俺の、共犯者たちによる、秘密の計画。
振り上げられたマリアンナの手が振り下ろされる。
「うおっと」
小気味いい音が響く。この場にいる多くの者たちのその期待を裏切り、クロノスは仰け反ってその一撃を避けると、目の前を通り過ぎたマリアンナの腕を取って引き寄せ、もう一つの腕をマリアンナの腰に回して力を入れ、彼女の一切の身動きを奪い去った。
「この、放しなさい!!」
「そしたら、また叩こうとするだろ?
にしても、変わらないなぁ。昔も、すぐに手出てたし。」
「そうさせていたのは、貴方でしょ!!!?」
クロノスは抜け出そうとするマリアンナを囲う腕に力を増し、そして久しぶりに抱きしめた大切な妻の存在に顔をにやけさせ、頭二つほど下にあるマリアンナの額に口づけを落そうとする。
「っっっエザフォス!!!」
あと少し、『地の精霊王』の顔が自分に近づいてくるのを睨みつけ、マリアンナは自分の存在を知覚した時から付き合いのある友人の、彼の妻が付けてくれたと嬉しそうに教えられた名前を呼んだ。
とうの昔に目覚めているくせに、甦った息子に借りられていることに甘んじている『地の精霊王』の名前を。
「ちょ、ま・・・親父!?」
意地悪い、ヤンチャな子供のような顔が、一瞬にして表情の乏しい凪いだ顔へと変化する。
「すまない。馬鹿息子が迷惑をかけた。」
同じ顔、同じ声のはずなのに、ただ中身が違うというだけでこうも違うものなのか。
マリアンナを拘束していた腕はすぐに解かれ、『地の精霊王』エザフォスが一歩、二歩、後ろに下がっていった。
「まったくだわ。どうやったら、貴方とユージェニーの子がああなるのよ。
それで、あれは何処?」
鋭く尖らせた目で周囲を見回したマリアンナ。
そして、エザフォスは一つだけ深いため息を吐き出すと、自分の顔の横、何も無い空中に手を伸ばし何かを握りしめる。
その空中を握った拳は完全に閉じることはなく、何か見えないものを掴んでいる。
「クロノス。」
「ひでぇよ親父~
こんな姿、まだ見せたくなかったのによぉ」
ゆっくりと、その拳の中に姿を見せ始めたのは、子供のもつ赤ん坊くらいの大きさの人形のように縮まっているクロノスだった。
「まだ、精霊化が完全じゃなくてね。
やっぱり『旅する精霊』なんて曖昧な伝承では足りないらしい。
存在としては上位精霊あたりになるのかな?」
大人しく事の成り行きを見守ろうとしていた、クロノスの共犯者『闇の精霊王』が笑いながら説明してくれる。
「『風の』。好きにしていい。」
マリアンナの目の前で、『地の精霊王』はその拳を開け放ちクロノスを開放した。
だが、クロノスがホッと息をつく間もなく、その小さな身体はマリアンナの両手によって掴み包まれ、再び身動きの許されない捕らわれの身となった。
その際、マリアンナは両手にまるで蚊を叩くような勢いを付けていた為、クロノスは唯一自由になる頭を上下に揺らして血反吐が出そうな勢いで咳き込んでいる。
「クロノス。
貴方、こんな姿になる為に、世界をこんなにも巻き込んだってことなのかしら?」
ギチギチと手に力を加えていくマリアンナ。
マリアンナとしては、再び会えたという喜びも無いといえば嘘をなるが、荒れ果てて多くの人々が犠牲となっている現状を思うと怒りが頭を支配していく。例え、全てを見放し人として生きようと人の身体に宿ろうが、彼女は始原の時代から存在してきた生まれながらの精霊王。人間たちの苦難や世界の苦境を考えずにはいられない。
「待った。待った。
『書の精霊』とか『伝達の精霊』が話を整えさせてるから!
もう少ししたら完全な形になれるから!
