第5話「選ばれし魔術士たち」
筆記試験の終了から、そう時間は経っていなかった。
控室に戻ってきた生徒たちの表情には、疲労と安堵が入り混じっている。だが、その空気はすぐにぴんと張りつめることとなった。
「次は――実技試験だ」
扉の向こうから響いたのは、あのガレウス准教授の飄々とした声だった。
「演習場へ移動したまえ諸君。まだ心の準備ができていない者は居るか?まぁ、常に準備が整っていないと負ける……魔法というのはそういうものだが……」
意味深な言葉を残して、彼は去っていく。
(演習場か…… 次は実戦形式ってわけか)
レオンは小さく息を吐き、隣にいたリィナと目を合わせる。
「行くわよ。……今度こそ、あなたの“本気”が見られるかしら?」
「……その前に、俺がちゃんと魔法を出せるかどうか、なんだけどな」
小さく笑い合いながら、ふたりは他の生徒たちと共に歩き出す。
演習場――通称『魔導演習円環』は、魔法学園の中央庭園の奥、巨大な魔力障壁によって囲まれた闘技場のような施設だった。
空には結界の薄膜が張られ、観客席からの視線を遮断している。魔素濃度は高く、地脈を通じて常時循環しているため、魔法行使に最適な環境が整っていた。
「では、まず第一班から行こうか。……シュトラーデ嬢、君からだ」
「了解しました」
リィナは一歩前へ出て、静かに詠唱を始める。
「――光よ、導きの弓と成りて、影を射抜け」
彼女の周囲に展開される魔法陣は、実に精密で美しかった。光属性をベースに、流線的な魔力の流れが繊細に制御されている。
出現した幻獣は、漆黒の狼型召喚獣。素早く、複数の個体で連携を取る戦法を仕掛けてきた。
だがリィナは、それを読み切っていた。
陣を空中に展開し、光の矢を高速で連射。魔力を最小限に抑えつつ、着実に急所を射抜いていく。
「――やるな、あの子」
観察していた他の教官がつぶやいた。
「基礎の徹底、応用力、魔力消費の最適化……全部そろってる。これが貴族階級の完成形、か」
(……やっぱすげぇな、お前)
レオンは、誇らしさとほんの少しの焦燥を胸に抱えながら、それを見つめていた。
「次、309番。レオン・アルヴァレスト」
呼ばれた瞬間、空気が変わった。
観察していた教官たちの目も、すっとこちらに向けられる。
(さて、やるか……)
レオンはゆっくりと前に出る。目の前には、既に次の幻獣が召喚されていた。
それは巨大な二足歩行の魔獣――岩のような皮膚を持つ“擬似石竜”。
(防御力特化型か……こっちの攻撃魔法の質が試されるな)
レオンは手をかざし、詠唱を試みた。
「火よ、熱を帯びて……って、く、っ……?」
魔力が、うまく術式に流れない。
「あれ……?」
脳内に組み上げたはずの術式構造が、うまく結びつかない。発動すべき魔法陣が、わずかに歪む。
(……しまった、俺……)
詠唱魔法に慣れていない。
いつもは“自然に”、感覚で魔力を操っていた。術式を口にするより早く、“出てくる”のが当たり前だったのだ。
そして今、その“常識”が裏目に出た。
(落ち着け、落ち着け……!)
迫る石竜の咆哮。
思考が追いつかないまま、レオンは無意識に右手をかざした。
「……来るなッ!」
その瞬間――
空間がわずかに歪み、術式を介さない純粋な魔素の奔流が発生した。
轟音と共に、大気が震え、まるで“意志”そのものが形を成したような熱波が前方へと放たれた。
石竜の動きが止まる。装甲のような皮膚が、中心部から“爆ぜた”。
観客席の教師陣が、思わず前のめりになる。
「……今のは、術式を使っていない?」
「否。魔素が……彼の精神波長に“直接干渉”していた。これは……術式以前の、原初の干渉……!?」
「まさか、“詠唱抜きの直接干渉”か……?」
「理論上は不可能のはずだ。けれど──あの時代なら、ありえたかもしれないな。“魔導文明の時代”ならば……!」
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「試験終了。309番、レオン・アルヴァレスト、実技評価完了」
試験官の機械的な声が響く。だが、その場の空気はまだ凍りついたままだった。
爆ぜた石竜の残骸は、蒸気のようにゆっくりと霧散していく。残されたのは、微かに焦げた空気と、何か“異質なもの”を見たという、全員の無言。
(……やっちまったか、これ)
レオンはその場に立ち尽くしていた。自分でも、何が起きたのか完全には把握できていない。ただ、体の奥から突き上げてくるような“力”に、心当たりがあった。
──昔、何も知らずに火の玉を出したあの瞬間と、まったく同じ感覚。
あれは、魔法じゃない。それは、術式でも、理論でも、ましてや“魔術士”のそれですらない。
(あれは……もっと原始的な、“何か”だ)
「ふむふむ、なるほど なるほど……!いやはや、面白いものを見せてもらった!」
控室に戻るレオンの背に、ガレウス准教授の声が追いかける。興奮を隠す気配すらなく、彼は眼鏡をきらりと光らせていた。
「君、いいねぇ!術式を無視した魔素の直接干渉なんて……やっぱり今年は当たり年だ。いやはや実に面白い!」
「俺、何かやばいことやった……とか?」
「やばい?違うな。“未知数”というやつだよ。だが、それは恐れるものではない。“魔術士”たるもの、未知を怖れることなかれ!」
准教授はレオンの肩をぽんと叩き、次の生徒の評価へと戻っていった。
(……未知、か)
正直、怖くないわけがなかった。でも、不思議と心の奥には“確かな手応え”があった。
控室に戻ると、すでに試験を終えた生徒たちがちらちらとレオンを見ていた。羨望、驚愕、警戒……入り混じった視線が突き刺さる。
そんな中、リィナがひとり立ち上がって近づいてきた。
「……やっぱり、あなたはただ者じゃないのね」
「いや、俺にもよくわかってないって」
「でも、分かったこともあるでしょ?」
「……多分、俺、普通の魔術じゃダメなんだ。逆に“普通”に合わせようとしたせいで、出力できなかった。だから……無意識に、あのやり方でやっちまったんだと思う」
「それは、“魔法を知っている者”じゃなく、“魔導を知っている者”のやり方よ」
レオンは言葉を返せなかった。リィナの瞳はまっすぐで、どこか確信めいたものを宿していた。
「あなたが“何者”なのか、私もまだ知らない。でも……気をつけて。これから先、あなたの存在を脅威と捉える者も、きっと現れるわ」
「……脅威、ね」
言われなくても、もう感じ始めていた。
“何か”が始まってしまった感覚が、肌にまとわりついて離れない。
その時、控室の扉が再び開いた。
「全試験終了。これより、上位合格者への特別通達を行う。該当者は名を呼ばれた時点で、速やかに別室へ移動せよ」
場がざわめいた。
そして──
「第一位合格者、リィナ・シュトラーデ。第二位、レオン・アルヴァレスト。第三位、シャナ・バーネス」
その瞬間、空気が止まった。
リィナは小さくため息をつきながら、ちらりとレオンを見やった。
「どうやら、“坊や”は卒業まで隣にいてくれそうね」
「……お嬢様の補佐役、悪くないかもな」
二人は軽く笑い合いながら、立ち上がった。
こうして、全ての試験が終わりを告げる。
だが──
その背後では、学園内部で動き始めた“何か”が、静かに牙を研いでいた。