その3
気を失ったのか、途中からミシェルの呻き声は消え、それとほぼ同時に少しずつ彼を包み込んでいた光が消えていく。
ようやく見えた姿だが、テーブルへぐったりと身を投げ出し倒れ伏していた。思った通り、気絶をしてるようだ。
そんなミシェルの様子を目にし、今まで固まっていたジゼルは彼の元へと駆けつけた。
「ミシェル様!ミシェル様!!お気を確かに!」
「んぅ……」
頬を軽くぺちぺちと叩きながら声をかけると、軽い呻き声を発しながらもゆっくりとその瞼を開けた。
「……ジゼル、私は……」
しっとりと落ち着いた、柔らかさを持った声で呟いた。
その明らかな女声に、ジゼルは息を飲み、ミシェル本人は目を見開く。
そして陣を発動させた張本人であるセルジュは、己の成功を確信し、高らかに言い放った。
「はっはっは! いくらミシェル殿下といえど、俺の姉上と結婚だなんて絶対認めませんから! この二ヶ月を費やして完成させた性転換の魔法陣は大成功のようですね!」
どやぁと言いたげな顔でびしっと人差し指を突きつけての台詞である。端から見れば雑魚の悪役そのものだが、本人は全く気付いていない。
ミシェルはというと、セルジュのどや顔も見ず、恐る恐る自らの胸へと手を伸ばしそっと当ててみる。
「…………ある」
言葉のとおり、体を起こしたミシェルの胸は、ぱっと見てすぐわかる程度に盛り上がっていた。
ジゼルも彼の胸をガン見し、その事実を理解したのか、いきなりミシェルへと力強く抱きつく。
「……まあ……まあまあまあ!! ミシェル様! やりましたわね!」
「ああ……ああジゼル……! これは夢じゃない? 夢じゃないよね!?」
「もちろん夢ではありませんわ! セルジュならやってくれると思ったわ!」
「こんなにも早く叶うだなんて……どうしよう、嬉しくて涙が止まらないよ」
堅く抱きあいながら、二人は感動のあまり涙を流して喜んだ。
そう、喜んだのだ。
そんな状況についていけないのは、もちろんセルジュだ。術の成功をどや顔で高笑いと共に告げたというのに、ガン無視である。
指を指したまま、呆然と二人を見つめたまま立ち尽くした。そんなセルジュに、今気付いたとばかりにジゼルが満面の笑みを浮かべながら話しかけた。
「さすがね、セルジュ! あなたなら出来ると思っていたわ! 私たちが相談するより先に性転換の術陣を完成させるとは思わなかったけれど、大成功よ!」
「ああ、セルジュ! あなたのおかげで私は私になれた! ありがとう……! 本当にありがとう!!」
ジゼルの言葉にミシェルも続く。そのうえ、喜びのままにセルジュに抱きつき何度もお礼の言葉を述べるのだ。
ぎゅっと抱きついたミシェルの体はたおやかで、胸の柔らかい感触をつぶさに伝えてくる。
二人の反応に惚けていたミシェルも一気に現実に立ち返り、慌ててミシェルの体を己から離した。
離されたミシェルはというと、少々残念そうな顔をしたが、肩にあるセルジュの手を取ると両手で包み込み、満面の笑顔を浮かべながら更にありがとうと告げた。
「セルジュ、私は本当に嬉しくて堪らない……ありがとう」
「まままま待ってください! どういうこと……え? ま、ちょ……え!?」
スカイブルーの瞳を潤ませながら、下から見上げるように笑顔を向けるミシェルの愛らしさに動揺しつつ、セルジュはようやく言葉を発することが出来た。
まさかの反応を返され、意味が分からず混乱のあまり紡ぐ言葉は意味を成さない。ミシェルの手をふりほどくことも出来ず、固まったまま、視線はミシェルとジゼルを行ったり来たりの繰り返しである
そんなセルジュに苦笑しつつ、ジゼルは説明を始めた。
「実はあなたにずっと頼みたいことがあったの。それがミシェル様への性転換の術をかけることだったけれど、あなたってば説明も聞かずいきなり魔術院にこもったきり、全く音沙汰なしなんですもの。どうしようかと思ったわ。今日のお茶会も本当はあなたにそのお願いをするつもりだったのよ。なのに私達がお願いする前に性転換の術を完成させるなんてさすがセルジュだわ! まあ禁術である性転換の術を構築しようと思った理由は私とミシェル様との婚約話が切っ掛けだったのでしょうけどね」
まさしくその通りである。
こんないきなり仕掛けるとは思わなかったと、朗らかに笑って言うジゼルは、実は何もかもお見通しだったのではないかと思えるほどだ。
決まりが悪く、そっと俯くがその視線の先ではミシェルが微笑んでいる。
男性から女性へと変わったためか、身長も縮んでいるようで着ていた服が少しだぼっとしている。
