その1
セルジュはつかつかと靴音を鳴らしながら、姉であるジゼルの部屋へと向かっていた。
父親に聞かされた信じがたい話を彼女に確認するためだ。
「姉上! 第二王子のミシェル殿下と婚約するとは本当なのですか!?」
ノックもせず扉を開けるなり叫ぶように姉へと問う。その声に対し、呆れ半分に部屋の主は言うのだった。
「セルジュ、いつも言っているでしょう? ノックもせず入るなどマナー知らずもいいところよ?」
「マナーなど今は知った事じゃありません! 父上から大事な話があると呼び出されて来てみれば、姉上の婚約が決まったなどと……しかも相手は第二王子だと聞きました! 姉上は俺が養うから嫁になんか行かないでずっと家にいるって約束したじゃないですかーーー!!」
椅子に座り読書しながら優雅にお茶を飲んでいる姉ジゼルに縋りつきながら喚くその姿。
まごうことなき、シスコンである。
癖のないサラサラとした長めの黒髪に闇夜を溶かしたような黒い瞳。精悍な顔立ちは騎士然としているが、剣術はからきしの根っからの魔術師である。
魔術師に支給させる黒いローブを、楽だという理由により好んで身に着ける彼は、宮廷内では黒の貴公子と呼ばれており、結婚適齢期の女性たちから絶大な人気を誇っている美男子なのだが、今はそのような面影は全く無い。
彼のシスコンが暴走するとき、涙と鼻水はデフォルト装備なのだ。
ジゼルももちろん承知しており、自分にすがりつきながら泣く弟へタオルを手渡す。ハンカチ程度じゃ用を成さないこともわかっている。
そんな情けない彼のシスコンぶりは日常と化している為、部屋に控える侍女も全く気にしていない。
黒の貴公子目当てで入ってくる使用人もこのシスコンっぷりにドン引きしたのち、すぐに辞めていく。結果、少々のことでは動じない者たちのみが残るので、コルトー家使用人面接の一環として使われているのだが、セルジュ自身はもちろん知らない。
「姉上ええええ!!! ミシェル殿下と言ったら滅多に表舞台にでることがない、引きこもりと噂の方ではないですか! ごくたまに舞踏会にでたときは、表情も変えず作った笑顔と丸わかりの愛想のなさで、一部の女性たちにクールビューティー! とか言われて熱狂的なファンがいるとかアロイスが言ってましたよ!? そんなやつに大切な姉上を任せられるわけがないです!!」
自国の王子に対し散々な言い分だが、もともと貴族社会と言えど厳しいものではなく、ゆるいくらいなのでこの程度では全く不敬罪にはならない。むしろ滅多なことがない限り不敬罪に問われることはないくらいだ。
ちなみにアロイスとは彼の友人である。
「あら、それは貴方が彼と話したことがないからよ。ミシェル様ってばとてもお優しいのよ。それに読書が趣味と仰るだけあって知識も豊富なの。話していてとっても楽しい方よ」
セルジュは、ふふふっと笑いながら言うジゼルを絶望の眼差しで凝視する。
「……ああ姉上、ミシェル殿下と面識があるのですか?」
「ええ、もちろん。とても仲良くしてくださってるわ。確かに滅多に人前に出ようとしないけれど、どうしようもない問題を抱えていらっしゃって、そのことで大変悩んでおられるからよ。本来は喜怒哀楽のはっきりした方ですのに……。」
ジゼルは眉を下げ、右手を頬に当てながらため息をつく。ミシェル殿下のことを心の底から本当に心配しているのだろう。そんな姉の姿にセルジュはよりショックを受ける。
ショックで固まっている弟に困ったような視線を向けつつ、後ろに控えている侍女へと手を差し出す。侍女は心得たように新しいタオルを用意しジゼルへと手渡した。
「私がお会いしたのは本当に偶然なの。半年ほど前かしら、国王主催の夜会があったのを覚えている? あなたってば魔術の研究がいいところだからってお断りしたのよね。多くの方々にどうしてセルジュは来ないのかって聞かれてうんざりしたからバルコニーへ一度避難したの。隅にあるバルコニーだったから、誰もいないと思っていたけれど先客が居らっしゃって。それがミシェル殿下でしたの。作った笑顔を振りまくのに疲れて休んでいたらしくって、同じようにこっそり抜け出した私に共感してくださったのが始まりよ」
そのときのことを思い出しているのだろう、やわらかく微笑む姉を見て、セルジュは耐えられなかった。しかも出会いの一幕を聞く限り、二人が親密になった原因の一つは自分が面倒がって夜会を欠席したせいだ。
やりきれず、再び滂沱の涙を流す弟にジゼルは手に持ったタオルを渡しながら更に続ける。
