第475話 時を超えて
世界には多くの妖精伝説が存在する。靴屋のために妖精が靴を仕上げる話、難病を癒す妖精の薬、旅人が妖精の国に迷い込む話。どれもどこか人間離れした逸話ばかりだ。そんな中でも一番有名で冒険者たちが気をつけなくてはならない話がある。
それは妖精界に迷い込んだ人間が元の世界へ戻った時には数年もの年月が経っているという話だ。実際に数年に一人はこの被害にあっているものがいる。いや、もっといるのかもしれないがそれがわかるのはまだまだ先の話かもしれない。
しかしこの被害に遭うのはほとんどが無理やり妖精界に入ろうとしたからだ。妖精界のものはどれも高値で取引されるため、危険を承知で乗り込む冒険者がいるのだ。そしてもしも仮に妖精界に入りこむことができてももう一つの問題が起こる。
それは時間の逆のずれだ。妖精界の数日が人間界の数年になることもあれば、妖精界の数年が人間界の数日になることがある。この逆のずれによって昨日妖精界に入ったものが、今日出て来た時には白髪のおじいちゃんになっているなんてこともある。
そしてこういった時間のズレを修正するのが妖精界の管理者の役目だ。空間と空間の間を移動する際に発生する時間のズレを0にできる管理者のおかげで妖精界を安心して移動することができる。
しかしそれは逆にいうと管理者の手にかかれば強制的に時間を経たせることができるとも言える。本来であればそれは妖精神の命によりやってはならないとされている。いたずらに時間の牢獄の中に閉じ込めるのは許されることではない。
だが今、管理者はその禁忌を破った。使い魔を時間の牢獄の中に閉じ込め、強制的に時間を経たせる。わずか数秒が数年もの年月に膨れ上がる。急激に経たせられた年月は共に閉じ込められたエヴォルヴの機体の自己修復機能を極限まで活性化させ、賢者の石の時間も経たせた。
それは賢者の石が覚醒するのには十分すぎる時間であった。覚醒した賢者の石は使い魔の魔力波長を読み取り、使い魔が望む力を与えるために変化を続ける。使い魔が管理者を守るために、そしてアキュスを倒すために。
「どうやらただ時間が経ったわけじゃなさそうだね。まだ楽しめるのかい?」
『6年弱ってところか。お前を倒すために全てを捧げた。もう1ゲーム付き合ってもらうよ。』
使い魔の搭乗したエヴォルヴからは膨大な魔力が込められている。この6年弱の間に生成された魔力のほとんどを溜め込んでいるのだ。そして賢者の石はその力を十全に発揮できる。今の使い魔の魔力量だけで言えば魔帝クラスに匹敵する。
ただ相手はアキュス。魔神クラスの怪物だ。しかしそれでも太刀打ちできないほどの格差があるわけではない。今の使い魔ならば可能性はある。そして使い魔はアキュスから目を離し、背後の管理者の方を向いた。
『安心して。必ず君を守る。だけど…どうせなら君からの名前が欲しい。ずっとはぐらかされて来たけど、君の応援があれば僕は何倍も強くなれる。』
管理者はこれまで他者との深い関わりを避けて来た。管理者はこの空間にしかいられず、そして常人の何倍も長く生きる。だからこそ使い魔とも一線を引いた付き合いをしていた。
しかし自分のために全てを捧げようとする使い魔を見てその考えを改めた。管理者は生まれて初めて誰かを信頼し、そして初めて誰かを愛そうとした。
「うん…こっちに来て。」
管理者は使い魔をそばに寄せて耳打ちする。数秒の間の出来事。しかしそれは使い魔をより高みへと至らせるのには十分であった。
「…古い妖精の習慣。自分の本当の名前は誰にも知られないようにするのが大切なの。それを教えても良いのは生涯を共にすると誓った妖精だけ。」
『あぁ…その言葉が聞けただけで私は全てを捧げても惜しくないと思うよ。この名は大切にする。』
使い魔は管理者を抱き寄せる。そして管理者に背を向けアキュスを睨みつける。その様子を見ているアキュスは退屈そうにあくびをしている。
「実の父親の前での逢い引きはもう終わったかな?せめてもの情けに待っていたんだけど。」