セルジュの手を握る白い手もなめらかで柔らかく、手の甲に袖がかかっているのが、あどけなさを感じさせている。
それでいて、少々きつそうな胸周りはシャツのボタンを押し上げ、それが何とも言えない色気を醸し出していた。
人見知りなため、女性経験も殆どない。そんなセルジュにとって今のミシェルはあざとさを感じるほどに可愛らしい女性として見える。
言葉もなくミシェルを見つめ続けると、固まったまま動かないセルジュが不思議になったのか、ミシェルは小首を傾げながら話しかけた。
「……セルジュ?」
そこでようやく我に返り、顔を真っ赤にしながら手を振り払い、ミシェルから距離をとり叫んだ。
「どどどどういうことですか? 殿下は姉上と婚約したって聞いたから……でも女性になりたかったって……!? 同性では結婚はできませんよ!?」
思ってもいなかった事態に固まっていた思考がようやく回り始めたのはいいが、だからといって今の状況を把握出来るわけではない。二度三度深呼吸をし心を落ち着かせる。
まず、状況整理だ。
1.ジゼルとミシェル殿下が婚約した。
2.婚約不履行のために性転換の術陣を作り上げた。
3.お茶会の隙をつき陣を発動。
4.大成功で殿下は男から女へ。
5.ジゼルとミシェル殿下大喜び。←いまここ
5が明らかにおかしい。常識的に考えて、そこは嘆き悲しむか激怒するか発狂するかだろう! なぜ喜ぶ!? 状況整理のはずが、全く整理させた気がせず、セルジュは思わず頭を抱え込んでしまった。
ジゼルはそんな彼を苦笑しながら見つめ、口を開いた。
「まだ詳しい話をしてなかったものね。混乱するのも無理ないわ。ごめんなさいね、セルジュ。実はミシェル様は……」
「いや、ジゼル。その説明は私がするよ。突拍子もないことだろうけど、私自身のことは私自身で説明しないとね」
ジゼルの言葉を遮ってミシェルが告げる。
「まずは……そうだな、王家の秘密からかな? まあ秘密といってもそんな大層なものじゃないんだけどね。一応極秘らしいから他言はしないで」
そんな前置きをしながら、ミシェルは今一度席に着き、セルジュとジゼルもテーブルに着くよう勧める。
「えっと、輪廻転生ってわかるかな? 死んだのちまた生まれ変わるって事なんだけど、普通なら生まれ変わる前、つまり前世の記憶って残らないんだけど、私にはその残らないはずだった前世の記憶があるんだ」
「……つまりミシェル殿下にはミシェル殿下として生きていた以外の記憶があるということですか?」
突然告げられた内容を、自分なりの解釈を加えて聞き返す。すると自分の言いたいことが伝わって嬉しいのか、ミシェルは笑みを浮かべながら何度も頷いた。
「そう! そうなんだ! 私にはミシェルとして、第二王子としてこの国で生まれ育った以外の記憶があるんだ。この国の神様の意向によって私は前世の記憶を持ったまま生まれたんだけど、それ故の重大且つ深刻な問題が起きたんだよ!」
そこまで言われ、なおかつ先ほどの喜びようから考えられる事。言っていいのか逡巡しつつ、覚悟を決めゆっくりと導き出された答えを口にした。
「ま、まさかミシェル殿下のその、前世という記憶では……じょ、女性だった、と?」
「その通りなんだ!!」
勢いよく返答するミシェルはそのままテーブルへ突っ伏し、こぶしを握りしめ、だんだんとテーブルを強く叩く。
セルジュは激情を露わにするその姿を目を丸くして見つめるしかできなかった。確か噂ではクールビューティーのはずで、先ほどまではほわわんとした印象だったが、そのどちらも見る影がない。
「まあミシェル様、そんな強くテーブルを叩いてはいけませんわ。今のミシェル様は淑女なんですもの。もちろん紳士としてもよくありませんけど」
二人のやりとりを見ていたジゼルだったが、感情のまま荒れ狂うミシェルへ柔らかく釘を差す。全く動じないということは、ジゼルは彼のこの姿をよく知っているという事だ。そんな疑問が顔にでていたのだろう。ジゼルが事も無げに告げた。
「あら、セルジュ。私前に言ったはずでしょう? ミシェル様は喜怒哀楽のはっきりした方って」
確かに言っていた。セルジュももちろん覚えている。というか基本的にセルジュはジゼルの言った言葉はすべて覚えている。その言葉のすべてが彼にとって宝物だからだ。
「姉上は、全てご存じだったのですか?」
