7-風が鳴く夜に
選定式を三日後に控えた王都の夜。
月は雲に隠れ、空気には湿り気を含んだ風が吹いていた。
グランディール侯爵邸の書斎では、レイラとセインが向かい合っていた。
窓の外からは、庭園の木々がかすかに揺れる音が聞こえるばかりで、部屋には緊張に似た静寂があった。
「……あなたも感じているのではなくて?」
そう問いかけたのはレイラだった。
魔眼を通してではなく、肌で、空気で、理屈ではなく「直感」として──
「何かが、仕掛けられている。しかも、表ではなく裏から」
セインは頷いた。
「ええ。空気が静かすぎる。本来なら選定式を前に、各家が騒がしくなるはずなのに……誰も口を開こうとしない」
「仕組まれた沈黙ほど不気味なものはありませんわね」
レイラはカップの紅茶に口をつけ、苦味に眉をひそめた。
「まるで皆が、何かを恐れているよう。誰かの命令で口を閉ざしている……そんな印象を受けますわ」
「……あるいは、もう結果だけが決められていて、あとはそれに合わせて動いているだけかもしれない」
セインの声には、普段の冷静の奥に、微かな焦燥が混じっていた。
「問題は、結果が我々にとって有利かどうかではなく──誰かの狙い通りに進んでいることです」
「誰か。……クリーメルかしら」
レイラの口から、久しく出していなかった名前が漏れる。
「確証はありません。ただ、彼女が消えるにはあまりにも目立ちすぎた。
いえ、むしろ──舞台裏に回ったと考えるべきでしょう」
セインはゆっくり立ち上がり、部屋の片隅に置かれた地図を広げた。
「この療養院──王都西部にある白椿の館。
貴族階級用の静養施設で、王族の紹介がなければ入れない。
彼女が療養していたとされる場所です」
「ということは、王太子……アレクシスが?」
「彼女を庇っている可能性は高い。心情的にではなく、政治的な駒として」
レイラは静かに息を吸い、指を組んだ。
「選定式では、若手貴族が王都への正式登用を受ける……それはすなわち、次代の権力者を決める舞台でもある」
「そしてあなたは、間違いなく最大の注目株。だからこそ、狙われる可能性が高い」
「ええ。……ええ、分かっていますわ」
その声には怯えはなかった。ただ、強く冷たい覚悟だけがあった。
「セイン様。ひとつお願いがありますの」
「なんでしょう?」
「もし、選定式でわたくしが何かを失うことになったとき……
あなたは、それでもこの国の真実を追い続けてくれますか?」
その問いに、セインはわずかに目を見開いた。
「……あなたがいなくなるとは、想定していません」
「わたくしは、そうなっても不思議ではないほどの敵を作ってきましたから」
沈黙。
やがてセインは、窓の外に目を向けたまま、低く言った。
「──失ったとしても、あなたの意志が途切れないように。
私は、どんな形でも書き続けます」
「……ありがとう」
その夜、ふたりは短く視線を交わし、灯りの落ちた書斎でただ、風の音に耳を澄ませていた。
遠くで、何かが蠢いている気配。
――――――嵐の前の、静けさだった。