第315話 伝説の3分
アンドリュー子爵たちがジェルガルド王国に逃げ帰った日の夜。しんがりを務めていたミラルたちが戻って来た。その姿はボロボロだが、命に別状はない。ただその両腕に抱えられて戻って来た6人の兵士たちは別だ。生きているかも怪しいレベルである。
「かろうじて息のあるものたちを連れ帰った。他のものたちは無理だった。とりあえず彼らだけでも治療を。」
「ありがとう…おい!急いで治療をするぞ!」
すぐに回復魔法による治療が始まる。しかし自然治癒もできないほど弱り切っている彼らが助かるかは正直わからない。ボロボロになっているミラルたちも治療しようと幾人かの兵士は申し出たが、ミラルたちは寝れば治ると言ってそのままアンドリュー子爵の元へ向かった。
なんとか無事にここまでたどり着いたミラルたちを見たアンドリュー子爵は安堵の涙を流した。しかし今は感動の再会を喜んでいる場合ではない。
「ダエーワについては我々も多くの情報を得ている。商人としての魔帝クラス、世界で一番強大な犯罪組織だ。この国にも何人も諜報員がいると見て間違い無いだろう。今後は私たち3人が常に周囲を警戒する。ただそれでも奴らには魔帝クラスの暗殺者もいる。それが来たらどうしようもない。」
「そんな…わかりました。ですがミラル、今はあなたたちも傷ついている。早く休まないと…」
「それが隙になる。今は隙を見せられない。私たちの心配より自分の心配をしろ。」
「ですが……いえ、わかりました。」
アンドリュー子爵が何を言っても聞かないだろう。アンドリュー子爵に自身の身を守るだけの力はない。アンドリュー子爵はそのことを悔しく思いながらその日は眠りについた。
その翌日、城内は慌ただしかった。国王は怪我で療養中だというのに国の周りをダエーワの兵士たちが取り囲んでいるのだ。すでに警戒態勢に入っているので国内に侵入されることはそうそうない。しかしダエーワはすでにこの国に侵入していると考えても不思議ではないだろう。
この状況下の中で誰もが混乱し、恐怖に怯えている。そしてその様子を見たアンドリュー子爵は胸を締め付けられる思いであった。なんせこの状況に陥った理由はただ一つ、この国にアンドリュー子爵がいるからだ。
アンドリュー子爵は部屋で一人この状況を嘆き悲しみ、そして己の弱さを嘆いていた。そんなアンドリュー子爵の元へリューが近づく。
「私は…私はどうしたら良いのだ……私では何もできない。私は…なんと愚かなんだ。自分ばかり楽しみ、周りのことなんて何も考えない…」
『リュー・何もできなくなんてないよ。人にはできることに限りがある。それはうちのボス、ミチナガだって同じさ。アンドリュー子爵はボスのことを大きく評価しているけど、ボスだって何度もなんども危険に陥って無力感をあじわっている。だけどね、そんな時は周りを頼れば良いんだよ。アンドリュー子爵だって頼れる人はいっぱいいるじゃない。』
「頼れる…まさか連合同盟の皆さんのことですか?そ、それはいけません!私のために皆を危険に晒すわけには…」
『リュー・関わりたくない人は無視するよ。それにね…アンドリュー子爵。友達に頼ってもらえないのは、それはそれで寂しいものだよ。弱いところを見せてさ、惨めだろうが何だろうが助けを求めたっていいじゃない。アンドリュー子爵の元には助けになってくれる良い人が大勢集まっているよ。みんなを信じてあげてよ。』
リューの言葉を聞いたアンドリュー子爵は悩んだ。本当にそれで良いのかと。自分の都合のために大勢を巻き込んでも良いものかと。瞳を閉じればこれまでであって来た大勢のファンのことを思い出した。
彼らは普通に生きていれば危険に会うことはない。そんな彼らがもしかしたら自分の一声で危険に晒されるかもしれない。そう考えると声も出せなくなる。苦悩で押しつぶされてしまいそうだ。
何もせずにこのままうずくまっていたい。しかし何もしなかったらもっとこの国に迷惑をかけることになる。もういっそのこと死んでしまおうか。自分さえいなくなれば全てが解決するのだから。そんなことを考えるアンドリュー子爵の前でリューが飄々と話し出した。
