第十三話 青天の霹靂 前編
行く当てもなく途方に暮れていたゼウスは、近くの公園に来ていた。
「はぁ」
ベンチに腰かけた彼は一つ大きな溜め息を吐くと、今までの疲れがどっと出てきたのか背もたれに大きく寄りかかった。
夜の公園はセミ達のすさまじい鳴き声で満たされていた。繁殖期真っ盛りのセミたちの奏でるセレナーデに、ゼウスの怒りはほどなくして爆発した。
「うっせーぞくそ虫共っ!!」
あまりの鳴き声の大きさにキレたゼウスだったが、それもほんの一時であった。お腹が空き、疲れと先行きの見えない不安に見舞われていた彼は、怒る気力すら使い果たしガックリと肩を落としてうなだれてしまう。
(もういやっ、なんなの一体!? ほんとお家に帰りたい……)
彼は焦っていた。ろくに魔法も使えない、金もない、女も家もない。その上、飢えまでもが彼を襲った。
「まじ腹へったなぁ。なんで全治全能のこの俺様が、こんな目にあってんだぁっ!? くそがよぉ~」
ゼウスはむしゃくしゃしてベンチを殴ったが、壊れることはなかった。壊れたのは自分の拳のほうだ。
「いでぇっ!!? はぁ? うそだろ、おい。ほんとにくそ雑魚になっちまったじゃねぇか」
指を見ると赤く腫れ上がっていた。所々黒い斑点もあり、内出血を起こしていた。
「あ~まじぶち殺したいやつ多すぎんよ~。これは大変に由々しき問題ですぞ! くっそ~力が戻りさえすればなぁ~。地球もろとも灰にしてやるんだけどなぁ」
ゼウスの思考力は著しく落ちていた。いくら考えても、解決案は出てこない。
「あのクソデブまじぶっ殺してぇwww。俺がこうなったのも全部あいつのせぇだっ! スーパー激オコぷんぷんドリームの僕ちん、もう絶対許さないからね?」
ゼウスは虚勢をはっていたが、それも虚しくもはや一歩も歩きたくない状態だった。
かつてこれほどまで自分が無力だったことがあっただろうか。理不尽な出来事への怒りと何も出来ない悔しさに、ゼウスは涙を流した。泣くつもりなんてなかった。だが、自分から溢れ出るもの――感情を抑えることができなかった。
(こんな屈辱初めてだ)
孤独と不安で胸が張り裂けそうになっていたゼウスにふと、ある男の顔が浮かび上がる。
「こんなとき、ハーデスニキがいてくれたら」
自分が困ったときに、ハーデスは何度も力になってくれた。何だかんだ言っても、ゼウスが一番信頼し、便りにしているのはハーデスなのだ。そのことにゼウスは気づいたのだった。
ゼウスは、兄にすがるような気持ちで虚空を見つめた。
「ずいぶん弱ってんなぁw? ブラザーよ!」
突如空間に亀裂が生じ、激しい音ともに邪悪な影が出現した。ゼウスに衝撃が走る。
「そ、そそそそその声はっ!? ハーデスニキかっ!?」
ゼウスは声のする方を向いた。すると亀裂から大きな袋を携えたハーデスが現れた。
「おいおいおいおいwwwwwwおせえよカスwwwwまじでwwwww。ほんと焦らせやがってよぉ~」
ゼウスは水を得た魚のようにはしゃいでいた。もはや今までのことなどどうでもいい。この男なら何とかしてくれる、そう確信していた。
「お・ま・た・せ! いや~もっと早く来るつもりだったんだがよ。お兄ちゃんもなかなか忙しいのよ。てかよぉ? なんだなんだぁ、さっきあんなに落ち込んでたのによぉ? 冥界から全部見てたけど、お前めっちゃ馬鹿にされてたな。まじウケルわぁw」
ハーデスはゼウスを指差すと、見下ろしながら煽り立てた。
「ファッ!? てめぇ全部見てたのかよっ!!! マジうぜぇんだけど。ほんとムカつくわ~」
「見てたぞ~。笑い過ぎて、死なない俺がマジで死にそうになったぞw。どうしてくれんの? 慰謝料請求していい?」
ハーデスは腹を抱えて笑っている。
普段のゼウスなら、こんなハーデスの言動に嫌悪感を露にし、もっとかみついていただろう。
しかし、ハーデスの思わぬ出現に、先程とはうってかわって上機嫌になっていた彼は、すっかり調子を取り戻していた。
「いっそ死ねやwww。てめぇほんとマジでぶち殺すぞ! ま、許してやんよ。おれっちまじ仏のゼウスだからな。感謝しろよくそハゲが! とりあえずハーデスニキが来たってことは、俺を天界に戻す方法が見つかったってことでいいんだよなぁ?」
ゼウスは思いがけないハーデスの登場に、はやる心を抑えきれない。一刻も早く自分を天界に戻してほしい。そうすればポセイドンをブッ飛ばしにいける、そう期待していた。が、それもすぐに落胆に変わったのだった。
「は? なにいってんのお前www。畜生の間違いだろw? そんな方法あるわけないじゃん? 寝言は寝てから言えよ髭野郎」
ハーデスは無情にも、現実をゼウスに突きつけたのだった。
