幸せなハッピーエンド ………?
その時。弱々しくも愛らしい、赤子の産声が王宮に響き渡った。
国王アルフォンスは侍女からそっと白く触り心地のよいおくるみに包まれた小さな命を手渡される。
彼の腕の中でそれはスヤスヤと眠っていた。
その横のベッドには彼の愛しいリリスが横たわり、慈愛に満ちた表情で満足げに微笑んでいた。彼女は額にきらめく汗を滲ませており、その姿は母なる女神のようだ。
「リリスっ、よく頑張った。生まれたばかりの子はこんなにも暖かいのか。ああっ、僕はなんて幸せ者なんだ…」
アルフォンスの声は感動で震え、そして今にもこぼれ落ちそうなほど目に涙を溜めて赤子をそれはそれは大切に抱いていた。それをリリスは嬉し涙を浮かべて見守る。この日国は、新たな王子の誕生を祝う喜びと、無事に生まれたことの安堵に包まれていた。家臣は祝福の言葉を延べ、民衆は歓声を上げながら誕生を祝い、国中はお祭り騒ぎ。この国は彼らの信仰神である「光の女神」の見守る中、栄華の真っ只中で、本物の幸せを噛み締めているように見えた。
だが、そのきらめく幸福の影、王宮の一角、そこは異様に静まり返り、廃れた祭壇の上にひっそりと佇む女の彫刻はその栄華を大きく見開かれた眼でただ茫然とその幸せの全貌を見つめていた。その彫刻はまるで今にも動き出しそうなほど精巧に、そして繊細なのである。尤もそれは、彼女が生きているからなのだ。
『生ける彫刻』として。
ああ、生きている。だが指一本動かせず、彼女は呻き声一つあげられない。淡い薔薇色の髪は風に靡くことはなく、夜明けの空の色を閉じ込めたような光の加減で色の変わる瞳は、潤いはなく瞬きをすることもない。だが、その中でただ一つだけ動くのは、彼女が唯一身に纏う古びた麻のトーガであった。
自らは何もできず、他人の幸せを孤独からただ見つめるだけ、それが、禁忌を犯したものへの罰であった。
彼女の名はリディア・アノン。かつて彼女は国王アルフォンスの婚約者であった。だが、今から15年ほど前、彼がまだ18で、王太子であった時。彼女はまだ、柔らかな白い肌を持った17の少女だった。
15年前、リディア・アノンは美しい侯爵令嬢であり、王太子の婚約者であった。だが、それは外見のみ。なんと彼女は婚約者がいる身でありながら、多くの男どもを侍らせていた。そんな中、王太子アルフォンスはその彼女が原因で随分とやつれていた。だが、今は王妃であるリリスがそんなアルフォンスに寄り添ったのだ。そんな心優しいリリスに対してラディアは嫉妬に狂い、いじめ、一歩間違えれば命が危険に晒されるようなことを仕組み、目の敵にしていたのだ。
だが、あの日、学園の卒業パーティーの夜会で、それは起こった。
リリスに対する酷い仕打ちを聞いたアルフォンスの声が雷鳴のように会場に響き渡った。
『ラディア・アノン!貴様は僕の愛しのリリスを虐め抜き、あまつさえ命を奪おうとした!運のいいことにリリスは無事だ。だが、貴様は禁忌を犯した。よって自分の罪の重さを確とその命が尽きるまで見届けろ!』
その時の、リリスは怯え、罪悪感に目に涙を溜めていた。本当に心の清い少女であったのだ。しかし、当のラディアは自分が何をしたか分かっていないようで次の瞬間彼女の口から発せられたのは驚くべきことだった。
『わたくし、彼女を知りませんわ。』
白々しくも、そう言い訳したのだ。その自分の罪を認めぬ態度に怒りが湧いたアルフォンスはすぐさま衛兵達にラディアを捕えさせ、牢へと幽閉したのだった。
それからラディア・アノンの悪名は瞬く間に広がっていった。
『醜い嫉妬に狂い禁忌を犯した悪女』
『醜い悪女は婚約破棄。美しい平民リリスが未来の王太子妃か。』
『ラディア・アノンは美しい女の皮を被った醜い悪魔』
そういった新聞記事や、噂が飛び交った。それも当然の摂理だった。
一つだけ不自然だったのは、武神と謳われる騎士団長テオフィルムが、卒業パーティーの前に、忽然と姿を消していたことだったが、それも瞬く間に忘れられていった。
