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豊葦原の旅の話  作者: 佐倉杏
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親切な地蔵

 雪深い山の中に、小さな地蔵がぽつんと立っていた。地蔵はもう何年そこにいるのか、わからなくなるほど長い間、ずっとこの地で旅人の無事を祈り続けていた。


 地蔵はもちろん歩き回ることなどできない。幾度となく繰り返される毎日。遥か昔から変わらず巡る季節。その全てに飽きもせず、愛おしいとさえ思えるのは、そこに美しい命の営みが、確かに感じられるからだった。


 中でも地蔵が最も愛してやまないのは、人間の感謝の心だ。見守ってくれてありがとう、と声をかけられると、冷たい石でできた自分の胸に、暖かな何かが宿るのを感じるのだ。


 この日はひどい吹雪で、旅人は皆身を縮めながら、足早に地蔵の前を立ち去っていく。早く暖かい家に帰りたいのだろう、地蔵の前で足を止める者などいなかった。


 地蔵はもちろん寒さなど感じない。どれほど強い風が吹いても、石であるその体はびくともしないし、氷の塊がぶつかってきても、痛みなど感じない。やがて地蔵の頭には雪が積もり、まるで白い笠を被ったようになった。


 そこに、一人の旅人が訪れた。彼はもうかなりの年で、足下さえおぼつかないほどであった。腰の曲がった姿勢で一生懸命に歩き、地蔵の前で休憩をした。


 寒さに凍えながら、腰をさする姿は痛ましかった。なんとか助けてやりたいと思うも、地蔵にそんな力はない。ただ祈るばかりの自分が情けなく思えてくる。


「おや、雪が積もってしまっているね」


 老人はそう言うと、地蔵の頭に積もった雪を丁寧に取り除き始めた。そして自らの首に巻いていた布を外すと、その頭にかぶせた。


「いつも見守ってくれて、ありがとう。このくらいはお礼をしなくてはね」


 優しげに目を細めて老人が言う。その気持ちに、地蔵は心から幸福を感じた。温度など感じないはずの石でできた頭が、心なしか暖かい。


 やがて老人はよいしょ、とつぶやきながら腰を上げて、帰路へとついた。地蔵はその旅路に幸あれと、心から祈った。




 それからしばらくあとのこと。


 一人の青年が地蔵の前を通りがかった。青年は高級そうな藍染の着物を着て、やはり高価そうな脇差を持っている。しかし旅人にしては、荷物はあまりに少なく、雪道を歩くのには必須な笠を持ってはいなかった。羽織も高価そうではあるが、薄い。この気候で耐えられるような装いではなかった。


 男にしてはかなり細身で、すらりとした青年は、頭や肩に雪を積もらせていた。役者と見紛うばかりの端正な顔はしもやけになっているのか、鼻の頭が少々赤い。地蔵は彼を哀れに思ったが、やはりどうすることもできない。


 青年は地蔵の前に来ると、驚きに目を見開いた。そして嬉しそうにこちらに近づいてくる。


「やれ、なんということだろう。こちらのお地蔵様は襟巻きを持っていなさる」


 青年は一寸、迷ったようだった。しかしやがて、地蔵の頭にかぶさっている首巻きを、するりと解いた。地蔵の頭が冷たい風にさらされた。もちろん石である地蔵は、冷たさなど感じない。


「ありがたい。寒くて寒くて、仕方がなかったのだ。襟巻きがあれば、少しは寒さをしのげるだろう。前の村で、もっと着物を買っておけばよかったのだが、油断した。

 それにしても、なんと親切なお地蔵様だろう。ご本人は寒さなど感じないのに、わざわざ襟巻きを用意してくださるとは」


 地蔵の首から襟巻きを取るのは、なんとも申し訳ないが、その想いを無駄にするわけにはいかないと、青年は言う。そして自らの首に、地蔵の襟巻きを巻いた。そして地蔵の前で、雪で着物が湿るのも構わず膝をつくと、丁寧に頭を下げた。


「お地蔵様、襟巻きをありがとうございます。

 あなた様のお心遣いに、なんとも救われる思いです」


 そして青年は地蔵の前から立ち去った。先ほどまでよりも幾分か弾んだ足取りで、吹雪の中を進んでいく。


 ぴゅうと、冷たい風が吹いた。「ひゃあ」と首をすくめる旅人は、暖かそうに襟巻きに首を沈めた。一方地蔵は、その頭に冷たい風を直に受ける。白い雪が、地蔵の頭にふわりと舞い降りた。


 やがて視界が白く染まり、青年の姿が見えなくなる。地蔵はそれでも身動き一つ取らずに、旅人の無事を祈り続ける。その頭に雪を積もらせながら……。

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