第4話「筆記試験」
歩き出そうとした俺の袖を、そっとリィナが引いた。
「ねえ、レオン」
振り返ると、彼女は少しだけ視線を落としながら、どこか遠くを見るような目をしていた。
「さっきの……“幻影”のことだけど」
「……うん」
「わたし、自分でも驚いたの。あんなに取り乱すなんて、久しぶりだった。……見せられたのは、未来の幻だったわ。“もし、あなたがもういなかったら”って……そんな、最悪の未来」
リィナの声は静かだったけど、その震えは俺にだけはっきりと伝わった。
「……俺は居なくならないから大丈夫。」
ぽつりと呟く。
「あれは幻影だ。どれだけリアルでも、どれだけ本物みたいでも──現実じゃない」
「うん……わかってる。でも、ああいう幻を通した“選別"って、やっぱりこの学園……普通じゃないのね」
「今さら何を言ってんだよ。魔法文明の頂点なんだぜ? “普通”で済むわけないだろ」
冗談めかして笑うと、リィナも小さく微笑んだ。
「──でも、こうやって精神構造まで見られる試験って、ただの“成績”を測ってるわけじゃないわよね」
その言葉に、俺は小さく頷いた。
「ああ。今回の“幻影審査”だって、実際の魔力量や術式精度なんかより、“心の芯”を試してた気がする。つまり──」
「“魔法を扱う人間としての土台”を見てるのね」
「そう。多分、次の筆記もそれに繋がるんじゃないか? ただの知識確認だけじゃない。……思考力、応用力、それに魔導理論の裏にある“本質”を理解してるかを試してくる気がする」
「たとえば、魔力の流れを数式で説明できるか。とか?」
「それもそうだし、“なぜその術式は安定するのか”って問いのほうが、本当は大事なんだと思う。仕組みを知って、応用できるかどうか」
リィナは小さく頷き、唇に指をあてながら考え込むような表情をした。
「つまり、“覚えた魔法”じゃなく、“理解している魔法”が求められるってことね」
「そういうこと。だから……どんな問題が来ても、丸暗記で対処するのは危険かもな」
「ふふっ、あなたがそんな分析をするようになったなんて、驚きだわ」
「おい、どういう意味だそれ。俺だってちゃんと考えてるぞ?」
「ええ、でもあなた、いつもは“火の玉作れりゃ十分だろ”って言ってたじゃない」
「……昔はな。でも今は、それじゃ通用しないって分かってる」
俺は小さく笑いながら言った。あの頃は、“力”があればなんでもできると本気で思っていた。けど、魔法はそんな単純なもんじゃない。世界の理そのものを扱う技術であり、文明の柱でもある。
リィナはそんな俺の言葉を聞いて、ふっと柔らかく笑った。
「大丈夫ね。……あなたなら、きっとやれるわ」
「お前だってな。試験の円環から出てきた時、やたらとキリッとしてたぞ」
「当然よ。あれくらいの試練、わたしにとっては準備運動みたいなものだもの」
得意げに胸を張るリィナに、俺は思わず吹き出してしまった。
「……じゃあそのまま筆記試験も華麗に突破してもらおうか、お嬢様?」
「もちろん。田舎育ちの坊やに負けるつもりはないから」
「上等。だったら、本気でやってやるよ」
そうして俺たちは、並んで試験会場へと歩き出す。
魔導文明の知識。構築理論。魔素の流動性。失われた技術とその再現性──
これから試されるのは、“覚えた知識”ではなく、“繋げられる知性”だ。
陽光の下、気づけば肩の力はほんの少しだけ抜けていた。
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試験会場に入ると、空気は一変していた。
整然と並んだ机と椅子。各席には、魔法具によって本人確認済みの受験番号が浮かび上がっている。天井には魔力を帯びた照明が煌々と光り、部屋全体にわずかな静寂結界が張られていた。
音すら逃さない、極限の集中環境。
(なるほどな。ここも“試験のうち”ってわけか)
俺は席に着くと、深呼吸を一つ。周囲の視線も、緊張感も、全て切り離すように意識を切り替える。
「これより、第二試験──筆記試験を開始する」
中央壇上に立つ監督官が、無感情に告げた瞬間。
全員の机に設置された魔導板に、淡い光が走る。
光が収束すると、そこには鮮やかな筆記試験の内容が浮かび上がっていた。
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【第一問】
“第一階位における火属性魔術『小火球』の構造式を記述し、魔素の流動過程を簡略化して説明せよ。”
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(構造式か……基礎中の基礎だな)
小火球、いわゆる“魔法の火の玉”は、最も初歩的な攻撃魔法のひとつ。だが、この問題はただ再現するのではなく、“仕組み”を問うている。
俺は魔導板に魔術構造を描きながら、思考を走らせる。
──まず、火属性魔術は三層構造。
①魔素の収束、②属性変換、③形状制御。
この流れを図で示し、必要な術式記号を書き込む。
「魔素とは“魔力の原料”であり、自然界に遍在する粒子。火属性魔術においては、この魔素を熱と光に変換する“属性変換”が最重要となる──」
その原理を、できるだけ簡潔に、でも正確に書く。
(こんなもんか。次……)
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【第二問】
“以下の魔術構文に誤りがある場合、それを指摘し、正しい構文へと修正せよ。”
構文:『詠唱 → 収束 → 変換 → 放出 → 安定化』
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(これ、順番がおかしいな)
俺はすぐに気づいた。
“安定化”は術式展開の前段階に必要な処理だ。放出後にやったって意味がない。魔術暴走の原因になる。
