第十二話 ゼウス人間を恐れる
「あーあ」
半ば強制的に警察署から追い出されたゼウスは、当然行き先のあてもなく秋葉原の街を歩いていた。
「全知全能であるこの俺様がどうしてこんな目に合うんだよ。マジで意味不明の極みなんですけど」
途方に暮れる彼に、さらなる追い討ちをかけたものがある――――空腹だ。
「腹減ったなぁ」
ゼウスはブヨブヨにたるんだ腹を弧を描くようにさすると、天界での楽しい生活を振り返る。
こんな状況初めてだわ。天界は飯も女も寝るとこも全て最高級の物が用意されてたしなー。あっ、ごめん! 女だけは違ったわwww。
常識的に考えると、全知全能の俺様がめんどくさいことする必要ないのは当然なんだよなぁ。
彼は全くもって腑に落ちないといった様子でいたが、なるたけ冷静に現状を把握することに努めた。
「飯もそうだけど、それよりも寝るとこ決めねえとなぁ? あーあ、こんなことならさっきアテナに泊めてもらうのお願いしときゃあ良かったな」
今から引き返してでも娘にお願いすべきだろうか。そういったアイデアが頭をよぎったが、そんな恥ずかしいこと頼めるわけがないとゼウスは意地を張っていた。彼は、ただ歩くことしか出来ずそのまま街中をさまよった。
………………
「……疲れた」
弱々しく呟いた言葉には、悲壮感が漂っていた。足取りは明らかに鈍くなり、歩く速度は著しく低下していた。
段々と暗くなる周りの景色に彼は心細さを感じながら、ぼんやりとどこで寝るかを考えていた。
「今日はこれ、野宿確定かなぁ。野宿とか何十万年以来だわ。誰か、俺に家くれるやついねぇかなぁ? 俺、ゼウスの生まれ変わりなんだけどなぁ?」
野宿しかないと諦めかけたその時、彼の進行方向少し先に偶然貸家の文字が現れた。
「やややっ家貸してくれんのっ!? マジでっ!!! 神じゃあ~~んwww。ま、借りるっていうより貰うってのが表現として正しいですよねー俺の場合。俺、貸し借りは嫌いなんだよね~。借りるって概念がそもそも俺様に当てはまらないっていうかぁ。逆に~万物は俺がてめえらクソ共に貸し与えてやってんだぞ、あ?って考えてんのよね」
彼は簡単に家が手に入るだろうと楽観的に考え、勇みよく店へと入っていった。
………………
「うぃいいいいいいいいいいっすぅぅぅうう!!!! チョリ~~スってな感じで家貸してくんね?」
「あっ……い、いらっしゃいませ~。で、では、こちらにどうぞ~」
受付の女性はゼウスの言動を見て即座に厄介な客が来たと理解した。だが、すぐに仕事モードに切り替えると彼を案内した。
「こちらへおかけになって少々お待ちください。今、担当の者を呼んで参りますので」
「はぁ? 遅いんだけど~まじありえなくない? おりゃあ、神だぞ~~ん? はやくしろよ~」
「はい! 少々お待ちください」
彼女は小走りで、店の奥に入っていった。しばらくすると、強面の男がゼウスのところにやってきた。
「大変お待たせしております。申し訳ございません~お客様! 本店へお越しいただき誠にありがとうございます。私、山口が担当させて頂きます。よろしくお願いします」
クマの様な大きな体格の男は、深々とゼウスに頭を下げた。
「まじおせぇぞっ! 俺様軽くオコ入ってるかんね? ま、寛大だからさぁ~俺www。特別に許してやるかぁw!」
「はい、ありがとうございます」
山口は、ゼウスの高慢な態度にも顔色1つ変えずハキハキと返事をした。
「あ、えっ~と本題に入っていい? めんどいから単刀直入に言うけどさ。家貸してくんね? 100万年くらい」
ゼウスの突拍子もない言葉。だが山口はなおも丁寧に対応する。
「ありがとうございます。そうしましたら、えー、まずはお客様のお名前を御教えして頂いてもよろしいでしょうか?」
あくまで、マニュアル通りに対応する山口。ゼウスの態度など気にも留めていなかった。
「あ~ん、俺の名前? 俺様はなぁ、神々の王ゼウスだ。分かるかバーカwww?」
「ゼウ、ス……?」
「そうだよ。ほんとに分かってんのか? いかにも脳みそ筋肉で出来てそうだもんなお前www。本来さぁ、俺に会えるだけでもさ~まじそれ人生の運全部使っちゃうレベルの幸運なんだけどねー、うん。てことで、早く家貸してくんね?」
「すみませんお客様。お手数ですが、もう一度フルネームでお名前を教えて頂けますか?」
山口は全く動じずに、ゼウスに聞き返した。
「はぁ!!? 耳悪いんか、ゼウスだよっ!! ゼ・ウ・ス!!!! 何度も言わせんなよタコ」
「え~っとゼウス様ですかー、なるほどそうですか。そうしましたら大変恐縮ですが、こちらに記入頂けますでしょうか?」
山口は、紙とペンをゼウスに差し出した。
「んんんんん? なんでそんな面倒なことしなきゃいけねえんだよ! つーかなんだそれ。俺に書いて欲しかったら、高級羽根ペンの一つでも持ってこいよ」
