無限
一
無限……
歩きながら思い出そうとしている。
白磁の滑らかな地面、それは何一つの障害もなくただ真っ直ぐに続いていく無限の大地だった。
僕は何だ?
記憶を辿ろうとすれば、この単一の風景と同様の、白磁の色をした濃霧が僕の意識に流入してそれ以上思い出すことは不可能だと諦める。
もう、数時間は経っているだろうか…?
紫のオーロラが舞い降りてきた…
立ち止まり、不安感、焦燥…懐疑?様々なネガティブな感情が僕を遮断している。
再び歩き始める。
どれくらい歩いたのか?
目覚めて以来一度も眠っていない。
景色はどこを向いても変わらない。
白磁…
ただ空からは、オーロラが……
時間は途方もなく過ぎているような…記憶があって、変わらない景色も加味して、何度も、思い出そうと試みる、それは無駄で馬鹿馬鹿しくなるくらいの行為だった。
数分間でリセットされてしまう記憶…
僕は何分間記憶を保っていられるのだろうか?
不意に、悍ましい考えが僕に宿った。
僕が歩き続けているのが…数分間や数時間などではなく、無数の膨大な数の記憶のリセットの繰り返しが続けられていて、十年…数十年…数百年ものありえない位の……
あまりに馬鹿げた考えなので、僕は、その考えを、やめてしまった。
二
無限……
歩きながら思い出そうとしている。
白磁の滑らかな地面、それは何一つの障害もなくただ真っ直ぐに続いていく無限の大地だった。
僕は何だ?
記憶を辿ろうとすれば、この単一の風景と同様の、白磁の色をした濃霧が僕の意識に流入してそれ以上思い出すことは不可能だと諦める。
もう、数時間は経っているだろうか…?
遭遇した。
緑色のオーロラが差し込んでいる。
初めて見るような…しかし懐かしくもある、それは不思議な色彩をしていた。
「あなたは…」
「やっと会いましたね?ずっと会わないようにして頑張っていたんですが、私は少し疲れてしっまったようです…」
「?あなたは一体…それに、ここは一体どこなんです?」
「さあ…それは難しい質問ですね。ここは密室のような」
「密室?」
「ええ、よく殺人事件などに使われるような場所のことですよ」
「僕には、ここは無限のようにしか思えないのですが」
「そのうちわかるでしょう」
「?」
「実際、殺人事件もあったようですし。死体もどこかに転がっていることでしょう」
「殺人!どこで?この無限みたいな世界のどこかに死体があるというのですか?」
「さあ…しかし見ないというのなら、それは噂なのでしょう」
「噂って…。誰から聞いたのですか?」
「いえ。しかし、私が世界の中で誰かである、とされるのならば、それは誰かに聞いたこととなる」
「何をいっているんです。もしかしてあなたの妄想ですか?」
「妄想ねえ…。まあ、そんなとこでしょうか?ただ私は噂を知っているのですよ、誰かから聞いた噂を」
「意味が解りません。誰かに聞いたということは、誰かに会っていたということですよね」
「……」
「あなたと話せば言葉が増え続けてしまう」
「それはあなたが核心に迫った証拠でしょう。世界は知れば知るほどにミステリーなのですから」
「掴みどころがない」
「多かれ少なかれ、そういうことです。しかし死体は見なかったのですか?」
「ええ…」
「おかしいですねえ。ここはこんなに狭い空間ですが」
「ここが狭い空間だなんて!どうみたって無限にしか思えません」
空からは赤いオーロラが差し込んでいる…初めて見るような…しかし懐かしくもある、それは不思議な色彩をしていた。
「狭いですよ。密室なのだから…」
「判りましたよ。あなたと話していてもまるで意味がない。僕は歩きます、僕は探さなくてはならない」
「ええ…それでは私はここで休むことにします」
僕は歩き始めた…
「前方注意ですよ」
後方からそう、男は僕に話しかけた。
無限……
歩きながら思い出そうとしている。
白磁の滑らかな地面、それは何一つの障害もなくただ真っ直ぐに続いていく無限の大地だった。
僕は何だ?
