第四話 キモオタに転生
「――――――うおおぉおぉおおぉぉぉぉっ!」
轟音と共に人間界へと飛ばされるゼウス。彼は、経験したことのない転生の勢いに圧倒されていた。
体が熱い! 奥底から沸き上がるこの衝動! まさにセックス前の興奮に勝るとも劣らない、生まれ変わるってこういうことなのかぁっ!!!
勢いよく放たれた煙の塊は地表に近づくにつれてその速度を急激に失い、やがて人間界に到着するとプシューという気の抜けた音と共にその形状を失っていった。
「ふぅ~。どうやら、上手くいったみてぇだな? さて。まず何からおっぱじめよっかなぁって、その前に煙じゃまっ!」
ゼウスは自らに取り巻く煙を手で振り払う。すると煙は徐々に消え、周りが見えるようになってきた。
「……ん? おい、ちょっと待て。なんだこれはっ――体が、お、俺様の体がブヨブヨのクソデブになってるぞっ!? それに、なんだこのだせえ恰好はっ!」
ゼウスの恰好は、秋葉原のオタクそのものだった。青と緑のよれよれチェックシャツに白いハーフパンツ。靴は黒のサンダルで、メガネのレンズは埃まみれだった。彼は全く想定外の事態に動揺した。
「ふざっけんなよマジで! しかも、どこだよここ?」
彼の周りには見渡す限りの広大な砂漠が広がっていた。焼けるような日差しに体感したことのない暑さ。汗が止めどなく溢れ、拭いたそばからまた噴き出す。
「おいおい、何がどうなってんだ! こんな日差しごときで、はぁっ、汗が止まらん! はぁっ、はぁっ、に、人間の姿になると、こうもきついのか!?」
意味の分からない状況と理不尽な仕打ちに、彼の怒りのゲージはみるみる高まっていく。
「おぉおおおおっっおおおおい、糞兄貴どういうことだぁあぁぁっ! 説明しろやカスがぁあぁあっ! おいハゲ、はよでてこいやぁっ!」
ゼウスが空に向かって大声で叫ぶと、しばらくして突如空に亀裂が走る。そして、その割れ目からハーデスが頭を出した。
「なんだよぉ~ちゃんと転生したじゃんかぁ? せっかくハーレムウヒョヒョイな夢を見てたっつーのによぉ、最悪の目覚めだぞおぉん、あ? こら??」
寝起きのハーデスは、目をこすりながらゼウスを見下ろした。
「俺が今から悪夢を見せてやろうか! やいっ! 一体全体これはどういうことだぁっ? 説明しろやぁっ!」
「ん~? ちょwおまっ! 何その顔と恰好www完璧キモオタじゃぁあああん! クソワロスwwwまじざまあぁっwwww」
真剣な態度のゼウスとは対照的に、ハーデスは彼の姿を見て爆笑する。
「笑いごとじゃねぇぞ! さっき大船に乗ったつもりでいろだとかなんとかほざいていたなww泥船じゃねぇか!」
「さすがにワロタ」
「マジふざけんな! 死ねやぁっ!」
「あのなぁ、ゼウスよ。死ねと言われても冥王である俺はそう簡単に死なないって、それ一番よく言われてることだから。というか~さっき俺が”適当なやつで適当に送る”って言ったけど、お前全く反対しなかったんじゃぁん? そりゃあそうなっても当方、責任を負いかねますよ?」
「いやいや適当にも程があるだろ! なんで俺様がこんな目に……はぁーあ! グチグチ言ってもラチがあかねぇな。とりあえず、いったんそっちに戻してくれよ。なんか知らねぇけど、ここくそあち~んだよ!」
ゼウスは少しでも涼しくなるように、手を団扇のように振りながらハーデスに要求した。
