111ステビアとアンゼリカ後編※
この時ほど、気配に敏感な騎士で良かったと思ったことはない。俺は、一目散に駆け出した。
「アンゼリカさん!」
俺の居た場所から十数メートル。巨木の影に生い茂る禍々しいほどに鮮やかな花をつけた植物。そこにアンゼリカさんは、磔にされたような格好で囚われていた。
いつもキッチリと着こなしている騎士服は無残にも破れ去り、布地はほぼ残っていない。憎き植物はその代わりとなるようにして彼女の体の上に被さり、ゆっくりと蠢くように這い回っている。もちろん、アンゼリカさんの目に光は無い。何も映さず、うつろなまま宙のどこかを見ている。だが、血色は完全に失われてはいなかった。
まだ、助かる。
「アンゼリカさん! ステビアです!」
反応は無い。それでも、声掛けは基本だろう。
「今すぐ助けますから!」
世界樹は、まだ俺を見捨てていなかった。普通ならばこんな広い森で再び巡り会えないはずの俺達が、こうやって生きた状態で顔を合わせることができたのは、奇跡に他ならない。
俺は、硬い植物の茎を片っ端から切り落としにかかった。なかなか思うように進まない。それにしても、アンゼリカさん愛用の剣はどこだ。
「アンゼリカさん、もうすぐですよ」
俺は、彼女の頬に手を伸ばす。良かった。ようやく、アンゼリカさんの瞳がこちらを向いた。いや、俺じゃないものを見ている。ふと後ろを振り向くと、あった。
彼女の剣が謎の植物の餌になっていた。鋭かった刃は完全に溶かされて丸まり、ほぼ原型を留めていない。かろうじて、紺碧の柄に彼女の家の家紋が残っていることで、判断できたようなものだ。
――あ、そうか。これはアンゼリカさんにとって、家宝の剣。あの時の俺と同じなのでは。
「大丈夫です。せめて、残っている柄は持ち帰りましょう。そしてエースに何とかしてもらうんです」
俺の時と違って、剣本体の欠片は一つも持って帰れそうにない。いや、そもそも柄だって、あの植物から奪えかせるのか? ううん、その前にアンゼリカさんだ。アンゼリカさんを助けなくては。
あ。
「アンゼリカ……さん?」
彼女は泣いていた。
ぬらぬらと滑りのある植物の液に覆われた白い肌が艶めかしく光っている。曝け出されたのは身体だけでなく、いつも着込んでいた心の甲冑も、ついに破られてしまったのだ。
「私は……馬鹿だ」
一言目が、コレだ。彼女らしいと思う。俺は首を横に振って否定すると、彼女を覆う枝を払い続けた。それでもゆっくりとした動きで体を離そうとしない植物の枝。
この攻防に勝つのは、俺だ。
そして、ようやく最後の枝を切り落とした瞬間。彼女はほぼ何も身に着けていない状態で俺の胸に倒れ込んでくることになる。
「どうして」
「どうしてここへ来たのか、ですか?」
アンゼリカさんは震えていた。恥ずかしさも情けなさもあるだろう。この場所の異様さも。だけど、彼女はたぶん、もっと別の理由で震えている。そんなものも、全部、全部含めて受け止めたい。
「そんなの、決まってるじゃないですか」
アンゼリカさんが、ゆっくりとこちらを見上げる。許しを乞うかのような瞳。
「求婚しに来たんです」
「ステビアが、幻に見える」
あ、さん付けがなくなった。
「いえ、本物です。ほら」
彼女の剣ダコだらけの手を自らの胸元に押し当てる。きっと、この鼓動の早さが騎士服越しでも伝わるはずだ。
「生きてる」
「そう、生きてる。生きてる限り、騎士は姫を助けにどこへでも行く」
「姫なんて」
アンゼリカさんは、何もかもに疲れていた。ここまで、ずっと孤軍奮闘してきたのだから。
「私には王子に見えるわ」
クレソン王の顔が頭をよぎる。こんな時に限って。
「ステビアだけが、本物の私の王子様なんじゃないかって、勘違いしてしまうの」
アンゼリカさんはかつて、クレソン王子の婚約者だった。だが、彼が王籍を追われて失脚し、婚約も解消。既に仲が深まっていた二人は引き裂かれたか、に見えた。でも実際はアンゼリカさんの片思いが強かったことを、先日彼女自身から聞いたときには驚いたものだ。
それだけならば、まだいい。今度はクレソン王の想い人であるエースを守り始めたのだ。これはクレソン王からの依頼だったらしい。好きな人に報いたい。それがどんな方法であっても。その気持ちはよく分かる。でもこれは、敵に塩を送るようなものではないか。俺には自傷行為にしか見れなかった。だから俺は、ずっとエースをマークし、時に利用してきたのだ。
「それで合っています。下級貴族で実力も中途半端ですが、誰よりもあなたを愛している俺があなたの王子です」
