第484話 本気のナイトとムーンと狩神
「へぇ…本気出したら何か変わるの?正直…期待はしてないけど。」
『ナイトにボロカスにやられちゃえ!バーカバーカ!!』
ムーンは捨て台詞を吐くとどこかへと離れていった。去っていくムーンの乗るエヴォルヴの後ろ姿を悲しげな表情で見つめるフィードル。今すぐにでも追いかけたい気持ちが溢れるが、それはナイトを倒してからでないと叶いそうにない。
しかしフィードルは未だナイトを敵と認識していなかった。そもそもフィードルにとって生まれてから死ぬまで敵という敵に出会ったことがない。命の危険を感じたことがないのだ。
そしてその慢心から醒める時がやってきた。突如きた指先の震え。心臓の鼓動が早まる。その理由はフィードルにはわからなかった。しかしそれは常人でも知っている。それは恐怖。先ほどまで舐めてかかっていたナイトから恐怖を感じ取っているのだ。
「繋げ…異界の門よ。此処に顕現させたるは地獄の業火なり。」
ナイトの背後の空間が人間の瞳のように開かれる。そこから覗くのは灼熱の業火。しかしただの灼熱ではない。それは9大ダンジョン、煉獄のムスプルヘイムの地獄の業火である。そしてそれを見た瞬間、フィードルは薄ら笑いをした。
「え?もしかして同族?同じ空間魔法使い?」
「ああ…そうだ。」
ナイトの魔法の本質。それは空間魔法。通常の属性魔法には系統されない崩壊魔法と同じ、特殊魔法という分類に入るものだ。しかし崩壊魔法と比べると天と地ほどの応用差と希少性を持つのが空間魔法だ。
ナイトが今繋げた空間は煉獄のムスプルヘイムの業火を空間内部に封印し、持ち運べるようにしたものである。本来全てを燃やし尽くす煉獄の業火を収納できる物質は存在せず、地上にてこの煉獄の業火を再現できるのはかの魔帝、煉獄だけである。
しかしナイトはその煉獄の業火を異空間に収納し持ち運んだ。そしてその煉獄の業火を見たフィードルは後退して見せた。さすがのフィードルもこの煉獄の業火は無効化できるレベルの魔法を超えているらしい。
「まさか同じ空間魔法使いだったとはね。この煉獄の炎を持ち運ぶのはすごいけど…正直さらに興味を失ったよ。」
フィードルはがっかりそうな表情を浮かべる。なんせフィードルは魔神に至るほどこの空間魔法で強くなったのだ。故にナイトとフィードルは同じ魔法の上位と下位に当たる。そして同じ魔法を使うからこそ、その弱点を熟知している。
「同じ空間魔法使い同士の戦いにおいて主軸となるのは空間の奪い合い。最終的に勝ったほうが敵の空間を全て奪ってお終いだ。これまで僕が奪った数は10を超える。今の時代に空間魔法の使い手に出会ったことなんてないと思うけど?」
「ああ、初めて会ったな。」
「なるほどね、それじゃあ…君が持っているのは良くて5ってとこだね。まあよほどの才能がない限り…というより僕並みだと考えてそのレベル。そのうちの一つは煉獄の炎で埋まった。それに…あの設置魔法を隠していたのも空間魔法の一つ。これで2つ判明したね。残りの手札は3つ。対する僕はまだ10個以上はある。」
空間魔法師が絶滅したと言われた理由の一つに同じ空間魔法師同士の殺し合いというのがある。空間魔法師はあくまで空間を生み出すのではなく、元々生まれた時から持っている空間にアクセスするだけだ。アクセスできる空間を増やすためには同じ空間魔法師と戦って奪わなくてはならない。
より多くの空間にアクセスするために同族同士で殺し合い、そしてその有用性から国に狙われる。絶滅したと思われても仕方ない。戦いを恐れて世間から離れ、人里離れた山奥でひっそりと生きる空間魔法師も少なくなかったという。
フィードルはそんな多くの空間魔法師を狩り、数多くの空間へのアクセス権を手に入れた。そしてそんなフィードルは空間へのアクセスの定型をいくつか発見している。それゆえすでにナイトの背後にある煉獄の業火を収める空間へのアクセスを成功させている。
そしてあくびをしながらナイトと同様に背後に煉獄の業火の空間を開く。これでもうすでにナイトの空間は一つ奪われた。ナイトはここから下手に空間へアクセスする様子を見せればフィードルに奪われてしまう。
「これでお終い?次の本気とやらはまだあるかい?」
「…まさかこんなにも簡単に引っかかるとは……」
「……は?」
驚くナイトの表情を見て怒りと疑問がごちゃ混ぜになった表装をとる。ナイトの挑発かと思ったフィードルであったが、その答えはすぐに理解することになった。
突如駆け出すナイト。再び肉弾戦だ。しかしそんなものはもう飽きている。しかも合間に魔法まで放ってきた。先ほどまでと全く変わりがない。あまりにも退屈な攻撃。そしてナイトが強力な設置型魔法を発動させた際にフィードルは一気に猛攻に出ようとする。