記憶を辿ろうとすれば、この単一の風景と同様の、白磁の色をした濃霧が僕の意識に流入してそれ以上思い出すことは不可能だと諦める。
もう、数時間は経っているだろうか…?
すると前方に、何かが見えている。
それははじめは地平線のあたりから小さく見え始め、だんだんと近づいていくうちに認識されていった。
死体?
辿り着いた僕の目の前に、横たわる男の姿を確認していた。
三
僕は恐る恐る顔を覗き込む。
顔を思い出せない…初めて見るような…しかし懐かしくもある顔をしていた。
「うとうとしていましたよ」
死体ではなかった!
「あなたは誰なんです…」
「おかしいなあ…前方注意だと言ったでしょう?」
僕はどれくらい歩いたのか?僕は先程この男と話していたということだろう。
そして方角を失ってしまい、知らないうちに迂回して戻ってしまったようである…
「僕は記憶に障害があるようでして…」
「それは残念ですね。ならば先程の会話も忘れてしまったということですね」
「う~ん…曖昧になら…」
濃霧…
「……。恥ずかしいことに…頭がぼやけてしまって」
「そうですか、死体探しも覚えていないわけですね?」
「死体…?そうだ、あなたは転がっていて、死体だと思った。僕は死体を探していた…?そうだ!密室殺人があったというような記憶が…」
「ええ…ここは密室ですから」
白磁の濃霧が勢いよく流入している…
それを吸い込んだ僕…意識は溶けてしまい…攪乱してしまう……
「あなたは…」
「困りましたね、あなたは一点を見つめて固まってしまってましたよ」
「そうですか…白い濃霧がただ目の前にあって…」
「仕方ありません、記憶障害でしたからね」
だが、何か思い出せそうな気がする…密室…意識の奥の遠い所で……
明瞭な意識だった、死体が転がっている、後方にいたはずの男が…前方へと現れた…
そうだ。僕は天体を歩いていた。それは、白磁の景色の広がった地面以外には何もない場所…出発点と思っていた場所が結ばれて終着点に……
「もしかして、ここは小さな天体ですか?」
「慧眼ですね…あなたの推理力には頭が上がらないなあ…」
「そうだ、だから僕はすぐに一周してしまって…」
「しかし。さほど小さな天体とは思えませんがね…」
「え?」
「でもね。あなたは大方合っていましたよ」
「じゃあ?」
四
無限……
歩きながら思い出そうとしている。
白磁の滑らかな地面、それは何一つの障害もなくただ真っ直ぐに続いていく無限の大地だった。
僕は何だ?
記憶を辿ろうとすれば、この単一の風景と同様の、白磁の色をした濃霧が僕の意識に流入してそれ以上思い出すことは不可能だと諦める。
もう、数時間は経っているだろうか…?
疲れ果て僕は寝転んでしまった。
鏡で地面を写したような…白磁の空だった。
開放感…
意識に濃霧が闖入してくる…
ここは…僕の意識は無限に広がる世界…からだがせかいに溶けていく…
僕は地面に注がれたオーロラだ…僕は地面に転がっている…横たわっているのだ…無限と思われる程の途方もなく広がった地面へ…
それは何もない景色ばかりがあって…僕はそこに横たわっている。そう、何もない天体に…とても小さな…それはとても大きな重力を持っている…そしてその強い重力によって、時間の流れはとても遅くて…その…いわば球体に貼り付いた……
…僕は横たわっていた…それは死体のように、何もない地面に転がっていた…
すべては溶け合っていて…すべてが等しく存在していた…
ここはどこだろうか…?