騎士と言ったり、王子と言ったり。我ながら都合が良い。彼女が弱っている時につけこむようにして、こんなことを言うのも、大変卑怯なことだ。でも、言えるとしたら、今しかないと思った。
「俺は」
「ねぇ」
俺に被せるようにして、アンゼリカさんが声を出す。
「女からの求婚ってどう思われて?」
一瞬、何を言っているのか分からなかった。
「私は所謂傷物令嬢。しかも、婚姻前にこうやって肌を見せている。気の毒にも汚れた私の体を見せられてしまったあなたに、その責任を取れとつけ込む私は、本当に醜いでしょうね。でも」
「でも?」
「森の中で、ひとりぼっちで、本当に会いたいと心から願っていたのは、紛れもなくあなただったわ」
もう、十分だった。俺は、無意識に彼女を抱きしめていた。
お互いに狡い大人だ。何かとそれらしい理由をつけなければ、単純なことも成し遂げられない。弱いからこそ強くなる。守りたいものがあるからこそ、強くなる。それでもやっぱりまだまだ弱くって、結局手を取り合って、互いにもたれかかるようにして支え合う。醜いというよりも、格好が悪い。だけど、それでいいと思うのだ。
「俺も、アンゼリカさんがいいんです」
世間はいろいろ言うだろう。だけど、絶対に後悔はしない。
アンゼリカさんは、さっと俺から身を離すと、その場に跪いた。
「騎士アンゼリカは、王子ステビアに、剣の代わりとして永遠の愛を捧げます」
アンゼリカさんが、俺のブーツにキスをする。これは隷属的なものだ。そんなことをさせたかったわけじゃない。咄嗟に俺もしゃがみこんで、彼女の両手を取る。
「もう何も気負わなくてもいいんです。令嬢でも、騎士でも、何でもなく、ただのアンゼリカさんが好きですから」
ここで、話は止めるべきだったかもしれない。だが、一つだけどうしても尋ねたいことがあった。
「あの、アンゼリカさん。一つだけ教えてください」
これを聞くのは勇気がいる。
「エースを追ったのは、なぜですか? 危険であることはご存知だったはず。やはり、クレソン王に頼まれていたからですか?」
すると、アンゼリカさんはふっと笑った。
「違うわ。確かに私は彼に頼まれてエースと出会い、心の奥底では妬んでいた時期もあったかもしれない。だけどそれも過去のこと。今や彼女は唯一無二の親友だもの」
分かってる。なのに、なぜか寂しくなった。
「それに、王妃となる彼女と近づけと親から言われたわけでもないわ。私自身の選択として、彼女を放っておけなかった。だってあの子、いろんな意味で可愛らしいもの。だからこそ、できもしないローズマリー様のお世話役を装ってまでここまでやって来た」
結局俺は、エースには勝てないのか。そう思った瞬間、俺の両頬がアンゼリカさんの両手に挟まれて――。
「私、あんな王のことは、もはやどうでもいいですし、興味はありませんの。ここまで駆けつけて馬鹿な私を救ってくれたあなたに、全て捧げたいぐらいに夢中なのです」
離れていった彼女の唇の感触が、まだ口元に宿っている。本来ならば自分からすべきだったし、したかった。やっぱりアンゼリカさんにも勝てないな。剣術だけでなく、全てにおいて。そんな憧れの彼女が、目の前に、いる。
「もう、どこへも行かないでください」
もう一度彼女をきつく抱きしめると、アンゼリカさんは俺の背中にしっかりと腕をまわして頷いた。
その後だ。
突然、俺の服の内ポケットにあったエースの守り石、そして彼女の裸体に張り付くようにして残っていた守り石のペンダントが同時に輝き始める。その光は、一本の線になって、森の奥を指し示していた。
それだけではない。ミントさんから預かった緑の石も光を放ち始めたのだ。それほ、同じく一本の線状の光となり、白い光とは別の方向を指し示している。
「エースのいる場所と」
「エルフの里の方向ですね」
アンゼリカさんは、エースを追って森に入った。俺は、これからどうしたいかを、彼女に視線で問うてみる。
アンゼリカさんは恥ずかしそうに俯いた後、こう言った。
「私は思い上がっていたのかもしれない。やはりここは世界樹のお膝元の森。私達はお呼びじゃないのだわ」
「そうかもしれません」
「一緒に戻ってくださる?」
「もちろん」
「そして、今後も共に歩んでくださるかしら?」
「もちろんです」
俺は、上着を脱いで彼女の肩にかけた。
そう言えば、先程から周辺の植物達が襲ってこない。気づいたら、俺達二人は、守りの石が放つ白い光でできた結界に守られていたのだった。






