第九話「聖女の導き!海底に沈む神秘」6
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「はぁ……はぁ……はぁ……しんど……。」
廃屋の影で、カイナは荒い息をついていた。両手にはそれぞれ『セット魔術』の石板を持っているが、持っているというだけだ。
さらに1つ大きく息を吐くと、力無く項垂れた。
「…………。」
そのまましばらく動かなかった。目元は相変わらずの糸目であるが、普段のお気楽な表情はなく、口元にも力が無かった。
無力感に放心しているようにも、モグログから隠れるため息を潜めているだけのようにも見えるが、その無表情から少年の真意は読み取れない。
「まぁ……行きますかぁ。」
しばらくの間そうしていたが、気を取り直すように呟き、立ち上がる。廃屋から足を踏み出した時、目の前に小さな影が飛び出した。
「!」
「あ……ぎんゆうしじんさん……。」
聖女シプレ一行であった。先程置いてきてしまった、カイナ扮するロクシンを護衛していたオーベンもいる。どうやらあの後、見逃されたらしい。
「聖女さん、オーベンさんも……すみません。私はぁ……」
カイナが力なく告げる。下を向く少年にオーベンが近寄り、その肩に手を置いた。カイナが顔を上げると、オーベンをはじめ皆に責めるような視線は無い。
「もう言うな。俺だって覚悟は決めてたし……むしろ、いの一番に伸びちまって情けねえ。」
「オーベンさん……。」
「聖女様には、次の考えがあるらしい。」
「?」
言われて、聖女を見る。少女は目に強い意志を持って言った。
「だいじょうぶです。リボリアムさんは、生きてます!……今は、しれんのときだって。そうかんじるんです。
みなさん。わたしたちはわたしたちで、まだできることをします!」
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暗い山道を、ロクシンは必死で走っていた。
もうとっくに息が上がって、足を、身体を動かしたくない。だが、意地でも動かさねばならない。今止まってしまったら、きっともう動けない。ロクシンはなけなしの根性だけで、山を登っていた。
やがて、開けた場所に出た。
微かな月明りのお陰で、そこには家々が散見された。
もう真夜中と言っていい時間帯。どこにも明かりは焚かれておらず、そこに暮らす人々が寝静まっていることがわかる。ロクシンはしばらくその場にへたり込み、荒い息を落ち着かせた。休憩もそこそこに、いくつかある家の一つへそろそろと、しかし迷わず近づいていった。
その家屋の中……静かに寝ていた人物が、外のわずかな物音をきっかけにもぞもぞと起き出した。
山中に住む人々は、山の獣や魔獣・魔物と隣り合わせで生きている。夜は特に物音に敏感にならざるを得ず、外の不審な気配には敏感だった。
コンコンと、わずかに扉がノックされる。次いで外にいるだろう人物の声がした。
「兄ちゃん、兄ちゃんいるか……?俺だ、弟のロクシンだ。開けてくれ……!」
屋内の人物は起き上がり、慎重に扉を開けた。そこには、言う通りの人物がいた。
ロクシンは素早く家に入り込むと、外の様子を伺いながら、物音を立てないよう気を付けて扉を閉めた。
「兄ちゃん……」
「ロクシン……どうした?なんで帰ってきた?こんな夜に。」
兄と呼ばれた男は、暗がりで眉をひそめた。髭面で、ロクシンをより老けさせたような見た目だった。
「兄ちゃん……助けてくれ……!俺、追われてて……ここなら、見つからない筈だ!」
「追われてる……?どうしたんだ、お前確か漁師になるって……。」
「……実は…。」
ロクシンは話した。
彼はこの山中の村で生まれ育ったが、畑仕事も山歩きも上手くなく……。そんな自分に向けられる目に耐えられず飛び出し、漁師町で見習いを始めたのだった。(猟師見習いでも上達は遅かったが、幼少より見知った相手から向けられる失望の目に比べればまだマシだった。生来、物事に真摯に取り組む性質であったロクシンは、力及ばずながらも漁師たちから一定の信頼を得られ、それなりに充実していた。)
しかしその漁師生活でもうだつの上がらなかった中、最近拾った指輪から得た不思議な力。これが、異形の危険な集団に狙われる原因となった。
