弟のために
週に1~2度、ツカサの病室を訪ねた。アオイが来るとツカサの機嫌が良くなるので、真子も文句を言わずに交代してくれるようになった。でも、相変わらず真子はアオイには話しかけて来ない。
アオイはツカサの左手を触ってみた。いつ見ても、背景が病院で、ベッドの上にいる姿なのだ。
「花さん、ツカサの事を見てみたのだけど、ずっと病院にいるの。ツカサは何処が悪いのかなぁ?」
「ツカサちゃんは、透析が必要らしい。もう少し体力がついてからでないと、手術ができないそうだよ」
「とうせきって何ですか?」
「機械を使って、血液中の不必要なものを除去するんだよ」
「そんな、大変な状態なのに、ツカサはいつも私が行くとニコニコしているの!?」
「お姉ちゃんが大好きなんだろう」
アオイは、ツカサに対し何ができるか、考えるのだった。
1年後の春。
アオイ4年生(春生まれ10歳)、やっと、亡くなったカエデと同じ年齢になった。ツカサ(秋生まれ5歳)は幼稚園に行っていれば年長さんの年齢だ。ツカサは院内学級に通い、文字を習い始めた。
「あら、凄いわね。ツカサ君は、平仮名も片仮名も全部読めるのね」
「お姉ちゃんに教えてもらったの。お姉ちゃんは、お兄ちゃんに教えてもらったんだってー」
横で聞いていた真子が、突然泣き出した。
昔のアオイがケーキやさんで、教えてもいないケーキのカタカナの名前を読み、驚いたことを思い出したのだ。カエデから教わったと聞き、その時、アオイの妄想の類いではないと確信したのだ。
カエデと同じように、アオイは本を読み聞かせ、文字を教えていたのだと、今さら気がついた。自分は甘やかすだけで、学習指導をしようなんて、思い付きもしなかった。いずれ退院するであろう事を考えてもいなかった。娘の優秀さに嫉妬し、自己嫌悪になり、イライラするのだった。
「名前はね、漢字も書けるよー」
「え、本当? 書いてみて!」
指導員が紙を渡すと、つたない文字で、「はなもりつかさ ハナモリツカサ 花守司」と書いてあった。
「凄いわね! 先生、感動しちゃったわ! 素晴らしいお姉さんね」
「うん。お姉ちゃんは凄いんだよー。僕、お姉ちゃん大好き!」
ツカサは、簡単な足し算と引き算もできるのだった。
アオイは学校でも常に成績上位で、学習が遅れがちな友人に指導することもあり、教えることにも慣れていた。決して天才ではなく、アオイは努力型の秀才だ。応えたい恩があるからこそ、それに報いる努力をしている。
「お姉さんって、いつも何時頃来るの?」
「お姉ちゃんの学校が終わってから来るみたい」
「あ、それはそうよね。今度、先生もお姉さんに会ってみたいわあ」
「お姉ちゃんに伝えておくね」
「お願いしまーす」
指導員からたくさん褒められ、ツカサは上機嫌だ。反対に真子は渋い顔をしていた。
平日休みの日、アオイは院内学級に顔を出した。
「今日は、素敵なゲストをお招きしています。ツカサ君のお姉さんです!」
「皆さん、初めまして。午時 葵です。ツカサと名字が違うのは、養子に貰われたからですが、ツカサの姉であることには変わりませんので、どうか仲良くしてください」
子供相手なので、難解なお嬢様言葉は使わず、挨拶をした。
「ツカサ君のお姉さん、美人!」
「うふふ。どうもありがとう」
たおやかで優雅な雰囲気で、優しく微笑む姿は、人々を魅了する。子供たちも例外ではない。
指導員と一緒に勉強を教えると、皆真剣に取り組み、楽しそうに学習していた。
「皆さん、とても優秀なのですね。こちらを差し上げたいと思います」
折り紙で折った、凝った手順の花や動物を渡すと、低学年の子供たちは大喜びだった。
「アオイお姉ちゃん、また来てねー」
「はい。また来たいと思います」
本来平日の午前中に院内教室はあるのだが、アオイを招くために、月1回土曜日の午後にも開催するのだった。
アオイが友人をつれてくることもあり、退院できない子供たちには、良い息抜きになっていた。




