第519話 不穏な世界
緑のトンネルの中をミチナガは歩く。周囲を取り囲む植物たちは世界でも数少ない希少種ばかりだ。この精霊の森でないと見ることができない種類も数多くあるだろう。きっと植物学者なら足を止めてじっくりとこの空間を堪能することだろう。
だがミチナガはそんなことには一切気にも止めず、ひたすら歩き進む。すると前方の方から声が聞こえ始めた。その声はなんとも楽しそうな声だ。それに声の主人は一人ではない。何やら動物じみた声も聞こえる。
『どれ、もう一杯。』
『ニャニャ!これも美味だニャ。ん?誰か来たニャ。』
「ミャー様じゃないですか。お久しぶりです。森の大精霊もお久しぶりです。」
森の大精霊の傍にいるもう一人の大精霊。かつてミチナガがセキヤ国を建国する際に土地を借りた土地神であるミャー様だ。随分昔に何処かへ行って以来の再会である。まさかこんなところで会えるとは思ってもいなかったミチナガは少し驚いている。
『よくきたな人の子ミチナガ。お前には話したいほどが山ほどあるが、まずは一杯どうだ?』
『飲むニャミチナガ。ここの酒は格別ニャ。』
「ソーマさんの酒ですか。まあまごうことなき世界最高の酒ですからね。では一杯いただきます。」
ミチナガは森の大精霊に酌をしてもらい酒を飲み干す。一気に飲み干したことで喉が焼けるような感覚を味わうが、それ以上に香りと旨味に酔いしれる。ソーマの酒はいくらでも飲めてしまう人をダメにする酒だ。自制心を持って飲まなければ隣のミャー様のように泥酔することだろう。
「美味いですね。また腕を上げたんじゃないですかね?」
『世界樹の力がこの地には注がれるからな。その影響もあるのだろう。…ミチナガよ。お前には感謝してもしきれない。これほどの大恩、永遠に忘れぬ。』
『永遠に忘れなくても人間はすぐに死ぬニャ。ミチナガ、おみゃーももうすぐ死ぬニャ。』
「精霊基準で寿命を計らないでくださいよ。このままでもあと2〜30年は生きられますよ。それよりミャー様は御役目済んだんですか?」
『2〜30年なんてあっという間ニャ。……御役目は当分続くニャ。いや、ミャーが諦めるまでかニャ…』
御役目の話をした瞬間、ミャー様の雰囲気が暗くなるのを感じた。そしてそれは森の大精霊も同様であった。ただミチナガはそれを予期していたようで動揺はない。
『ミチナガ。この世界はもう終わりニャ。』
「そこまで酷いことになってましたか。世界樹が復活してもダメですか。」
『延命措置にはなったニャ。でも数が多すぎて仮に世界樹と大精霊が総動員してもダメだニャ。』
「エラー物質はそこまで増えていましたか。」
エラー物質。発生原因は魔力の吹き溜まりや強力なモンスターによるものなど多くの推測がされているが、その正しい原因は解明されていない。ただわかっていることはこのエラー物質が増えすぎると強力なモンスターが発生し、土地が腐敗することだ。
もしもダンジョン最奥レベルのモンスターがエラー物質を取り込んだ場合、並みの魔神クラスでは歯が立たない可能性が高い。もしもそんな怪物が複数現れれば世界は終わるだろう。
またエラー物質による土地の腐敗の場合、腐敗した土地にはあらゆる生物が適応することができず、その土地に触れた生物をことごとく腐らせるだろう。そしてそんなものが世界中に溢れたら…世界は終わる。
ミャー様はそんな自体を防ぐべくエラー物質の浄化に励んでいる。しかし一つのエラー物質を浄化している間に数個のエラー物質が新たに生まれる。エラー物質の方が増える割合が多いため、こちらはなすすべがない。
「推測で構いません。あと何年持ちますか?」
『そうニャ…今の魔神たちの強さから考えれば当分の間は大丈夫ニャ。エラー物質のモンスターが出ても確実に倒せるニャ。ただ土地の腐敗の方はどうにもならんニャ。エラー物質のモンスターよりも魔神たちが強いと仮定するニャら…300年は確実に大丈夫ニャ。』
300年なら確実に保たせてみせると自信満々に言うミャー様。ただおそらくだが、300年間の平穏の代わりにきっとミャー様は命果てることだろう。それだけの覚悟を持って300年と言う数字を出してきた。
ただもしもその間に魔神たちの力が衰えるようなことになれば、エラー物質のモンスターにより世界は終焉を迎える。
しかしミチナガはそれなら何の問題もないと余裕の笑みを見せている。
「数ヶ月以上持つなら問題ありません。それまでに全て解決させますから。」
『ニャニャ?すごい自信だニャ?もしやミチナガはエラー物質の正しい原因を知っているのかニャ?』
「ええ、知ってます。その解決策も。なのでもう数ヶ月だけよろしくお願いします。」
『……本当に任せて良いニャ?』
「ええ、大丈夫です。」
ミチナガとニャー様は見つめ合う。ミチナガの言葉に嘘がないか、確かな確証があるのかを調べるためにニャー様はミチナガの瞳を見続けた。
『信じるニャ。しかし良いタイミングだったニャ。侵食が酷すぎて諦めようと思っていた土地があったニャ。そこの浄化に当たることにするニャ。森のも手伝うニャ。』
『良いだろう。我らで当たれば早く済む。ではミチナガよ、頼んだぞ。』
「はい。必ず成し遂げます。」
ミチナガの返事に満足した2柱は気兼ねなく酒を飲もうと再び宴会が始まった。そして数時間の酒盛りに付き合ったミチナガはクラウンたちの元へと戻っていった。
再び森の手形を使ってクラウンたちの元へ戻ったミチナガ。戻った先ではクラウンたちが就寝の準備をしていた。どうやらミチナガも気が付かぬうちに随分と時間が経っていたらしい。
「戻ったのか。会えたのか?」
「ああ、猫神のミャー様もいた。随分酒を飲まされた。もう寝ることにするわ。」
「ミチナガ様。先ほどソーマと名乗る方が来られまして酒瓶を置いて行きました。何でも今は仕込みの時期だから挨拶はこれにてと。」
「あ〜そうか。ソーマにも会っておきたかったんだが仕方がない。仕込みの時期に時間は取れないよな。」
ソーマは忙しくやっているらしい。初めて会った時はもう少し暇そうだったが、最近はミチナガ商会を通じて酒を出品しているため在庫を作らないといけないらしい。ちなみにソーマの作る酒はどれも他の酒とは桁がいくつも違う最高級品だ。
ミチナガはイシュディーンから酒瓶を受け取り、すぐに開栓する。瓶の中からは芳醇な香りがしてくる。我慢しきれないミチナガはその酒をすぐに飲んだ。
「まろやかだ。それでいて力強さがある。香り、味、喉越し、どれを取っても非の打ち所がない。最高の一杯だ。……なあクラウン。」
「ん、なんだ?」
「もうすぐだ。もうすぐ…俺は役割を全うする。だから安心しろ。お前らの思いは…俺が……」
それだけ言うと静かになるミチナガ。どうやら大精霊たちとの酒盛りで随分と酔いが回っていたらしい。すっかり眠ってしまっている。イシュディーンもそのことに気がつきミチナガを寝所まで運ぶ。
「ああ、ミチナガ。頼んだぞ。俺たちの思い…お前が叶えてくれ。」