「な、ここは、俺が逃げるって言った方向とは別の場所だ、ここに隠れさしてくれ……ほとぼりが冷めるまででいいから……!」
「…………」
兄に縋りつくロクシン。だが、彼の兄は困惑するばかり。無理もない。不思議な力を得たら、バケモノの集団に狙われたなど。
そこでロクシンは、手近な道具を手に取った。……鎌だ。手入れはされているが、錆が目立つ。ロクシンはそれを握り、目を瞑って集中した。すると……
「お、おお……!?」
兄の目の前で鎌が光り、それが収まると、新品同然の鎌に変わって……否、”戻って”いた。鉄部の錆はもちろん、雨や土に侵食されボロボロだった柄の木材も、新品のような瑞々しさを感じさせる。
その光景を見ては兄も、弟の荒唐無稽な話を信じざるを得なかった。
「そうだ、なんなら家も直そう。」
ロクシンがそう言って壁に手を当てると、今度は室内全体が光に包まれる。それが収まり、暗闇に目が慣れてくると、所々ガタが来ていた室内は、やはり新築同様になったらしい。何より隙間風が入ってこなかった。
「な……。これでわかってくれたろ?頼むよ、兄ちゃん……。」
兄は視線を外してしばらく黙考し、弟の目を見て言った。
「ダメだ。」
「そ……!そんな……兄ちゃん……!」
「そんな危険な奴らが、ここに探しに来るかもしれない。そしたら、村のみんなが危なくなる。」
ロクシンは泣きそうな顔で後ずさった。
そんな弟の肩を、兄がぐっと掴んだ。
「ここには置けないが……俺もいっしょに行ってやる。2人で逃げるんだ。」
「……! で、でもそれじゃ、兄ちゃんも……」
「いい。父ちゃん母ちゃんも、もういない。残ってるのはお前だけだ。兄弟2人でなら、なんとかなるさ。」
「……う、うぅぅ……!」
ロクシンは今度こそぽろぽろと涙を流し、少しの間嗚咽を上げた。
それから2人は必要なものをまとめ、なるべく丈夫な服や靴を選び、少ない食料を持ち出して村を出た。
獣道を歩き、港とは反対方向……さらに山奥の方へ向かう。
その中で兄弟は短い話を交わした。互いの今までの事だった。
───空が白み始めたころ。
「うっお、おわぁあ!」
「兄ちゃん!」
先を行く兄の方が足を滑らせ、斜面を削るように落ちた。ロクシンは慌て、だが二の舞にならぬよう慎重に降り、兄の元へ駆け寄った。
幸い死ぬような高さではない。兄は呻いてはいるが、怪我はおそらく打ち身程度。意識もはっきりしていた。
「ううう、痛ててて……!」
「兄ちゃん、無理して動くな。じっとしてくれ。」
ロクシンは兄を制すと、手をかざした。ほどなく兄の姿は光に包まれ……それが収まると、驚いた顔をした兄が、不思議そうに自分の身体を見ていた。転げ落ちたせいで泥や草にまみれていた筈が、それらもすっかり綺麗になっている。それどころか着慣れた服……言い換えればすっかりくたびれた服や靴が、まるで卸したてのようになっていた。
「ロクシン……」
「ん?」
「お前は……ほんとうにこれでいいのか?」
「……い、いきなり何だよ……。これでいいもなにも、追われてるんだから逃げないと。俺、直すのはできるけど、戦う力は……ケンカも弱いし。」
「ロクシン聞け。お前は、すばらしい力を持った。その力は、正しいことに使うべきだ。」
それは唐突な言葉だった。
「……。お、俺も、そう思ってたよ。実際、町じゃあそうしてたつもりだ。そりゃいい思いもしてたけど……。」
「その力が必要な人たちが、きっといる。今は逃げるので忙しくても、このあとは……。お前はその人たちのために力を使え。お前ならそれができる。」
「……違う!」
ロクシンは思わず叫んだ。兄の言うことも解らぬではない。ロクシンの言った通り、港町マークンではそうしていたのだ。だが、それだけではないという事も実感していた。それゆえの否定であった。
「こんな力があっても、どれだけ人を助けても、おれは報われなかった!おれにはわかるんだ、子供のころから……人がおれをどう思ってるかが、なんとなく。そりゃ、おれに感謝してくれる連中はいたさ。うれしかったさ。けど、そうじゃないキッタナイ目を向けてくる奴らの方が多かった!あの目が辛くて怖くて仕方なかった!
