序章:緋い子供たち
本作品はダークファンタジです。
序章【緋い子供たち】
「とうさ――」
散弾銃が少年の悲鳴を掻き消すと、父の頭が血煙と化し、傾いた体が砂埃の上へ倒れた。
夕暮れの大地に広がる、緋色の水溜まりと、鉄錆の臭い。
次弾を装填した鉄の死神が、大男に組み敷かれる少年の左腕に、当てられた。
「十を数える内に出てこい! 次はこいつだ」
村人達が固唾を呑む中、声を張り上げたのは、頬から喉元まで走る深い裂傷痕を貼り付けた男だ。銃器で武装した男は、彼を含めて五人。各々の血走る瞳は、明らかに尋常ではなく、彼らの眼窩の内で炯々(けいけい)と光る双眸に睨め付けられ、村の誰も彼もが押し黙る。
少年は、この村の子だろうか。泥にまみれた髪の下、悲痛と怒り、憎悪と悔しさに歪められた緋い瞳が怨敵を刺す。いくら殺意を向けた所で、力の差が埋まらぬことは、誰から見ても明らか。だが何故だろう。男達に強者の傲慢は欠片も無く、少年を凝視する額には、冷たい汗が流れていた。
「十、九……」
「ぜったいに来るな! そのままにげ――がっ!」
踏みつけられた少年の頭が、泥に沈む。村人達が傍観する中、秒読みが終わった。傷の男が「やれ」と短く命じると、ドン、と火薬が咆えた。呆気なく、肘から千切れた左腕が宙を舞い、緋い線を描いて地に落ちると、群衆の誰かが悲鳴を上げた。
「出てこぬならば、残りの手足も、もぐだけだ」
爆ぜた左肘の断面を、まるで煙草の火でも揉み消すように踏み潰すと、ついに、少年の口から絶叫が迸った。持ち上がった男の靴裏から、血の糸が引き、彼が片手を持ち上げると、部下の握った散弾銃の鎌首が、少年の右膝に当てられた。
「やめてえええええええええ!」
南の方から響いた声に、村の誰もが振り返った。
物陰から出てきたのは、少年とよく似通った顔立ちの、幼い少女だ。
兄と同じ緋色の瞳は、ずっと我慢してきた涙を溜めて、白くなるまで握り込まれた手は、スカートの裾を掴んだまま、怒りとも恐怖とも付かぬ感情に、震えていた。
「もう、やめて。わたし、でてきたから。もう、おにいちゃんを、きずつけないで。おねがい……おねがい、します、やめて、ください」
妹の姿を霞む視界に捉えた少年が、来るな、と肘を伸ばしたの、傷の男が口の端を吊り上げたのは、同時だった。
「そうだな、これで終いにしよう」
引き抜かれた拳銃が、立て続けに咆えた。兄の背中が血を噴いても、少女は何が起きたのか理解できなかった。否、理解を心が拒んだ。撃ち尽くされた弾倉が地に落ちる。
「やっと、ここまできた。あとは、お前だけだ」
新たな弾倉を装填し、傷の男は銃口を向ける。そして、力なき装いをした悪魔を睨め付けるように、呆然と立ち尽くす少女を見据えた。
「なんで……どうし、て?」
「どうしてか、簡潔に言えば復讐だ。俺達から家族を奪った、貴様らへの報復だ」
「そんなの、知らない! わたしたちは、なにもしていない! なのに、なのになんで、おとうさんや、おにいちゃんを――」
「お前達がそうするからだ! お前の運命に同情はしよう。だがそれ以上に許せん。俺達から奪う存在を、俺達の敵を、俺は許せん。お前達を産み落とした元凶も、また然り」
幾千の憎悪に浸かり、幾万の夜を煉れば、こんな声が出るのか。静けさを秘めた憤怒の焔。研ぎ澄まされた殺意のみが、少女の瞳を射抜いた。ただの人、ましてや、相手が子供であれば、その視線のみで殺せそうなほど、激しい感情。
