第十五話 神王ラーメン
ゼウスは、ハーデスの地図を見ながら家を目指していた。だが、その足取りはフラフラとおぼつかず、少しずつしか進めないでいた。
「腹、減ったンゴ」
ゼウスの腹の虫は大きな悲鳴をあげていた。人間界に来てから半日程が経過していたが、彼は飲み物以外はまだ何も口にすることが出来ていない。
(これ、なんか食わないと本気でヤバくない? この辺は、、、ぱっと見なさそうだよなぁ)
ゼウスは秋葉原の中心から少し離れた、閑静な住宅街にいた。周りには入り組んだ細い路地と民家が立ち並ぶだけで、お食事処はありそうにないが――――、
「どこでもなんでもいいから、なんか店ねぇかな~……ん? あれは、ラーメン??」
しばらく歩いていると、赤い暖簾に『ゼウスラーメン』と書かれた小さな店を発見した。
(あ~はいはい。確かヘラが通販でカップラーメンとかいうの買ってたけど、ラーメンてあれだろ? つか、ゼウスって俺のこと? ねぇねぇ、普通にこれ犯罪じゃねw? 俺様の許可なく名前使うとか、それふつーに罪重いんだけど! それになんだ~このちんけな店構えは?)
こじんまりとしたその店の赤い看板は、手入れがほとんど為されておらず黒ずんでいた。全体的に外観はみすぼらしく、汚ならしいと言ったほうが分かりやすいかもしれない。
さらに、明かりはついているものの店内からは声ひとつ聞こえてこない。そのため、明らかに繁盛はしていないことが伺える。
そんな店の様子は、傍若無人のゼウスでさえも入ってよいのかためらうほどに、人を寄せ付けない雰囲気を醸し出していた。
あのさ、『空腹は最高のスパイス』って言葉あるじゃん? 腹が減ってると何でもおいしく食えるみたいな?? あれって実はさ、俺が作った言葉なんだよね。
ヘラのご飯がゲロマズって話はしたっけ? あいつのメシってさぁ、マジで食べ物じゃなくて軽く化学兵器なのねw。いや笑い事じゃなくてね。
毒飲めって言われて、はい飲みますって言えるやついる~? 言えないよねーお前ら腰抜けだからwww。
まぁ、俺もヘラの飯に関しては素直にYESとは言えないんだけどね~マジノーセンキュー。
いつもは外食するからとか、適当な理由つけてなんとか断ってんるんだけどさ。流石に断ってばっかだと、あいつの機嫌が悪くなって銀河系が消滅しちゃうから、なんとか我慢して食べなきゃいけなくてさ~。マジで地獄なのねw。
だから、そんな時は思いっきり腹をすかしとくんだよね! そうすっと、どんなに不味いもんでも美味しく食べられっからっ!!!
ま、ぶっちゃけた話、全然意味なかったんだけどね~w。だって、マズイもんはマズイんだもん。いくらスパイスが良くても、くそ不味いもんの前には無意味だよね。ウンコにどんなスパイスかけてもウンコはウンコだろ? ガキでも分かることだよなwww。マジであの言葉作った自分殴りて~。
新婚生活の時は、ガチでヤバかったよね。何回、失神したか分からないもん。それにあいつ、ホントに気持ち悪いくらいの可愛い笑顔で、おぞましいもん持ってくるからさー。筆舌に尽くしがたいほどのジレンマだったよねwww。
自分でも生きてるのがほんと不思議でねー。俺様ってやっぱり選ばれしミラクルゴッドなんだなって、自覚したのもあの時なんだよねぇ。はぁ~まじノーベル平和賞もんだろこれ?