「それから何度かお会いするたびに私たちはとても仲良くなっていったわ。そして殿下の悩みや胸の内の思いをお聞きして、役に立ちたい救ってあげたいと強く思うようになったの」
口に手をあて、ふふふっと笑う最愛の姉の姿は大変美しく輝いて見える。
「そこで、私と婚約することによってコルトー家と繋がりを作ろうと考えたの。そうすれば人目をはばからず共にいられるでしょう? それであなたに頼みた……」
「うわああああああぁぁぁ!!! 嘘だーーーーー!!!」
セルジュは叫びながら姉の部屋を勢いよく飛び出した。
姉の口からでた婚約という言葉、更に人目もはばからず。人目もはばからずどうする気なのだ! とセルジュの心にぐさりと突き刺さったのだ。
最愛の姉が、小さいころにずっと一緒にいようねと約束した姉が。他の男のものになるなんて……。
そこまで考えてまた涙が溢れ出した。
一方部屋に取り残されたジゼルは。
「セルジュの力を借りたかったのだけれど……」
叫びながら飛び出した弟を思い、ふぅとため息を一つ吐く。
「どう説得するかよく考えないといけないわね」
「お嬢様、恐らくショックから立ち直るまでは話も聞かないのではないかと思われます」
「そうよね。あの子は思い込んだら一直線ですものね。しばらく間を空けてから本題について相談することにするわ。立ち直るまで時間が掛かりそうだとミシェル様にお伝えしなくてはね」
侍女は承知したとばかりにすぐに手紙の用意をする。
「まずはなんて言ってあの子を説得するか考えなくてはいけないし。難しいわね。貴方も一緒に考えてね」
「もちろんです、お嬢様」
ジゼルはペンを手に持つと、さらさらと手紙をしたため始めたのだった。
***
姉の部屋を飛び出したセルジュは、そのままの勢いで邸をも飛び出し、魔術院の寮へと向かった。邸にある部屋では姉との思い出が多すぎて発狂するかもしれないからだ。
だがしかし、邸から魔術院まで歩いて一時間以上掛かる距離であり、衝動のままに途中まで全力疾走したはいいがすぐに疲れ果てぜーはーぜーはーと息をつく。魔術院までまだ十分の一も進んでいない。
「はぁ、はぁ……は、走る必要は……全く、ないな……」
無我夢中で走ったおかげか、体力は大幅に消耗したが少々の冷静さを取り戻したセルジュはローブの中から一冊の本を取り出した。
迷うことなくパラパラとページを手繰り、移動陣の描かれたページに手を置き魔力をこめる。次の瞬間、彼は魔術院の自分の部屋へと戻っていた。
「うぅ、姉上ぇ……」
体力的にも精神的にも瀕死となったセルジュはその場にへたり込みひたすらに嘆く。
ジゼルに手渡された2枚目のタオルも涙(と鼻水)ですっかり濡れそぼってしまったが、姉の幸せそうな顔を思い出すたびに涙が溢れてとまらない。
もちろん、姉が幸せになることに異論はない。むしろ誰よりも幸せになるべきだ。ただ彼女を幸せにする相手が自分でありたいのだ。
友人曰く、度の超えたシスコン超きもい。だそうだが、姉への依存は直らない。
幼いころから人見知りが激しく、引っ込み思案な自分を守ってくれた大好きな姉。いつも優しくたまに厳しいことも言うが、それは全て自分を思ってくれているからの言葉だった。
彼、セルジュの世界は姉と家族とごくごく僅かな友人で形成されているのだ。今更直せといわれて直るものなら、とうの昔に直っている。
コンコン
「セルジュー、帰ってるか?」
ノック音と共に扉が開かれ、友人であるアロイスが部屋へと入ってきた。
「って、何だ!? そのざまは!!? せっかくの男前が台無しだぞ!?」
「……アロイスか……俺はもうダメだ……。姉上が……」
「なんだ、シスコンをこじらせただけか。うん、大丈夫だな。俺は戻る!」
すかさず帰ろうとしたアロイスの腕を、セルジュは力いっぱい掴んで離さない。
アロイスは友人なだけあり、セルジュの姉上という言葉を聞いた瞬間、いやな予感を覚える程度には彼のシスコンっぷりを理解している。関わるとろくなことが無い。
知り合ったばかりのときに受けた2時間耐久姉上自慢(トイレ休憩を挟んで更に1時間の計3時間)から始まり、姉上からの贈り物自慢、姉上に送る贈り物相談、姉上を称える詩の朗読、等々。
正直重いし病気だと思うしきもい。
それでも元来面倒見のいいアロイスは、人見知りを発動させるセルジュを見るとついつい面倒を見てしまい今に至る。
「……姉上が……婚約するんだ……」
「えっ!? マジでか!? お前という弟を持ったせいで一生結婚出来ないかもしれないあのジゼル嬢がか!?」