僕はどれほどの時間を通過して行ったのだろうか…
たったひとつの何もない風景を眺めていると…それは永遠のように思えてしまう…
何もない空間が広がっていて…
それは時間にもいえた…未来が遠い過去にあるはずの時間の場所に記憶されていた…
始発点が終着点のように重なりあってしまって…
もはや空間と時間の交錯という「今」は、溶け合って錯綜してしまった異質な空間であり、異質な時間であるといえた。
思いがけず、僕は世界…つまりこの果てしなく続くようなこの地面に、時間を当てはめ、置き換えてしまった。
一筋に連なった時間という地面…
僕の後方には、終着点であったはずの未来が、まるで過去のように横たわっていた。
つまり、混濁し錯綜した時間全体は、始発点と終着点を結び、融合して永遠となってしまった…
まるで小さな球面に貼り付いたような時間で…一周した僕は、振り返れば、目指していた未来を後方に眺めているのだった…
過去のあるべき場所に……
五
無限……
歩きながら思い出そうとしている。
白磁の滑らかな地面、それは何一つの障害もなくただ真っ直ぐに続いていく無限の大地だった。
未来…
そうだ。僕が生きていたはずの世界…
そこはありえないくらいに最先端テクノロジーに極まった世界…
記憶…
それは未来であり、過去であるはずの、結ばれてしまった記憶…
僕が今歩いている何もないこの平面は…
きっと未来世界のテクノロジーの生んだ、わずか円周数キロメートルほどの…小さな人工天体なのだ…
すると後方から…
「いやあ…やっと追いついた…あなたが急に速度を速めて歩くものだから…」
「あなたがここを密室といったのも、わかるような気がします」
「ほう…明瞭になってきたみたいですね…」
「あなたはさっき…いつのさっきかは錯綜してよくわからないが…ここが密室であると言いました…」
「ええ、言いましたね…きっと…言ったのでしょう」
「いつだったのかさえ明瞭ではありませんが」
「いえ!あなたは今、明瞭な状態にあるでしょう。私があなたを呼び止めたとき、あなたはまるで知人のような反応を見せた」
「ええ…恐らく会ったことは間違いなかったと判断できましたので」
「それに…密室の会話…私は誰であるか…あなたの知人であるのか…密室の会話を交わしたのはいつであるのか…もしかすると途方もない昔のことではないのか…」
「……」
「まあ…すべては溶け合っている。ここのたったひとつの風景のように」
白磁…見つめ過ぎれば…濃霧が流入して…記憶を奪いにやってきそうで怖くなる…
「ここは密室であると思うのですよ…」
「ほう」
「ここは、未来世界の先端テクノロジーが生んだ、わずか数キロメートルほどの小さな人工天体ではありませんか?」
「なるほど…あるいは…」
「そしてこのたった一つの風景以外には何もない…重力に貼り付くだけのここは、地面という密室であることに間違いありませんよ。シャトルでもなければ強い重力からは解放されないのです」
「ええ、密室。それはそうかも知れませんね。いいでしょう。たった一つの風景の、密室。しかし何もない、というのはあまりに主観的な意見です。ここには私がいます」
「失礼」
「それに…あなた自身がいるではありませんか?」
目の前に立っている男と向き合っている僕が…溶け合っているようだ…始まりと終わりが結ばれて混濁し、錯綜している時間のように。
白磁の濃霧に入り込まれて…意識みたいに……
六
「殺人事件があるといいました。死体がどこかに転がっているとも…」
「そうだ…」
「あなたはそれを探しているのですよ…この狭い天体の上をね…」
「しかし全く見当たらないのです」
「ええ。ところで、言葉に意識は宿るのでしょうか?」
「え?」
「言葉は。生きているのでしょう?死んでいるのでしょう?」
「言葉…ですか?」
「ええ、我々が吐き出したり書き出したりする、言葉ですよ。言葉はその組合わせを重ねていくことで、限りなく多様性を持つものですよね…いわば無限に置き換えても良い…」
「無限…」
「そして、言葉は意識を持った生命から吐き出されたものです。しかし、一旦それを離れた言葉は…例えば、紙に書き出されたり喋ったりする言葉…それが誰もいない場所であったり、誰にも読まれなかったりしたとしたら…それは存在していると呼ぶべきものでしょうか?」
「唯心論ですか…」
「密室などの空中に吐き出された言葉であるとき、その言葉の確実性はことごとく瓦解して、再び言葉の可能性の母体…無限の海へと逆戻りして還ってしまうのではないか…」
「……」
「それは忘却と同じですよ。裏を返せば、ひとたび発見された言葉は、その発見者の意識に流入して、固有の生命を持って誕生させてしまう。不思議なものです」
「しかし…あなたのその言い回しの意図はどこへ向かうのですか?」
「ええ…例えばです」
男は言葉を遮った。僕は次の言葉を待つ。
「例えば、私が、ここで殺人があった、と言ったとしましょう。そこで、もし、この世界、つまりこの小天体という密室に、例え死体が転がっていなかったとしても…あなたの意識のなかには、ありありとした死体が存在し続けてしまうものです」
「!」
七
無限……
歩きながら思い出そうとしている。
白磁の滑らかな地面、それは何一つの障害もなくただ真っ直ぐに続いていく無限の大地だった。
僕は何だ?