ゼウスは苦い思い出を振り返ると、何度も溜め息をついていた。
「この際食えればなんでもいいや、もう。ヘラの飯を食ってきた俺様に食えないものなんて、この世にないんだよな~」
彼はやれやれと言いながら、引き戸に手をかけた。
店にはいると、やはり中には一人も客はいなかった。
しかし店内は外観と違いきれいに掃除がなされ、居心地の良い雰囲気を漂わせていた。
「なんだ、思ったよりええ感じやん! んー、誰もいねーな」
ゼウスが少し不安になっていると、奥の方からいびきらしき音が微かに聞こえてくる。
「何だ、誰か寝てんのか?」
気になったゼウスは音がするカウンターの方に向かった。すると裏には、ヨダレを垂らしながら気持ち良さそうに寝ている初老の男がいた。
「――うぉっ! おいおいまじかよ、寝てるとか。おいっ! 起きろやぁじじい!!! 神々の王がわざわざ出向いてやってんだぞ! 早くなんか食わせろや」
「んっ? はぁ~んん゛~。あっ、やべっ寝てたわ。い、いらっしゃい! 珍しいね~お客さん?」
ゼウスの大声に目を覚ました店主は、大きな欠伸を一つかくと寝ぼけ眼で彼を見た。そして、自分を起こした人物が客だと知るやいなや、急いで身だしなみを整えた。
「珍しいっておいおい、自分でそれ言っちゃうの?」
「ん~? あぁ、うちさぁ、全然お客さん来なくてさ。もうそろそろ店をたたもうかと思ってるくらいなんだけど、よく来たねっあんちゃん! まぁ、ゆっくり食べていきなよ」
「あ、あぁそうなんだ」
さも当然、と言わんばかりの潔い店主の自虐言葉に、流石のゼウスも戸惑ってしまった。
「ちょいと待ってな、今すぐ作るからよっ! オススメはやっぱり何といっても神王ラーメンだね」
「ほー。じゃあそれ、一つ」
ゼウスは、店主の勢いに流されるまま、看板メニューである『神王ラーメン』を注文した。
………………
「あいよっ、待たせたな!」
「お、おぉ」
店主の一挙手一投足に注目していたゼウスは、店主の鮮やかな調理技術にすっかり見とれていた。
(何だ何だ!? すげえ動きでほんとうにあっという間に作っちまった。それに、めちゃくちゃ美味そうじゃねえかおい!)
具材のトッピングはシンプルにチャーシューと煮卵に、ネギ、のり、メンマ等が入っていた。ラーメンを食べたことがある人なら至って普通――いや地味すぎるラーメンに見えるかもしれない。
しかし、ゼウスの感じ方は違った。今までに本物は食べるどころか見たこともなかったので、目に入る情報すべてが新鮮で、強くラーメンの持つ魅力に引き込まれていた。
さらに極めつけは、きらびやかな黄金色のスープだ。見た目の美しさだけでなく、芳醇な香りが彼の鼻腔に入っては、食欲をより一層搔き立てていた。
「お、気づいたかい? 神王ラーメンの最大の持ち味はそのスープさ! まぁ、めちゃくちゃ手間がかかってるんだけどよ、、、ってそんなんはどうでもいいか! ささっ、冷めないうちに食ってくれや」
「あ、あぁ」
ゼウスは、未知の領域に足を踏み込もうとしている冒険者のような気分で、スープを一口すすってみた。
「――んぅ!? こっ、これはっ!」
ゼウスは、ラーメンのあまりの美味しさに衝撃を受けていた。
(なんだっ、これ。まさか世の中にこんな美味いもんがあるなんて。今まで俺は何を食べていたんだ)
ゼウスは夢中でラーメンを食べ、スープも全て軽々と飲みほした。
「お~良い食いっぷりだねぇ、あんちゃん! そんだけ美味しい美味しそうに食べてもらえるとこっちも嬉しくなるよ」
「いやいや、マジでうめえよ! おっちゃん、良い腕してるわ。お代わりたのむっ!」
「おう、任しときな!」
………………
「あぁ~食った食った!」
