散るサクラ、咲くサクラ
初投稿です。
2015/02/14 追記:修正版
卒業式に桜は咲いてないし、咲いていないから舞うこともない。でも僕の中では、咲くどころか散り始めていた。
高校を卒業するということは、ここで過ごしてきた日々が、あっさりとリセットされてしまうということ。今まであった『明日』がやってこない。僕が好きだったこのクラスが今日で全員散り散りになってしまう。
今日と明日で何が違うんだろう? そう考えてしまうと、とてもたいそうで頭が良いことを考えているような気分になるけれど、僕にとってそれは本当に考えたいということじゃない。そもそもその答えは出ている。
今日は終わりで、明日は始まり。
破壊と再生があって、今日という高校生活が終わると、明日から大学生への道が始まる。
でも、もしそうであったとしても、僕はきっと、大学四年間は今日という日を引きずるんだろうな。
僕の中の桜は一瞬。咲くのも散るのも一瞬。高校という場で咲き、卒業式という場で散っていくんだ。
「なあ徹」
頬杖をついて窓から覗ける外をボーッと眺めていると、後ろから声をかけられて渋々後ろを振り向く。
「なに、康太?」
「お前さ、いいのか?」
神妙な顔で何を……
「神無月比奈。好きなんだろ?」
「ブフッ!」
盛大に噴出した。焦りながらもちらりと右斜め前を見る。そこには友達と笑顔で会話をしている神無月さんがいて、僕のことは一回も、チラリとも見ることはなかった。
僕の初恋。誰にも知られずに終わるはずだったのに……。
「なんで知ってるのさ!?」
小声で康太に迫ると、しれっと白状した。
「だってお前さ、露骨すぎるんだよ。大丈夫だ、このクラスでは俺と神無月以外の女子全員しか知られてねぇから」
「女子全員に知られてたら終わりじゃんっ!?」
思わず叫んでしまってすぐに口を抑えた。ゆっくりと神無月さんを見ると、気のせいか他の女子が僕を見てクスクスと笑い声を立てていた。そう考えると、康太が言ったことが本当のような気がして気が気じゃない。
皆に知られてるっていうことは、奥手な僕には恥ずかしすぎて顔から火が出そうだ。
……顔が赤くなるのを理性で抑えこむようにふぅ、と息を吐いて康太をみると、どこか真剣な表情をして口を開いた。
「大体なぁ。お前、今日は卒業式だ。それぐらいわかってんだろ? それを踏まえて訊くぞ。徹、どうするんだ?」
「どうするもなにも、僕は別に告白なんて……」
「ばか、男は度胸だ。卒業式はな、告白して成功なら晴れて恋人、フラれたらそこで終わりってきっぱりした日なんだ。だから告白するなら今日が最後だと思え」
「そう、だね……」
曖昧に頷くと視線を神無月さんに向ける。
今日は卒業式だ。高校の友達に毎日のように会えるのが最後の日で、友達同士こんな大人数で一緒に椅子を並べて座るのも最後で、談笑するのも今日が最後。
なのに。
神無月さんはやっぱり笑顔のままだった。
悲しいのに、その笑顔に見惚れた僕は、さらに悲しくなった。
◆
卒業式は厳かに執り行われた。
晴れやかな舞台で、卒業式は粛々と進行する。入場してからの皆の表情はとても真剣で、昨日にも行われた式の練習と同じような動きをする。
式なのに練習するのは、きっとみんなが緊張しないように、という意味合いもあるけれど、きっと学校側の体裁もあるんだ。『親御さん、私達は生徒さんにきっちりと教育をしましたよ』とみせられる、最後の機会。
そういう先生達の意思が僕らにも向かい、昨日の練習合わせて無意識に身体が動く。だからかな。僕の気持ちの矛先は、卒業式じゃなくて、へたれている自分の心に向かっていた。
神無月さんに告白すべきか、しまいか。
確かに神無月さんが好きだというこの気持ちは確固としてある。
いつも明るくて、誰にでも優しく、自然と皆の中心にいるような、そんな人だ。好きになったのだって、神無月さんがやってきた慈善事業をずっとみてきたから。それに、神無月さんは時々、僕にも優しくしてくれた。
春には一緒にゴミを捨てに行ってくれたり、文化祭でよさこいを踊ることになったとき、わからないところを教えてくれた。それに、雪が降った時はわざわざ僕や康太も誘ってくれて、一緒に雪合戦もしたっけ。
……でも。
きっと神無月さんにとってはそれが普通。皆に優しくしている中に、僕がいただけで、きっとそこに深い意味はなかったんだと思う。
ゴミ捨ては、ただゴミを僕がゴミを捨てる場所がわからなくて。よさこいの踊りがわからない時は見るに見兼ねてだろうし。それに、雪合戦の時も、欲を言えば僕と神無月さんだけでも…………って今のなしっ。
こうして、優しさと気遣い。この二つに神無月さんの笑みがあったから……だから僕は恋に落ちたんだ。
きっと、恋に落ちるのに時間はかからなかった。高校一年生の終わりにはすでに神無月さんを目で無意識に追っていたと思う。それに、どこか会話もぎこちなくなって、それでいつの間にかあまり話さなくなった、のかな。
よく、わからない。
だって、神無月さんも同じ時期にあまり話に来なくなったから。
でも、きっとクラスメイトの一人としか見られていないと思う。三年間ずっと一緒だったという、それだけの関係。なんの特別な繋がりもない、普通の、極々普通のクラスメイト。
そんなクラスメイトから、告白?