そして、ラディア・アノンは禁忌を犯した者として、処刑されることとなった。
邢台に現れた彼女は醜いかと思えば、麻の古びた服を着てもなお堂々としていたそうだ。まるで、令嬢の鏡のように。そして邢台の上の彼女はこう言った。
『わたくしを刑に処せば、光の女神の加護は消えるでしょう。』
そんなことがあるはずがない。命乞いにしてももっとまともなことを言え。と人々は冷笑した。
そして早々に刑は執行された。
『その身を石に、その命を罪のために』
魔術師の無慈悲なまでに冷たい声が響き、彼女の身は固まっていった。その時彼女は正面のバルコニーにいるリリスを見て目を見開きこう呟いた。
『何故…』と。
それが彼女の最後の言葉だった。
それから国には平和が戻り、リリスとアルフォンスは結ばれ、王妃と国王となった。そうして、国はどんどん豊かになっていった。それはまるでラディアが居なければ、元からこうだったかのように。
人々はラディアのことを忘れていった。そして皆忘れた頃、今日この日、世継ぎが生まれたのだ。こんなにめでたい事は他にないだろう。
ああ、私は今、とても幸せだ。
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とでも考えているのだろうか。
あぁ、憎たらしい。忌々しい。
何故、私がこんな目に遭わなければならないのだろうか。
何故、私を陥れた者はあんなにも幸せそうに笑っている?
ふざけるな。侮るな。
私がこんなにも負の感情でいっぱいなのか、奴らに教えてやろうではないか。
初めから、きっちりと。
その時、彫刻である彼女の頬にピシッと一筋、ヒビが入った。
それはまるで、何かの予兆のようだった。
これまで私に起こったことを振り返ってまとめ、一言で表すならばこうだろう。
まさに生き地獄だ。
32年前、私は武術に長けたアノン侯爵家に生まれた一人娘だった。母は私を産んで直ぐ死んだ。だか、それは表向き。母は死んではいない。もっとも、彼女は死なないのだ。
何故なら光の女神であるから。母が女神であるという事は私や父を含む屋敷の限られた者、国王両陛下のみ知っている。王太子でさえ知らなかった事である。それほど母は危険と隣り合わせであったが、屋敷での父と母はたいそう仲睦まじく、2人とも笑顔の絶えない人であった。
そんなこんなで信仰神である光の女神ルミナーラを母に、武神と謳われた男テオフィルム・アノンを父に持つ。人と神の混血で、半神半人の侯爵令嬢。ラディア・アノン。真の名をアウローラ・ガウディア。
それが、私という人物の正体だった。
それを踏まえて、15年前のことを語ろうではないか。
私は王太子の婚約者として、幼少期から妃教育を施されていた。故に男を侍らす時間などなく、微塵も興味がなかったし、王太子という婚約者を持つ私に声をかける者はいなかった。たが、いつからか私は男を侍らせる悪女と呼ばれるようになっていた。身に覚えもなく、混乱した。そんな中でも友人達は所詮噂だと言って優しくしてくれたが、私によくしてくれていたアルフォンス殿下はそっけなくなってしまった。それが少しだけ寂しかったけれど、忙しく私ではないと言う暇もなかった。だがそれが私の地獄の始まりだったのだ。それから少し経ち、母は父を連れて天界へ行った。父を神にするつもりだそうだった。
そして卒業式パーティーの夜会、事件は起こった。いや、起こってしまった。
『ラディア・アノン!貴様は僕の愛しのリリスを虐め抜き、あまつさえ命を奪おうとした!運のいいことにリリスは無事だ。だが、貴様は禁忌を犯した。よって自分の罪の重さを確とその命が尽きるまで見届けろ!』
そう、アルフォンス殿下は言い放った。私は訳が分からなかった。何故なら彼と腕を組むリリスであろう彼女を今日この日、初めて目にしたのだから。リリスは金髪碧眼の見目の良い愛らしい少女であった。
