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4-眠れぬ夜、銀の書を抱いて

 王都から少し離れた、古い石造りの図書塔。


その地下階、蝋燭の灯りだけが頼りの書庫の奥で、ひとりの青年が古文書に目を走らせていた。


セインは、昔から「見過ごされた記録」に惹かれる男だった。


王家の年代記より、誰も読まない民の古歌を。

偉大な将軍の武勲より、名もなき少年兵の手紙を。


──そこにしか、真実が残らないことを、彼は知っていた。


なぜなら、彼の生まれ自体が、抹消された血筋のひとつだったから。


セインの本名は、「セイン=エルファン」。

かつて存在した王国の旧王家――エルファン家の末裔だ。


百年ほど前、現在の王家がクーデターで政権を奪取した際、エルファン家は反逆罪として全員が処刑されたと記録されている。

だが、乳児だったセインの祖父だけがひそかに逃れ、名を変え、山間の村で生き延びた。


セインはその曾孫にあたる。


「王位を奪い返したい」とは思っていない。

だが──真実を隠したまま、腐敗した血が玉座にあることだけは、どうしても許せなかった。


だから彼は、記録を読み漁り、裏帳簿を手に入れ、粛清された者たちの証言を拾い集めた。


やがて彼の元に集まるようになったのは、似たような境遇の者たちだった。

王家に仕えて裏切られた元宰相の娘。

貴族に恋人を殺された平民の騎士。

没落した魔道研究所の弟子たち。


決して表の世界で語られない、忘れられた者たち。


そして──

彼らを束ねるための核となる存在を、彼はずっと探していた。


表の顔は侯爵令嬢、だが内には闘志と冷静を抱き、魔眼という力を持ち、

そして何より──屈しなかった女。


「……レイラ=グランディール」


その名を呟いたとき、セインは初めて確信した。


「彼女なら、きっと王族の正義に刃を向けられる」


その夜、彼は自室の壁の奥に隠された小箱を開いた。


中には、王家の紋章がかつて彫られていた折れた銀の指輪と、

王位簒奪の真相が綴られた、たった一冊の手記。


誰にも語られることのなかった血の歴史。


彼は指輪を手に取り、それを再び箱に戻すと、

灯りをふっと消して呟いた。


「……あの王座に、正義はあるのか」


そう呟いたあと、部屋に沈黙が落ちた。


蝋燭の火はすでに消え、窓の外では月が静かに光を放っている。

その冷たい銀の光が、机の上の手記の縁を照らし、セインの影を長く引き伸ばしていた。


彼はしばらく動かず、そして、ぽつりと独り言のように言葉を継いだ。


「……いや、正義など、もとより在ったことすらないのかもしれない」


王座は象徴だ。

人々の信じたい理想を映し出す鏡のようなものだ。

誰もがそこに「正しさ」や「誇り」や「希望」を重ねて見る。


けれど──

現実にそこへ座る者たちが抱いていたのは、恐れ、欲望、猜疑、そして……血。


「我が一族を滅ぼした者たちの名前を、私は何百回も書き写した。

 その顔、その言葉、その選択。書き写すたびに、呪いのように焼きついた」


「だが……あの日、祖父が私に言った。憎むな。記せと。

 怒りで塗り潰すのではなく、記録せよ。真実は、時が巡ったときに武器になると」


目を閉じると、かすかな声が耳の奥によみがえる。

病床の祖父が、骨ばった手で小さな彼の頭を撫でたあの夜。


──「もし世界に一つだけ変えていいことがあるなら、お前は何を選ぶ?」


あのときは、答えられなかった。


でも今なら言える。


「過ちを過ちのままにしないこと。それが、私の……選んだ道だ」


セインは机に両肘をつき、両手で顔を覆った。

感情を隠すように、思考を整理するように。


「だから私は王になどならない。

 私が欲しいのは地位ではない。

 誰かが踏みにじられたことを、なかったことにされる世界を壊したいだけだ」


やがて彼は手を下ろし、月光に照らされる机の上の手記に視線を落とす。


ページの隅には、かすれた筆跡でこう記されていた。


すべての罪は、名誉の衣を着て裁かれる──


セインはゆっくりと立ち上がる。

その背筋はまっすぐで、夜の静寂の中にあっても、どこか確固たるものを感じさせた。


「……今度こそ、真実が勝つ世界を見せてやる」


それは願いではなく、誓いだった。


そしてそのために必要な存在──

彼の脳裏に浮かんだのは、あの紅のドレスをまとい、堂々と断罪の舞台を歩いた少女の姿。


レイラ……、あの目の強さ。あの気高さ。

あの決して屈しない静かな炎だけが、セインの孤独に火を灯した。


彼は最後に、手記の表紙にそっと触れて囁く。


「次は……君の番だ、レイラ嬢。

 君の手で、この国の物語を書き換える」


そしてセインは、静かに部屋を後にした。


夜が深くなるほどに、――世界はその始まりを待っていた。

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