きっと受け入れてもらえない。そう思うと二の足を踏んでしまってなかなか告白という場に至れず、今日のこの日まで来てしまったんだ。
ただ一言、「好きだ」というだけ。その言葉の意味に、どれだけの感情が含まれているのだろうか。本気で放つ言葉の言霊は、ものすごい想いが含まれているから、きっと神無月さんの心にも届くはずだ。
でも、それでも――
「答辞。卒業生代表、神無月比奈!」
「はい」
その声で我に返ると、いつの間にか下げていた顔を上げる。そこにはいつもの穏やかな雰囲気はなくて、かわりに凛と表情をしていた。いつものギャップに思わず見惚れて、それでいてまた新しい一面がみれたと心の中で歓喜して。それでまた惚れなおして。
今の神無月さんは、卒業式という儀礼の場を足場に一つ大人の道を歩もうとしているように見える。いつものような可愛さじゃない、スッと先を見据えるように、不安と恐怖を隠すかのように顔を引き締めていて、ゆっくりと歩む。それは、僕も合わせてこれから大人というところへ向かうための、道標にならんとばかりに。
子供から大人。その間を垣間見たような、そんな感覚に襲われた。
僕は最前列に座っていたからそのまま彼女を見つめていると、貴賓席の人に頭を下げる。そして頭をあげたとき――神無月さんと目があった。僕の心臓は飛び跳ねたようにドクンと一つ大きく跳ねた。
視線と視線がつながっていたのは数瞬。でも、僕にはその数瞬がまるで時間を切り刻んでいるかのようにとても長く感じた。
その視線はすぐに外されて、神無月さんはこんどこそ壇上へと目を向ける。それと同時に現実へと引き戻された僕は、脈が早鐘を打つように上がっていることに気付いて、心なしか顔が火照っていた。
やっぱり、僕は……――。
神無月さんの壇上に登る姿を少し熱がこもりながらも見つめながら、彼女のことが好きだということを再認識した。
でも、告白するか否かという心は、卒業式が終わっても決まらなかった。
◆
その後、答辞のときに神無月さんが泣き出した事以外はつつがなく式は終わった。もう皆との別れの時が近い。でも、僕の決意はまだ決まっていなかった。
教室をぼんやりと見渡す。
友達と談笑しあう者。卒業アルバムにコメントを残している者。最後までマイペースを崩さずに馬鹿なことを言いあっている者。
僕は、どこにも属さなかった。あえて言うなら卒業式の感傷に浸っているもの。
「ねえ……とお、るくん」
康太ですら今この教室にはおらず、隣のクラスに出かけている。
「とおるくーん」
僕に友達がいないというわけでもないけど──。
「徹くん!」
「は、はいぃ!」
呼ばれていることに気付いて急いで振り返る。
「か、神無月さん!?」
目と鼻の先に神無月さんがいて、思わず後ろによろけた。
「そうだよー……さっきから何回も呼びかけても反応しないから嫌われちゃったかと思っちゃったよぉ!」
「あ、ご、ごめん……でもそれはないよ。だってす……じゃない!」
「す?」
首を傾げる神無月さんが可愛いとか、そんなこと思ってる場合じゃない。今、危うく「好きだから」って言いかけた! いや、言えたらいいけど、こんなサラリと言うようなことじゃないし……それに……やっぱり覚悟が決まらないから……。
「徹くん?」
「あ、ごめん……そ、それで何かな?」
「え、えっとね。卒業アルバムにコメントを残せるところあったでしょ? だから書いてほしいなぁって思って……」
「えぇっ!? ……ぼ、僕でいいの?」
「うん! 徹くん意外に男子は書いてもらう人はいないからね!」
「そ、そうなんだ……」
う、嬉しい……。ちょっと独占している気分。勘違いしそうになるけど、きっと他意はないんだよね。そう自分を自制しておかないと。
いったいなんて書こう……。
「徹くんも、貸してー」
「あ、う、うん」
自分の卒業アルバムを渡して、代わりに神無月さんのアルバムを受け取って開く。