『リュー・あ、ちなみにミチナガ商会はつい昨日ダエーワの拠点の一つ潰したから。これからミチナガ商会とダエーワは全面戦争に入ると思うからそっちの関係でもアンドリュー子爵に迷惑をかけるかもしれないよ。今のうちにミチナガ商会と縁切っておく?』
「み、ミチナガ先生はすでにダエーワと…」
『リュー・うん。その関係でアンドリュー子爵の襲撃のことも知ったんだよ。ずいぶん大々的にダエーワの麻薬工場を破壊して、大幹部の息子を捕まえたから相当恨まれているよ。やっばいよね。どうしよ。』
「は、はは…さすがは先生だ。そうか、先生は悪を許さないか。なのに私が奴らに負けては先生の顔を潰すことになる。リュー殿、すみませんがこれから動画を一つ…良いですか?」
『リュー・もっちろん!ささっと準備を済ませるね。』
アンドリュー子爵は涙を拭った。ミチナガが戦っているというのに自分だけ逃げるわけにはいかない。できる限りのことをするしかない。だってアンドリュー子爵は…
「私は先生の弟子ですから。」
『リュー・準備できたよ。それじゃあそこの椅子に座って。』
「ええ、わかりました。」
簡易的な撮影の準備が完了した。アンドリュー子爵は席について撮影の準備を始める。撮影を始める前に最後の確認を行う。これから自分が行うことを。自分のせいで誰かに迷惑をかけるかもしれないことを。その全てを理解した上で撮影を始めた。
「みなさん、この度は……いえ、違いますね。どうも、アンドリューです。釣りばかりしているアンドリューです。釣り馬鹿や釣り貴族と呼ばれるアンドリューです。急なことですみません。」
なんともグダグダとした出だし。しかしリューはその映像を全てそのまま使うことに決めた。それがアンドリュー子爵の本心を表しているように見えたからだ。そして撮影されているアンドリュー子爵はいつもの明るく楽しそうな表情とは違い、暗く悲しそうなものであった。
「現在私はジェルガルド王国にいます。自然が豊かで美しい国です。人は優しく私に声をかけてくれます。素晴らしい国です。ですが私は…そんな国に災いをもたらしてしまいました。」
叫びそうになるのをグッと堪えた。膝の上に置かれた握りこぶしは震えるほど強く握りしめられている。喋りながら改めてわかってしまったのだ。自分がこの国に厄災をもたらしたことを。
「私は今、ダエーワという組織に命を狙われています。ダエーワにとって私という存在は目障りのようです。そしてそのせいで今、このジェルガルド王国の周囲には大勢のダエーワの兵士が集まっています。きっと1000や2000ではきかないのでしょう。万を超える兵の数です。そして私は昨日襲撃されました。そして私の元へ飛んで来た矢を防いでくれたジェルガルド国王陛下は今も治療で動くことはできません。さらに護衛の兵士も大勢亡くなりました。」
涙が流れそうになる。しかしグッと堪える。嗚咽で言葉がうまく出せなくなりそうだ。だが必死に声を絞り出す。必要なことを伝えるために。
「ジェルガルド国王陛下が動けない今、この国は混乱に満ちています。それもこれも全て私のせいです。私さえいなければきっと平和に暮らせていたのに……都合の良いことはわかっています。ですが…ですが誰か……誰か助けてください。私ではこの国は救えない…私では何もできない。どうか…どうか皆さんの力を…私に貸してください……お願いします…」
アンドリュー子爵は頭を下げた。そしてついに堪えきれなくなったのか涙が流れた。だが決して泣き顔を映像には映さなかった。そのまま頭を下げたまま撮影は終了した。
『リュー・お疲れ様。あとは少しだけ編集…まあ編集というよりミチナガ商会もダエーワと戦っているという映像を最後に足しておくね。それじゃあ…少し休んで。』
「ありがとうリュー殿。申し訳ない…申し訳…」
リューはすぐに編集をカントクに依頼した。まあ編集としては簡単なものだ。最後にミチナガ商会もダエーワと全面衝突するという旨を書いた映像を足すだけだ。
映像としては3分にも満たない短いもの。だがその3分にも満たないこの映像が世界を揺るがすことになる。新たなるアンドリュー伝説の幕開けである。