婚約者に捨てられた変人王子を、世話焼き王太子妃が立て直した結果
こんなことで悩んだことがあっただろうか。
少なくとも、前世ではなかったぞ。
「……え? 殿下に弟君が?」
王太子妃が問い返すと、王太子は「あー……」と歯切れの悪い声を漏らした。
「……そのようなお話、これまで一度も伺っておりませんが」
「いるにはいるが……まあ、あれだ。少し変わり者でな」
「そうですか」
王太子妃は一度頷く。
「では、こちらからご挨拶を」
「えっ……?」
王太子が明らかに動揺した顔をする。
「殿下の弟君ですもの。ご家族にご挨拶もせずにいるのは、いかがなものかと」
「いや、だが……」
言葉を濁す王太子をよそに、王太子妃は静かに立ち上がった。
「ご案内いただけますか?」
王太子はしばし逡巡したのち、観念したように息を吐いた。
「……わかった」
渋々と歩き出す。
王太子妃はその後に続いた。
廊下の窓に、ふと自分の姿が映る。
前世では社長、今は王太子妃。
人生とは、本当に分からないものだ。
案内されたのは、王宮の奥まった一角だった。
人の気配がない。
「……こちらで?」
「ああ……まあ……」
王太子の声もどこか歯切れが悪い。
廊下は静まり返り、侍従の一人も見当たらない。
「……随分と、静かなのですね」
「だから言っただろう」
扉の前で足を止め、
王太子妃は一度だけノックをした。
返事はない。
もう一度。
……やはり、ない。
「失礼いたします」
扉を開ける。
「えっ……」
扉を開けた瞬間、よどんだ空気が流れ出た。
書類と本が机にも床にも散乱し、人の気配がひどく薄い。
(なんやこれ……空気悪……)
思わず足を止める。
(暗っ……人おるんかいな……)
視線を巡らせた、そのとき。
「ぎゃっ!?」
思わず声が出た。
室内の奥、大きな机に突っ伏すようにして、一人の青年がいた。
書類と本に埋もれるようにして、ぴくりとも動かない。
「だ、誰……!?」
王太子が額に手を当てた。
「……それが弟だ」
第二王子――ギルバート殿下は、肩を揺すられてようやく目を覚ました。
「……誰だ」
「……妃だ」
「……王太子妃、か」
それだけ言うと、ギルバートは再び机に向き直り、何事もなかったかのように書類へ視線を落とした。
「……」
(えっ……何やこれ。
兄嫁来てんのに、それだけかい……?)
王太子は小さく咳払いをした。
「……まあ、そういうやつだ」
額に手を当て、視線を逸らす。
「悪気はない。……その、対人関係が壊滅的なだけで」
(……なるほどな)
王太子妃は視線を、机へ向ける。
散乱した書類。開きっぱなしの本。乾きかけたインク。
そして、再び没頭し始めた第二王子。
(うーん……)
一歩、踏み出す。
「殿下」
声をかけるが、返事はない。
「ギルバート殿下」
今度は、ほんの少しだけ声を強める。
「……何だ」
視線だけが、わずかにこちらへ向いた。
王太子妃は微笑む。
「ごきげんよう。初めてお目にかかります」
「……ああ」
(会話が進まん……)
だが、表情は崩さない。
「本日はご挨拶に参りました」
「……時間の無駄だ」
王太子が顔をしかめる。
「ギルバート――」
「殿下」
王太子妃が静かに制した。
「こちらの都合で伺ったものですし、ご挨拶できましたので十分です」
王太子がわずかに目を見開いた。
「……そうか」
「ええ、殿下。お時間をいただきありがとうございました」
「ああ……」
「……」
ギルバートの手が、わずかに止まる。
だが、王太子妃はそれに気づかないふりをした。
王太子妃は一礼し、静かに背を向けた。
◆
小さな茶室には、柔らかな香が満ちていた。
王太子妃はカップを手に取り、静かに口をつける。対面には王太子。
「……あの方、きちんと実績はおありなのですね」