彼は、神王ラーメンを3杯ほどたいらげると、たるんだ腹をポンポンと叩きながら悦に浸っていた。
「超美味かったぜ~。この俺様の舌を唸らせるとはやるじゃねえか!」
相変わらず態度のでかいゼウス。しかし、店主は全く気にしておらず、むしろ美味いと言われたことがよっぽど嬉しかったらしく――、
「あたぼーよ!! あんちゃん話が分かるやつだね~、気に入った! 今日は御代はいらねぇ。その代わり、また食いにきてくれねぇか?」
と、気前よく言った。
「お~、おっちゃんいいやつだなw。こりゃあポイント高いぞwww。そうだなぁ、死んだら特別に天界に呼んでやんよ!」
「ハハッ! そうだろ~いいやつってよく言われんだよこれがっ!」
店主は調子に乗って、ゼウスの頭に軽くチョップを繰り出した。
店主の行動にほんの少し馴れ馴れしさを感じたゼウスだったが、まったく悪い気はしていなかった。
「ふぅ……人間界も悪くねぇな」
「ん? あんちゃん、浮かない顔だけどなんかあったのかい?」
店主は優しく、ゼウスに語りかけた。
「な、何でもねえよ!! 余計なお世話だっ!!!」
店主の正直で明るい性格に、うっかり自分の弱さを見せそうになったゼウス。初めて、まともに話せた人間である店主との距離感を、まだ上手くつかめていなかった彼は、ぶっきらぼうな返事をしてしまった。
「ははは、、、そうだな。人の心配してる場合じゃねえよな」
自分の店を見渡した店主の顔は、明るかったさっきと打って変わって、暗く重々しいものになっていた。
「そっちこそ、大丈夫なのかよ? こんなにうめえのに、なんで人が全然いねえんだ?」
ゼウスは、不思議で仕方がなかった。こんなに美味しいならもっと人が集まっても良いはずだと思っていた。
「ん~何でだろうな? リピーターも何人かいるんだが、そもそも人がこの辺あんま通らねえからな。いやぁ~、店出すとこ間違えちまったんだろうよ」
「確かに。この辺めっちゃ入り組んでて、俺もたまたま見つけただけだしなぁ」
「そうかそうか、まぁそうだろうな。いやぁでも、まぁ良かったよ。店仕舞いする前に客が来てくれてよ。ただ、あんちゃんのそんな笑顔見ちまったらもう少し、続けたくなっちまったな。まぁでも、ここらが潮時ってやつか」
「こんなにうめえのに、何で辞めるんだよ?」
ゼウスは納得がいかないといった様子で、店主に聞いた。
「いやぁやっぱ、客が来ねえとこの不景気だ。店を続けるのは難しいのよ。それにな、本当にうめぇラーメンならどんだけ小っちゃくても、場所が分かりずらくても客は来るもんだ。それが俺の店にないってことは、向いてねえかなと思ってよ。まぁ、しょうがねえさ」
店主は悲しそうな表情を見せると、後片付けをし始めた。
「さっきまた来いってつい言っちまったけどよ。まぁ、そういうこった。最後に来てくれてありがとよ、あんちゃん」
店主はうつむきながら小さな声でそう言った。
「そうか……わかった、美味かったぞ、これが代金だ」
「いやだから、代金はいらね――」
ゼウスは、ハーデスからもらった100万円の札束をそのまま一つ、店主に豪快に渡した。
「はぁっ!? おいおいあんちゃんうそだろっ! なんだよこれはっ!?」
「うるせぇっ! この俺様が美味いって言ったんだ。払う金額は、俺が決める! また、食いにくっからよ。それまでにこの金でその腕により磨きをかけとけよ。それから、俺様のためにぜってぇ辞めんなよ。辞めたら許さねぇぞ」
「……あんちゃん」
「あばよ。邪魔したな」
ゼウスは自分に向けられた嬉しそうな店主の顔に気恥ずかしさを感じ、そそくさと店を後にした。
(また来よっ!)
心なしか体が少し軽くなっていたゼウス。
彼はまだ気づいていなかった。力をほんの少し、取り戻していたことに……。
………………