『共にゆこう・・・』
『共にゆこう・・・』
「へい、らっしゃい。大将、マレーシアから帰ってきたんでやんすか。あっしら一同首を長くして大将のおけえりをお待ち申し上げてました。共にゆこう⋯なんておっしゃってくれたらあっしは店を閉めて大将の鞄か何かお持ちして現地で一流の寿司やでも初めましたものを。大将、一度でいいから外国へ連れてって下さいましよ。大将のゆく所ならどこへだって着いて行きますから。大将とはぐれて英語で話しするなんてことになっちゃ命取りですけどね。大将、命をかけて今度一回きりでいいから共にゆこう⋯なんておっしゃっちゃくれませんかね。
雨がポトポトと雨滴となって窓の外を通る自転車の通行人の目を眩しそうに細目させている。玲子はすっかり冷え切ったコーヒーを又温め直してもらった後、尚也にこう切り出した。「一緒に行こうって言ってくれたじゃない。死ぬときは必ずお前だけ愛してるからって⋯私、あなたのことこのコーヒーソーサーを食べて口の中が血だらけになってもいいと思うくらい好きだったのよ。なのに貴方はシンガポールみたいな目と鼻の先でさえ一緒に行こうとは言ってくれないのね。私、全てがなんだか夢みたいに想えてきたわ。誰か他の男の人を好きになった方がよかったのかしら。ポトポトと透明な涙のしずくが玲子の白いスーツのスカートを灰色に染めた。
私はいつだって決まってある言葉に非常に弱い。「共にゆこう。とか一緒に行こうよ。ネ。とか、そういった類のものだ。もっと弱いのが「駆け落ちしようよ。憙弘さんと駆け落ちがしたい。」こう言われたら、他の事なら神や佛の為に理性を鬼のように保ち、絶対に悪い選択肢はどんなに興奮した場合でも努めて理性的にその人の幸福に命を捧げる私であるが、これらの言葉に私は全く抵抗を知らない。何故なら相手が命懸けであることが伝わってくるからである。だから読者に
一つだけ私に言って欲しくない、いや絶対に守ってほしいルールがあるとすれば、駆け落ちという言葉だけは私の幸福の為に頼むから使わないで欲しい。
言葉は、玩具では、決してあり得ないのだ。私はずっとそうして生きてきた。だから駆け落ち等と死んでも私に言わないでほしい。ジャンヌ・ダルクは私にとって唯一の安心できる女性だ。なぜならジャンヌの文章の中に私は「みなの者、神とともにゆこう⋯」とは決して要れなかったから。要れてもよいのに要れなかったのには訳がある。一つは生への執着。もう一つは私の言葉へのこだわり。私は何故かしら書いた事は本当になるかもしれないといつも想っていたのだ。だから今私の全作品を読み直してみれば、現実化したら素敵かもしれないことが全ての作品に余すことなく書かれている。唯一筆に矛盾のあるのが第一作〝樹〟で主人の美しく知的な嫁を殺したことだ。あれは売るためであって、全く最低の事である。本来ならあの作品は、主人の嫁が猫〝我が輩〟を拾い、電柱におしっこをかけて電柱をショートさせて主人を喜ばすというだけのストーリーだった。しかしそれではインパクトがない。私はやむを得ず漱石の文体をまねて吾輩に旅をさせてなにか面白い事を見聞きさせた。あれは最高傑作だと自分では想っている。一番社会に善をなす。しかしあの女性を殺してしまったことで私はずっと後悔し続けている。もう二度と同じキャラクターは使えないから。私は今でも決まって駆け落ちという言葉を人とはかならず駆け落ちするつもりでいる。私はそのことを想うと自分とは一体何かと想えて泣きそうになる。でも私にはまだあの女性の素晴らしさを伝えられていない。だから私は死んでもまだ潰れる訳にはゆかない。