それに、ちゃんと世界の事、考えてるからさ!!」
クロノスの姿がマリアンナの手の中から消え、マリアンナが両手を組んでいる形となる。
「あぁぁ、まったく。
俺が精霊で、今のお前が人間ってことを思い出さなきゃ死んでたぞ?」
ゲホゲホッ ゼェハァ
さすがにあばら骨の軋む音に耐えかねたようで、走馬灯のように、人間は実体化するのを止めた精霊に触ることが出来ないということを思い出したクロノスはマリアンナから逃れることに成功した。
生まれてからずっと精霊王として君臨し、人間の体の中に姿を隠すようになった後は精霊と関わることがないように過ごしてきたマリアンナは、精霊に触れないという普通の人間にとっては当たり前のことをすっかり忘れていた。
「考えている?
こんなにも壊れてしまった世界を元に戻せる方法があると?
馬鹿もいい加減にしなさいよ、クロノス!!」
「馬鹿って言うのよ。
本気で、ちゃんと元に戻せるんだって。」
「クロノス。」
「ちょっとは信じてくれてもいいじゃねーの?」
妻と父親に攻められ、クロノスは口先を尖らせ拗ね始めた。
「クロノス。僕もそれは知らないんだけど?
死者たちだけは救済するって言ってたよね。」
共犯者である『闇の精霊王』までもが首を傾げて、本当に困惑している様子に、マリアンナとエザフォスからの厳しい視線が強まっていく。
「死者たちの救済ですか?」
闇に属する高位精霊たちが主君の言葉に目を瞬かせた。
これまで死者は思いを遂げると虚空へと消えていって、その先はどうなるか誰にも分からないことだった。それは人間だけでなく、精霊にも、精霊王にも、だ。
それは闇の精霊たちも同じ事。思いを残す死者に関わることがあっても、その後どうなるかなんて知りえなかったし、ただそうなのだと気にすることも無かった。
「魂が世界を何度も巡るシステムと、それを管理する精霊を作ったんだ。
世界の力が減ってきたのも、魂が消える端から新しい魂を作っているせいもあるんじゃないかって話になってね。
魂の再利用。
死者の魂を一度『冥府』に集めて、次の人生に送り出す。
転生者たちの世界では輪廻と言うらしいよ。
『冥府』は地中の奥深くにあって薄暗い場所ってことで、僕とクロノスが力を合わせれば作ることも出来たし。少しずつではあるけど、人間達にも伝承をばら撒いておいたから、そろそろ運用を開始できるようになっている。もう少しで『冥府の女王』っていう精霊も目覚めるところまで来ているよ。
この計画を始めた頃、彼女が封印されたくらいからの死者の魂は『冥府』に保管してあるから、今回の件が終わったら地上に魂たちを戻すっていう計画だった。
・・・筈だよね、クロノス。」
首を傾げ、空中を漂うクロノスを睨み上げる『闇の精霊王』。
その後ろでは、闇の精霊たちが主君達のあまりの計画に頭を抱えていた。その口々からは「これって俺らの仕事が増えたってことか。」という言葉も聞こえてくる。
「それは、それ。
もう一個、荒廃を始めた世界を再生させてようっていうのもあるんだよ。
それは、お前に言うと反対するだろうから内緒にしてた。」
可愛らしく悪い悪いと共犯であり友となった『闇の精霊王』に謝っているが、その姿にイラッとしているのは、それを向けられた彼だけではない。
「彼女を使うって言ったら、お前絶対に怒るだろ?
だから、内緒にしておこうって彼女を約束しておいたんだ、死ぬ前に。」
「・・・・まさか!!!」
それ以外の全ての計画を知っていた『闇の精霊王』は、それに考えが至るのも早かった。
「そう。そうなの。私の出番っていうことなのよ!!!」
扉を荒々しく開け放ち、部屋に差し込む後光と共に飛び込んできた。
流れるように床にまで伸びて引きずられた黄金の髪と満々の自信を湛えて煌く黄金の瞳。
透き通るような真白な肌をもった、
マリアンナならば二人は並べるくらいの、ふくよかな体格の女性だった。
「誰?」
頭の端に何かが霞めているのを感じながらも、誰もがその女性の名を思い出せずに首を傾げたり、眉間に皺を寄せた。