「ええ、もちろんよ。ミシェル様はいつも何だか無理をなさっているようで、問いただしましたの。やはり元女性であるために、ちょっとした仕草や口調にどうしても女性らしさが出てしまうようで、そこを気をつければ気をつけるほど、噂通りの行動になってしまったのですって」
「私も振舞いには気を付けたけれど、ジゼルにはそこが矛盾して見えたんだな……あのときのジゼルは本当に怖かった」
「あらミシェル様、何か言いまして?」
「何でもない!」
にっこり笑うジゼルに対し、テーブルから顔を上げ、必死で否定するミシェル。お互いがお互いに対し遠慮のないやりとりで、その仲の良さを改めて実感した。
信頼しあっている二人の関係。それをまざまざと見せ付けられれば、セルジュの取る行動は一つしかない。
「俺もミシェル殿下の話を信じましょう! 姉上が信じている。それだけで信頼に値します!」
キリッという効果音がつくほど凛々しく言い放ったのだ。
「えっと、うん……そうか。シンジテクレテアリガトウ」
「セルジュ……あなたってば……いえ、今はそれでいいわ」
女性陣は何とも言えない、複雑そうな顔をしているが、セルジュは全く気にしていない。むしろ気付かないほどに内心浮かれていた。
ジゼルはミシェルの事情を知っていたのだ。そう、婚約の話をする前から。始めから本当に結婚するつもりはなかったのだ。
あのときセルジュが逃げ出したりしなければジゼルは詳しい説明をしてくれたはずだ。それこそ今回のお茶会のようにミシェルも招いて性転換の計画を練ることになっただろう。
つまり、人目をはばからず計画を立てるための、ミシェルがコルトー邸を頻繁に出入りする、あるいは王城へセルジュやジゼルが赴く理由を作るためだったのだ。
ジゼルはミシェルと結婚しない! 二人の間にあるのは恋愛ではなく友愛! イコール姉上はやっぱり俺の傍にいてくれる!
これで浮かれずにいられようか、いやいられない。
セルジュは満面の笑みを浮かべミシェル殿下へ頭を下げた。
「殿下、いくら結果的に良かったとは言え、有無を言わさずいきなり術陣を展開し、申し訳ございませんでした」
一応、セルジュ自身も悪いことをしたと思ってはいるのだ。思ってはいるのだが、ジゼルが結婚しないという事実が嬉しくてしょうがなく、顔が緩むのが止められないのだ
当たり前だが、満面の笑みで謝られても謝られているようには感じるわけがない。今回はミシェル自身が性転換を望んでいたから、問題にはならないが、セルジュがしたことは、非人道的なものである。いくらシスコンだからといって、許されることではない。
そんな事も忘れて、姉がミシェルと結婚しないことに浮かれている彼に一つの爆弾が投げつけられる。
「さて、セルジュも信じてくれるそうだし、早速正式に婚約話を進めようか」
「そうですわね。お父様には先日この婚約の目的と最終的な着地点については説明しましたから、いつでも合意してくれますわ」
「な……!!? え、なななんで婚約話が進むんですか!? 同性なのに! 同性になったのに!!?」
「あら、同性じゃないわ。だって婚約するのはミシェル様とセルジュだもの」
「…………え?」
にっこり笑顔で告げられた言葉に呆然自失してしまう。言われた言葉が理解できず、笑顔の姉上可愛すぎる! なんて現実逃避すらしてしまう有様だ。
しかし、そんな現実逃避が許されるわけがなく。
「元々ジゼルとの婚約はカモフラージュで、始めからセルジュ、君と婚約するつもりだったんだ」
「ええええぇぇぇ!!?」
さっきから思いもしない方向へ話が流れていき、驚くか現実逃避するかしかできていない。
そんなセルジュに対し、ミシェルはほんのりと頬を染めあげ、恥ずかしそうに言葉を続けた。
「その……一目惚れ、だったんだ。あのときほど自分の性別を嘆いたことはなかったよ。偶然とはいえ、ジゼルと知り合え、そのうえ私の身の上話を信じてくれ。この計画を勧めてくれたんだ」
「性転換の術がうまくいけばあなたと、うまくいかなかったら私との婚約話を進めることで話はまとまってましたの」
畳みかけるように二人から代わる代わる告げられる真実に、がっくりと力が抜け床に膝をついた。まさかシスコンを暴走させた結果が自分自身の婚約へ繋がるだなんて誰が予想できただろうか。
「父は全て承知済みだから安心して私を嫁にしてね」
そこでようやく我に返った。
「待ってください! いくら陛下が了承していたとしても、周りになんて言うつもりですか!? 俺と、第二王子であるミシェル様と結婚なんて!」
前世のことは機密事項ならば周りにどう説明するつもりなのか。それこそミシェル殿下は同性愛者だ、なんて国民に向けて言えるわけがない。