「はぁっ!!? ねぇのかよカス! 冗談でしょ?」
「だから、ねぇって言ってんだろwww。おいおい全能神のお前がここまでお馬鹿ちゃんになってるとはな」
「帰れないなんて、、、何かの間違いだろ」
滅多に見ないゼウスの落ち込み様に、ハーデスは心底驚いていた。まさかここまでゼウスが弱るとは予想していなかった。
気の毒に思ったハーデスは、罰が悪そうな口調でゼウスに語りかけた。
「その、、、悪かったよ。こんなことになるなんてな。だからよぉ、とりあえずしばらくこっちにいてもらうための準備をだな、してきた」
ハーデスはそう言うと、持ってきた大きな袋をゼウスに放り投げた。
「なんだよ、この汚ねぇゴミ袋は」
何が入っているか想像もつかないゼウス。こんな汚い袋になんの価値があるのだとハーデスの顔を見返した。
「さすがに可哀想だと思ってな。当分の金とそれから家のカギとかもろもろを入れておいた」
ゼウスが袋を開けると、分厚い札束やよくわからない書類などが入っていた。
「おいおい金じゃねぇか! 家もあるってまじか!? いつもいつも使えねぇとは思っていたけどよお! やればできるじゃねぇかこのタコはw。しょうがねぇなあ~、不本意だけどしばらくいてやるかぁ?」
金と家を手にしたゼウスは、安心したのか急に手の平を返しだした。
「ん~? あんまりありがたく思ってなさそうなくそ生意気な顔してんなぁ? そっかぁ別にいらないなら返してもらおっかなぁ~~?」
調子に乗っているゼウスを見たハーデスは、ちょっとイラッときていた。
「はぁ?? やだよクソガイコツ。もうこれ俺っちのもんだからね! お前もういらないわ。さよなら~ばいばぁ~いしっしっ!」
「カッチ~ン……僕ちゃんもう怒ったかんね?」
ゼウスの無礼な振る舞いに、流石のハーデスも怒りが沸いてきていた。彼はおもむろにぶつぶつと呪文を唱えだした。すると、彼の手の回りに暗黒の雲がまとわりつき始めた。
「もッど~れもッど~れっっ!! 袋よ所有者のもとへ戻りたまへ」
次の瞬間、ゼウスのもとにあった袋は突如出現した闇の空間に吸い込まれ、ハーデスの手のもとへと移動してしまった。
「――あっ!!? てめっきたねぇぞこのオカマ野郎!」
ゼウスは取り戻そうと魔法を使おうとするも、何も出来ないことに気がつく。
「やばい、魔法使えないんだった!」
「ざっこwwwゼウスまじ雑魚すぎんよ~。僕ちんもう怒ったかんね? もう知らない! じゃあね、ばいばいき~ん」
「――っおいおいおいおいwwwwwまてよまてまてやぁっ!! ハーデスの兄貴!!!」
ハーデスが本気で帰ろうとしていたことに気がついたゼウスは、何とかその場を取り繕うとする。
「は?? いまさらおせえよカスwww。お前は一生そうしてろwww」
「――――兄さんっ!!!」
「――――っ!!?」
帰ろうとしていたハーデスだったが、弟の意外な発言に驚き、足を止める。
「なんとあのお前が兄さんて呼ぶなんて! 53万年と173日ぶりだろうか? 嬉しいぞブラザーッ!!」
ハーデスは体をクネクネさせて喜んだ。
「兄さん!! 僕は心を入れ替えたよ! そのお金、ありがたく使わせてもらうよ!」
「お、おうそうか。そうだな。お前が喜んでくれたなら嬉しいぞ!!」
ハーデスはモジモジしながら照れている。ゼウスに『兄さん』と言われたことがよっぽど嬉しかったのだ。
(よしよしこのクソガイコツめ、まんまと引っ掛かったぜ。つーか日にち単位で覚えてるとかきもぉ~www。ぜってえ適当だろこいつw)
ゼウスは、再度ハーデスから袋を受け取った。
「ハーデスニキ『金だけは』もってるからなぁw。天界でも、ハーデスニキの年貢のおかげで、俺っち不労所得でいきていけてたもんなぁ~~いやぁ、愉快愉快。ほんと納税おつで~~すw」
「マイブラザーは昔からおやのすねかじりむしくんだったからなぁ? お前のせいで一家破産したのが、戦争の原因になったこともあるってそれ知ってんのかな?このクソガキはwww」
「まじかよやべぇwww。俺様ってやっぱ大物すぎるんだよなぁ」
(全くこいつは……)
ハーデスは改めてゼウスの奔放さに呆れたのだった。
「あっ! そう言えばさ、さっきアテナに会ったんだけどよお! あいつまじエロくなってたわw。相変わらず冗談だけは通じないけどな。ポリ公に捕まったときに、次やったらちんちんもぎとるって言われたんだが」
すっかり気分を良くしていたゼウスは、にやけながら自慢の愛娘の話をしだした。
「まじかよ、うらやましすぎるぞおい! おてぃんてぃんがぞくぞくしちゃうね」
「だろぉw? でも、兄貴もうちんちんないから関係なくない?」
「はぁ!? あるわクソボケwwwふざけんなよこら?
