第456話 霧の魔帝
「霧の魔帝だと?魔神にも至れぬ三下ごときにバカにされるとはな。一度隙をついたからといって調子に乗りすぎだぞ。」
不快感をあらわにするゴディアン。だがそんなことは御構い無しに草の大精霊の治療に入る。間違いなくこの戦いに再び参戦することは不可能だ。ただそれでもこのまま放っておけば大精霊といえども死を迎える。
すぐに治療を始めるが、草の大精霊を連れてきた際に腕にまとわりついている花の大精霊が生み出した植物モンスターが邪魔をして来る。もう完全に主導権はゴディアンに移ったらしい。花の大精霊が魔力を送り込んでも全くいうことを聞かない。
そのためすぐにでもその植物モンスターを消滅させようとするが、草の大精霊はか細い声でそれを止めた。そして弱々しい手で霧の魔帝に触れると笑みを見せた。
『この魔力…懐かしい……世界樹を失った時に…一緒に消えたと思ったけど……生きていたのね。』
「ああ、久しぶりだな草の。死ぬんじゃねぇぞ。今あいつを殺して来る。」
霧の魔帝は再び霧の中へ消えた。その気配は完全に絶たれている。ゴディアンも霧の魔帝がどこへいったかまるでわかっていない。
周囲を見渡すゴディアン。しかしその苦労虚しく霧の魔帝は霧の中から直刀のみを実体化させるとゴディアンの背中を切りつける。魔帝クラスと神の文字が先に来る魔神クラスとの戦いだというのに霧の魔帝が明らかに翻弄し、優位に立っているように見える。
「何故だ…何故魔帝クラスごときがこのわしに……いや待て。この魔力。覚えがある。あれは…」
思考を巡らせるゴディアン。ここぞとばかりに霧の魔帝は攻めるがさすがに魔力量の差があるため致命傷には至らない。そして致命傷を与える前にゴディアンの思考が終わった。
「思い出したぞ。そびえ立つ世界樹の上。世界樹を乾燥や強すぎる日光から守るために存在した大精霊。世界樹の守護者の一柱であった雲の大精霊。天候を司る大精霊の中でも屈指の実力者と言われたあの大精霊と魔力の質が似ておる。だが気配は完全に人間のもの……そうか。落ちに落ち切ったか!地に落ちた雲は霧へと変わり、今この時まで生存するために人間を喰らったな!!」
「気がつくのがおせぇな。そうだ。今日この日が来るのを待ち続けた哀れな亡霊だ。たとえ地に落ち畜生になろうとお前を殺すために今日まで生きてきた。」
霧の魔帝。それはかつて存在した世界樹を守りし守護者の一柱である雲の大精霊。世界樹を失い幾星霜の時を生きるために人間を喰らい受肉した大精霊の姿だ。
直接触れた草の大精霊しかそのことに気がつかなかった。森の大精霊も花の大精霊もその姿形、魔力の質まで変質してしまったかつての仲間に気がつくことができなかった。そしてこの雲の大精霊こと霧の魔帝こそルシュール辺境伯の師であり、魔神に最も近い実力者である。
そしてそんな霧の魔帝をゴディアンは腹を抱えて笑った。
「まさか大精霊が人間に落ちるとはな!人間が精霊になるために精霊を喰らうのは聞いたことがあるがその逆とは!なんと笑わせてくれる!そこまでして必死に生き延びていたのか!来るかもわからぬ今日のために!!」
笑いが止まらぬゴディアン。確かに精霊が人間を喰らうなど聞いたことがない。精霊とは自然に属し、人間を超える存在として知られる。それがわざわざ人間を喰らって人間になるなど聞いたこともない。だが霧の魔帝はそんなゴディアンを鼻で笑った。
「知っていたさ。この世の全てからダンジョンを隠し守れという世界樹の最後の使命を貫き、そのダンジョンが地に落ちてもなお守り続けた。だが長すぎる時は我が命を削った。そして灯火となった我が命尽き果てる時に一人の獣人から話を聞いた。今日という日が来ることを。そして今日という日のために大精霊であることをやめた。お前に奪われたものを返してもらうために全てを捧げた。もう俺は大精霊じゃない。俺の剣はお前に届くぞ。」
霧の魔帝は全てを知っていた。今日という日が来ることを。そして世界樹から生み出されたままの大精霊としての体ではこの剣が届かぬことを知っていた。だからこそ幾人もの人間を喰らい精霊としての体から人間としての体へと変質させた。
全てはこの時のために。この世界に世界樹を取り戻すために雲の大精霊は全てを捨て霧の魔帝となった。対世界樹魔法の戦いは何百何千と想像し続けた。今この場でゴディアンに対抗できるのは霧の魔帝しかいない。
「ほう?どうやらお前には色々と聴かねばならぬことがありそうだ。殺さずに生け捕りにしてやろう。」
「ふん。お前ごときに勝てるかやってみると良い。」