記憶を辿ろうとすれば、この単一の風景と同様の、白磁の色をした濃霧が僕の意識に流入してそれ以上思い出すことは不可能だと諦める。
もう、数時間は経っているだろうか…?
そこへ前方ヘ、座り込んでいる男がいた。
「どれくらい歩いていたんです?」
「はっきりとわかりません。思い出そうとしたら白い濃霧のようなものが意識に流れ込んですべては混濁してしまうようです」
「ええ…あなたはずっと…下手をすると永遠のような足取りで歩き続けていましたよ…」
「どうしてそれを知っているのです?」
「ええ…見つからないように距離を取りながら歩き続けていましたから」
「?」
「…あなたのずっと後方をね」
「後方?あなたは前方から現れたではありませんか!たまに振り返ることもありましたし、誰もいなかったですよ」
「だから見つからないように距離を取ったと言ったじゃないですか。私はついに観念して、座り込んでしまったのですよ。あなたはあまりにも速かったものですから…」
「??」
「そしたらあなたはここを一周してしまい、私をあなたの前方に確認したというわけですね」
「…ということはつまり?何もない無限のように思われたこの地平線の世界は…例えるなら…小さな、天体の地表のように広がっているようなものだと?」
「ええ…だいぶお考えになられたようですね…あるいはそうであるかもしれません」
「あるいは?」
「ええ…ものごとの可能性というものも、この目の前の異様な世界と同じく、無限なのですからね…」
無限に広がったような世界とその可能性…
「ところで…ここは密室です」
「密室?」
「ええ、ミステリーなんかでお馴染みの…そして殺人事件がありました」
「殺人…ですか?」
「はい。しかし…死体がどこにも転がっていない…あなたはその死体を探して歩き回っていたのですよ」
「……」
「どのくらいの時間が経っていたのでしょうねぇ…」
「それが…」
僕は言葉を詰まらせた。
「思い出せないのです」
「あるいは…永遠ほどの…途方もない長い時間かもしれませんね…」
「ここは一体どこなんです?」
「さあ…ただひとついえること、それは、ここが地球の一部であること、そのどこかである、ということになりますね」
「地球?そうでした!僕が住んでいた世界のことだ、忘れてしまっていた」
「ところで地球の寿命はあとどれくらいだか知っていますか?」
「知りませんね、たった今その存在自体をぼんやりと思い出したくらいなだけですしね…それに…」
「それに!」
「そんな途方もない事は僕には関係ありませんよ」
「そうですかねえ…まあいいでしょう。地球の寿命はおよそ残り50億年とされています。それであなたは一体どのくらい歩き続けているのでしょう?50億年?100億年?」
「ありえない。それでは地球が滅亡してしまった後になります」
「ええ、ありえませんよね。ありえませんし、考え方次第ではあり得るでしょうし」
「何を言っているんです!ありえないです、パラドックスですよ」
「ほう…賢い言葉をお使いなんですね、よくご存じでした」
「知っていますよそのくらい…馬鹿にしないでください」
「失礼。しかし地球の滅亡より長いということはその通り、パラドックスですよ、虚数になりますからね」
「ええ…そんなことはありえないことです」
「まあ…今のは大げさであるとして、人類ならばどうでしょう?」
「人類…?ああ、そうだ、大事な事を忘れていたようだ。僕は…人間でした…」
「ええ、人類はとっくに滅亡してますがね…」
「え?」
「ええ…ここは不思議な場所ですよ…時間の流れが究極に停滞した場所なんですね…だから…人類は、あなたが歩いている間に滅亡した」