『ええ、十分ですよ。まあ彼女にはその気は無いでしょうが形式的に言わせてもらいます。娘さんは私がいただきますよ。お義父さん。』
「残念だがそれは私のものだ。諦めな。」
アキュスの言葉がいい終わった瞬間に飛び出す使い魔。先ほどまでのエヴォルヴの動きとは数段レベルが違う。基本性能が全て向上している。繰り出される拳や足蹴りは鋭い風切り音が聞こえてくる。
しかし相手はアキュス。その全てをいともたやすく避けている。そして隙を狙ってカウンターを放つ。だがその一撃は虚しく空を切った。使い魔はまだ余力を残しており、アキュスが油断するその一瞬を待っていた。
アキュスのカウンターに合わせてカウンターを放つ使い魔。だがその一撃も華麗にかわされた。その後も互いにヒットすることなく拳の応酬が繰り広げられる。肉体的な性能はアキュスとほぼ互角らしい。
もともとアキュスが肉体派ではないため、使い魔の全力を出せばギリギリ追いつけるようだ。しかしアキュスにはその弱点を補って余りあるほどの妖精魔法の力がある。そして拳の応酬の最中、アキュスは高密度の妖精魔法を繰り出す。
「バイバーイ。」
至近距離からの妖精魔法の直撃。避ける暇さえ与えず魔法に飲み込まれる使い魔。前に受けた妖精魔法よりもはるかに強力だ。その一撃により使い魔はエヴォルヴの機体もろとも完全に破壊される、かに思われた。
しかしエヴォルヴの機体は何の損傷も見られず、逆にアキュスの妖精魔法そのものがアキュスの視界を遮り、エヴォルヴによる一撃をその顔面に受けた。
「何…!」
『おぉぉぉぉ!!』
振り切る拳をもろに食らったアキュス。これほどの攻撃を受けるのは蘇ってから始めてのことだろう。使い魔の力がアキュスに届いた瞬間だ。
血を滴らせるアキュス。それを見る使い魔だが、その様子は芳しくない。アキュスに届いたはずの拳が腕もろとも破損し、機能が停止しているのだ。そしてアキュスに関してはすでにその傷が治癒されている。
「まさか一撃入れるとはね。うん…なかなかなものだったよ。だけどどうやらそこまでのようだね。この程度の傷ならこの空間にいる限り瞬時に癒される。君の苦労は無意味だったようだ。」
『何を勝った気でいる。まだ腕はもう一本残っている。それに足もまだある。』
「それなら好きにやると良い。もう避けないし、反撃もしない。」
余裕を見せるアキュス。それにたじろぐ使い魔だが、すぐに回し蹴りを食らわせる。アキュスは宣言通り避けずにその一撃を食らった。しかし先ほどとは違い微動だにすることさえなかった。そして回し蹴りを食らわせた使い魔の足はバラバラになっている。
「確かに強くはなっているが…耐久性がひどいな。その力に体が耐えられていない。」
使い魔は確かに強くなった。賢者の石の力を得てその力は数段上がったことだろう。しかしエヴォルヴの機体は特に新しくなっていない。バーサーカーの時は賢者の石によって機体の出力と耐久性が向上した。だがこの使い魔の場合は、出力は上がったが耐久性は変化していない。
ゆえのこの結果だ。もうアキュスにとって使い魔は脅威ではない。そして面白みもない。自身が得た力によって破壊されていくものに興味も湧かなくなった。
「魔力耐性は数段上がって、今じゃごく一部の妖精魔法しか効かないだろう。だけどそれだけだ。もういいや。」
アキュスはエヴォルヴの機体に拳を放つ。それだけで耐久性のないエヴォルヴの機体は破壊され、内部にいる使い魔が飛び出してきた。賢者の石もエヴォルヴの機体から外れ使い魔の体内へと戻っていく。
これにて完全決着。使い魔とアキュスとの戦いは幕を閉じた。所詮使い魔は使い魔。魔神であるアキュスにその力は届かないのだ。
絶望の中倒れる使い魔。息を荒げてもう立つことも叶わぬといった様相だ。しかしその時、使い魔の頭に声が響く。その声はあまりにも懐かしき声。その声を聞いた瞬間、何事もなかったかのように使い魔は起き上がった。
『名無し・ふう、ようやく戻られましたか。我らが王よ。』
そして再び使い魔の戦いの第2幕が開かれる。