第326話 天才のために
無言のまま進むミチナガの後ろをエリーの姉は怯えながらついていく。それから少し歩いたのちにピタリと一軒のレストランの前で立ち止まった。そこはこの国でも有数の高級レストランだ。
「とりあえず飯にでも付き合ってくれ。君と話をするためにまだ昼飯を食べていなかったんだ。」
「え、そんな…私…」
おどおどしている姉を置いてミチナガはどんどん店の中に入る。姉もここで立ち止まっているわけにはいかず、ミチナガの後についていく。店の中は姉が今まで見たこともないような豪華な装飾が施されている。そんな装飾に見とれていると、ウェイターに止められた。
「申し訳ありません。そのようなお召し物ではさすがに…お偉い方であろうともそのような服装では我々の店の品位にも関わりますので…」
「あ〜…それもそうか。じゃあどこか着替えられる部屋はあるか?服はあるから着替えさせよう。……あ、俺も着替えなきゃダメ?へいへい。」
もともとそこまで綺麗な服を着ていなかった姉はもちろん、一般人に変装していたミチナガも着替えを要求された。とにかく着替えが必要ということで、姉はわけもわからず個室に案内されると白い使い魔に囲まれた。そしていくつもの服や装飾品が用意されていく。
『メイ・化粧施す前に汚れ落としちゃおう。時間ないからパパッとやるよ。』
『メーク・はーい。それじゃあここに座って。』
「え?あ…はい。」
椅子に腰掛けるとすぐに作業が始まる。体は綺麗な蒸しタオルで拭かれる。しかしただの蒸しタオルじゃない。どこか良い香りがする。そして髪の毛も洗われだした。ただ泡が黒く染まっていったのが見えたのは少し恥ずかしい。だけど何度か洗うとシャンプーの良い香りまでしてきた。
『ヘア・ヘアメイク担当です。ちょっと髪の毛いじらせてもらいますね。それから眉毛も少し整えよっか。あ〜…栄養バランス悪いね。髪はそういうの出るから気をつけた方が良いよ。これは手間かかりそう。』
「ご、ごめんなさ…」
『メイ・は〜いこちらメイク担当のメイです。よろしくね。それでこっちが…』
『メーク・同じくメイク担当のメークです。あ〜肌も荒れちゃっているね。肌質回復用のポーションあったでしょ。あれ使おうか。あ、今からは動かないでね。ヘアも髪質修繕ポーション使うでしょ?』
『ヘア・もちろん使うけど1本や2本じゃ足りないだろうなぁ…何本か用意しといて。』
「あの…えっと…その……」
『メイ・ああ、座ってて。それじゃあ目を閉じてね。アイシャドウはそんなにいれない方が…でも日頃の不摂生でクマが酷いね。誤魔化すより治す方が早いか。眼球用の目薬ポーションとって。』
姉はされるがままだ。しかしそんな姉は気がついていない。今ここで受けていることがどれほど価値があるものなのか。貴族や一国の王女から直々に依頼されて行われるこのメイクなど、一般人が一生働いてようやく払えるレベルの価値あるものだなんて。
それからものの15分ほどでメイクと髪のセットが完了した。さらにいつの間にか爪にはマニキュアまでされている。それに全身の肌艶まで変わっている。ガサガサの肌は弾けるような弾力のある柔らかく滑らかな肌へと変貌した。
『デザ・は〜い終わったね。服のコーディネート担当のデザです。普段は服のデザインしているんだけど、最近作った服が君に似合いそうだからそれを着てもらおうかな?僕たちのボスはもう着替え終わっているから急いで着替えるよ。みんなも手伝って。』
「え、ちょ…」
『デザ・はいはい動かない。』
あっという間に服を脱がされ、新しい服を着させられる。肌に触れたその服の質感は今まで着たことがないほど違和感なく肌になじむものだ。そして全身のコーディネートが終わると目の前に鏡が出された。そこに写る自身の姿を見た姉は思わず言葉を失った。
『デザ・若々しさと明るさを出すために服はあまり大人びたものにはしないでおいたよ。それからヒールは高めにしようかと思ったけど、慣れないうちは危ないからね。少しかかとが高いものにしたから。』
『ヘア・コンセプトに合うように髪は少し毛先を巻いてふんわりとボリュームだしてみたよ。一応髪質用のポーション使ったけど完全修復はできないからそこはヘアオイルなんかでごまかしました。』