「ああ、そのことならちゃんと案があるんだ」
人差し指を立てながら、なんてことなさそうにミシェルは続ける。
「実は第二王子であるミシェルは男ではなく女だった! しかし訳あって男と偽って育てられた。……ちなみに訳なんて考えてないから。ご想像にお任せします。といえば勝手に色々理由を付けてくれるだろうからね」
そんな簡単にいくだろうか、その考えが顔にでたのだろう。ミシェルは
人差し指と中指を立て、話を続けた。
「セルジュは第二王子であるミシェルに一目惚れ。同性であることを嘆き禁術である性転換の術に手を出し、見事ミシェルは女へ! 責任を取って読めとして迎える。と、二つの案を考えたんだけど、後者の案を採用しようと思うんだ」
再びセルジュの時は止まった。
二案出しておいて、なぜそちらを選ぶのか。しかも自分が極悪人ではないか。
「な……なんで……」
顔を真っ青にし、震える声でなんとかそれだけ呟く。
「だってセルジュ、私が女になったことでジゼルは結婚しないってわかったとき、喜んだだろう?」
言いながらセルジュを見据えるミシェルの表情は不満げだ。
「確かに私は性転換を望んでいたよ? だから結果的には問題はない。でも本来ならこの術は禁術だ。その禁術を君は相手の意志を確認もしないで掛けたんだ。いくらシスコンを拗らせてるからって、それがどれほど罪深いことかわからないほど馬鹿じゃないだろう。でも君は喜んだ。罪を犯してなお、ジゼルが結婚しないという事実のみ受け入れて喜んだ。正直言うと、後者の案は冗談のつもりだったんだけどね。反省が見られないから男に一目惚れしたから禁術使った案を採用する!」
「ま、待ってください! いくらなんでもそれは……!」
「諦めなさい、セルジュ。ミシェル様はやると言ったら必ずやる方よ。それにあなたもそろそろ姉離れすべきでしょう? ミシェル様はあなたのシスコンっぷりを知ってなお、好きでいてくださるのよ。コルトー家としてもこれ以上ない縁談ですもの。それに私もミシェル様と義姉妹になれるだなんて嬉しい限りですわ!」
ジゼルはミシェルの味方だ。いくら弟が不名誉なレッテルを貼られることになろうとも、自業自得として庇ってはくれない。その時点でセルジュの進む道は決まったも同然である。なんといっても彼はシスコン。愛する姉に楯突こうなどとは思いもしないのだから。
これ以上何を言っても意味がない。そしてジゼルが望む以上、ミシェルとの婚約は決定事項なのだ。
まさかの展開に為すすべもなく、両手を床につきうなだれるセルジュの前に、ミシェルが座り込み顔を覗きこむ。
「セルジュ、君を好きだという気持ちに偽りはないよ。もちろんこんな形で無理矢理婚約に持っていったけれど、これから私自身を見て、少しでも好きになってくれたら嬉しい。ああ、でも説明の件は譲らないからね。これでも結構ショックだったんだ。重度のシスコンだってことは理解してるけど、ジゼルのことばかりで私の心配なんて欠片もしてないんだから」
呆然としたままミシェルへと視線をやると、ミシェルは彼の頬を両手で包み込み、そっと口づけをした。もちろんリップ音付きだ。
「絶対に私のことを好きにしてみせる! 覚悟してくれ!」
そう告げるとミシェルは勢いよく立ち上がり、ジゼルへと笑顔を向ける。
「じゃあ私は事情を知っている人たちへ性転換の術が成功したことを知らせに行くよ。ついでに私とセルジュの婚約についてもね。お互いしばらく忙しくなるけれど、よろしくね」
「こちらこそ姉弟共々よろしくお願いいたしますわ。セルジュも少々暴走しやすい性格ですけれど、決して悪い子ではないのです。今は急展開について来れないようですけど、きっとミシェル様のことを好きになると思いますわ」
「ふふ、私も遠慮せず攻めの一手でいくつもりだよ。じゃあまた今度」
懐から城への帰還用の転移陣を取り出し魔力を込める。すると淡い光がミシェルを包み込み、ふわりとその場から消え去った。
「ではセルジュ、私はお父様へ今回の件を説明しに行きますわ。きっとすぐにでも陛下から正式な婚約が申し込まれるでしょうから」
固まったままのセルジュを置いて、ジゼルも部屋から出ていく。
一人残されたセルジュは、これから起こるであろう騒動を予感しながら、そういえば今のがファーストキスだったな、などとひたすら現実逃避するのであった。
それから一年後。
無事結婚式を迎えた二人の関係は大変良好だったと、嘘か本当か、後にジゼルは語ったそうだ。