すでに何人もの友達からメッセージを書いてもらっていた。神無月さんの友達は、言ったら悪いかもしれないけど、あたりさわりもないことばかり。僕も、その一つになってしまおうか。
……いや、できるだけ神無月さんの記憶に残ってほしいな。
告白する勇気がない。でも、記憶に残ってほしい。このジレンマは、勇気のない僕の悪あがき、なのかな……。
「……うん、書けたー! 徹くんは? 徹くんも書けた?」
「あ、まだ……」
僕が書こうとすると、「そこじゃなくて次のページに書いてね!」と言われたから一枚捲ると、そのページにはまだ白紙のままだった。白紙のページに僕が初めて書く。その行いはまるで、まだ恋を知らない僕の心に、神無月さんが入り込んで根付く過程を再現するようで。それこそ、神無月さんに直接ラブレターを書くような気分で。このまま僕の神無月さんが好きだという気持ちを書いてしまおうかという衝動に駆られてしまう。
……でも。一生残るようなものにそんなことをする勇気はない。ラブレターなら捨てられるけど、卒業アルバムは捨てられないから。
だから、僕が書いた内容は、神無月さんの頑張り。
神無月さんはボランティアに参加して積極的に保育園に行っているのを知っていること。分別されていないゴミ箱をこっそり仕分けていたこと。そういえばこれは何回か手伝ったことがあったなぁ。
他には迷子の子がいたら一緒に親を探してあげたり、友達の悩み事を一緒に悩んであげたりしていたことも聞いたことがある。
『――神無月さんのその頑張りを僕は尊敬しています。これからも、そのひたむきな努力を忘れないで頑張ってください』っと。こんな感じ、でいいのかな。
……僕のことを忘れないで下さい、っていうのは傲慢だよね……。
「書き終えたよ」
「ありがとう! はいこれっ。えっと……今が十三時だから……十四時になったら開いてね!」
「えっ?」
「じゃっ、じゃあねっ!」
僕が何かを言う前にそう言い残して友達と合流した。僕に疑問を残して。
「よかったな徹くぅん!」
「うわっ! びっくりさせないでよ康太。あと、それやめて!」
「いいじゃねえか。それより、神無月から書いてもらえたんだな」
「う、うん」
「そうかそうか。なら後はお前次第、ってところか」
「そう、だね……」
少し歯切れが悪くなった。本当、片思いって大変だ。結局最後は本人次第なんだから。
恋は恋でも高嶺の花と言ってもいいほど遠い存在に感じているのに、この思いが通じるのだろうか。
「頑張れよ」
「うん……」
僕の恋を知っている友達も、最後の『告白』というシチュエーションには参加しない。そのシチュエーションには男と女。その二人しか参加できないんだから。
不安そうな表情を浮かべていると、康太が苦笑いを浮かべて「そう気負うな。あとは勇気だけだぞ」と僕を叱咤した。
そのまま康太は鞄を持つ。
「康太、帰るの?」
「いーっや、なんか呼びだしくらってんだわ」
「えっ……今日で卒業なのに?」
「今日が卒業だからだよ」
じゃあな、と言って康太は教室から出て行った。そのときポケットからはみ出したピンク色の便箋が見えたような気がした。もしかして、とは思うけど、そこに僕が立ち入ることはできない。
康太はすでに、勇気がある人から手紙をもらっている、ということだから。そこに、勇気がない僕が立ち入ることはできない。……それに答えるのか、康太は。
もう最後のホームルームは終わっていて、すでに帰っている人もちらほらといる。少しずつ、確かに人数は減っていった。
◆
三十分経った。クラスの半数はもう教室にいないし、鞄もなくなっている。他のところに行っている人もいるんだろうけど、この場にいない人はほとんど帰っているはずだ。卒業はそうだ。雛が巣から旅立つように。親鳥が雛の旅立ちを気にしないように。僕らは勝手に校門から出て。学校はそれを気にしない。
ちらりと神無月さんの方をみると、神無月さんの一番の親友だと思っていた人はもう帰ってしまったみたいだ。今は違う人と話してる。