「正解は──『詠唱 → 安定化 → 収束 → 変換 → 放出』。魔素を収束する前に、対象の精神波長と術式を安定させる必要がある」
と、簡潔に記述。
(この辺までは素直だな。……でも、絶対このあと、何かひねってくる)
そう思いながらページをめくると──予想通りだった。
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【第三問】
“魔素の流れに干渉する現象として、以下の4つを挙げる。それぞれが及ぼす影響を理論と実例を交えて説明せよ。”
A:空間干渉
B:精神干渉
C:気圧差
D:他者の術式重複
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(きたな……実例込みか)
これは応用問題だ。ただ用語を説明するだけじゃ足りない。“なぜ”その現象が魔法の安定性に影響するのか、理屈を示さなきゃならない。
俺はまず、Aの空間干渉から取りかかる。
「空間干渉とは、異なる座標情報が重なったときに起こる魔素流の乱れ。たとえば、狭い部屋で複数人が同時に魔法を使った場合、空間座標が競合し、構築された術式が歪む危険性がある」
そしてB、精神干渉──これは“術者の感情や集中力”が魔素の安定性にどう作用するか。
過去にあった「感情高揚による暴走魔術事件」を例に挙げ、実際に起きた“精神波形の乱れ”を分析。
Cの気圧差、Dの術式重複も、実際の魔導戦闘や訓練時の事例と繋げて記述していく。
──気づけば、もう半分の時間が過ぎていた。
周囲では、焦ったように顔をしかめる生徒たちの気配。ペンが止まっている者、問題文を凝視したまま手が動かない者も多い。
(やっぱり……“ただの勉強”じゃ通用しない)
この試験は、“考える力”と“理解の深さ”を問うている。暗記や記号の羅列ではなく、“魔法とは何か”を掘り下げた者だけが越えられる関門。
そして──ページをめくると、最終問題が姿を現した。
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【最終問題】
“かつて失われたとされる『古代構文・第零系統』の断片が発見された。以下の断片から推測される魔術構造を再構築し、どの属性にも属さない理由を述べよ。”
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(きた……“ロスト・マジック”の問題)
最終問題は、まさに“魔導文明の知性”そのものが試される問いだった。
問題文の下には、円環状に描かれた複雑な紋章と、断片的な構文式が並んでいた。それは既知の火・水・風・土・雷・光・闇──いずれの属性にも該当しない、不明の魔素を中心に据えた異質な構成。
(属性に属さない魔術……。これは“構造”じゃなく、“理論”が問われてる)
レオンは魔導板に視線を落としたまま、内心で思考を研ぎ澄ませていく。
──まず、“第零系統”とは何か?
現代魔法は基本的に「属性ごとの魔素操作」を軸に構成されている。だが、古代魔法文明では「意志による純魔素の直接操作」が主流だったとされる。つまりこの問題は、「そもそも魔法が“属性化”される以前」の原始構造に迫れ、という意味だ。
(意志……つまり、“術者の思念”を媒介に魔素を直接動かす。なら、属性という枠組みすら存在しない。純粋なエネルギーの変換操作……!)
レオンは思い出す。
幼い頃、術式も知らぬまま、無意識に火の玉を浮かせたあの瞬間──
あれは確かに、火の魔法じゃなかった。属性の制御ではなく、“願い”の発露だった。
(あれが……俺の原初か)
そして彼は、筆記具を取り、静かに記述し始める。
「第零系統とは、“属性概念が成立する前段階”の術式構造である。それは現代魔法のように外部の魔素を変換・制御するのではなく、術者の精神波長を直接魔素に投影し、“意志の輪郭”を与える手法である。よって、属性に属さないのではなく、“属する必要がない”状態にあると推測される。
上記の構文断片から再構築される構造は、
【精神同調 → 魔素共振 → 意志凝縮 → 放出】の順に構成され、詠唱を必要とせず、術者固有の精神形をそのまま魔術として具現化する。」
手が止まる。気づけば、汗が額を伝っていた。
(今の俺にできる精一杯だ)
そして、ちょうどその時──
「これにて、第二試験・筆記試験を終了する」
監督官の言葉が試験会場に響き渡った。
全ての魔導板が自動的に消灯し、答案が記録されていく。
レオンは、深く息を吐いた。
試験後。控えの間に戻ったレオンは、椅子に深く腰を下ろして天井を仰いだ。
「ふぅ……まさか、あそこまで踏み込んだ問題が来るとはな」
「やっぱり“ロスト・マジック”だったのね」
声をかけてきたのはリィナだった。彼女は涼しい顔で隣に腰を下ろす。
「ねぇ、最終問題、どう答えた?」
「ん……“意志による直接制御”がテーマだって踏んで、精神波長から構築式を推測した。まぁ、外してたら赤点だけどな」
「……ふふっ。やっぱり、あなたは面白いわ」
リィナはそう言って、少しだけ嬉しそうに微笑んだ。
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一方その頃、別室──
教師陣が試験答案の解析を進める中、ひとりの老教授が、レオンの解答を見て手を止めた。
「……第零系統の概念にここまで迫ったのは、入学志願者の中で初めてだな」
彼の声には驚きと、僅かな興奮が混じっていた。
「魔素を“道具”ではなく、“答え”として扱おうとしている……。この発想は……まるで、魔導時代の魔導士達を彷彿とさせる…」
教官たちは、ゆっくりと頷き合った。
“レオン・アルヴァレスト”──
その名は、既に学園内部で小さな旋風を巻き起こし始めていた。