第464話 勇者と呼ばれた男6
黒騎士と吸血鬼神ヴァルドールの初の邂逅、そして黒騎士初めての敗北の日から黒騎士はさらなる力をつけていった。そして広まる黒騎士の名により多くの猛者が英雄の国へと集まった。
そしてこの時に13英雄と呼ばれる黒騎士を含む13人の魔帝クラスの英雄が揃った。そしてこの13英雄はツグナオの直属になるということになっているが、本質は違う。ツグナオの下にいる黒騎士の下についたのだ。誰一人としてツグナオを認めていない。
そしてこの時よりツグナオの呼び名として街で少しずつ浸透していく言葉がある。それはツグナオが時折口にしていた言葉の影響だ。
ツグナオはヒーローに憧れた。困っている人たちを助けるヒーローに。そしてヴァルドールという強敵が現れた時、巨悪を打ち倒す勇者に憧れた。それをつい酒の席で口にしてしまったのだ。
この世界にヒーローという言葉も勇者という言葉もその概念もない。だから人々はツグナオを勇者と呼ぶようになった。しかしそれは本来の意味とは離れた蔑称として。
黒騎士を差し置いて王を名乗るある意味勇気はある、いや勇気だけしかない無能。無能なる王、勇者王。これが英雄の国、初代国王勇者王カナエ・ツグナオの誕生だ。
ツグナオは最初に勇者王と呼ばれていることを知った時にその事実に喜んだ。しかしのちにその意味を知り深く傷ついた。ツグナオは憧れた勇者を汚してしまったのだ。
しかしそれでもツグナオは人々のために王としてあり続けた。今ツグナオが倒れれば黒騎士にその負荷がかかり、この国は傾きかねない。だからツグナオは気丈にあり続けた。
そして黒騎士も何事にも動じずに英雄としてあり続けた。ここでツグナオをバカにした怒りをぶつければ英雄乱心などと言われ人々に、そしてツグナオにも迷惑がかかる。だからツグナオが我慢しているのであれば自分も我慢しなくてはならない。
そして黒騎士は力を増し続けながらヴェルドールとの、吸血鬼たちとの戦いを始めた。吸血鬼たちとの戦いは長きに渡った。そして黒騎士とヴァルドールが戦うたびに多くの国々が庇護を求めて属国となった。
だがある時、戦いから帰ってきた黒騎士は人払いをしてツグナオの元を訪れた。何事かと思うツグナオの前で鎧兜を外した黒騎士の表情は疲弊していた。しかしその疲弊の仕方は肉体的にではない。精神的にだ。ツグナオの前でしばらく黙ったのちにクロはようやく口を開いた。
「…今日も一つの国が庇護を求めて属国になったらしいな。」
「うん。吸血鬼から逃れるにはそれが一番だから。」
「そうか……なあツグナオ。吸血鬼との戦い…いつまで続くんだ?いや…いつまで続けたら良い?今…庇護を求めて属国となった国は吸血鬼から逃れるためだ。しかしその逃れる対象がいなくなれば…またバラバラになる。そうしたら…また戦争が始まる。」
クロは声を震わせ、体を震わせ恐怖する。クロは気がついてしまったのだ。今の人間同士の平和は吸血鬼、ヴァルドールありきの平和だ。しかしその吸血鬼を倒してしまったらどうなるか。それは100年戦争への逆戻りである。
その事実を考えてしまったクロは体の震えが止まらなくなる。もう吸血鬼との戦いは佳境だ。ヴァルドールとの最終決戦も近い。だがそこでヴァルドールを倒しても良いのか、吸血鬼を滅ぼしてしまっても良いのかわからない。いや、今の平和を保つためなら滅ぼすべきではない。
だがツグナオは笑みを見せて恐怖で震えるクロを抱きしめた。力強く、そして優しく抱きしめられたクロから震えが収まった時、ツグナオは資料を持ち出した。
「クロ、戦争が起こるのはね、お金が儲かるからだと僕は思う。一部の人間が得をするから戦争は終わらない。国民も戦争に金をつぎ込んでも負けたらひどい目にあうから文句は言わない。国民感情も得られ、お金も得られるから戦争は終わらない。だけどそれじゃあ戦争よりもお金が儲かることができたら?そしてそれが戦争することによって損することになったら?国民も生活が豊かになり、それが戦争によって損なわれたら?そしたらもう誰も戦争しない。戦争したところで損をするのなら誰も戦争しない。」
「それは…しかし感情論もある。憎しみはそう簡単には…」
「憎しみは時間が解決する。次の世代の子供達は憎しみよりも生活を優先させる。そこでね、新しい部署を作ろうと思うんだ。」
「これは…研究開発所?」
「戦争によって多くの国で兵器開発が進んだ。今度はその兵器開発を転用して人々の暮らしを豊かにするものを作る。国が人々の暮らしを、経済を豊かにするために開発をするんだ。今は優秀な人材は国に集まっているからね。都合は良い。他にも色々考えているよ。騎士団を用いたモンスター討伐による地域活性化とか…色々考えたから見てくれる?」
そこには吸血鬼との戦いの後に様々な経済活動を行う予定がびっちりと書かれていた。そしてクロはそこから戦争後の明るい未来を見た。
書かれているものの中にはいくつか実現が難しいものがある。不可能だと思えるようなものもだ。しかしクロには絶対に不可能だとは思えなかった。ツグナオならこの未来を、夢を見してくれると思った。
「僕の夢のためにもこの戦いは早く終わった方が良い。僕は戦争は嫌いだからね。だからクロ…頼んでも良いかい?」
「あぁ…任せておけ。お前が夢見る未来のために私はこの剣を振るおう。この剣をお前に捧げよう。やっぱりお前は私の王であり…心強い私の勇者だよ。」
