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聖女五郎シリーズ

婚約者に捨てられた変人王子を、世話焼き王太子妃が立て直した結果

作者: 福嶋莉佳
掲載日:2026/03/17

こんなことで悩んだことがあっただろうか。

少なくとも、前世ではなかったぞ。


「……え? 殿下に弟君が?」


王太子妃が問い返すと、王太子は「あー……」と歯切れの悪い声を漏らした。


「……そのようなお話、これまで一度も伺っておりませんが」


「いるにはいるが……まあ、あれだ。少し変わり者でな」


「そうですか」


王太子妃は一度頷く。


「では、こちらからご挨拶を」


「えっ……?」


王太子が明らかに動揺した顔をする。


「殿下の弟君ですもの。ご家族にご挨拶もせずにいるのは、いかがなものかと」


「いや、だが……」


言葉を濁す王太子をよそに、王太子妃は静かに立ち上がった。


「ご案内いただけますか?」


王太子はしばし逡巡したのち、観念したように息を吐いた。


「……わかった」


渋々と歩き出す。


王太子妃はその後に続いた。

廊下の窓に、ふと自分の姿が映る。


前世では社長、今は王太子妃。

人生とは、本当に分からないものだ。


案内されたのは、王宮の奥まった一角だった。


人の気配がない。


「……こちらで?」


「ああ……まあ……」


王太子の声もどこか歯切れが悪い。

廊下は静まり返り、侍従の一人も見当たらない。


「……随分と、静かなのですね」


「だから言っただろう」


扉の前で足を止め、

王太子妃は一度だけノックをした。


返事はない。


もう一度。


……やはり、ない。


「失礼いたします」


扉を開ける。


「えっ……」


扉を開けた瞬間、よどんだ空気が流れ出た。

書類と本が机にも床にも散乱し、人の気配がひどく薄い。


(なんやこれ……空気悪……)


思わず足を止める。


(暗っ……人おるんかいな……)


視線を巡らせた、そのとき。


「ぎゃっ!?」


思わず声が出た。


室内の奥、大きな机に突っ伏すようにして、一人の青年がいた。


書類と本に埋もれるようにして、ぴくりとも動かない。


「だ、誰……!?」


王太子が額に手を当てた。


「……それが弟だ」


第二王子――ギルバート殿下は、肩を揺すられてようやく目を覚ました。


「……誰だ」


「……妃だ」


「……王太子妃、か」


それだけ言うと、ギルバートは再び机に向き直り、何事もなかったかのように書類へ視線を落とした。


「……」


(えっ……何やこれ。

兄嫁来てんのに、それだけかい……?)


王太子は小さく咳払いをした。


「……まあ、そういうやつだ」


額に手を当て、視線を逸らす。


「悪気はない。……その、対人関係が壊滅的なだけで」


(……なるほどな)


王太子妃は視線を、机へ向ける。

散乱した書類。開きっぱなしの本。乾きかけたインク。


そして、再び没頭し始めた第二王子。


(うーん……)


一歩、踏み出す。


「殿下」


声をかけるが、返事はない。


「ギルバート殿下」


今度は、ほんの少しだけ声を強める。


「……何だ」


視線だけが、わずかにこちらへ向いた。


王太子妃は微笑む。


「ごきげんよう。初めてお目にかかります」


「……ああ」


(会話が進まん……)


だが、表情は崩さない。


「本日はご挨拶に参りました」


「……時間の無駄だ」


王太子が顔をしかめる。


「ギルバート――」


「殿下」


王太子妃が静かに制した。


「こちらの都合で伺ったものですし、ご挨拶できましたので十分です」


王太子がわずかに目を見開いた。


「……そうか」


「ええ、殿下。お時間をいただきありがとうございました」


「ああ……」


「……」


ギルバートの手が、わずかに止まる。

だが、王太子妃はそれに気づかないふりをした。


王太子妃は一礼し、静かに背を向けた。



小さな茶室には、柔らかな香が満ちていた。


王太子妃はカップを手に取り、静かに口をつける。対面には王太子。


「……あの方、きちんと実績はおありなのですね」


「ああ。あれでも、あの分野じゃかなり評価されていた」


「論文も発表なさっていたと」


「三年前まではな」


(なんや、ちゃんとやる人やん)


