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6、姉ヶ崎

大坂の陣が終わり、直政も忠直も越前に戻った。直政の木本領一万石は忠直の領地の一部を分け与えられたもので、越前松平藩の中の付け替えだったので、木本に城が出来たわけではなく、正式に大名になったわけではなかった。城の部屋住みに変わりはなかった。 しかし翌年、兄である次男、松平忠昌が大坂の陣の活躍が認められ、越後高田藩25万石に加増して移封になった。大出世である。越前の忠直は素直には喜べなかった。自分こそ天下一の働きをしたのに、褒美は茶道具で、弟は25万石に加増されたのだ。しかも徳川本家の年下の叔父たちが、御三家を名乗り、幕府での地位も忠直の上になっていた。忠直の不満は募るばかりだったようだ。

 一方、三男の直政は兄の忠昌が出て行った上総姉ヶ崎藩を幕府から所領することになり、いよいよ正真正銘の大名になった。ただこの出世には運も味方している。徳川家康の6男に忠輝がいた。秀忠が将軍になり家康が高齢になった頃、成人で生き残って秀忠を補佐する立場のものが、忠輝一人になってしまった。そこで関東の小さな藩の大名だった忠輝を越後高田藩松代藩など63万石に配置し、越前68万石と高田63万石で加賀前田100万石を挟み撃ちにする形で、秀忠を補佐させようとした。しかし大坂夏の陣での活躍がなかったことなどで家康の怒りを買い、家康との対面を禁じられ、家康の死去の際にも呼ばれなかった。そして改易になり、空席になった越後高田城に姉ヶ崎藩から越前次男の忠昌が入ったので、3男直政が姉ヶ崎に入る幸運をつかんだ。ただこの幸運は3代将軍になる家光と年が近い従弟として仲が良かったことも幸いしたと考えられた。

この時直政は16歳。生母の月照院は北ノ庄城を出て、直政と共に姉ヶ崎状に移った。

 この時の月照院の喜びは計り知れないものがあった。阿波の武家の娘から遊女に成り下がっていた身分の低い者から生まれた不幸を跳ね返して、戦で戦功をあげて大名になったのである。しかもまだ若いので、これからどれほど出世するか見当もつかなかった。


 ただ徳川将軍家と越前松平家の関係は大変難しい。

2代将軍秀忠と越前初代秀康はライバル関係の兄弟で、将軍職を争った間柄で、関ケ原の戦功では後塵を拝した秀忠は秀康を憎んでいたような節もある。

しかし秀忠と越前2代の忠直は叔父と甥の関係で、忠直が幼いころは秀忠がかわいがっていたらしい。しかし大坂の陣での褒美が茶道具だったことや、年下の叔父義直・頼宣・頼房が御三家を形成したことなど複雑に絡んで、忠直は将軍秀忠に不信感を持ったようだ。

3代将軍になる家光と越前の三男直政は年の近い従妹同士で、幼いころから仲が良く、信頼関係を築いていった。特に直政が上総姉ヶ崎(現在の千葉県市原市)の大名になってからは江戸が近かったため、頻繁に交流があった。家光は将軍になるにあたって弟の忠長と激しく争っている。乳母の春日局が家康に直談判して長子相続をその後の決まりとしたことは有名な話だが、その分、家光は気を許す仲間が幕府内にはいなかったのだろう。直政に対する信頼は後に大きな藩を任せ国持大名にまで出世させることにつながる。

姉ヶ崎の城に入った直政はまだ18歳。彼に同行してきた生母月照院は

「あなたはまだまだ出世なさる方です。次期将軍家光様とも入魂の間柄。家光様のお力で婚姻をまとめていただいてはいかがですか。」と進言した。その進言を受けた直政は自分では言いにくいので、参勤で江戸に来ていた福井藩の兄、忠昌に頼んだ。すると忠昌は越前福井藩に入った本家の当主として意気に感じ

「わかった。家光様だけでなく秀忠様にもお願いしてやろう。」と快諾。

 翌週、江戸城への登城のお役目の際に、直政も同行させ、将軍謁見の間で家光もいる前でお願いをした。

「わが弟、姉ヶ崎藩主松平直政はこの春、18になりました。大坂の陣で初陣を果たし、手柄も上げ、今では姉ヶ崎藩主として取り上げていただいて盛ります。このうえは良き縁組をまとめ、妻をめとらせたいと考えます。将軍家のお力添えで、栄えある縁組をおまとめいただけないでしょうか。」と口上した。その言葉を聞いた家光は

「直政の縁談とあれば良き姫を探そう。私に任せてください。良いですか、父上。」と言って秀忠を見つめた。秀忠は微笑みながら

「お主もまだ若い。良き姫を見つけるのはわしに任せろ。家柄も姉ヶ崎家にふさわしい家を当たらねばならぬ。」と言って秀忠自身が当たることになった。


 後日、幕府じゃらの使者が松平良忠の娘、久姫を紹介してきた。松平良忠は德川家がまだ松平家として三河の大名だった時代からの家臣の家で、大阪夏の陣での活躍で下総国関宿4万石から美濃大垣5万石へ加増移封された家である。相手にとって不足のない大きな家の娘である。

幕府推奨の縁談を両家とも断るはずもなく、直政と久姫の婚姻は成立した。姑の月照院は久姫と仲睦まじく暮らしたが、直政を出世させることへの執着も共有させている。

元和9(1623)年、家光が将軍職に就くと、月照院は直政に

「家光様が伏見から江戸にお戻りになったら、すぐにお祝いに行きなさい。」と言うと久姫も口を挟んだ。

「お祝いの品は父に頼んでお金を貸してもらいます。安心してください。」と言ってくれた。資金的な心配をせず家臣に江戸で最高の物を選ばせて家光の帰りを待った。

 家光は生まれながらに将軍になることを約束されたエリートである。江戸までの道のりは壮大な行列だった。

 江戸城入城のタイミングでお出迎えする一行に入り込んだ直政は、家光へのお祝いの挨拶を申し込んでおいた。


お祝いの対面を終えて姉ヶ崎に戻ると月照院と久姫が首を長くして待っていた。月照院は開口一番

「御対面はどうでしたか。」と聞くと直政は

「喜んでいただけました。今度、京に使者を出さなくてはいけないんですが、その大役を頼むと言われました。」と言うと月照院は

「よくぞ、でかしました。今後とも家光様とお近づきになり、御贔屓いただくのですよ。」と励ました。妻の久姫もその様子を喜んで

「殿、おめでとうございます。お祝いの品はどうでしたか。」と聞くと直政は微笑んで

「久姫のお陰だ。お祝いの品が茶器だったのが良かった。兄上が家康様から頂いた『初花』ほどではなかったが、有田の銘品だったので、家光様はたいそう喜んでいただいた。」と久姫を褒めた。

久姫は続けて

「家光様の御正室、鷹司孝子様が家光様よりも一足早くお江様の養子として江戸に入られていましたので、私もお目にかかりたくてお江様にお願いして御対面をさせていただいておりました。直政様が家光様と幼馴染であることをよくご存じで、夫婦ともども今後もよろしくとお願いいたしました。」と話し、内助の功をさりげなく示した。

 直政と家光の関係は月照院と久姫の努力も大きな力となっていたのである。




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