「ワロタwww」
「そんなに見たいなら見せてやんよwww」
「は? おい、まじでやめろ失明するだろうがぁっ!」
本気で下着を脱ぎ始めたハーデスに焦ったゼウスは、急いで彼を制止した。
「遠慮するなよブラザ~www。俺とお前の仲じゃないかぁ? 俺の特大フランクフルト見せてやるよwww」
「くそガイコツのイチモツなんか見たら目が腐るわwww。いいからしまえよカス」
「んだとコラ? いつかお前に俺のビッグソーセージをおみまいしてやるからな! 覚悟しとけよ髭野郎」
「うわぁ、早く冥界帰って!」
「ふはははっ!」
二人は久しぶりの会話に花を咲かせた。
「あっ、つ~かさぁ! さっきチラッと見てたんだがよぉ。アテナちゃん俺のこと好きって言ってたよなwww。あの子やっぱ見る目があるわぁ~。いやぁ~おれにも春がきたなーこれ」
ハーデスは昔から、女の子に好きと言われたことが滅多になかった。そんな彼が、アテナという美少女のまさかの告白に、舞い上がってしまうのも無理はない。
「は? 何勘違いしてんのこのくそハゲはwww。おい、いくらハーデスニキでもアテナに手を出したら、ケラウノス使うぞごらぁ!!!」
「今はケラウノス使えねえだろアホウがwwww。つーか出さねえよ」
「まぁ、ホモだしな」
「それは否定しないが、俺には愛しのスイートハニーペルセポネちゃんがいるからな! マジ天使だからなぁ~あの娘。実は、もうちょいしたら実家から帰ってくんだよね!」
「ペルセポネがっ!? まじか! よかったじゃねえかハーデスニキ!! ……ん? つーかおい! ちょ待てやwwwなに一人で楽しんでくれちゃってんの? は?ふざけんなよwwwてめえだけずりいぞ!!!」
ペルセポネはハーデスの嫁であり、ゼウスが口説いても一切見向きもしない、数少ない女性の一人である。
(悔しいけど、ペルセポネ姉さんってまさにおれっちの理想なんだよなぁ。美人だしおしとやかで、ハーデスニキ以外眼中にないもんな。つーか、ハーデスニキのいるところにいけるやつが、そもそもあんまいないから、不倫とかが起きないだけだけどな)
ゼウスは悔しがっていた。この姿でなければ自分も――と思うも、もはや過去の栄光である。もどかしさでいっぱいだった。
「セポネちゃんは俺一途だからなぁ、あ~早く会いたいゼ!ウッスwなんつってな。いやぁ~~照れるねまじで。まぁさ、おまえはそうやってキモオタの姿でせいぜい頑張れやw」
「は? 調子のんなよカスw。くっそ~まじうらやまだわ。あっ、そうだ! ヘラと交換しようぜっ!!」
ゼウスは咄嗟の思い付きで、とんでもない交換を申し出たが、当然成立するわけはない。
「おい!!! いくら俺のマイスイートブラザーのお前だからって、セポネちゃんはやらんぞっ! 絶対、絶対ニダ!!! それに、いらねぇよあんな危険なクソBBAwwwww核兵器より取り扱い難しいだろ。ま、送料100億なら送ってもいいけどなw」
「高すぎだろw。まぁ、送り付けて冥界めちゃくちゃにしてやってもいいけどな」
「まじであり得るから止めろw。あ~でも、BL談議で盛り上がるのも悪くねえな。それ名☆案!」
彼らはその後も小一時間、くだらない話をして盛り上がった。
………………