「ああ。あれでも、あの分野じゃかなり評価されていた」
「論文も発表なさっていたと」
「三年前まではな」
(なんや、ちゃんとやる人やん)
「では、なぜあのような状態に?」
「……あのような、とは?」
「人払いが徹底され、侍従もおらず、経費も削られている」
王太子は一瞬だけ黙った。
それから、視線を落とす。
「……婚約者がいた」
「はい」
「支えていたのは、ほとんどその令嬢だ」
王太子妃は静かに頷く。
「研究の手配、資金の調整、発表の段取り……全部な」
(それ婚約者じゃなくマネージャーや……)
「だが――」
王太子は苦く笑った。
「嫌気がさして、婚約破棄された」
「あー……」
「弟を好いてくれてたみたいだが、あまりに反応がなくてな」
「……」
「人に興味がない。研究以外は全部後回しだ」
(そら……婚約者も気の毒やな)
「その後は?」
「共同研究者も離れた。資金も止まり、父上も優先順位を下げた。結果、ああなった」
(おとんもお手上げかいな……)
「放っておくしかないんだ。本人もそれでいいと思ってる」
「……本当に?」
「何がだ」
「それでいいと、あの方は思っていらっしゃるのですか?」
「……どうだろうな」
(そもそもやな、税金で食わせてもろてる立場で、引きこもりはあかんやろ)
王太子妃はカップを見つめた。
(まあ……わしが研究のメリット示して、尻叩いたら動くか……)
ふと、前世の記憶がよぎる。
テレビで見た特集。
引きこもる息子と、それを世話する母親。
「私が息子の部屋にごはんを届けて……」
――あれ?
(わし、同じことしようとしてへんか?
あかん……!それ自立せえへんやつや)
王太子妃は目をぎゅっと閉じる。
(せやけど、ほっといたらこのままやし……
わし、第二王子のおかんちゃうぞ?)
ふと、顔を上げ王太子を見る。
「どうした?」
王太子が首をかしげる。
王太子妃は、にこりと微笑んだ。
「ギルバート殿下と殿下、似ていらっしゃいますね」
「そうか?」
「ええ。どちらもお美しい」
「……は?」
カップを静かに置く。
「ギルバート殿下の縁談を探しましょう」
「いや無理だろ」
「国を挙げて探しましょう」
「ええ……」
(飲み屋の姉ちゃんも、顔だけで相手選んだ言うてた)
探すんや――ギルバート殿下に惚れる娘を!
◆
――とはいえ、まずは本人の意思確認が必要だろう。
「……ギルバート殿下」
「……何だ」
「縁談の件ですが」
「……好きにしろ」
(投げやりすぎんか?)
王太子妃は早速、国中に通達した。
しかし――前途多難だった。
婚約破棄した令嬢は、社交界でも評判の良い娘だったらしい。
その反動で、第二王子の風当たりは想像以上に強い。
(嘘やろ……全滅か?)
紹介状を見ながら、王太子妃は机に額をつけた。
かろうじて残った候補も、
王家の血筋狙い、資金目当て、地位欲しさ――そんなものばかりだった。
(あかんあかん……余計悪化するやつやこれ)
ペンを握る手が止まる。
(これが親の婚活か……わし、親ちゃうけど)
机にかじりつくようにして、しばらく動けなかった。
――そんなある日。
王太子妃は、一人の令嬢と向かい合っていた。
もちろん、ギルバートはいない。
王太子妃は、冷や汗をかきながらも、完璧な笑みを浮かべる。
「殿下は大変研究熱心なお方です。歴史の分野においては、すでに数多くの論考を発表しておられます」
「はあ……」
「……本当に優秀なのですよ?」
(頼む――逃げんといてくれ……!)
「もしよろしければ、研究室をご覧になりますか?」
「研究室、ですか?」
「ええ。殿下の本領は、あちらにございますから。きっと印象が変わると思いますわ」
対面の少女――ステラは、静かに頷いた。
「……お願いいたします」
(ええぞ……ここからや……!)