「では、なぜあのような状態に?」


「……あのような、とは?」


「人払いが徹底され、侍従もおらず、経費も削られている」


王太子は一瞬だけ黙った。

それから、視線を落とす。


「……婚約者がいた」


「はい」


「支えていたのは、ほとんどその令嬢だ」


王太子妃は静かに頷く。


「研究の手配、資金の調整、発表の段取り……全部な」


(それ婚約者じゃなくマネージャーや……)


「だが――」


王太子は苦く笑った。


「嫌気がさして、婚約破棄された」


「あー……」


「弟を好いてくれてたみたいだが、あまりに反応がなくてな」


「……」


「人に興味がない。研究以外は全部後回しだ」


(そら……婚約者も気の毒やな)


「その後は?」


「共同研究者も離れた。資金も止まり、父上も優先順位を下げた。結果、ああなった」


(おとんもお手上げかいな……)


「放っておくしかないんだ。本人もそれでいいと思ってる」


「……本当に?」


「何がだ」


「それでいいと、あの方は思っていらっしゃるのですか?」


「……どうだろうな」


(そもそもやな、税金で食わせてもろてる立場で、引きこもりはあかんやろ)


王太子妃はカップを見つめた。


(まあ……わしが研究のメリット示して、尻叩いたら動くか……)


ふと、前世の記憶がよぎる。


テレビで見た特集。

引きこもる息子と、それを世話する母親。

「私が息子の部屋にごはんを届けて……」


――あれ?


(わし、同じことしようとしてへんか?

あかん……!それ自立せえへんやつや)


王太子妃は目をぎゅっと閉じる。


(せやけど、ほっといたらこのままやし……

わし、第二王子のおかんちゃうぞ?)


ふと、顔を上げ王太子を見る。


「どうした?」


王太子が首をかしげる。


王太子妃は、にこりと微笑んだ。


「ギルバート殿下と殿下、似ていらっしゃいますね」


「そうか?」


「ええ。どちらもお美しい」


「……は?」


カップを静かに置く。


「ギルバート殿下の縁談を探しましょう」


「いや無理だろ」


「国を挙げて探しましょう」


「ええ……」


(飲み屋の姉ちゃんも、顔だけで相手選んだ言うてた)


探すんや――ギルバート殿下に惚れる娘を!



――とはいえ、まずは本人の意思確認が必要だろう。


「……ギルバート殿下」


「……何だ」


「縁談の件ですが」


「……好きにしろ」


(投げやりすぎんか?)


王太子妃は早速、国中に通達した。

しかし――前途多難だった。


婚約破棄した令嬢は、社交界でも評判の良い娘だったらしい。

その反動で、第二王子の風当たりは想像以上に強い。


(嘘やろ……全滅か?)


紹介状を見ながら、王太子妃は机に額をつけた。


かろうじて残った候補も、

王家の血筋狙い、資金目当て、地位欲しさ――そんなものばかりだった。


(あかんあかん……余計悪化するやつやこれ)


ペンを握る手が止まる。


(これが親の婚活か……わし、親ちゃうけど)


机にかじりつくようにして、しばらく動けなかった。


――そんなある日。


王太子妃は、一人の令嬢と向かい合っていた。

もちろん、ギルバートはいない。


王太子妃は、冷や汗をかきながらも、完璧な笑みを浮かべる。


「殿下は大変研究熱心なお方です。歴史の分野においては、すでに数多くの論考を発表しておられます」


「はあ……」


「……本当に優秀なのですよ?」


(頼む――逃げんといてくれ……!)


「もしよろしければ、研究室をご覧になりますか?」


「研究室、ですか?」


「ええ。殿下の本領は、あちらにございますから。きっと印象が変わると思いますわ」


対面の少女――ステラは、静かに頷いた。


「……お願いいたします」


(ええぞ……ここからや……!)


しかし――


2人が訪れても、ギルバートは無反応だった。

王太子妃殿下が一歩前へ出る。


「殿下」


返事はない。


「ギルバート殿下」


「……」


(おい)


王太子妃殿下は青年の肩をつかんだ。


「殿下」


ぐい、と半ば強引にこちらへ向けさせる。


(ステラ嬢来てくれてんねんぞ!!)