「羽根ペンですか、羽根ペン。あ~、すみません。羽根ペンはうちには置いてないんですよ。と言いますか、書いて頂かないことには話が進まないのですが」
「は? 人間てのは無能しかいねえのかよwww。しょうがねえなぁ、書いてやんよ。くっそめんどくさくてまじ激オコ手前だけどよ。ありがたく思えよカス」
「はい。ありがとうございます」
ゼウスは用紙に大きく下手くそな字で"ゼウス"と書いて見せた。
「――どうよ? え?? 俺の字どうよwww??? 分かったかカス。あ、お題はその紙ね。その紙オークションで3000億円くらいで売れると思うからよろしく~、ってな感じで家貸してくんね?」
「あの~お客様。大変申し上げにくいのですがこれでは契約は致しかねます」
「冗談だろおいっ! この俺様がここまでしてやってんのにどうなってんだ!? いいから早く家よこせやああっ!!!」
ゼウスはついにキレた。
「あの~お客様、あまり大声で怒鳴られますと、他のお客様のご迷惑に」
「全知全能! 神々の王ゼウスにその態度はなんだ! 無礼であるぞ、ええいっ! 控えよっ!!! 虫ケラ風情がぁ!!」
思い通りにいかず本気で怒るゼウス。そんな彼を受付の奥の方からチラチラと伺い、嘲笑う二人の女性がいた。1人は最初にゼウスに応対した女性だ。
「――ぷっ」
「まじやばくな~い? なにあれ~」
「ねぇねぇ、あの人頭おかしいんじゃない? 入ってきたときからすでにキモすぎて笑いそうになったのこらえたんだけどwww私まじグッジョブ。てかさぁ、自分のことゼウスって言ってるんだけどwwwまじウケルw」
「えー、完璧ヤバい人じゃん。いかにもアニメ好きのキモオタみたいな恰好してるし。今日暑かったから~それで頭がおかしくなっちゃったんじゃない? かわいそ~」
「――――おい、そこのクソガキ共、なにこそこそ見てやがるっ! 見世物じゃねえぞごらぁあっ!!」
話の内容は聞き取れなかったが、明らかに自分が馬鹿にされていると感じたゼウス。彼は、今にも身を乗り出す勢いで彼女達に怒号を浴びせた。
「うわっ、なんかこっちみて怒鳴ってるんだけど。ゼウスって、たしかあれだよギリシャ神話に出てくるやつ。パ〇ドラのキャラとかじゃない? あたしの彼氏がハマってんのよね~。ワンパンされるくそ雑魚だって言ってたw」
「へーそうなんだ~。ていうかもしかしたら、ほんとに本名、なんじゃない?!」
「えぇぇええ~~!!! その発想はなかったわぁ。完璧DQNネームでしょw。ギリシャオタクかよ。親の顔チョ~見たいんだけどマジでwww」
「ぷふっ、ちょっとやめなよ~~っ。本当のこと言っちゃかわいそうでしょ~。あの人も頑張って生きてるのよ。せめて幸せになれますようにっ!」
(は? どきゅん?? 何言ってるか小さい声だし、全然わかんねえけど、雑魚とかかわいそうとか俺に言ってんの???)
ゼウスが彼女らをにらみつけていると、放置されていた山口は再びゼウスに話かけた。
「あのっお客様! フルネームを早く教えて頂けますかっ!」
「はぁっ!? だからっ!!! ゼウスって言ってんだろ! しばくぞカスwww」
「あの~お客様。さすがにこれでは契約になりません! 申し訳ありませんがお引き取り願えますか? またの機会にお越しくださいませ」
「はぁ? なんでだよ!! ふざけんなよおい!!! つーか今はそんなんどうでもいいわ! おいそこのっ!! てめぇらだよクソブス共www。なに、コソコソコソコソ俺の悪口言ってんだよwww。 あ?? こっちこいやぁああ!」
怒り狂ったゼウスは山口を無視して机を飛び越え、女性達を襲おうとした。
「――――お客様っお止めください! あまりしつこいようですと警察を呼びますよ!!」
山口は今にも女性達に襲い掛かろとしていたゼウスをものすごい力で押し戻した。
(――――うぉっ! なんだこいつっ!?)
先ほどまでとは打って変わった山口の剣幕に、ゼウスはおののいた。
(俺様をこうも軽々押し戻すなんて。こいつ、できる)
ゼウスは初めて人間を恐れた。
「しょ、しょうがねえなぁ~~www。今日の所は帰ってやんよ。てめえら全員冥界行き確定な! 覚えとけやクズ共っ!!!」
ゼウスはそう吐き捨てると、逃げるように店を出た。
(まったくなんだったんだあの客。ゼウスゼウスって、ゲームのキャラのことか? 困るんだよな~ああいう頭のおかしい客の相手は。だが、大声で怒鳴ったのはまずかっただろうか)
山口は、なぜか反省していた。
………………
「――くそっ! なんでこうなるんだよぉっ!!!」
ゼウスは立ち去るしかない自分の惨めさに苛立ちを隠せなかった。辺りはすっかり暗くなっていた。
………………