『メイ・メイクはチークを少し濃いめに入れておいたよ。栄養不足で顔色悪いからね。全体的に少し厚塗りになっちゃったけど、まあ仕方ないよね。』
『メーク・まあただ誤魔化すだけじゃ芸がないから色々と手は加えたよ。少女のような可愛さの中に強さも感じさせるように頑張りました。それじゃあボスが待っているから行こうか。』
「え、あ…は、はい…」
使い魔たちにエスコートされながら部屋を出る。部屋を出た先には先ほどのウェイターがいた。そのウェイターは何も言わずこちらを見つめている。またそんな服装ではダメだと言われるかと思ったが、近くによっても何も言わずにただ立っている。
「あ、あの…」
「あ…あ!す、すみません!今お席にご案内します!」
耳まで真っ赤にしたウェイターは真っ直ぐに先導していく。どうやらすっかり見とれていたらしい。まさかあんな薄汚れた少女がこんなにも可憐な、可愛らしい少女に変わるとは思ってもみなかったようだ。
案内された先にはミチナガが水を飲みながら待っていた。ミチナガはまあ馬子にも衣装といったところだ。ただ先ほどまでとは風格は違う。まさに王の風格であった。…言動さえ伴えば。
「お、ずいぶん可愛らしくなっちゃって。お前らもずいぶん力入れたな。あ、食事は勝手に頼んでおいたけど嫌いなものとかあったら残しても良いからね。まあとりあえず座って。とりあえず飲み物はどうする?お酒は無理だけど…果実水ならこの店にもいくつかあるみたいだし…」
「だ、大丈夫です。み、水で問題ありません!」
「水?じゃあ俺と同じのにしようか。注いでやってくれるか?」
ミチナガがそういうと使い魔がグラスに近づき、口から水を吐き出した。なんとも汚い絵面に姉も若干顔をしかめた。しかし断るわけにもいかず、お礼を言って一口飲む。
「え?美味しい…こんなに美味しいお水初めて…」
「世界樹の根元から湧き出る泉から汲んだ水だからね。健康に良いみたいだよ。それに思考がはっきりするらしい。まあ基本は美味しい水なだけだけど。これでお酒作ったり、料理作ると格別に美味しいのができるんだよ。」
「え、あはは。世界樹ですか…」
姉はからかわれていると思い軽く受け流した。まあ実際はミチナガの言っていることは全て本当だ。スマホの中にある世界樹の根本の泉から汲み上げたこの水は、はっきり言ってメニューに書いてある果実水でプールを何十個も作れるほどの価値がある。
何気に一番高い要求をしている姉である。そして緊張で喉が渇いたのかその水を何杯も飲んでいる。この短時間で金貨何百枚以上の価値のある水をどんどん飲み干している。この真実を知った時一体どんな反応を見せるのだろうか。
そして本題の会話の前にウェイターが運んで来た料理を食べることにする。これほどの料理を食べたことはもちろん、見たこともない姉は現れた料理をどうしたら良いのか、しどろもどろしていると横にいる使い魔たちが一つ一つ丁寧に教えている。
『ヘア・基本的には一番外側のやつから使えば良いよこれは前菜だからそこのフォークを使って。』
『メイ・まあそこまで気負わなくても大丈夫。食べやすいように食べれば良いよ。』
「そうそう。肩の力抜いて食べな。そんなガチガチじゃせっかくの料理も楽しめないでしょ。ん〜それにしても…やっぱシェフは腕が良いんだな。それとも俺が貧乏舌なだけ?」
『メーク・そりゃシェフさんの腕はピカイチですよ。それに食材だってうちで揃えるものはどれも最高ですよ。』
ミチナガの舌にこの料理があっていないということを知った姉はやはり住んでいる世界が違うのだと理解した。自分にはこの料理は今まで食べて来たどんなものよりも美味しい。その後も運ばれて来た肉料理も魚料理も最高に美味しく感じた。そしてとてつもない罪悪感を感じた。
「私ばっか美味しいの食べて…エリー…ごめんね。」
「ん?エリーは今、もっとうまいの食べているぞ。」
「え?」
「いや、エリーのお昼がないみたいだったからうちの使い魔たちが今エリーと一緒に宴会開いて盛り上がっているよ。気になるなら…だれか向こうとテレビ電話繋げられる?」