しかし――
2人が訪れても、ギルバートは無反応だった。
王太子妃殿下が一歩前へ出る。
「殿下」
返事はない。
「ギルバート殿下」
「……」
(おい)
王太子妃殿下は青年の肩をつかんだ。
「殿下」
ぐい、と半ば強引にこちらへ向けさせる。
(ステラ嬢来てくれてんねんぞ!!)
「殿下。こちらがステラ嬢です」
「……ああ」
ギルバートはすぐに視線を外し、何事もなかったかのように机へ戻った。
(こ、こいつ……)
こめかみに、ぴき、と音が入る。
だが、そのとき。
ちらりと視線を横へやると――
ステラが、うっとりとした表情でギルバートを見つめていた。
「……」
(ええ……なんでぇ?)
こんな態度やぞ。
それで、その反応になる?
王太子妃は一瞬だけ沈黙し――
次の瞬間、ふっと笑った。
(……ああ、そういうこと)
何も言わず、踵を返す。
「……では、あとはお二人で」
静かに部屋を出る。
扉を閉めながら、拳を握った。
(よっしゃあーーーー!!!)
◆
ステラは毎日、ギルバートの元を訪れていた。
そして――王太子妃も、こっそり訪れていた。
「王太子妃殿下……」
侍従が小声で呼びかける。
「しっ……静かに……!」
王太子妃はしゃがみ込み、研究室の扉の隙間から中を覗いていた。
(あ、あいつ……!)
ステラが淡々とギルバートに話しかけている。
(ステラ嬢ナイスフォロー!)
食事を促し、資料を整え、言葉を選びながら会話を繋いでいる。
(いける……いけるぞ……!)
王太子妃は、拳を振りながら眺めていた。
「王太子妃殿下……」
「黙ってて!」
更にステラは、王太子妃の予想を軽く超えてきた。
「王太子妃殿下、こちらをご覧いただけますか」
「まあ……何かしら」
「第二王子殿下の研究が、王家にもたらす利点と影響をまとめました」
書面を受け取り、目を通す。
要点が整理され、利益が明確に示されていた。
「……利益構造が明確なのは好ましいですわ」
(ステラ嬢……あんたは女神か……?)
王太子妃は静かに書面を閉じた。
「王太子殿下にお話ししてみましょう」
(ああ……よかった……)
そっと視線を落とし、袖で涙を拭った。
◆
数カ月後。
王宮で夜会が開かれていた。
王太子妃のもとへ、一人の令嬢が歩み寄る。
(ギルバートの元婚約者かー)
「あら、リリア嬢。こんばんは」
リリアは優雅に一礼した。
「殿下。ギルバート様、また発表なさるようになったのですね」
「ええ、そうなの」
王太子妃は穏やかに頷き、その視線をステラへと向ける。
「あの方のおかげで」
(ほんまやで)
リリアの視線もまた、ゆっくりとそちらへ向いた。
「よかったですわ。……殿下は昔から、ご自分の世界を何より大切になさる方ですから」
リリアは扇を軽く閉じた。
「かつてご一緒していた研究者たちも、今はそれぞれの道へ進みましたわ。……皆、殿下の才を惜しんでおりましたの」
わずかに目を伏せる。
「私も、あのままでは殿下が一人になってしまうのではと……少し、心配しておりました」
(まーそれは、しゃあないけどな……)
リリアは周囲を見渡した。
「……今日も、お忙しいのでしょうね」
その瞬間。
「……来ている」
低い声が落ちた。
振り向けば、ギルバートが立っていた。
そこへ、ステラが気づいて駆け寄る。
「殿下」
自然な動作で、ギルバートの腕を取る。
「……」
ギルバートは小さく息を吐いた。
その視線が、ほんの一瞬だけ――リリアへ向く。
リリアは、何とも言えない表情でそれを受け止めた。
(見なかったことにしよー……)
ステラが小さく囁く。
「資金のためです」
「……聞こえている」
「行きましょう。ご紹介したい方がいらっしゃいます」
半歩引かれる形で、ギルバートが歩き出す。
二人の背中が、会場の中央へ向かっていく。
王太子妃は、その姿を静かに見送った。
(あいつには……自分を理解しようとする相手が必要やったんやろな)
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