それから数日後、黒騎士は最後の戦いに赴いた。黒騎士はヴァルドールと最後の決戦だというのに全く気負うことはなかった。そして初めて黒騎士はヴァルドールを見た。正確には目視による視認は何度もしている。そうではなく剣を交えることでヴァルドールという男の中身を見たのだ。
そして知った。ヴァルドールという強敵の脆さを。空っぽな人形が必死にもがいているようにしか見えなかった。あまりに哀れな怪物を相手に黒騎士はとどめをささずに逃がしてしまった。
今の黒騎士ならばヴァルドールを殺すことはできた。いや、黒騎士にしか殺すことはできなかっただろう。しかしそれでも黒騎士は殺すことなく逃がした。しかし黒騎士にはもう二度とヴァルドールとは会わない確証があった。
そして世界に平和が訪れた。吸血鬼と人間との戦いがついに終わったのだ。そしてそれによりいくつかの国で再び戦争の気配が出始めた。黒騎士の予想通りだ。しかしそれはツグナオの予想通り英雄の国が主導となり、多くの魔道具の研究開発による大規模な経済効果により、なりを潜めた。
これで英雄の国に属する国同士での戦いは完全に終わった。もちろん属していない国同士の戦いはまだ続いている。しかしそれも13英雄たちにより徐々に終わりを告げていく。100年戦争の終わりがこの時訪れた。
黒騎士はこれで戦う時代は終わると思った。もう女だと隠すことも必要ない。もう剣を手に取る必要もない。これでようやく愛する人と暮らしていくことができると考えた。
しかしその時、衝撃が走った。ツグナオが倒れたのだ。黒騎士は他国の戦争の仲裁を行なっており、その時国にはいなかった。そのことを知るのはしばらくののちに国に帰ってからだ。
寝床で眠りにつくツグナオ。その顔つきは近しい歳であったはずの黒騎士よりもはるかに老いていた。この時黒騎士は知らなかった。魔力の宿っていないツグナオとクロとでは時間の流れが違うことを。
クロは膨大な魔力量を誇るためこの常人よりもはるかに長生きする。しかしツグナオは魔力を一切持たないため常人よりもはるかに短く死ぬ。そしてツグナオの寿命は残り幾許もない。
そしてこの日から数年後。ついにツグナオの最後の時がやってきた。魔法医学の権威とやらが診察したがもう手の施しようがないと言われ、クロも覚悟を決めてベッドで横になるツグナオの元を訪れた。
その背後には他の13英雄たちの姿もある。しかし13英雄たちに悲壮感はない。平和が訪れ、ツグナオが死ねばようやく彼らが真に敬愛する黒騎士が王になるのだ。これで彼らにとって真の英雄の国が誕生するのだ。
眠りについているツグナオ。その側に腰をかける黒騎士。そして黒騎士がツグナオの額にかかる髪に触れるとツグナオは目を覚ました。
「おはよう…ツグナオ。」
「あぁ…黒騎士……それに他の英雄たちもいるんだね。……ねぇクロ…君の顔が見たい。」
「あぁ。わかった。」
黒騎士は初めて13英雄たちの前で素顔をあらわにした。他の13英雄たちは黒騎士が女であったことに異常なまでに驚いた。そしてファラスはさらに驚いた。その素顔がわずかに自分に似ていることに気がついたのだ。
「君は…いつまでも美しいな……ふふ…俺はもうおじいちゃんなのに……エリッサは?」
「仕事だってさ。孤児院はそう簡単に休めないって。」
「そっか……相変わらずだなぁ…クロは仕事良いの?」
「今日は非番だ。たまには私も休まないとな。」
それから二人は他の13英雄たちは御構い無しにポツリポツリと思い出話をした。こんなにもゆっくりと会話を最後にしたのは一体いつのことだろうか。クロもツグナオも終始笑みが絶えない。今だけは王という地位も英雄という地位も関係ない。
楽しい二人だけの時間。そして会話が途切れた時、ツグナオは笑みを浮かべたままクロに語りかけた。
「ごめんなクロ…そろそろ僕はいくよ。」
「…あぁ。そうだな。そうなんだな。もう……」
突然の宣告。それはツグナオ自身にも確証があった。そしてクロはそれを受け入れたくないと心が否定したがる。だがそれを無理やり受け入れた。そしてクロはツグナオの後を追おうと決心する。しかしツグナオはそれを見透かす。そして最後の力を振り絞りクロの腕を掴んだ。
「覚えているかい?僕の小説…そこの机の中にある。最近書いていないから途中なんだ…クロ、最後の頼みだ。それを完結させてくれ。僕があの世でも読めるように…ハッピーエンドの楽しい物語を…」
「ツグナオ…それは私にはできない…私は……すぐにでも…」
「僕はこの世界に来て…本当に良かった……君に出会えた…そして多くの英雄たちにも……きっとこれからも英雄は生まれる。英雄の物語は大好きだ。いろんな英雄たちの物語を聴きたいな…クロ…最後のお願い…聞いて…」
「わかった…わかったよツグナオ。私はお前の騎士だ。私の王はお前ただ一人だ。お前の願いなら何でも聞く。」
「ありがとう…あともう一つ……この国を守って…僕がいなくなっても…みんなが幸せに暮らせるように…頼んだよ。僕の英雄。」
「ああ、わかったよ。だから安心してお休み。私の……勇者様…」
ツグナオはその言葉を聞いて最後に幸せそうな満面の笑みを見せた。そしてクロを掴む手の力が抜け去る。激動の時代を生き抜いた男、勇者王カナエ・ツグナオはこうして息を引き取った。