ぼくはどこかやるせない気持ちになって席を立った。そのとき神無月さんが僕を一瞬見た気がしたけど、どこか気恥ずかしい気持ちになって、気づかないふりをして教室からふらりと出た。
一人で校舎をぶらぶらと散策する。すでに一、二年生もほとんど帰っているみたいで、学校が空虚に感じた。
僕らの教室があるのが別棟で、職員室があるのが本棟。だから本棟に渡り廊下を渡りながら本棟と別棟に挟まれた小さな中庭を横目で見る。
たしかここで文化祭のよさこいを踊ったんだっけ。それに逆の方向、こっちではクラスでアイスがのったジュースと焼きそばを売って。
先に進むと、目の前にはさっきまで卒業式をしていた体育館がみえた。そっちには行かずに右に折れると、職員室が。中ではまだ先生たちが色々作業しているのかな。そんな先生たちに会えなくなるのは、寂しい。
先生にも、いろんな人がいた。
昔懐かしのレトロゲームの格好が妙に様になる国語の先生。
授業を簡単に済ませているのに、かなりわかりやすい英語の先生。
数学をおもしろおかしく教えてくれた妙にテンションが高い先生。
いろんな豆知識と一緒に教えてくれた社会科の先生。
教員採用試験と平行して、無事受かったことにホッとして泣いた生物の先生。
他にもいろんな先生がいた。個性があって、話すと楽しくて、面白くて。
この学校を離れたくない。そんな気持ちを一層強めてくれる、先生方。
……心の中でお礼を言うと、そのまま振り切るように早足で廊下を駆け抜けた。するとみえてきたのは保健室。
その手前にある階段を登って行くと、よくお世話になった進路資料室がみえた。勉強できるからといってよく籠もったんだっけ。
その階段を更に登ると、図書館だ。本を読むのもあったけど、一番は神無月さんがいたから、かな。よくここを訪れた理由は。最初はたまたまだったけど、途中から何かと理由をつけて。……でも、神無月さんが真剣な表情をして勉強に励むようになってから、やめた。それからはほとんどこなくなった。
スッと視線を外して上に続く階段をみる。ここから階段を昇ると、あとは物理室と生物室があるだけ。夏休みに集中講座を先生たちが開いてくれて、あの長くて短い夏だけで一気に実力がついた。先生たちには返しきれない恩を――
「いや、違う。『もらった恩は、形が違ってもいいから他人に恩を渡せられるような、そんな人間になれ』だったっけ」
担任の先生が最後に教えてくれた言葉を復唱する。僕も、そんな人間になれたら、なれるなら、なろう。
一歩一歩踏みしめながら体育館へと伸びる道まで歩いて行く。
この学校全部がお世話になった場所だ。
僕の心の桜が満開の時に過ごした場所。
足を止めて最後に体育館をみると、ちょうど後輩達数人が体育館にあった看板を本棟に持ってきた。僕にはもう、ここには居場所がないと言わんばかりに皆が三年生に付けられる胸の花を見てくる。
……そうだよね。後輩は僕らがいなくなれば学年が一個上がるんだ。とくに今ここで片付けをしているのは二年生が中心のはず。僕らが消えると最上級生。一番のトップに立つためには僕ら三年生がいなくならないとい
けない。
そう思うと、卒業式に泣いた神無月さんは本物の気持ちだと思うけど、送辞で僕らに言葉をかけてきた後輩の言葉はとても嘘っぽく感じてきた。
きっと嘘なんだろうな。いや、嘘じゃなくても心からの言葉ではないんだろ。『私達が三年生達の卒業を心からお祝いさせていただきます』だなんて言ったって、今現にこうして異物を見るような目で見られると、とても『お祝い』をされたとは思えない。
なんとなく居心地が悪くなって渡り廊下に出ると、中庭にある時計が見えた。……そろそろ、十四時になる。
「十四時に開いてほしい、んだっけ……」
少し緊張して手を握りこむ。なるべく平常心でゆっくりと教室に向かう。
そして、一度深呼吸をして、教室を覗きこんだ。
「――――ぇ」
僕が教室を出てから三十分。たった三十分だった。
それなのに、すでに教室は電気が付いていない。そもそも、誰もいない。
――――神無月さんが、いない……!
