第105話 名もなき強き男
「ウィッシにナラーム何してやがった!感知はどうした!」
「魔力感知に引っかからなかった!こいつはやばいぞ!」
「俺の仕掛けにも引っかかってねぇのかよ!」
マックたちは急いで武器を持って立ち上がり俺の方へと駆け寄ってくる。その顔は明らかに焦りを見せている。しかしどんなに走っても現れた男はすでに俺の目の前にいる。攻撃されたら守ることは不可能だろう。そんな中俺は……とてつもなく悠長だった。
「すごく汚れていますね、よかったら風呂入ります?」
「……」
男は表情を一切変えない。しかし何も行動する様子がない。すぐにガーグが俺と男の間に割り込んでくる。俺からは後ろ姿しか見えないが汗でびっしょりと濡れている。さらにその体はわずかに震えているように見える。
「な、名のある方とみた。この場になぜ来たのかは知らないが、我々から奪えるものはないぞ。」
ガーグは震える声を絞りながら答える。おそらくだがこの男は相当の実力者なのだろう。俺には全くわからないが、マックたち全員が今すぐ逃げたいと言いたそうな表情をしている。そんな中俺は、のほほんと風呂に入っている。男はしばらくしてから口を開いた。
「あ、あー……」
低く通る声だ。割と良い声をしている。男は少し困ったようなそぶりを見せた。しかし警戒しているマックたちからは威嚇と思ったのだろう。さらに臨戦態勢を整える。このまま放っておくと大変なことになりそうなのでとりあえず近くにいるガーグの肩に手を置く。
「大丈夫だから一旦武器を降ろしてくれ。そっちの旦那もゆっくりでいいよ。ちゃんと聞くから。」
マックたちは俺のことを驚愕の表情で見る。そんな顔しなくったっていいのに。男は一度深呼吸して、一度咳払いをした。そしてまた小さく声を出してからこちらを向いた。
「不思議な匂いがしたから来ただけだ。脅かすつもりはなかった。すまない。」
「いいよいいよ。確かに珍しい匂いだからな。しかしそっちはそっちで、ものすごい匂いだぞ。少しここで体を洗っていきな。」
俺は風呂を上がり、服を着る。その様子をマックたちはどうして良いか分からずただ眺めている。着替え終わった俺は男をこちらに招き寄せて体を洗ってやる。しかし至近距離によるとさらにその匂いのキツさがよくわかる。臭すぎて何が何だかよく分からない。
これは使い魔たちを総動員する必要があるな。そこから服を脱がせて体を洗ってやる。洗剤を使って5回ほど洗うとようやく泡が立つようになり、匂いもしなくなった。綺麗に洗い終わってから湯船に浸からせる。大きめの風呂桶を作ってもらったのだが、この男にはそれでも小さいようだ。
しかし男は風呂が気に入ったのか息を漏らしている。今は湯船の中でまだ名前をつけていない使い魔が男のヒゲを剃っている。そうして安らいでいる男を見た俺は先ほどからずっと手招きしているマックたちの方へ移動した。そこからは男に聞こえないように密談がはしまった。
「お前何考えているんだよ!見ず知らずの男にあそこまでやるか普通!…だけどおかげで助かったのは事実なんだけどな。」
「あ、あれはやばいっすよ。姉御よりも強いっすよ。間違いないっす。」
「ま、まあみんな落ち着けよ。あの人悪い人じゃないと思うから。俺に任せておいてくれって。とりあえずそっちは武装解除でよろしく。腹も減っているだろうし飯の用意もしておくわ。」
俺の手厚い歓迎にマックたちは驚いている。しかし自分たちでもどうしようもない事態ということを知っているのでもう俺に任せてくれることとなった。
男は風呂から上がると帰ろうとしたので引き止めて食事を提供する。男はひどく驚いていたが無理やり食事の席につかせた。男はまるで何日も食べていなかったかのように俺の出す食事を食べ出した。そして飲み物に果実酒をやるとそれを一気に飲み干して何か考えていた。
「これは……あ〜…あれだ。…」
「お酒な。それにしてもよく食べるな。まともな飯は久しぶりか?人と会うのも久しぶりみたいだし。」
「あ、ああ…そうだ。人と話したのは何年ぶりだろう。ずっと前のことだと思う。」
やっぱりか。どういう経緯かは知らないがこの男、人と接することもなく何年も生きて来たのだろう。なんとなく見た感じで感じ取ったよ。こいつ、コミュ障だって。
始め茂みから出た時もどうして良いか分からなくなって固まって、話しかけられたけど声の出し方忘れちゃって、とりあえず声出してみて。血は滴っていたけど悪人のようには思えなかったんだよな。そう、なんか似ているんだよな。お、俺じゃないぞ。昔の俺に似ているとかじゃないからな。
まあコミュ障だからって無下に扱うのもかわいそうだし、せっかくだから仲良くしておこうかなって思っただけだ。決して昔の自分みたいで放って置けなかったとかじゃないからな!俺コミュ障じゃないもん!一生懸命喋れるように頑張ったもん!違うもん!