だがそんな男の喚き声は、もはや少女へは届いていなかった。
常に優しい眼差しをくれていた父。最期まで自分を守ろうとしてくれた兄。裕福じゃなくても、二人がくれた日々は、幸せだった。その二人が、もういない。それが何よりも悲しくて、そんな二人を奪った、眼前の男達が、何よりも憎かった。
憎い、憎い、憎い、憎い、憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い。
父を奪った、あいつが憎い。兄を殺した、やつらが憎い。
自分の中で膨らみ続ける殺意とは逆に、心は急速に冷めていく。
傷の男の眼光と、温度を失った少女の緋い視線が交差した。
そして、少女の額を照準した引鉄が引かれる。
「ば――」
拳銃が弾けた途端、バカな、化け物、男が続けようとした言葉はどちらだったのろう。恐らくは両方だ。
「なっ、お、お、お前は……」
拉げた鉛弾が剥がれ落ちると、突然現れたそれの全身を覆う、青銅の積層装甲が軋む。
額に輝く焔の紋章。冑の隙間から覗く、緋色の光が明滅し、各々が木の幹ほども太い五指に生えた巨大な爪。現れたのは、青銅の鎧に身を包んだ、隻腕の巨人だった。
傷の男が、拳銃の先を巨人に向けて連発するが、弾丸は装甲に弾かれ、伸ばされた無骨な腕が、男の腕を拳銃ごと握り締める。ゴキリと、巨人の掌の中で、男の腕が砕かれた。
肘の先から引き千切られ、尻餅をついた男は、腕を押さえながら視線を上げる。
巨人の冑の下から覗く、緋い瞳が男を見下ろしていた。
わずかに視線を外した男の目に映ったのは、いつの間にか消え失せた少年の亡骸と、既に糞尿詰まる、肉袋と化した同胞達の姿だ。痙攣する肉は、強大な力で薙ぎ払われたかのように、引き裂かれ、どれもこれもが原型を止めていない。
オォオオォオォオォォオォオォ。
冑の下で巨人が咆え、無骨な指が男の額を鷲掴みにする。
「死んじゃえ」
少女の言葉が落ち、男の悲鳴は一瞬だった。顔面を握り潰され、撒き散らされた脳髄と血肉が青銅の装甲を汚す。最後にビクリと動いた腕が垂れると、顔を失った死体がまた一つ、その場に倒れ込む。
緋い糸を引きながら、爪を生やした五指が開かれた。
ポタリ、ポタリと血の雫を滴らせ、真っ赤に塗れた鎧が振り返ると、少女は呆けるように巨人を見上げた。コクリ、と一度頷くと、残された巨人の右腕が、求めるように彼女へ伸ばされる。引きずるように、一歩ずつ、重い足跡を緋色の海に刻み付け、巨人は少女へ歩み寄る。
不思議な事に、少女もまた、一歩ずつ巨人へ近づいた。
求められた物を渡すように、両の手を差しだそうとする。
「――バケモノ」
その時、奇特にも、我に返った村人の誰かが呟いた。
次の瞬間、巨人の爪が少女の胸に沈み、傾いた体が、緋い海へ落ちて行った。
「………イ……レイ……レイ。起きろってば。おいこら、レイ、降りるぞ、レイっ!」
ガタンゴトンと、車輪が奏でる子守歌。狭い客車に少年の声が響いた。
四人掛けの箱席、その片側を占拠して寝息を立てるのは、双子の片割れたるレイだ。
目深に被った鍔広帽子からはみ出た青銅の髪。毛布代わりの外套から出た、手足の線はまだ細く、華奢にさえ見える。だが、横に立てかけられた弩弓――護身用だとしても、まだ年端もいかぬ子供が持つには剣呑なそれを見て、誰が、レイの細さに気付くだろう。
「レイ! いつまで寝ているつもりだ、お前は!」
