は、自分が世界樹の次期管理人となり、ハーヴィー王国をも乗っ取ろうとしているのだから。ここで姫様が次代であることが確定してしまうと、自分の出る幕がなくなっちゃうかもしれないものね。でも、あなたはカモミールさんに勝てるのかしら?
「お前がこの者を偽物扱いしたのであろう? 今すぐその言葉を撤回し、この者こそが救世主だと言うのならば、目覚めの儀式は後日としよう」
「それは」
「これは、録音の魔道具じゃ。まさか、トリカブートが一度言ったことを覆すとは思えぬが、念の為じゃな」
宰相って、トリカブートっていう名前だったみたい。返答に窮しているようで、唇を噛み締めたまま苛立った顔をしている。カモミールさんはすっかり勝ち誇った顔だ。
「ふんっ。いらぬ欲を出して自滅しそうな者に用はない。ではエースとやら、今から儀式を始めようぞ。こういうことは、早くはっきりさせておいた方が良い」
「私は、何をしたらいいんですか?」
「王家に伝わる方法は、ただ一つじゃ。姫様にキスを」
よりにもよって、それ? と驚いているのは私だけではなかったらしい。先程から存在感が少ないけれど、私のすぐ背後に控えるクレソンさんが「それは無い。それは嫌だ。それは許さない」と酷い顔をしながらブツブツ非難を述べている。
いや、分かるよ。私みたいなどこの馬の骨かも分からない一兵卒が、マリ姫様のような高貴な人にキスするなんて失礼すぎる。それに私としては、これ以外にも高いハードルが二つもあるのだ。
「簡単な方法じゃろう? いつもならば、姫様はどれだけ大きな音や振動があってもお目覚めにはならぬ。だが、キスだけで目覚めさせることができれば、その者こそ救世主じゃ」
カモミールさんは、私が普通の年頃の男の子だと思ってるから、さも簡単に言ってくれる。でもね、ここで一つおさらいしよう。衛介こと私、姫乃は女の子である。男装していても、身体と心は女の子。そして姫様も女の子。つまり、このままでは女の子同士がちゅーすることになってしまう!
その時、脳内にあの声が話しかけてきた。
『姫乃、何もたもたしてんの?』
え、眠り姫? このタイミングで? 私から例の阿呆な呼びかけをしたわけでもないのに、あちらから話しかけてくるなんてびっくりだ。
『あ、そうそう。俺はある条件が整えば、お前の思考のほとんどが読めるようになるからな。今は、ここで声を出したら宰相達に変に思われるとか心配してるみたいだけど、俺に伝えたいことがあれば、まず強く念じてみろ』
『こ……こんな感じ?』
『そうそれ』
『ねぇ、その前にちょっと待って。あなた何者?』
『お前は本物の馬鹿か。俺だよ、俺。衛介だ』
『え?! つまり、マリ姫様?!』
『やれやれ。分かったら、さっさとキスしてくださいな、騎士様♡』
もう、何なの?! 衛介の癖に、今は美少女だからってこんな時だけ女の子ぶっちゃって。そりゃぁ、衛介のことは今でも好きだから、キスとかできたらいいなぁと思うよ? でも、念願のキスがこんな公衆の面前でしなければならないこととか、長年の片思いをこんな感じで実らせて良いものかとか、女の子にはいろんな複雑な感情があるというのに。この男はもう……!
「何を難しい顔をしておる? 姫様は、かなりお美しいお方じゃ。相手に不足はなかろう?」
カモミール様が、さらに追い打ちをかける。
『姫乃、俺とキスするの、嫌?』
んぁああ! もういい!
今の私は男だ。そう男の子だから、可愛い女の子とキスするなんて当たり前のことなのだ。衛介も、きっと私とキスしたいんだ。だから、後はひと思いにやってしまえばいい。
「行きます」
もう気分は、大型ロボットに乗り、今から宇宙空間に向かって発進するアニメの主人公と同じ心境。私は、ベッドの上に横たわるジャージの美少女の顔に近づいていった。
口がほんの少しだけ開いていて、すやすやと穏やかな寝息を立てている。
『衛介』
そう呼びかけた私は、心を無にした上で唇を寄せた。
触れるか触れないかのキス。
すると――。
「エース、これからもよろしくな!」
姫様は飛び起きて、私にぎゅっとしがみついたのだ。これは、儀式成功っていうことなのかな?
カモミールさんを見ると、先程までとはうってかわり、優しげに目を細めて拍手をしている。れいの侍女さんはこちらを射殺さんとばかりに睨みつけているけれど、一応拍手はしていた。一方、クレソンさんとトリカブート宰相はこの世の終わりみたいに悲嘆にくれた顔で。心配しなくても、このタフな姫様は、新人騎士と一回キスしたぐらいで穢れたりはしませんよ?
◇
さて。マリ姫様はすっきりと目覚めてくれたけれど、これまでほぼ寝たきり生活をしていた彼女は年齢相応の体力が無い。慣例に従って、私は世界樹への旅には同行することになったけれど、出発はまだまだ先になりそうだ。
というわけで私は、これからも当分は第八騎士団第六部隊所属の騎士として生きていくことになる。
「クレソンさん、世界樹への旅のことを協力してくれるってトリカブート宰相が言ってましたけど、すっごく怪しいですよね。わざと危険な道を通らされたり、また嫌がらせを受けそうですし……って、聞いてます?」
クレソンさんは、マリ姫様の部屋を出てからずっと上の空なのだ。何かの感情を押し殺しているかのような難しい顔をしたり、視線をふらふらと彷徨わせたりを繰り返して、心ここに在らずなのである。どうしたのかな?
「あぁ、聞いてるよ」
「クレソンさん、もしかして体調悪いんですか? それだったら、この後食堂に行った時に、隊長へ伝えておきますから寮で休んだらどうですか?」
「大丈夫」
本当かなぁ。この後は、待ちに待ったランチタイムなのだ。昨夜はあんな宴会の席だったから、緊張のあまり食べられなかったので、今回はようやくこの世界のお食事をゆっくりと味わうことができる。でも、クレソンさんが浮かない顔をしていると、また食欲が減ってしまいそうだ。
「エース、夜に少し話できる?」
「もちろん!」
私もクレソンさんに話したいことがあるのだ。実は偉い人なのに、いつも私のお世話をかって出てくれてありがとう。これからも迷惑をかけるかもしれないけれど、私もクレソンさんみたいに気遣いのできるカッコいい騎士を目指すので、どうぞよろしく!って話。クレソンは何の話をしてくれるのかな。もしかしたら、世界樹への旅に関する話かもしれないと思っていたけれど、それが全くの見当違いになるとは、この時は予想していない私だった。