「えぇ~っ戻すのくそだりぃ~からやだわぁ! 絶対やだ! 死んでもやだ!……死なないけどなwwwウェヒヒ。ま、運がなかったってことであきらめよう、うん。まじお疲れ~(笑)ってかんじで、がんばってくらさいね~」
「……は?」
ハーデスの言葉に、ゼウスの怒りのヴォルテージはついに頂点に達する。
「おい、今ならまだ許してやるぞクソ兄貴。早く俺をそっちに戻さないとどうなるかわかってるよなぁ? 俺の必殺技”ケラウノス”で全宇宙終わらすぞ!」
彼の必殺技であるケラウノスはオリュンポスの神々の攻撃の中でも屈指の威力を誇り、使えば全宇宙が終焉を迎えると言われている。
「お――おいおいおいっ!!! やめろバカ! カス! ゴミッ! はやまるなぁっ! やめろおおぉおおっ!!!」
「あ^ぁ~ケラウノスぶっぱなしたくなってきたな~全宇宙終わらそっかなぁ~?」
「いいかとりあえず、とりあえずだな! 落ち着け、落ち着くんだ! はやまるなよ!」
「じゃあ、さっさと戻せよ!」
「あ、あぁ。ふぅ~なんとか思いとどまってくれたか。まぁくそだりーけど、確かにかわいそうだからなぁ。くそめんどくさくてまじうぜ~けど、戻してやっかぁ。正直死ぬほどめんど――」
「いいから、はやくやれよっ!」
「りょ、了解!」
「きびきび動けよ~無駄口はいらねぇから!」
「はぁ、昔はもっと思いやりのある可愛いブラザーだったのにな」
「いつの話をしてんだよ。はぁ、とりあえず戻れそうで良かったぜ。もう人間に転生なんかぜってえしねぇわ」
「いいのかー? まだ何もしてないぞ?」
「いーんだよ。やっぱ人間なんて糞になる必要なんてねぇのさ。だって俺様全知全能の神ゼウス様だもぉんw! ま、今まで~おれっち強すぎて不死身だったからさぁ! くそ雑魚人間になってみたのはわりと貴重な経験かもなぁ。んまっ! 俺、心までイケメンだからさぁ! こんなこと困難にもならねえっていうか? マジ楽勝朝飯前ベイベーみたいな感じなんだよなぁ」
「ん~? ずいぶんちょずいてやがるな、このクソ髭野郎は。戻すの止めよっかな~w? ――そうだっ、じゃあ『戻してください、ハーデスお兄様』って十回言ったら戻してやらん事もないぞw? 髭野郎がwww」
普段のゼウスなら、笑って流すレベルの他愛のないジョークだった。だが、かつてないほどの屈辱にさらされていた彼は、思った以上にストレスが溜まっていたのか、一瞬本気でハーデスにキレてしまう。
「……は?」
「じょ、冗談だよ……もぉ~ブラザーったらぁ~w……ごめんなさいっ! お兄ちゃんが悪かったから、なんでもしますからっ! 頼むから全宇宙を終わらそうとするのだけはやめちくり~」
ハーデスはゼウスの静かな怒りを感じ取ると、涙目になりながら必死に謝りだした。
(ちょっとやりすぎたか? 兄貴はいつもこんな感じだから悪気はないってわかってるのにな……何熱くなってんだよおれw。冷静でイケメンなこの俺様が取り乱すなんて――久しぶりだぜ。まぁ、ハーデスニキはいつも調子ぶっこいてるから、たまには御灸をすえてやらないとな!)
ゼウスはハーデスに少しばかり罪悪感を感じつつも、自身の行動を正当化した。一方ハーデスは、これ以上ふざけてはさすがに『全宇宙がヤバイ』と思ったのか、慌ててゼウスが天界に帰るための手続きの書類を探し始めた。人間界と天界との行き来は、専用の書類がないと出来ないことになっている。
「あ、あっれ~おかしいなぁ。書類どこやったかな~」
必死に机の周りを探すハーデス。だが、なかなか見つからない。時間ばかりが過ぎ去っていった。
………………