そんなレイの耳元で声を荒げること、十数分。未だ、片割れが起きる気配は無い。溜め息と一緒に、目を細めると、シェムは、どうしたものかと天井を仰いだ。
列車に乗り続けて十数時間。もう目的の駅に着くのに、夢の世界へ旅立ったレイは、まだ帰らない。太陽の恩恵が貧しい北国の寒期は早く、晩秋の車内は、既に肌寒い。そんな中、さらに狭く硬い座席の上で、器用にも寝返りを打つ片割れを、逞しいと評するか、ただ神経が図太いだけと、現実を見るべきか。
「あーもー、らちが開かん。……しょうがねぇ、恨むなよ」
もはや手段を問うてはいられない。かくなる上は引きずり落として起こそうと、シェムはレイの肩に手を掛けて、力を入れる。そこでようやく、眠たげな欠伸と一緒に、鍔広帽子がずれ落ちた。その下からうっすらと開かれる、深緑色の寝ぼけ眼。
「ん~~むにゃ?」
「お、ようやく起きたか。おい、そろそろ降り――」
「ひゃん、そんな所を触っちゃ、あぅ、舐めちゃダメだよシェム!」
「肩にしか触れてねえ! 何も舐めちゃねえよっ!」
「そこはね、繊細で敏感なんだからぁ。イチゴはねぇ、最後の仕上げなんだよぉ?」
身を捩らせ、赤らめた頬を帽子へ埋めたレイは、一体、どんな夢を見ていたのやら。生まれてから十四年。片時も離れずに時間を共に過ごしてきたシェムでさえ、未だそこは魔の領域だ。
溜息を増やしてから、シェムは冷静に片割れの両の頬を掴む。
「夢から戻ってこい、降・り・る・ぞ!」
「ぷるぎゅぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!?」
摘んだ頬の肉を一気に捻り上げると、幸せそうに涎を垂らしていた口から絶叫が迸った。
見開いた深緑の瞳に涙を浮かべ、両頬をさする片割れを尻目に、シェムは腕を組んで座り直す。傍らに立てかけられた長柄の剣――これも子供が持つには物騒極まりない――に手を掛け、剣身を覆う革袋が、キチンと留められていることを、確認する。
「……ん?」
ふと、殺気を感じた。送り主は言わずもがな。根負けして顔を上げると、恨めしさを顔に貼り付けたレイが、深緑の瞳に抗議を載せていた。シェムは何も見なかったと目を背けると、剣呑な視線が一転、悲愴に染まる。
「ヒドい、ヒドいよシェム。捨てるんだね」
「人聞きと気色が悪いことを言うな。つーか何をだ」
「せっかくの、スペシャルで、特大な、イチゴのケーキを、食べるところだったのに! あと少しで、シェムにもお裾分けして、あげたのに! ケーキが、ボクのケーキが消えたんだ!」
「はいはい、そいつはありがとう。だが、現実の胃袋が満たされないケーキに、価値は無い」
食べ物の恨みは恐ろしいと聞くが、流石に夢の中までは、手に負えない。シェムは辟易としながら、片割れの視線を片手で追い払うと、降車準備に戻る。
だがシェムは、それでも気付くべきだった――食べ物の恨みとは、本当に恐ろしいのだと。
「むきぃ、シェムはボクの幸せを奪ったんだ! 返せ! ボクの幸せをかーえーせー!」
ズブリと、綺麗に並んだ白い歯が、右手に食い込む。
「のぎゃぁぁぁぁぁぁあああっす!」
「ふぁえへ、ふぁえへ、ふぁーえーへー!」
「あいだだだだだ! てめえ、まだ寝惚けてやがるな! さっさと起きろ!」
レイの意識が完全に覚醒したのは、格闘戦の末、シェムがポケットから取り出したチョコレートを無理矢理片割れの口へぶち込んだ後だった。それから目的地に着くまで、車内でシェムのお説教が、延々と続いたのは言うまでもない。