それだけ言うと霧の魔帝は再び霧の中へと消えた。そして再び猛攻が始まる。直刀による斬撃の連続。ゴディアンはなすすべなくその全てを受けている。
二人の間には圧倒的な魔力量の差がある。しかし霧の魔帝にはそれを埋めるだけの技術力がある。隠密術、抜刀術その全てが超一流だ。そして周囲に生える樹木が光を遮りより視界を悪くしている。
「どうやら相当猛者の人間を喰らったらしいな。精霊が持つ技術ではない。強者のみを喰らい続け、その全てを奪ったか!技術も知識も!ハハハハハ!!!今のお前とわしは同類だ!同族嫌悪か!なんとも見苦しい!」
ゴディアンは挑発を続ける。わずかな怒りなどの反応を示せば気配が漏れるかもしれない。だがどんなに挑発しても霧の魔帝の気配に揺らぎは見えない。
ゴディアンは挑発を続けながら打開策を考える。正直時間はたっぷりとある。何故なら霧の魔帝の斬撃はどれも恐るるに足りないからだ。この程度の傷ならば世界樹の漏れ出す魔力ですぐに癒えてしまう。気分的には子猫にじゃれつかれている程度だ。
一方は相手の姿を捉えることができず、もう一方は致命傷を与える一撃が出せない。長期戦は確実。いや、勝負はつかないかもしれない。お互いに相手になすすべがないのだ。
だがそんな中なんとか生命維持を続けた草の大精霊が安全ラインを超えた。これで攻撃されない限り死ぬことはないだろう。そして草の大精霊は今も自身の体にまとわりついている花の大精霊が生み出した植物モンスターを手に取った。
『こいつの時間を進めて。お願い。』
『わかった。任せよ。』
唐突な草の大精霊からの頼みを森の大精霊は二つ返事で許諾した。そして植物モンスターの時間を強制的に進めると一粒の種が生まれた。
『よかった…このタネにはあいつの中の世界樹にかけられた術式の解除術式を刻み込んだ。奴の体に直接埋め込んで発芽させれば解除術式が発動する。そうすれば奴の中の世界樹が元に戻る。』
『だがそれは無理だ。我々の魔力では発芽させたとしても奴の手下へと変貌する。どうすることも…』
『あいつの世界樹から生まれた私たちではどうしようもない。だけど…別の世界樹なら?』
『そうか!我が弟子か!!それなら可能かもしれない。しかし今はこの戦場から離れてどこか遠くへ…』
『プリースト・それが例のものですか。お預かりします。』
『なんと!逃げたのでは……』
『プリースト・そのつもりでしたが…彼に頼まれました。』
すでにこの場から逃げ去ったと思われたプリースト。しかしリリーたちとともに逃げている最中、霧の魔帝と出会っていたのだ。そしてそこで力を貸して欲しいと頼まれていた。
霧の魔帝はここまでのことを予見していた。自身の力だけではゴディアンを倒すことはできないと。世界樹を取り戻すためにはもう一つの世界樹の存在が確実に必要になると。そしてそれに必要な何かを他の大精霊たちが作るだろうと言うことも。
霧の魔帝が今も必死に戦っているのは目くらましと時間稼ぎのためだ。そしてそれは見事に功を成した。草の大精霊による世界樹の核に仕込まれた術式の解析及び解除術式の作成。そして術式を解除するための植物の作成。
あとはこの種子をゴディアンに植え付け、ドルイドたちの世界樹魔法を使い成長させることができれば勝つことができる。だがここで2つ問題が発生した。
一つ目はどうやってゴディアンに気が付かれずに近づくか。霧の魔帝が翻弄しすぎたため周囲への警戒は異常に高い。そしてもう一つ、それはドルイドのもつ世界樹魔力がほぼ底をついていると言うことだ。
もちろん種子を一つ成長させることくらいの世界樹魔力はある。だがゴディアンの世界樹魔力と拮抗させるとなると厳しい。つまりゴディアンに種子の支配権を生育しきる数秒の間なんとか奪われずに耐えなくてはならないのだ。
そうなると最後の手段はリリーに頼むしかない。リリーの体内には世界樹魔力が満ち溢れている。リリーの世界樹魔法ならばゴディアンに打ち勝ち成長させることができるかもしれない。だがそれには大きな危険を伴う。
ゴディアンはリリーの持つもう一つの世界樹の力を手に入れようとしている。つまりリリーが突撃すればそれを奪われる可能性が出てくる。失敗は許されない。失敗すればリリーの命の保証はない。だがリリーはすぐにその役目を受けた。
「大丈夫。絶対に死なない。だって…絶対にミチナガくんのお嫁さんになるんだから。」
『ドルイド・御意……ではこれを…』
ドルイドはプリーストと魔力のパスをつなぎ大精霊たちから預かった種子をリリーへと手渡す。小さな1cmにも満たぬ種子。これがこの戦いの命運を決める。