どうせただの魔法は当たっても触れた瞬間に別空間に飛ばされる。ならば無視して攻撃を仕掛けたほうが何倍も良い。フィードルはその腕に重量変化を持つ空間の力をまとわせ、ナイトよりも細腕でナイトを上回る膂力を出す一撃へと変貌させる。
もう戦いを終わらせにかかるフィードル。ナイトの設置型魔法の着弾が終わりの合図だ。そしてナイトの設置型魔法の一撃が体に当たった瞬間、フィードルの身に悲劇が起きた。
「あつぅぅぁ!なんで…!?」
魔法が無効化されないことによって怪我を負うフィードル。その後ナイトの拳が追撃してくるのを見てとっさに迎撃の拳を振り下ろす。それは見事なクロスカウンターを描いた。そのクロスカウンターは両者の頬を捕らえる。
歪む頬、そして顔。その一撃は両者にダメージを与えるかに思われたが、ナイトの方は特にこれといったダメージは見られない。対するフィードルは骨まで変形させて吹っ飛んでいく。
僅か一瞬のうちに起きたナイトによる大打撃。それはフィードルの思考を混乱させた。到底まともな思考はできない。しかしナイトはその隙を見逃さない。吹き飛んだフィードルに駆け寄るとそのままラッシュをかけてきた。
突然のラッシュに慌てふためくフィードル。立て直すのには数秒はかかった。そしてようやく落ち着いた時、フィードルは空間を転移した。一瞬のうちに起きる短距離転移。一度体制を立て直そうとするフィードルにナイトは再び駆け寄る。
フィードルが耐え直すまでのしばらくの間はこの短距離転移で時間を稼ぐ。そう考え再び転移しようとするフィードルであったが、なぜか転移ができない。驚くフィードルであったが、逆にこの驚きがテンパった頭をリセットさせた。
すぐに通常魔法で追撃するナイトを抑え込もうとするフィードル。しかしナイトに魔法が触れた瞬間、その魔法は消え去ってしまった。まるで先ほどまでの自分のように。
その瞬間全てを理解した。フィードルの空間はすでにナイトに奪われている。しかしここまで一瞬で奪われたのは初めてのことだ。それにまだわからないことがある。しかしフィードルがそれを知ることは叶わなかった。
ナイトに魔法は完全に効かない。腕力は重力操作によって増している。対するフィードルは空間魔法を用いれば用いるほどナイトに奪われていく。
それから僅か1時間後、全ての空間をナイトに奪われボコボコにされたフィードルは言葉にならぬうわ言を垂れ流しながら再びあの世に戻っていった。狩神と呼ばれ、当時の魔神の中でも屈指の実力者と言われた狩神フィードルが赤子のように敗れていった。
そして戦いを終え、息をつくナイトの元へ使い魔状態のムーンがやってきた。そして定位置である肩の上に乗る。
『ムーン・お疲れ様。楽しかった?』
「むぅ…やはりダメだな。本気を出すとすぐに終わる。」
『ムーン・けど狩神のいろんな空間手に入れられて良かったんじゃない?魔法無効とか便利じゃん。』
「すでに持っている空間能力ばかりだ。奴と同じように重力を用いて動物を潰して素材がダメになる。魔法無効も使っては面白くもなんともない。」
『ムーン・あ…そうなんだ。まあフィードルもね…もう少し警戒心あったら良い勝負になったかもしれないのに。あの空間奪っちゃったからね。』
ムーンが言うあの空間とは煉獄の炎を収納した空間のことだ。見た目だけは実に凄そうなこの空間は実は対空間魔法師の特殊空間である。この空間を奪った相手の魔力を読み取り、その情報を全てナイトに伝える。
つまりフィードルが一度でも空間にアクセスすればその瞬間にナイトへその空間へのアクセス方法が伝わるのだ。つまりフィードルの敗因は調子に乗ってナイトから空間を奪ったことが最大の原因だ。しかしそんなナイトとムーンにも一つだけわからないことがあった。
「だが…なぜもっとアクセスしにくいようにしていなかったんだ?」
『ムーン・幾ら何でも読み取れてもあまりにも複雑ならすぐには奪われないのにね。アクセス方法簡単すぎてつまらなそうだったね。』
空間魔法による空間へのアクセス方法は数十の異なる魔力波長の組み合わせによって行われるのだが、ナイトは基本的にどれも解読できないようにさらに複数の魔法を重ね掛けしてアクセス方法が判明できないようにしている。
しかしそもそも空間魔法へのアクセスは超特殊魔法で、その原理は未だ解明されていない。故に下手に魔法を加えれば空間へのアクセスはできなくなるのだが、ナイトは持ち前の才能でそれを軽々と変えて見せた。
あまりにも天才的なことなのだが、現代では比較できる空間魔法師がいないためその事実を知ることはない。だからこそナイトとムーンのこの質問に答えるものは誰もいない。
『ムーン・全くもって…』
「不思議だ…」
ナイトのこの疑問に答える声はどこからも聞こえてこない。
次回お休みします。