第473話 妖精たちの戦い
28日休みます。
妖精神ピクシリーの目の前で再び血の雨が降る。これほどのおぞましい光景を見るのはこれでもう何度目だろうか。すでに多くの妖精たちの精神に狂いが生じている。これほどの狂気をずっと見続けていればこうなるのもおかしくはない。
大地は赤く染まり、周囲の木々にはクリスマスの飾り付けのごとく血肉や臓物がまとわりついている。これほど凄惨な戦場は世界中でもここだけだろう。そしてこの凄惨な戦場を生み出した妖精、妖精皇帝アキュス・クリスティーは恍惚の笑みを見せている。
「こんなにも美しい光景を見るのは生まれて初めてだ。きっと僕のゴブリンが暴れた時もこのくらいになっていたのかもしれないけど、僕はそれを見ることはできなかったからね。」
「…あんただけは絶対に許さない。この世から消し去ってやる…絶対に消し去ってやる……」
ピクシリーは強大な憎悪を抱きながらもそれを表情に出さずに冷静に現状を分析している。状況的に考えるとピクシリーの状態は非常に悪い。ミチナガからの妖精の力の回復薬は底をつき、今はアキュスに対抗するために護衛の妖精たちから残りの力を受け取っている。
しかしアキュス自身も状況は良くないようだ。いや、もう限界に近いのかもしれない。アキュスは復活した妖精たちの生き血を啜り妖精の力を回復させているが、その方法に欠陥が出たのだ。
妖精の力にも血液型と同じで種類がある。アキュスはこれまでそれを無理やり自分に合わせてきたが、長時間の戦闘の影響で齟齬が発生し始めた。膨大な異なる妖精の力を摂取し続けたアキュスの肉体は限界を迎えている。
「もう少しよ…もう少し耐えたらあいつは自滅する。だからお願い。もう少し耐え忍んで。」
「お任せください女王様。」
持久戦はこちらに分がある。耐えれば勝てる。アキュスもそのことに気がついているが、他になすすべがないのか定期的に攻撃を仕掛けている。しかしピクシリーは一つの間違いを犯した。
相手は妖精皇帝アキュス・クリスティー。妖精史上最も残忍で、最も狡猾な妖精。その狡猾さと一人の妖精の存在をピクシリーは忘れてしまっていた。
「ああ、そこにいたのか我が娘よ。」
アキュスはあさっての方向を向きながら笑みを浮かべた。ピクシリーはその意図がわからずにいる。しかし突如アキュスは自分の残りの力のほとんどを使い、周囲の妖精たちをどう猛なモンスターへと変貌させた。
これによりアキュスの肉体はとうとう限界を迎えた。しかしアキュスは残りのわずかな力を使い空間を切り開いた。切り開いた先は妖精たちが妖精の隠れ里に移動する際に使用する中継地点だ。
「嘘…どうやって……戦いが始まったと同時に完全封印しておいたのに……」
「戦いが始まってからずっと探していたからね。探すのに苦労したよ。だけど…ようやく見つけた。それじゃあ愛しの我が娘と会ってくるからこの子たちと楽しんでて。じゃあね、バイバーイ。」
「ふざけんなぁぁ!!!」
アキュスは気味の悪い笑みを見せたまま異空間の中に姿を消した。ピクシリーはすぐに後を追おうとする。しかしアキュスの置き土産を対処しなくては多くの妖精が死に至る。
ピクシリーはアキュスの後を追うことはできない。そして異空間に消えてしまった瞬間、今のピクシリーではアキュスに対抗することができなくなってしまった。
「ここは私がなんとかする。あなたたちはその間にできるだけ多くの妖精を集めて。そして……救援を頼んで。もしくはミチナガを連れ戻して。今の私たちにアキュスを止める手立てはなくなってしまったわ。」
ピクシリーは戦いの最中そのことに気がついていた。だから絶対に悟られるわけにはいかないとなんとか隠してきた。しかしそれは無駄であった。
妖精の国、そして妖精の隠れ里と呼ばれる場所はこの世界とは空間をわずかに異なる別世界に存在する。普通の人間では入ることは叶わず、妖精を頂点とした独自の生態系が構築されている。
そんな全ての妖精の国と隠れ里は一つの空間により繋げられている。それが中継地点と呼ばれる場所だ。この中継地点を使えば一瞬のうちに世界中全ての妖精たちの場所へ移動することができる。
そしてそんな中継地点に住む妖精がいる。それが管理者だ。管理者は膨大な妖精の力を秘めている。そしてあまり知られていないのだが、管理者は妖精であるのだが妖精の力を生み出すことができる稀有な存在だ。
本来妖精の力は世界樹によって回復するか、土地から滲み出る力によって回復するかの方法しかない。しかし管理者は妖精と人間のハーフ。人間の魔力生成器官が妖精の力の生成器官として変質しているのだ。