「は、ははは……」
乾いた笑い声しか出てこなかった。僕の心の中で徐々に散っていった桜は一気に枯れて、花びらはすべて風に流されてどこかに飛んで行く。
終わったんだ、すべて。僕の視界がセピア調に染まった感覚に陥って、ふらりとよろけると机によりかかった。
クラスメイトにはなかなか会うこともないし、それに神無月さんには「さよなら」も「またね」も言えなかった。
「僕は、なにやってるんだろうなぁ……」
ふらふらと暗くなった教室に入ってポツリと呟くと、なんだかもう全てがどうでも良くなってきた。
――帰ろう。
二度と来ない場所にいつまでも残っていても仕方がない。家に帰って寝たい。そのままずっと眠ってしまいたい。
いつの間にか体重を預けていた机から重い腰をあげる。そのとき、ずるりと卒業アルバムが机から滑り落ちた。
卒業アルバムに胡乱げな眼差しをぶつけた後、のろのろと拾い上げた時、ふと神無月さんの声が脳内で再生される。
『えっと……今が十三時だから……十四時になったら一人で読んでね!』
……今更なんだというんだ。神無月さんはいないというのに、なんで開かないといけないんだ。
……でも、わざわざ時間指定がされている。
最後だから。学校でなにかやるのは最後だから。
そう心に言い聞かせると、ゆっくりと卒業アルバムを開き、ペラペラと捲ると、大きく書かれた字が目に映り込んだ。
『桜の木の下で、待っています』
僕はその短い文を読み終えた瞬間、アルバムを乱暴に机に投げ置いて教室を飛び出した。
とにかく、全力で、持てる限りの力を出し切って、桜の木まで走る。
桜の木で僕が思い当たるのは、グラウンドに一本だけ背が高い木がある。校舎からみて真ん中の、端っこだ。他にも桜の木はあるけど、絶対にそこにいるんだという確信があった。だから、とにかくそこへ向かって全力で駆ける。
「はぁ……! はぁ……!」
受験ばかりで運動していなかったからか、まだ三月に入ったばっかりなのに僕の背中は汗で濡れ始めていた。息切れも激しくて額にも汗が滲む。
ようやく桜の木があと十メートルというところで足を止めて、そこで一回息を整えた。
それから、一つの決意を固めて桜の木へとゆっくり足を進めた。
……でも、そこに神無月さんの姿はなかった。僕の考えだとここにいると思ったのに。
深く息を吐き出しながら桜の木に寄り掛かる。
「おかしいなぁ……」
「おそいよー徹くん」
「うわぁっ!」
バッと桜の木から離れて声がした桜の木の方を見る。そこにはしてやったり、と言いたげな表情をした神無月さんがいた。
「びっくりしたよ……」
「私もね、徹くんが遅いから、来ないかとびくびくしてたんだよ」
のほほんとしているけど、その表情にはどこか緊張しているようにもみえる。僕の気のせいかな。僕もかなり緊張して、運動とは別に胸が早鐘を打ち始めているけど。
「そ、それで……ここで待ってるって書いてあったけどな、なに、かな?」
「えっと……徹くんって大学どこに行くのかなぁーって……」
「え? えっと、家から近い静穏大だけど」
「静穏大! よかった、私もそこなんだよ!」
「そうなの!?」
「うん!」
にっこにっこと笑顔を浮かべる神無月さんだけど、僕としてはどうしようか悩んでしまった。告白しようと決意をしたのに、もしここでフラれても大学で一緒なんて…………いや。
ここで弱気なったらだめだっ!