『わたくしは彼女を知りませんわ。』と言ったのだが、聞く耳を持ってもらえなかった。その上、衛兵によって捉えられてしまった。大人しく拘束されたが、あんなもの簡単に抜け出せた。しなかったのは抗えば肯定と捉えられてしまうから。リリスを見れば罪悪感か、目を伏せ涙を浮かべていた。だが少しだけ違和感があったのだった。
そうして私は牢に入れられた。
暖かくて柔らかなベッドは、硬く冷たい石に変わり、華美だが派手ではないドレスと装飾品は外され麻の古びたトーガだけに変わった。暖かく美味な食事も、冷たくお世辞でも美味しいとは言えないものだった。
そして、私は早々に刑に処されることになり、王家の敷地内にある邢台へと連れて行かれたが、私は決して態度を崩さなかった。
そして私はこう言った。彼らに慈悲を残すために。
『わたくしを処せば、光の女神の加護は消えるでしょう』と。そもそも娘である私がこんな目に遭っている時点で、母はじっと黙っている事はないだろう。それは父も同じである。だが、彼らがまだ無事なのは奇跡で、2人が天界にいるからなのだ。
だが、その言葉も嘘だと信じてもらえず、人々に冷笑されてしまった。
そして刑は執行された。
『その身を石に、その命を罪のために』
魔術師の声が響くと私の指先が硬直し、石のようになっていった。きっとあの魔術師はこれ以降、魔術が使えなくなるだろう。魔術は神の力の一欠片。その力を神に振るえば使えなくなるように、そう神々は決めたのだ。
ふと目の前のバルコニーにいるリリスとアルフォンスを見て目を見開いた。アルフォンスはリリスを抱きしめ、リリスもそれを受け入れていたのだった。だがリリスの目線は私へ向き、馬鹿にするように、勝ち誇ったように、口元を歪めていた。
思わずこぼれ落ちたのは『何故…』という言葉だった。
そして視界がくすみ、自由な生活の幕が閉じたのだ。
それから私は王宮の裏庭の祭壇に移動させられた。
私は見ることと聞くことしかできず、国がより栄えていくのを孤独の中から見つめ続けていた。
苦痛を、憎悪を、怨念を、少しずつ、積もらせながら。
あの顔を見て確信した。私を陥れたのは彼女だった。理由は知らないが、未来の王太子妃という肩書き、そして可哀想な自分を演出したかったのであろう。だが、どうであれ真底迷惑な話だ。
そして私のよくない噂を流したのも彼女だろう。あれは平民だ。平民が貴族、それも侯爵家を陥れるとは面白い話だった。
そしてまた、アルフォンスも、私がいながら彼女にうつつ抜かしていたのだろう。
私を幸せにすると言ったのにも関わらず、所詮口だけの男であった。
ああ、本当に許せる話ではない。
なぜ、あやつらは幸せの真っ只中で笑っているのか。
子が生まれ今日はお祝いムード全開である。
まさに幸福の頂点で。
ああ、許せない。
ピシッ
憎ましい。
ピキピキピキッ
恨めしい。
パキンッ
叩き落としてやる。
ガシャン
絶望のどん底に。
その遥か奈落へと。
バリンッと音がしたと思えば急に目の前が明るく鮮やかになる。
眩しくて影を作ろうとすればきちんと腕が動く。
ああ、やっと。やっと…私は自由の身となったのだ。
周りにはガラスのような鏡のような破片が落ちていた。
そこに写った私は15年経ったというのに老けていなかった。だが、髪は、淡い薔薇色ではなく、冷たい銀白色で、瞳は輝きを失い、瞳孔は縦に割れ、左目だけが燃えるような赤、凍てつく青、毒々しい紫と見るたびに色を変えるようになっていた。
服は15年前でもうすでにボロボロだったためか、雨風にさらされた結果引っ張るだけで壊れてしまう。
『モスティム』
神の力で、黒い体のマーメイドドレスを作る。スリッドが太ももあたりまで入っているが、デコルテや腕はレースで覆われているデザインのものにした。
さて、あやつらに会いに行こうではないか。
私が誰か、何をしたのか教えてやろう。
「ふふっ」
反応が楽しみで笑ってしまった。だが、自分で思っている以上に表情は動かず、冷たい笑い声だった。
『グラディウス』
私の右手にきらめく金とも銀とも言えない細身の剣が現れる。
さあ、絶望の始まりだ。
後編?続編?まぁ、続きがあります!