「な、何だその言い方は! 姉上を自分の手で幸せにしたいと思って何が悪いんだ!」
「全てだ! 病的すぎてドン引きレベルなんだよ! それにしても相手は誰なんだ? そんな命知ら……げふんげふん。勇気のある御仁は」
「……ミシェル殿下だ」
俯いたままぼそりと呟く。
思ってもいなかった人物の名をあげられ、アロイスは目を瞠った。
「は? ミシェル殿下? 表舞台に滅多に出てこない上に、結婚する気がないって噂の!? 結婚適齢期の令嬢から熱烈に求婚されるもその気がなく、もしかして男色じゃないかって言われてたりする、クールビューティーとして名高いあのミシェル殿下か!?」
アロイスの言にさすがのセルジュも勢いよく顔を上げる。噂に疎いセルジュだが、まさか彼に男色の噂まであったとは思いもしなかった。
「お前の言うミシェル殿下と俺の言っているミシェル殿下が一緒なのかわからないが、たぶんそのミシェル殿下だろうな」
「うん、まあミシェル殿下は一人しかいないからな。とりあえず、そういう噂もあるってことだが……まさかお前の姉さん、ジゼル嬢と婚約とはね……内々の話じゃなく、決定事項なのか?」
「……詳しくは聞いてない」
聞いていられなくて逃げ出したなんてさすがに言えない。だがセルジュの友人をしているアロイスは納得するかのように何度か頷きながら言った。
「お前のことだからジゼル嬢がミシェル殿下とのなりそめを話してるときに耐えられなくなって逃げ出したんだろ。間違いなく」
「ぐっ……!!」
お見通しの友人に言葉も出ないが、改めて言われると己の不甲斐なさに、よりへこんでしまう。
「……出会いは偶然らしいのだが、会話をしていたら意気投合し、親睦を深めたらしいんだ。うぅ、姉上ぇ……」
「あのミシェル殿下と意気投合ねえ……なんつーかお前にとっちゃ災難だったな。せめて同性だったら友達になっておしまいだっただろうけどなぁ」
orz状態で落ち込むセルジュに対し、さすがに追い討ちをかけるようなことはできない。アロイスは肩をぽんぽんと叩きながら、フォローにもならない慰めの言葉を掛けた。
「……そうだな、同性だったら結婚なんてことには……!?」
セルジュは力なく呟いた直後、ピッカーーーンと何か閃いたように顔を勢いよくあげた。
「俺は今から図書館へ向かう! そのあとは研究所に篭る! アロイス、ありがとう!」
今まで落ち込んでいたのが嘘のように輝かしい笑顔をアロイスに向け、足早に図書館へと去っていった。
一人残されたアロイスは、嫌な予感を感じつつ、いやきっと大丈夫。と根拠も無く自分を慰め、お礼を言われた意味は考えないことにしたのであった。
***
なぜ最愛の姉であるジゼルとミシェル殿下が婚約することになったのか。意気投合し仲良くなったのは無論のこと、異性だからだ。
異性が二人で仲良くしていたら周りだって恋仲だと思うだろう。
しかし、同性だったら?
世の中には同性で恋仲になる人もいるらしいが、多くの場合は友達、親友止まりだ。そう、どんなに仲がよくても友達。結婚して家を出て行くなんてことにはならない。
「我ながらいいアイデアだな!」
セルジュはさきほどまでずんどこに落ち込んでいたことも忘れ、単純且つ粗雑な案に姉との幸せな未来の希望を見出していた。
彼は決して頭が悪いわけではない。むしろ魔術院でも有数の頭脳の持ち主である。だがしかし、姉ジゼルのことになると暴走する傾向にあり、短絡的な考えしかできなくなるのだ。
セルジュは図書館の禁術が記された本を片っ端から調べ上げ、一つの術に関する記述を探していた。
遥か昔、考案されたものの、その非人道的な使用方法により禁術とされた術。
性転換の術
対象の性別を変えるその術は、望まぬ者への使用が乱発され多くの犠牲者を出した為、忌むべきものとして抹消された術である。
しかしセルジュが今いるのは王国最大の魔術院だ。禁術の情報にも事欠かない。
シスコンをこじらせ、正常な判断を失っている彼はただひたすらに術について調べ上げ、ここぞとばかりに持てる知識や魔術をフル活用して術を構築していった。
禁書とされる書物も今までの功績や貴族としての地位を使って閲覧許可を半ば強引にもぎとった。もちろん受け持っている仕事を疎かにし、周りから咎められることの無いよう注意もした。
時折アロイスがもの言いたげにしていたが、気づかない振りをする。
そして2ヵ月後、シスコンパワーを原動力に常人ではありえないスピードで、禁術として秘匿されていた術を完成させてしまったのだった。