「馬鹿な!じゃあ、この外は?」
「聡明ですね、驚きです。ええ、もう生命の住む場所なんてここ以外ありませんよ…ここは地中深いシェルターなのですから」
「何ですって…」
「先程、地球の滅亡より長い時間と言いましたが、意識を軸にしてみれば、それは可能であるかもしれませんね」
「……」
「あなたは先程から忘却を繰り返しています。知覚、リセットそして…新たな意識が前の意識を消去して次々と上書きされ続けているのです」
「そんな馬鹿なこと」
「いえ、事実です。では聞きますが、あなたに明瞭な記憶はあるのですか?」
濃霧…思い出すことはかなわない…僕は諦めている…
「ありませんよ」
「では、それが一体どれくらい繰り返されたのでしょうか?考え方次第では、それは無理数を越えるほどの数で、その長さは地球の寿命など余裕で超えているかもしれません…そうです、意識とは、見方しだいではそれくらい自由なものなんですよ」
「しかし!」
「ええ、反論したくなるのはわかります…でもね。そうそう。先程私は、あなたが歩いている間に外の世界が滅亡したと言いました。では、考え方ひとつではこう言えるのではないでしょう?」
「……」
「意識ではなく、変容し、引き延ばされたのが、あなたの寿命であったとするなら…」
「私は人間です。せいぜい寿命は100年位です」
「ええ…しかし、テクノロジーとは驚異です…そのテクノロジーは、寿命を地球の寿命以上に引き延ばしてしまうかもしれない…」
「50億年以上も…あり得ない!」
「例えばです。あなたは不死鳥をご存知ですか?肉体的には不可能であっても、寿命ごとに新しい肉体へと意識を入れ替えることができるとしたら…?」
「そんなこと!」
「ええ、それなら可能とは思いませんか…?考え方次第では」
八
「そう、すべては考え方一つなのですよ。すべての可能性も…意識のあり方も…」
「どうであれ!地球は…あなたの言うことが事実ならば!生命の棲むことのできない環境にあるのでしょう」
「ええ…」
「であるなら、僕の…僕の肉体が滅びれば、もう次はない!もう終わりです」
「そうでしょうか?」
「何を言うんです!」
「あなたは、歩き続けていましたよ…私はそれを記憶しているのです。幸か不幸か、あなたみたいに忘却が出来ないのでし
て。それはそれは…言葉では尽くせない程の長い時間でしたよ」
「馬鹿な」
「ええ…でも事実です。あなた、その肉体をツネってご覧なさい」
「痛っ!」
赤いオーロラが降りた…初めて見るような…しかし懐かしくもある、それは不思議な色彩をしていた。
「まあ、ツネったくらいではダメでしたね。しかし。あなたは、あなたの肉体はね?死ぬことの出来ない不老不死の肉体なのですよ…」
「馬鹿な!何を言うんです」
「ええ、傷つける事はおろか、腹も減らない!老化もしなければ、呼吸だって!!」
「!!」
呼吸…大切な事を忘れていた…
とっさに僕は息を止めていた…苦しくなかった。
「いや。そもそも、呼吸なんてしていなくたっていい筈です…」
「僕は…死んでいるのです?」
「ええ…考え方次第では」
「どういう事です!」
「ええ…厳密に…死というものを、どこで境界してよいものやら…それが問題なのですよ」
「では…僕の肉体は…」
「ええ、ツクリモノですよねえ…それはあなたの意識が作り上げた、傷も病も死もない様な、そんな肉体なのでしょうね…」
「では…」
「まあ、このシェルター以外は全滅ですよ。ですからね、あなたは…意識だけ、移し替えられたんですよ…言ってみればアップロードでしょうね」