……兄ちゃん、兄ちゃんや親方たちだけだ、俺が助けたいと思うのは。
け、けど、あの化け物たちがおれを狙ってると思うと、こ、こ、怖くて……ひとりで逃げることも出来なくて……!!」
ロクシンの言葉には、悲痛がこもっていた。それを受けた兄は、もはや何も言えなかった。確かに言われてみれば、彼が故郷の村にいた時、懐く相手と距離を取る相手をはっきり分けていたように思える。しかしやがて誰からも離れていき、親にすら距離を取り……ついには村を出て行ってしまったのだ。
「……いこう、兄ちゃん……」
ロクシンはぽつりと言って、歩き出した。
「巻き込んで、ごめん……。」
ロクシンは再びぽつりと言った。兄は並んで歩く弟の肩に手を置き、ゆっくり叩いた。
*
「どうだ、そっちは。」
「だめですねぇ。みんなわからないそうですぅ。」
宿の窓から差し込む朝日を頭部に照り返させながらオーベンが問うと、カイナはかぶりを振った。
一夜明け、日の出直前から”奇跡の人”の捜索が再開された町中で、聖女シプレ一行とカイナは聞き込みをしていた。
「ひとまず、各々方の情報を整理するぞ。」
部屋に集まった一行を前に、無精髭のセザムが切り出す。
消えたロクシンの手がかり……待ち合わせ場所におらず、モグログも確保した様子がないなら、別方向に逃げている筈である。
周辺は山がいくつかあり、野菜を売る行商人にどこから来たか聞いたところ、「3つの山に1つずつ村がある」との事だった。
「村が3つですか……ひとまずここまでは絞れたわけですね。」
「どうする?手分けして探す?」
「あのぉ、聖女様の予知みたいな力はぁ?」
「あれは……わたしがじぶんでやってるんじゃないんです。こう、とつぜん、ふっと来るもので……。」
「分かれて捜索は、聖女様の守りが少なくなっちまう。かといって、3つの村のどこにあたりをつければいいか……。」
面々が顔を突き合わせて話し合う。
町の者は誰も、ロクシンがどこから来たのか知らないのだという。気づけば港町にいて、自分の事もあまり話さない男だったと。山からきた行商人も”奇跡の人”としてのロクシンしか知らないようだった。話を聞くたび、彼が寂しい男であるらしいというのだけはわかった。きっとロクシン自身も周囲をあまり信頼しない……あるいはできない環境だったのかもしれない。
「う~~~むむ。こうなったら……久々にやりますかぁ。」
と言って、カイナが取り出したるは彼のお馴染み、『セット魔術』の石板……と、荷物から取り出した丸い板と3つの丸い小石。丸い板はお盆より一回り小さく、規則的かつ複雑な紋様が彫られている。小石はそれぞれ透明感のある薄緑・青・薄桃色で、転がらない程度の平たい楕円形をしていた。
「なんだいこりゃあ。」
「うらない?……か、なにかですか?」
「ご名答~、占いの道具です。そしてそしてぇ、私カイナ秘蔵の1枚”カンデラ”。占いの結果を限りなく絶対に近づけることができまぁす!」
「す、すごいですね……!?」
「そうでしょうとも。やたらめったらには使えない貴重な……───」
カイナはちらりと残りの石板を見る。そこには、昨夜出したくても間に合わなかった切り札が、今も眠っている。
『セット魔術』で使用する魔力は、石板自体が、流れる自然魔力を濾し取るようにして自動的に溜められるようになっている。しかしそれが不十分な時、他の石板に溜まった魔力を受け渡して不足分を補うという手段がある。”切り札”の必要魔力は膨大で、今は手持ちの石板のほとんどを注ぎ込んでも足りるかどうかであるが、この手にある”カンデラ”をそちらに充てればかなりの分を補えるところだった。
……ちなみに『セット魔術』は防犯機能として、基本的に”本来の所持者”にしか使えない制約がある。カイナの石板を他人の魔力で発動させることはできないのだ。
わずかに躊躇いはあった。
「───使うつもりは無かったんですがねぇ。……”カンデラ”!」
石板を高く掲げると、言った通りのシンプルな……少々古めかしいカンテラが現れた。魔術で出した割には何の変哲も無さそうな見た目に一同はぽかんとしていたが、聖女だけは目を見開いた。
「これ……なんですか!?すごいちからを感じます……!」
「ほほぉ、流石は聖女様。これは掘り出し物ですよぉ~?蚤の市でおばあさんが売りに出してたのを見た時はビビビと来ましたね。」
カイナは言いながら、そのカンテラに火を灯し、頭上に吊り下げ……る物はなかったので、暇そうにしていた女戦士ドリスに持っててもらった。火が入ると普通のカンテラとは違う、柔らかな青白い明かりが辺りを照らす。まだ朝であり、事実部屋の中も明るいのに、まるでカンテラの周囲だけ夜になったかと錯覚するような、静やかな雰囲気が辺りを包んでいた。
「この占い道具も見たことがないですね?どこのおまじないでしょう。」
「北東あたりの端っこの、小さな国で使われてるものですぅ。」
丸い木板を床に置き、小石をそれぞれ板の上に投げ込んでいく。小石同士がぶつかって板の外に飛び出てしまったが、カイナが気にした様子はない。……この占いのルールはカイナ以外知らない。なので今の状態が良いのか悪いのかまるでわからない。皆が固唾を飲んで覗き込んでいた。
小石が散乱する様子をじっと見つめていたカイナだったが、やがて決断的に口を開いた。
「ロクシンさんの居場所は分かりましたぁ。………………聖女様ぁ。」
「はい?」
「私たちはどうやらぁ、ここが正念場のようですよぉ。」
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『セット魔術』”カンデラ”
闇を照らす灯。運命の道を示してくれるカンテラ。ただし、それがいい道かどうかは歩いてみなければわからない。
占いの結果……言い換えれば”予測した運命”を確定させるという、すさまじい魔力を持つ。占いの導き通りの行動をとれば間違いなくその運命に進める。あえて導きから外れた行動をとることでその運命から逃れることもできる。
使い方を間違えると非常に危険なため、カイナはこれを使うときはあえて曖昧に、色々な解釈ができる前提でしか占わない。
蚤の市で売っていた老婆はただ長持ちするから使っていたが、オシャレなのに買い換えたのを機に中古に出した。それをビビビと来たカイナが購入し、セット魔術のカードにして持ち歩いていた。