「それにしてもこんな森の中で何してたんだ?多分何年もそんな調子なんだろ。」
「…人と話すのが苦手で。距離を置いてた。」
わお、こいつのコミュ障レベルはなかなかに高いぜ!エリートコミュ障だな!
「そっか、まあ気にせずくつろいでくれ。俺は商人なんだ。なんか欲しいものがあったら売ってやるぞ。名前はミチナガだ。そっちの名前は?」
「名前…ああ、これに書いてある。」
そう言って男が取り出したのはカードだ。あれは一度見覚えがある。確か冒険者ギルドの登録カードだ。ずいぶん汚れているが間違いないだろう。マックたちも気になったのか俺の方へと寄って来た。
「ずいぶん古いな。名前は…かすれちゃって読めないな。H級冒険者なのか。それって確か一番最低ランクじゃなかったか?」
「こ、これだけ強そうでそんなことあるわけが…最終更新10年以上前だと…もうこれ失効してるな…」
「初めて登録してから…行ったことがない。」
登録した時に一度だけ行っただけなのか。それ以降はコミュ障が発動して行く気が起きなかったと。それとその時使った名前は適当らしい。元々孤児なので名前がないそうだ。
男はやがて満足したようで食べるのをやめた。しばらく沈黙が続いたのだが、俺にお礼がしたいということで少しだけその場を離れた。10分後、男は何かのモンスターの素材を持って来た。
「全部、やる。今まで集めたものだが俺には必要ない。」
「お、おい…これアースタートルの甲羅…それにこっちは幻影孔雀の羽…」
「こっちは多分なんかの竜種っすよ。見たことのない素材もあるっす。」
「全部危険度A級かそれ以上のモンスターだぞ。…やっぱりあんた魔王クラス、いや、それ以上の実力者だな。」
どうやらものすごい素材のオンパレードらしい。風呂と飯だけでこんなに良いものをもらっては悪いと思ったのだが、男もなんとなくとって置いただけなので気にしなくて良いとのことだ。
「しかしな…こちらの利益が高すぎるだろ。」
「良い…久しぶりに人と話して楽しかった。」
あー…人と話す楽しさはわかるコミュ障か。話すと楽しいけど何話して良いか分からなくて結局話さなくなっていっちゃうんだよなぁ。無駄に気を使って疲れちゃうやつだよなぁ。しかしさっきから気になっていたんだけど、なんか新入りの使い魔がこの男気に入っているんだよな。
ここで別れたらまた森の中で誰にも関わることもなく生きていくんだよな。そして誰にも知られずに死んでいく。そう思うと放っては置けない。…あ、良いこと思いついた。
「なあ、もしよかったらなんだがウチで働かないか?とはいえ店で接客は無理だろうからあんたは今まで通り森の中で好きに生きてもらって構わない。代わりに討伐したモンスターの素材を俺に卸してくれれば良いんだ。専属の冒険者みたいな感じかな。素材の値段の2割はうちがもらって残りはそっちに返す。そのあんたに帰って来た金を使ってうちから好きな時にものを買えるようにする。ってのはどうだ?」
「…森から出なくても可能なのか?」
「うちのその使い魔があんたのことを気に入っているみたいだからな。そいつを連れて行けば可能だ。悪い話じゃないだろう?なあ頼むよ。この通り!」
コミュ障の弱点、勢いに負けやすい。否定したくてもその場の勢いに負けるのでそのまま頷きやすいのだ。まあ今回の場合はそんなことしなくても平気そうだけどな。
「わかった。ではよろしく頼む。」
「ああ、よろしくな。それから新入り、お前もそれで良いだろ?この人をよろしく頼むぞ。」
名無し『“承知しました。”』
スマホに返信が来ていた。どうやら問題ないらしいな。俺は男に皮袋を手渡し簡単な説明をしておく。この皮袋は社畜の研究の成功例だ。すでにこの名無しで登録もしてある。これでこの皮袋が破壊されない限り、この使い魔の復活地点はこの皮袋になる。
ちなみに今初めてやってわかったのだが、使い魔の復活地点をこの皮袋で登録すると眷属たちもこの皮袋に仮認定されるらしい。ただ眷属の場合、こっちの世界に家を立てればそこに登録されるため、再びスマホに戻ることが可能とのことだ。
それから男と簡単な契約書を作成し、契約を交わした。とはいえ男はそういったことは全く詳しくないので俺が好きに作ってしまった。しかし俺の都合の良いものにしすぎると罪悪感があるため、ちゃんとした契約にしたつもりだ。とはいえ俺もこの手の契約の類はしたことがないのでなんとなくだ。
そして翌朝、男は俺の使い魔を連れて去って行った。まだ少ししか話していないが彼とはこれから長い付き合いになることは間違い無いだろう。そうどこかで確信していた。