「殿下。こちらがステラ嬢です」


「……ああ」


ギルバートはすぐに視線を外し、何事もなかったかのように机へ戻った。


(こ、こいつ……)


こめかみに、ぴき、と音が入る。


だが、そのとき。


ちらりと視線を横へやると――


ステラが、うっとりとした表情でギルバートを見つめていた。


「……」


(ええ……なんでぇ?)


こんな態度やぞ。

それで、その反応になる?


王太子妃は一瞬だけ沈黙し――


次の瞬間、ふっと笑った。


(……ああ、そういうこと)


何も言わず、踵を返す。


「……では、あとはお二人で」


静かに部屋を出る。

扉を閉めながら、拳を握った。


(よっしゃあーーーー!!!)



ステラは毎日、ギルバートの元を訪れていた。

そして――王太子妃も、こっそり訪れていた。


「王太子妃殿下……」


侍従が小声で呼びかける。


「しっ……静かに……!」


王太子妃はしゃがみ込み、研究室の扉の隙間から中を覗いていた。


(あ、あいつ……!)


ステラが淡々とギルバートに話しかけている。


(ステラ嬢ナイスフォロー!)


食事を促し、資料を整え、言葉を選びながら会話を繋いでいる。


(いける……いけるぞ……!)


王太子妃は、拳を振りながら眺めていた。


「王太子妃殿下……」


「黙ってて!」


更にステラは、王太子妃の予想を軽く超えてきた。


「王太子妃殿下、こちらをご覧いただけますか」


「まあ……何かしら」


「第二王子殿下の研究が、王家にもたらす利点と影響をまとめました」


書面を受け取り、目を通す。

要点が整理され、利益が明確に示されていた。


「……利益構造が明確なのは好ましいですわ」


(ステラ嬢……あんたは女神か……?)


王太子妃は静かに書面を閉じた。


「王太子殿下にお話ししてみましょう」


(ああ……よかった……)


そっと視線を落とし、袖で涙を拭った。



数カ月後。

王宮で夜会が開かれていた。


王太子妃のもとへ、一人の令嬢が歩み寄る。


(ギルバートの元婚約者かー)


「あら、リリア嬢。こんばんは」


リリアは優雅に一礼した。


「殿下。ギルバート様、また発表なさるようになったのですね」


「ええ、そうなの」


王太子妃は穏やかに頷き、その視線をステラへと向ける。


「あの方のおかげで」


(ほんまやで)


リリアの視線もまた、ゆっくりとそちらへ向いた。


「よかったですわ。……殿下は昔から、ご自分の世界を何より大切になさる方ですから」


リリアは扇を軽く閉じた。


「かつてご一緒していた研究者たちも、今はそれぞれの道へ進みましたわ。……皆、殿下の才を惜しんでおりましたの」


わずかに目を伏せる。


「私も、あのままでは殿下が一人になってしまうのではと……少し、心配しておりました」


(まーそれは、しゃあないけどな……)


リリアは周囲を見渡した。


「……今日も、お忙しいのでしょうね」


その瞬間。


「……来ている」


低い声が落ちた。


振り向けば、ギルバートが立っていた。


そこへ、ステラが気づいて駆け寄る。


「殿下」


自然な動作で、ギルバートの腕を取る。


「……」


ギルバートは小さく息を吐いた。


その視線が、ほんの一瞬だけ――リリアへ向く。


リリアは、何とも言えない表情でそれを受け止めた。


(見なかったことにしよー……)


ステラが小さく囁く。


「資金のためです」


「……聞こえている」


「行きましょう。ご紹介したい方がいらっしゃいます」


半歩引かれる形で、ギルバートが歩き出す。


二人の背中が、会場の中央へ向かっていく。


王太子妃は、その姿を静かに見送った。


(あいつには……自分を理解しようとする相手が必要やったんやろな)

ここまで読んでくださり、ありがとうございます!

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ステラ嬢視点の話にだいぶ辛辣なコメント入れましたが、こっち視点では「あ~、ヒキニート抱えた家族視点~」と更にしょっぱい気持ちになりました。 元婚約者さんが全然いい人そうという新たな情報を得て、ほんとそ…
ぜひ王子視点のお話しもお願いします。また、また王妃一家の 未来ももう少しみせて下さい。
こんにちは。 「押し付けられた変態王子……」から飛んできました。 外見は可愛い聖女、中身はおっさん(60歳)。 なかなか面白い設定ですね。 >「研究の手配、資金の調整、発表の段取り……全部な」 (そ…
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