だが厳密には管理者の妖精の力の生成器官は妖精の力を生み出すわけではない。変質した妖精の力を生み出す。そのため妖精であろうと全ての生物は管理者の力を摂取し続けると毒のように体を蝕み死に至る。
もしも管理者がこの中継地点から抜け出して外へ出れば、周囲の生物全てを死に至らしめる危険な生物と認定されることだろう。しかし…そんな生物がごく普通に人間と妖精のハーフとして誕生するだろうか。
そして今、そんな管理者のいる中継地点へアキュスは踏み入れた。
「ふぅ…流石に危なかったなぁ…後3分遅かったら死んでいたね。良かった良かった。僕はやはり運が良い。そう思うだろう?我が娘よ。」
「あ…あぁ……おとう…さま……なぜ…蘇って……」
「どうしたんだい?そんなに震えて。何を怯える?お前の父が帰ってきたんだぞ。」
管理者は震える。自分の中で封印していた記憶が蘇る。それは数代前の妖精神だけが知っている真実。あまりにおぞましい記録ゆえに歴史から抹消された真実が今蘇った。
管理者の父は妖精皇帝アキュス・クリスティー。そしてアキュスは妖精との間に生まれた我が子を人間の子供と組み合わせ、妖精の力の生成できる妖精を作ったのだ。それが管理者の正体。
そしてアキュス自身も娘が生み出す特殊な妖精の力に適応できるように自身の肉体を改造した。つまりアキュスは娘である管理者がいればいくらでもその力を回復することができる。管理者がいる時点でピクシリーはアキュスに勝つことができなくなった。
アキュスの傷ついた肉体が回復していく。この中継地点には高濃度の変質した妖精の力を漂っている。その力の一片を吸収するだけでアキュスは全盛期の力を取り戻すことができた。
「いやぁ〜やっぱり作っておいて良かった!何百人っていう妖精の子供を使って実験して、自分の子供も数人使って実験したけどうまくいかなくてね。もう諦めようかと思っていたんだよ。でもお前は成功させた。素晴らしい。私の人生で最高傑作だ。これほどの功績をあげた妖精は他にはいないよね?そう思うだろ?」
「なぜ…なぜここに……」
「運命だよ!父と子の再会!まさに運命的じゃないか!私はお前を誇りに思うよ。今日という日まで生きていてくれてありがとう。おっと、我ながら感傷的になってしまったね。」
「お前なんか…お前なんか……」
管理者は憎しみと悔しさで顔が歪む。涙が溢れ出していく。管理者は幼いながらもわずかに覚えていた。自分を助けるために動いた母を。そしてその母を捉えて実験材料にしたアキュスの姿を。もう死んだのだから思い出さないようにしてきた。過去は振り返っても仕方ないと。
しかしその過去が再びやってきた。もうきて欲しくないと思った過去が。だが今こそ母の仇を打つ時。しかし管理者には問題があった。それは妖精の力を生成することはできるが、その力を行使することができないことだ。
管理者は特殊な人体実験の影響で力を使うことができない。時折空間を繋いでいるのは数代前の妖精神から譲り受けた魔道具によるものだ。管理者には戦う力はない。目の前で高笑いするアキュスに一矢報いることができない。
だがその時、弦楽器の音が聞こえた。美しく鳴り響く旋律。しかしこの環境で生きていけるのは管理者とアキュスだけだ。それ以外の生物は死に絶える。他には誰もいないはず。
しかしもしもその死を超越し、何度も死と生を繰り返すことでこの空間に適応することができるものがいるとしたら。それはこの空間の中で唯一アキュスに対抗することのできる戦力になるかもしれない。
そしてその存在はゆっくりと二人の元へ近づいていく。それは非常に小さな一人の使い魔であった。
『名無し・やれやれ…人が少し離れている間に何があったのか。どうしたんだい私の愛しき人。』
「ん?なんだこれは。親子の再会に水を差さないでもらうか。訳のわからないやつめ。」
「使い魔さん…」
『名無し・泣いているのかい?愛しき人よ。泣かしているのはそこのお前か。』
「なんだお前は。消え失せろ。」
アキュスは手で払うようにして魔法を放つ。それは先ほどまでのピクシリーと戦っている時のような力の残量を気にした攻撃ではなく、ふんだんに力を込めて放った攻撃だ。もう力の残量を気にする必要はない。
これほどの一撃を受ければほとんどの生物はひとたまりもない。しかし使い魔はそうはならなかった。噴煙巻き散る中から無傷でこちらに歩んできた。
「何をした。お前…何者だ?」
『名無し・そんなに驚くことはない。僕は名もなきただの……旅人さ。』