『メーク・今繋ぎますね。』
すると突如投影された映像には使い魔たちとエリーが肉を頬張り、歌を歌いながら大宴会を開いているところであった。なんとも楽しげなエリーを見た姉はホッと胸をなでおろした。そして姉の方から話の本題へ入っていった。
「あの…私たちに何か用があるというのは一体なんなんですか?どういうことか全然わからなくて…」
「単純な話だ。エリーには絵の才能がある。その才能はここでくすぶっている場合じゃない。俺の友人に芸術の天才がいる。そいつの元で学べばエリーは世界有数の芸術家になれる。」
「え、エリーがですか?でも…絵なんて壁に落書きとかそのくらいしか…」
「昨日描いてもらった絵がここにある。君のことを描いた絵だ。素晴らしいできだろう?」
ミチナガは昨日エリーが描いた絵を姉に見せる。その絵を見た姉はエリーの才能をようやく知った。エリーがこんな絵が描けるなんて思ってもみなかった。一人じゃ何もできないような、親に捨てられたあの子がこんな絵を描けるなんて。
「俺ならその絵に金貨50、いや100枚は出す。今後学んでいけば絵一枚で金貨1万はくだらない芸術家にだってなれるだろう。」
「まさかそんな…!?だ、だってエリーは…エリーは一人じゃ何も出来ない様な子で。両親だってエリーを見限って…」
「俺も詳しくはないんだが…エリーは発達障害の一種だろう。ただこの世界では異常なほど珍しい。この世界は魔法で肉体の損傷は、変質は治すことが、戻すことができる。おそらく発達障害の出生率はかなり低い。発達障害っていうのは体の一部が…障害を持って生まれてくることだ。エリーの場合は脳になんらかの障害があるんだろう。」
「発達障害…それがエリーの病気なんですか?」
「病気…とは違うかな。生まれつきの特性、個性みたいなものだ。その特性の症状によっていろんな呼び名がある。自閉症、アスペルガー症候群、不思議の国のアリス症候群とかな。エリーがどれに当てはまるかなんかは俺にはわからない。この世界はそういった研究はされてないからね。まあ症例自体が全然ないから仕方ないけどね。」
エリーの姉はそれを聞いて涙を流した。今までエリーはずっとどういう病気なのか知りたかった。なぜエリーだけがこんな風になってしまったのか。どうして、どうしてエリーはこんな風になってしまって…そして両親に捨てられたのか。
姉にとってエリーは大切な自分の弟であった。両親は貧しい暮らしでエリーにも姉にも構っていなかった。むしろただの働き手としかみていなかった。だからエリーがまともに働けないと見限り捨てられると知った時に、エリーを守ろうと姉はエリーを連れて両親の元から去った。
いつかエリーが普通の人間になるんではないかと思った。そうすれば普通の暮らしができると。だけどそれと同時にそれはもうエリーと呼べるのかわからなかった。エリーが普通にハキハキと話し、畑仕事をするのが良いのかわからなかった。
だけどミチナガは病気ではないと言った。だからエリーはこのままで良いのだ。これがエリーの個性なのだから、エリーはずっとこのままで良いのだ。これまでずっと抱え込んでいた大きな胸のつかえが取れた姉は憑き物が落ちた様に安堵し、涙した。
「発達障害っていうのは不思議なものでな。世界に名を残す偉人に多い。字面だけ見れば発達に障害があるんだから生きていくことも大変なんだろうと思う。だけど発達障害の人っていうのは一般人とは違うものの見方が出来る。普通とは違う思考ができる。人はな、人には出来ない考え方ができるやつのことを天才っていうんだよ。天より与えられた才能だ。エリーは神様から才能を与えてもらったんだよ。」
「はい…はい……」
「俺はその神様から与えられたエリーの才能を潰したくない。だからエリーに絵の勉強をしないかだけでも聞いちゃダメかな?」
「いえ…私も…エリーに言い聞かせます。ミチナガ様、あなた様ならきっとエリーも幸せになります。だから…エリーをあなたのところで学ばせてやってください。」
姉は頭を下げてミチナガにエリーのことを頼んだ。きっとそれがエリーのためになると信じて。