「アップロード!では…僕は…電脳の中に…!!」
「はあ。しかし、例え機械であってもね、いずれは寿命がありますね。所詮は世界は諸行無常です。物はいずれ…死にゆくんですよ…例え鉱物であってもね」
「なら…どういうことです?」
「例えばアップロード先が地球であったとするなら」
「僕が星になった!馬鹿げている」
「ええ。しかしそれならば例え劣悪な環境でも、50億年の寿命は保証されますよ」
ワケのわからない感情が、僕を弱らせてしまった…
僕は抜け殻のような気分だった。
「それでもね…」
僕は力なく男を見遣る。
「言いましたが寿命は50億年ですよ、それほどでも私の先程の言葉を成立させるには至りません…」
「あなたの言葉なんて、そもそも壊れているではありませんか!」
「ええ、取りようによってはね。しつこいですがすべては考え方次第です」
男は見つめていた…それは僕を見つめているようで、遠くを見つめているようでもあった。
「そうですね…では、こういう推理はいかがでしょう…?」
九
無限……
歩きながら思い出そうとしている。
白磁の滑らかな地面、それは何一つの障害もなくただ真っ直ぐに続いていく無限の大地だった。
僕は何だ?
記憶を辿ろうとすれば、この単一の風景と同様の、白磁の色をした濃霧が僕の意識に流入してそれ以上思い出すことは不可能だと諦める。
もう、数時間は経っているだろうか…?
かつて僕は男と遭遇した、そんな記憶がある…
定期的に僕は短いスパンで記憶の消去を繰り返すサイクルにあるらしい。
忘却……
それは地球の寿命50億年も過ぎ去る程の長い時だったに違いない。
彼は最後にこう言った。
この言葉の記憶だけは何故か胸に刺さっては抜けてくれず、結果としてそれを頼りに僕はここまであるき続けたのだった。
「肉体にも物にも天体にも…寿命は結局ツキモノなのですよ。物であって寿命の来ないもの…それは…」
『真空!』
僕は永劫のサイクルで、何度も何度も自問自答を繰り返したに違いない…僕はあろうことか真空に僕の意識をアップロードされたんだ…それが…僕の…出自の…僕なりの結論であった……。
孤独…永遠に続く涯てのない世界に僕は永遠に生き続けている……。
そろそろ…疲れが…足どりが重たい…重力が強くなったように…そして肉体のすべてが…
…それは意識に闖入して…僕は視線を落として見た……
「?」
どこだろう…
これは…これは最後の記憶…
やっと辿りついたというのか…
逃げないように…
逃げないうちに…
その答えを…その答えに…
辿り着かなくてはいけない…僕は重たい一歩を…また一歩を…踏み出し始めていった……
そこはやはりシェルターであった。
それは狭い球体の空間で、白磁の…それ以外何もない風景だった…
事故…システムが故障していた…この狭い部屋からは…酸素が…あっという間に奪われていく……
僕はもうすでに意識を失いそうになっていた。
僕はボタンを持っていた…
このボタンは…究極の選択を僕に迫るもので…何故だか僕がそれを所有していた…遠のいていく意識…死にたくない…このボタンを押せば……
そう感じたと同時、僕は決断していた。
カチッ…!
サイレントカタストロフ……
僕は…
僕の意識は別世界へ…
決して傷つかず…衰弱もせず…病も寄せつけず…不老不死であり続ける永遠の生命の中へ…
真空の中へ…
僕の意識はアップロードされ…そして…それは考えられない位の衝撃を発生させて…
地球上の生命のすべては…
「そう、僕のせいで滅亡したんだ」
YUMEZ (ゆめぜっと)作、観念ミステリの第二弾でした。