「ねえ、徹く──」
「神無月さん!」
「は、はい!」
もう、迷うな。狼狽えるな。
「僕……」
迷わない。でも、緊張で声がでない。さっきの悲嘆と今目の前にいる神無月さんの姿にホッとしたせいか、余計に緊張してしまう。
「僕は、神無月さんが……」
好きだ、なんて言うのは簡単だ。でも、告白は、僕の中にある想いを全て籠めて放たないと。
――愛を、籠めて!
「僕は、神無月さんのことが、好きだっ!!」
「……えふぁ」
「ずっと前からずっと好きだった……一年以上も前から……だから、だから付き合ってください!!」
言いたいことは全部言った。言葉は言霊となって、感情を含めて全部相手に伝える。誠心誠意。今の言霊はこれがあっているのかもしれないだなんて、少しズレた考えを頭の中で繰り広げてた。……現実逃避じみている、だなんて変に考えてしまう。
だけど、目だけはしっかりと神無月さんを捉えている。神無月さんは顔を赤く染め上げて固まっていた。まつげがフルフルと震えているけども、それだけだとどう思っているのかわからない。
「えっと、その、そのそのその……」
「……だめ、ですか?」
思わずネガティブな思考に走ってしまう。
赤面したままの神無月さん。きっと僕も顔が赤くなっているんだと思う。顔が火照っていて、心臓が壊れそうなほど脈が速い。
僕はじっと、ずっと待つしかなかった。
「えっと……あの、私も……」
「えっ?」
「……も……私も徹くんのことが好きですっ!」
「……マジですか」
「ま、マジです……入学式の日から、ずっと……」
「えっ?」
入学式の日って、三年も前から? でも、入学式の日って僕らはまだ顔をあわせていないはず。どういうことだろう。
「入学式の日にね、私、徹くんに助けてもらったの」
「助けたって……?」
「あの……入学式の後、一人で学校散策してたらね、お気に入りのキーホルダーなくしていたことに気付いたの。それで一生懸命探してもなくて。そこで通りすがりの人が私に声をかけてきてくれて……」
「それが、僕?」
そういえばそんなことがあった気もする。うろ覚えだけど、女の子が探し物しているようだったから一生懸命探したんだっけ。
「うん! そのときに徹くんも一生懸命探してくれたんだよ? それで、人のためにこんなに一生懸命になれるなんてすごいなぁって思って」
「そんな……それだったら高校三年間ずっと一生懸命だった神無月さんの方がすごいよ。僕より、もっと」
僕はもともと誰かのために尽くせるような人間じゃない。それこそ、家族や友達にだって、全力で何かをするような人間じゃないんだ。
きっと、神無月さんの時も気まぐれだったと思う。高校生活の始まりにちょっと良いことしておいたほうが良いかな、って。
「でも」
神無月さんのにっこりと笑って、僕の手を握ってきた。
「私がそうなれたのは、徹くんのおかげだから! だから、その、す、すす……好きになったんだもん……」
照れながらそう言う神無月さんがとてもかわいくて、思わず抱きしめたくなった。でも、我慢する。
「僕は、神無月さんが頑張っている姿を見ていたらいつの間にか、ね」
「そうなんだ……えへへ、嬉しいなぁ。もともとは徹くんみたいになりたいって思ってたのに、その徹くんから好きって言われたから……」
「でも、本当に僕でいいの?」
「徹くん意外に考えられないよ! もう……」
「そっか……」
僕の中の散り終わった桜が、花をつけて満開に咲き、暖かな陽気が心に染み入って、なんだかとても幸せな気分だ。
少し暖かい風が僕らに新たな風を入れるかのように吹き、桜の木が揺れる音が耳に入る。
握られている手を一度優しく離すと、二人で握れるように繋ぎ直す。その小さくも暖かいぬくもりから視線を戻すと、神無月さんが顔を赤らめていた。
「神無月さん……」
「あの、私のことは比奈、って呼んで、ほしいな?」
下の名前……なんだか照れるな。でも、恋人だし。彼女だし。
「う、うん。ひ、比奈……」
「徹くん……」
二人して照れた。でも、こういうのも悪くない。もっと、比奈に触れたい。比奈のことを知りたい。これも、その欲求の一つだ。
「比奈……好きだよ」
「わわっ! ……私もだよ、徹くん」
そこから僕たちは自然と顔を近づけ──。
お読みいただきありがとうございます。
今回初投稿です。
感想などあればいただけると嬉しいです。